□指果報


走り屋にとってのイベント事で、その深夜もとっくに過ぎていると言うのに同業の野次馬で観光名所と化したスタート地点に生江が着いた頃には既に相手方の愛機が行儀良く佇んで居た。予定時刻は回っている。なんでおっぱじめていないんだ。
敢えて少しばかり時間に遅刻して来たのに、ご律儀にもこちらの到着を待っていてくださったFDの持ち主が明らかに色良い感じでは無いのが見て取れる。
「はー」
溜息のつもりが思いの外長い息を吐くと共にステアに突っ伏した。
ちらりと横目で外の様子を伺おうと首を回すも広範囲に渡る窓の蜘蛛の巣のようなヒビによって良く見えない。
どうしてこんな事になっているのか。
生江は数時間前の出来事を思い返す。





いつも車を転がすばかりの走り屋連中には珍しく、ちょっとした話し合いの場が設けられたとか何とかでお呼ばれされた生江が無下に断る術もなく取り敢えずはと顔を出したのが数日前の事で。
わざわざチームの中でも実力者だけを集めたこじんまりとした談義で、物のついでのように持ち出された主題は例によってのプロジェクトDとの試合が決まりましたみたいなそんな感じだった。
下りならクレイジーダウンヒルで草の根有名人な大宮に他ならないだろうと他人事に予想して居たがやはり満場一致でそうなった、そこまでは良い。第一防衛ライン246のリーダーでもある彼の場数を踏んだ実力は認めて居るし、自分としても願ったり叶ったり。
しかしそれより何より問題なのは前半戦の方で、その貴重なヒルクライムのご指名とあったのが有難迷惑に他ならぬ自分自身だった事だ。
それなら小早川という腕の立つ実力者が居るではないかとさり気なく遠慮じみた辞退を呈してはみたものの、それが全く通じる気配も無く。
言ってしまえば責任を押し付けようなんて魂胆があからさまに丸見えのそれだったが、それでも今回の仕事を引き受けるにはあまりにも荷が重過ぎた。
そんな心情を知ってか知らずか「頑張れ」なんて笑って背中を突かれた恨みはきっと一生忘れない。
気乗りこそはしないが恒例行事の投票で決定事項となってしまったからには反論の余地もなく仕方が無いと腹を括って繰り出した。
しかし一体何なんでしょうこの仕打ちは。
まだ少し時間に余裕があるからと休憩がてらにふらっと寄った見るからに個人商店らしい敷地内に、勝手知ったる地元のそれで何の警戒もなしに迂闊に入ったのが軽率だった。
そこを自分たちの庭だと称する風貌の悪い学生共に難癖を付けられた挙句に長物を振り下ろされてこの様だ。この際どうでも良いが、今はどこも派閥社会らしい。
生憎修理に出すような時間すら残されていないので投げやりに半ば諦めともつく気分のままトロトロと車を走らせて来たまでに至る。
幸いお仕事中の国家権力者様に見舞われる事態は避けられたがそれで地獄の底まで沈んだ気持ちが軽くなるなんて事はちっともない。
今日は厄日か何かだろうか。





このまま引き返したいところだが、こうしている間にも待ちかねていた男の視線がそろそろ痛くなって来たので生江は渋々ドアを開けて外へ出た。ついでにギャラリーの視線も痛いのは場数を踏んで居ないからなのだろうか。
「…こんばんは」
生江が首から会釈する。
「こんばんは。随分と遅いご登場だな」
「すみません……」
「…まあいい。さっさと始めようぜ」
「いや、それなんですけど…」
煮え切らない返事で愛機のAWに目を移す生江の視線を辿った男が露骨に眉根を寄せたのがわかった。
「また随分派手にやられたな」
「最近は手荒な人種が多いみたいで」
「…まさかおまえ、人を散々待たせておいて今更走りませんとか言うんじゃないだろうな」
「そのまさかなんですけど」
男がうんざりと肩で息を吐いた。
「いつやられた?」
「さっき、麓の小さい敷地内でどこぞの若造に。私が軽率でした」
「若いヤンキー風情が集まってるあそこか。あんた地元だろ?そんな事も知らねぇのかよ」
「疎くて悪かったわね…。逆にどうして一日走り込んだだけのあなたがそんな事情まで知ってるのよ。そっちの方が不思議でしょうがないんだけど」
「下調べは基本中の基本だぜ。あんたの自業自得だ」
「言われなくてもわかってるわよ!」
「で、どうすんだ?」
「何が?」
「バトルだよ。窓が割れた状態で走られて事故でも起こされちゃたまんねぇし」
「あぁ、直ぐに代役を頼んでくるから」
踵を返した生江がメンバーの元へと駆け寄り、何を言われる覚悟で顔を上げると小早川の目が実に露骨におまえは馬鹿なんじゃないのかと言っていた。
こうして黙っているのが良い証拠だ。
「ちょっと頼まれてくれないかしら」
「おまえな…」
「さすがにあれで事故を起こせば観客を巻き込む可能性もあるでしょうが。それにあなた、あのエースと是非やりたいって意気込んでたじゃない」
「そういう問題じゃない。おまえは物事を簡単に考え過ぎるのが悪い癖だよ」
「あなたが具体的に考え過ぎなだけ」
「無責任にも程があるんじゃないのか」
生江は何か言ってやろうと口を開いたが今の今まで事の成り行きを見守って居た大宮が何か言いたげな感じで割って入って来たので仕方なくそこで押し黙った。
「確かに生江の言う通りだ。ここであのAWを走らせるのは得策じゃないな。まして相手はプロジェクトDな訳だし、あれで全開走行されたら見てるこっちの身が持たない」
「…どういう意味かしら」
「そのままさ。生江は速いけどな、あまりに突っ込みが良いので偶に見ていて不安になる」
「褒めてるの?」
「褒めてない。どちらかと言えば心配してるんだが」
そうでしょうね。
冗談が成り立つ気配もない大宮に敢えて冗談を振ってみた。真面目に答えるつもりなど鼻からないのだ。それを知っていてわざと苦言を呈すこいつもこいつなんだけれど。
以前から何度か聞かされた覚えのある台詞だがそれほど強く言われた事はなく、しかし試合に繰り出すその都度聞かされたような言葉でもあった。
「小早川、お願い」
両手を合わせてお願いしますのポーズを取ると、ややあって小早川が諦めともつく声のトーンで一言了解のお声を頂けたので取り敢えずの安堵を押し込んだ生江は幾らか楽しそうに肩を竦めた。きっと相手が相手だからだ。生江は敵陣である草の根有名車両に心の中で密かに合掌した。
「あ、車退かすわね」
「あぁ」
とんぼ返りの生江を見送り、小早川と大宮はどちらともなく深い息を漏らす。
口頭での謝罪はいかにもそれらしいが、しかしその癖悪びれる風もない。
見ようによってはおまえが仕組んだんじゃないのかと言いたい気持ちもないでもないが今は時でないと大宮がそれらを呑み込んだのに対し、そんな人の腹を察する気配もない小早川がうんざりと一つ肩で息を吐く。
「見ようによってはわざとらしいですけどね…」
「…どうだろうな。もともと気乗りする様子は無かったし、あいつにとってこの試合が然程重要な訳でもないんだろうけど」
「それで代役させられる俺の身にもなってくださいよ」
「頑張れ」
これである。
どこかで聞いたような台詞と他人事のように歯を見せて笑った大宮にああこれは当分敵わないなと苦笑した小早川は曖昧に返事を返した。
持ち主の横着によってエンジンが稼働したままの黒のAWが道路の傍らに寄せられたのを互いの合図に、夜のヤビツでバトルの幕が上がる。

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