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キズモノ(阿良々木暦)




「ねえ、噛んでもいい?」
「は?」

彼が状況を把握する前に、一瞬で距離を詰めた。きょとんとしている彼の首を目がけて、できるだけ害のなさそうな顔で、近づき、歯を立てる。

「い…ってえ!」

…当然だろう。噛みちぎる気持ちで迫ったのだから。
口の中に広がる鉄の味を噛み締めながら、静かに口を外す。
うかがうように暦の顔を覗き込めば、彼の顔は苦痛に歪んでいた。

「そりゃねえよ名字…お前無害そうな顔してとんでもねえことするな…」

だが首筋を抑える彼が、傷口をそっと一撫でするその刹那、すうっと傷口は塞がってゆく。魔法のように、そこに傷があったことすら、嘘みたいに。

あ。すごい。と思う一方で可哀想だ、と不意に思った。

「…わたし、吸血鬼じゃなくてよかったなあ、」
「……そりゃそうだろうよ。こんな気持ち悪い能力、あったって何の得にもならねえよ、」

吐き捨てるように言う彼はほんの少しセンチで、けれどもそこはかとなく厨二的であった。まあそういうところが、阿良々木暦の真骨頂なのだけれど。

「そうじゃなくて、さ、」
「?」
「嘘みたいに消えちゃうなあ、って思って、」
「…悪いな名字、俺、要領を得ない会話から真意を読み取ることは得意じゃないんだ、」

彼のその言葉にふ、と笑みが落ちる。普段から彼を取り巻く女の子達(特に戦場ヶ原ひたぎ)は、往々にしてそうだ、ストレートなことしか言わない。

「じゃあ言い方を変えるね、すごく、可哀想だなあと思ったの、」
「……言い方を変えたところで、あまり要領を得たとも言いがたい言葉だな、」

彼は「可哀想」という言葉が嫌いそうだ、という先入観をもって、確かに悪意のある口調でそう告げると、やはりというべきか阿良々木暦は顔を歪ませた。こんな風だから自分は、人と上手くやっていけないのだろう。

「かわいそうだよ、とても、」
「…そりゃどうも、」

あまりに可哀想だ。せっかくつけてくれた傷が、こんなにもすぐ治ってしまうだなんて。

「…こんなんじゃ、頭が体に置いていかれるばかりだね、」

そこまで言ってようやく、彼は話の筋を理解したらしい。一瞬だけ驚きに目を見開き、ああ、と煮え切らない返事をする。

「……これじゃあ、誰も阿良々木くんが傷ついたことが、わからなくなっちゃうね、」

言いながら再度彼の首筋を撫でる。彼はされるがままだった。やけに伸びた襟足の隙間を、指先でいったりきたりしてみても、先ほどの傷はどこにも見つからない。しょせん自分の歯形など、彼にとってその程度、取るに足らない傷だったということの証明でもあるようで、どことなく物悲しい。
まあ、自分は、そこまで阿良々木暦という男に執着があるわけでは、ないのだけれど。

「傷口だって個性だよ、阿良々木くん、」

目を閉じて、触れてもわかる。肌の盛り上がった感覚、自分の体の治癒能力をもってしても、追いつけなかった、身体の敗北。そういったものを感じさせる、かさぶたともまたちがう、治りかけの傷跡の感触。触れる度に、傷つけられたことを、傷つけてしまったことを思い出させる感触、

「…それじゃあ名字にとっての俺は、大層無個性なんだろうな、」

自嘲的に言う阿良々木暦は、やっぱりセンチで厨二的だ。
それだけで十分個性のような気もしたが、名前は曖昧に頷いておいた。

傷口のない彼は、どうやって思い出すのだろう。自分のしてしまったことを、されたことを。
彼はどうやって知ってもらうのだろう。自分が傷ついたことを、悲しんだことを。
それらを思うと、どうしても痛々しくて、切なくて、阿良々木暦に大した執着はないというのに、自分は途方もなくどうしようもなくなるような気持ちになること、その無責任さに嫌気がさした。
知ってあげたい、という気持ちもあるのに、どんなに触れてみても、彼の体はあまりに綺麗で、どこがどう傷ついているのか、無骨な自分にはわからないのだ。わからないことばかりだ、この、寂しい男のことなど。

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