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たばこ(静雄)




これの続き

彼の居なくなった部屋はがらんどうだった。物理的にも精神的にも。
何の気なしにベランダを見据えた。そうだ、彼はよくあそこで煙草を吸っていた。
別に部屋で吸ったって構わなかったのだ。わたしは、彼のアメスピの匂いを愛していたのだから。
そこではたと思い至る、果たしてそのことをわたしは彼に伝えたことが、あっただろうか。

思えば随分とまあ、身勝手な恋であったと思う。優しくされるだけされたら、その優しさが逆に重くなっただなんて。酷い事をしてきた他の男が恋しくなった、なんて。
どうして幸せにしたいとおもうだけではいけないのだろう。その思いだけで恋は成り立たないのだろう。

ピリ、と鳴り響いた時計が0:00を告げる。ああそういえば。朝に弱い静雄のために時間を5分はやめていたんだっけ。
苦笑しながら時計の時間をそっと元に戻す。そんな些細な、静雄がいないことで起こる生活の修正の積み重ねで心の一部が死んでいくような気がした。


思えば静雄は優しすぎる男だった。どうして彼はあれほどまでに、わたしのしてほしいことばかりを把握していたのだろう。臨也を失ったわたしが手を伸ばすことにも疲れていた頃、その手をとってくれたのは他ならない静雄だった。わたしの頬に触れるのがすきで、眠たいときには仕方ねえなと言いながら膝枕をしてくれた。嗚呼、そのベッドでよくわたしは、静雄の体温に絆されて寝落ちというものをしていたっけ。

静雄がわたしのしてほしいことをしてくれる反面で、わたしは彼のことがよくわからなかった。わたしのことを好きだということ、その他には。それはわたしが、彼のことを理解しようとしなかったからだということも、わたしはちゃあんと理解していた。理解した上でそれを許してくれる静雄に甘える道を選んだのだ。だって堕落は、初めて舐める蜜の味のようで、とても、美味だったから。

だってほら、彼の好きだったものなんて、彼の愛していたたばこしか思い出せない。


「最低だなあ、わたし、」



そう呟けば許されるかと思ったが、存外そこまで甘いものではないらしい。むしろ余計に自分を責め立てる結果となってしまった。自分ひとりの部屋で居心地が悪くなったわたしは、静雄の置いていったアメスピの箱を拾い上げる。

数秒、その箱と見つめ合う。箱の中にはあと2、3本のたばこが入っていて、残り少ないそれに安堵する。彼がこの部屋に置いていったたばこが、こんなに軽くて、彼にとってとるに足らないものでよかったと。

手探りでライターを探した。ライター自体はすぐに見つかったが、火の付け方がわからない。なんて事のない動作で火を点けていた静雄の手元を思い出す。そういえば、随分と様になっていたなあ。
仕方なしに立ち上がり、ガスコンロから火をもらう。我ながら間抜けな絵面である。

銜えるだけではよくわからなかったので、まずは小さく吸い込んでみた。案外大丈夫そうだ、と小さく煙を吐き出してから、次いで思い切り息を吸い込むと、途端に懐かしい匂いが流れ込んできた。思いがけないそれに、案の定というかまあ予測していたことではあったが、咽せ込む。こんなものを好んでいたなんて、やはり彼のことはよくわからない。わからないけれど。
どうして彼は煙草を吸い始めたのか。どうして髪を染めるようになったのか。どんなことに幸せを感じていたのか。そして、どうしてわたしのことを、好きだったのか。

「本当に、なんにも知らなかったんだなあ、」

平和島静雄という男を構成しているものたちを、もっと知りたかったと、不意に思った。あまりにも自分勝手なそれに笑いがこみ上げてきた。ひとしきり笑い終えると、今度は涙が出てきて苦笑する。まったく、彼はこんな女のどこが好きだったのか。

どうか今夜は彼の夢を見ませんように、と願いながらわたしはベッドに潜り込む。
彼の命を蝕みながらも彼を構成するこの、たばこの匂いの立ちこめる部屋で。もう二度と会う事はない。




たばこ/コ.レ.サ.ワ

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