寂雷が処方した薬のおかげで、神影の熱はみるみるうちに治っていった。
ひじの間に挟んでいた体温計を抜き取って一二三に渡す。背後から独歩も体温計を覗き込んで、二人してそれを見下ろした。


「よ、よかったぁ〜〜!」


一二三は安堵に叫んだ。後ろで独歩も安心したようにほ、と息を吐いた。
体温計に表示された数値は平温そのもので、やっと熱が下がり切ったことを意味した。一二三はやっと辛いのから解放されたね、と言って神影を抱きしめ頭をグリグリ撫でまわす。


「よっし! 神影も風邪治ったことだし、ぱーっと美味しいもん食おーぜ!」


ぱっ、と神影から離れた一二三は突拍子もなくそんなことを言い出した。目を丸くする神影をそっちのけに、二人は話を進めて行ってしまう。


「独歩、今週の土曜って休みだったよな?」
「ああ。休日出勤が入らなければな・・・・・」
「んじゃ、金曜の夜にすっか! 神影ちんも、何か食べたいもんがあれば言えよー? やっと治ったんだし、遠慮すんなよ」


なんでも作ってやるからな、一二三は腕をまくって任せろとでもいうように二カッと笑顔を向ける。そんな一二三にありがとうと笑って、首を横に振った。


「治ったから、もう出ていくよ」


せっかく作ってくれると言ってくれたけど、そろそろ出て行かなきゃ。申し訳なさそうにしながら、神影は告げる。
そこで一二三と独歩は熱が下がるまで、と期限を付けて無理やりにでも神影を保護したことを思い出す。


「いろいろ、ありがとう。必ずお礼はするから」
「いや、お礼なんて別に・・・・・・」


独歩はいらないと言って手を振る。その時の表情は心配そうで、どうしたものかと頭を巡らせていた。そうしていると、黙ってしまっていた一二三が口を濁らせながら言った。


「でもさ、神影ちん、此処を出てどこに行くつもりなの? 家、ないんでしょ・・・・・・?」


「どこに、神影は帰るの?」目線を合わせるように手を膝について屈む。小さい子に言いつける大人のようだ。
真剣な顔つきで問いかけてくる一二三。その背後では、心配そうにしながら次の言葉を待つ独歩がいる。神影はそんな二人に、はっきりと告げる。


「帰る場所なんてないよ」


自虐するのでもなく、自嘲するのでもなく。ただ事実を告げるように、当たり前に神影は言った。

そんな神影を一二三はどうにかしたくて口を開くが、吐く言葉が見つからなくてまた閉じてしまう。何度かそう繰り返していると、遠慮がちに独歩が口を開いた。


「あのさ、俺からの提案なんだが・・・・・・」


一二三と神影は独歩に視線を向ける。


「帰るところがないなら、ずっと此処にいればいいんじゃないか?」


思わず、神影は目を丸くした。
独歩は補足するように言葉を続ける。


「俺も一二三も、一人くらい増えたところで何も問題はないし。神影さえよければ、此処に、一緒に住まないか?」
「そうだよ! 独歩も良いこと言うじゃん! 神影ちん、此処で俺っちたちと一緒に住もうよ!」


一二三は独歩の背中をバシンと叩く。痛そうにして独歩は身体をよろめいた。


「・・・・・・なんで?」


此処に住めばいいという二人に対して、どうしてという言葉をこぼした。「なんで、って?」一二三はそう首をかしげる。神影はわからなかった。


「此処に居ても、二人には何のメリットもないのに。それじゃあ、天秤が釣り合わない。あなたたちには、なんのメリットがあるの?」


自分が此処に居ることで、彼らにはいったい何のメリットがあるのだろうが。むしろデメリットではないか。此処にとどまれば同居人が増えたことで家は手狭になるし、食費や生活費だって増える。神影にはお金がない。生活費なんて払えなかった。

「神影」と独歩が呼ぶ。


「俺たちは別に利益とか不利益とかを考えて言っているわけじゃないんだ。好きでやってることだから、そんなもの無くてもいいだ」


子供に言い聞かせるように、優しい声色で話す独歩。それにまた、神影は瞬きをする。「そうそう! そういう難しいことは考えなくていーの!」続けて一二三が言う。

返答に詰まっていると、そろそろ独歩が仕事へ向かわないといけない時間になっていた。一二三はキッチンに戻り、独歩はスーツに着替えて玄関に向かった。キッチンから動かない一二三を確認して、独歩の後を追う。


「どっぽ」
「ん? どうかしたか?」


ちょうど靴を履き終えた独歩は神影に振り向く。


「ひふみは、女性恐怖症なんでしょ? 私はいないほうがいいんじゃない?」
「・・・・・・・・・・・・わすれてた」


そうだ。一二三は今、神影のことを男だと認識しているが、本当は女なのだ。女性恐怖症の一二三と一緒にいれるはずがなかった。独歩はすっかりとその事実を忘れ去っていた。


「と、溶け込みすぎててすっかり忘れてた・・・・・・そうだよな。ずっと隠してなきゃいけないし、神影も辛いよな・・・・・・すまない・・・・・・」


自分で提案しておきながら、と独歩はひどく落ち込んで肩を落とす。だから出ていくよ、と言おうとして口を開こうとしたとき、一歩早く「でも・・・・・・」と独歩が続けた。


「神影がいてくれると、俺も一二三も嬉しいよ」


ふにゃり、と気恥ずかしそうに緩んだ笑顔を向けて独歩は言った。仕事のためその話は帰ってからにしようと告げ、独歩は仕事に向かった。
神影は玄関にしばらく立ち尽くした。リビングに戻り、キッチンで洗い物をする一二三のもとへ向かう。


「ひふみ」
「んー? なーに、神影ちん?」


洗い物をしながら背の低い神影に目を向ける。


「ここにいてもいいの?」


エプロンの裾を掴んで、遠慮がちに言う。
一二三は目をまんまるとさせたあと、満面の笑みを浮かべた。


「もちろん!!」



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