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▼ 愛なんて

 九条愛知という男は、人の上に立つことを何より好んだ。誰よりも賢く、強い。他者が自分より上に立つことを決して許さない。
『いいか、お前は未来の九条を背負う人間だ』
 幼い頃から散々言い聞かされてきたその言葉は、確かに九条へと伝わり、この全寮制の男子校でのトップ――生徒会会長という役職に就いた。例年通りなら、生徒会長という重要な役職には二年生か三年生が選ばれる。いくら中等部で役職に就いていようとも、仕事の量も重要さも桁違いに増える高等部の生徒会長にはなれない。一年生で生徒会に入ることが出来るだけでも稀な存在だ。
 その常識を、九条はいとも容易くひっくり返して見せた。



「何回ミスするつもりだ、采華」
「ごめんごめん」
「チッ……今すぐやり直せ」

 九条が生徒会長になって一年。三人目の会計は、九条に突き返された書類を受け取り、自分のデスクへと戻った。
 なにも采華だけが九条の機嫌を損ねているのではない。つい先日新しく入った庶務の楽市は、今日の会議で使う資料を間違えてコピーし、顔を真っ青にして再びコピーをしに職員室へと向かっている。
 学園一の美形と持て囃される端正な顔には、苛立ちがはっきりと見て取れる。失態の積み重なりに怒りを露わにする九条を見て、黙々と作業をしていた書記の岸は気まずそうに大きな身体を小さくしている。
 確かに、九条は仕事の出来る男だ。完璧という言葉が恐ろしいほどに似合う。加えて、『九条家』という家柄が、より一層彼の位置を上へと押し上げる。例え九条がどんな手を下そうとも、それに反抗出来るだけの力を持つ者はここにはいなかった。
『代わりならいくらでもいる』
 辞めていった前の庶務に向かって吐き捨てられたその言葉は、暗に他の役員にも向けられていたのだろう。
 九条にとって自分達は、数多ある駒の内のひとつに過ぎない。その事実を叩きつけられた者達は皆、九条から離れて行った。その時点では、まだ希望はあった。が、九条は彼らを引き留めるどころか、すぐに新しい役員を発表した。
――滑稽だ。
 彼らはそう思わざるを得なかった。こちらがいくら歩み寄ろうとも、九条には届かない。そこに九条は居るはずなのに、大きな壁が何もかもを遮り、九条の姿が全く見えないのだ。
 会長と副会長を除く生徒会役員の一斉辞任は、一年経った今も生徒達の間で囁かれている。それほど前代未聞の事態であった。
 故に、岸が頻りに九条の様子を窺っているのは、単に九条の機嫌が悪いからというだけでも、岸の気が弱いからというだけでもないのだ。いずれは自分も切り捨てられるのではないか。『九条』に見限られることだけは、何としてでも避けなければならなかった。
 そう考えに耽り過ぎていた所為で、九条の意識が采華から外れるタイミングを見逃し、ばっちり視線が絡まってしまった。

「岸、俺に何か言いたいことでもあるのか?」
「っ、ちが、あの、ごめ……なさ、い」

 何もない、とは到底思えない程に狼狽する岸の姿は、九条の機嫌を更に損ねるには十分な材料であった。

「こそこそ俺を見て、何を考えてんだ? 言えよ」
「かい、ちょ……に、嫌われたく、ない」
「俺に、嫌われたくない? ハッ、違うだろ? 『九条家』に嫌われたくないの間違いだろ?」

 岸がびくりと肩を揺らす様を、九条は白い目で見ていた。息苦しいなんて優しいものではない。息をすることすら許されないような射殺さんばかりの鋭利な視線が、容赦なく岸を貫いた。
 そこへ、九条が生徒会を率いるようになってから唯一、辞めずに残っている副会長の鈴宮が、珈琲を淹れたティーカップをトレイに乗せてデスクまで運んできた。時間にすれば刹那の出来事であったのかもしれないが、岸はどくどくと脈打つ心臓を抑えるようにして肩で息をしている。

「まぁまぁ、一旦落ち着いたらどうかな? 九条会長」
「あんたに指図される筋合いはない」
「相変わらず釣れないね」

 返事はないものの、九条が珈琲を口にするのを見て、鈴宮は九条に背を向け口角を上げた。
――この男は、なんて不器用なのだろうか。
 そう鈴宮が思うようになったのは最近のことで、それまでの約一年間は、周囲と同じく、ただひたすら九条に対して嫌悪感と劣等感しか抱いていなかった。こんな傲岸不遜な男の下に付かなければならないなんて嫌な役だと思っていた。
 本来ならば、彼が生徒会長になる筈であった。一年生の頃から生徒会入りし、来年には彼が生徒会長になると誰もが思っていた。が、呆気なくそれは消え失せた。
 気付けば、当たり前のように生徒会長の席には九条が座っていた。――その時の屈辱は、今も忘れない。何も敵わないのだという現実を突きつけられ、九条愛知という男の存在は、彼のプライドをズタズタに引き裂いた。
 それでも鈴宮が九条から離れることなく、未だに共に仕事をしているのは何故なのか。別に妬んで寝首を掻こうとしているのでも、完全に降伏し慕っているのでもない。
『愛なんてくだらねぇ』
 そう吐き捨てた九条がほんの一瞬、悲しげに目を伏せたところを見てしまっただけ。きっかけはそんな些細なアクションであった。
 これが九条でなければ、気にも留めなかったであろう。常に自信に満ち溢れ、他人に対しては挑発的で、自分より格下は見下し嘲笑う。親衛隊とはセフレ関係にあり、飽きればすぐに相手を変える。ただ九条の性欲処理の為だけに、九条の親衛隊は存在していると噂され、事実そう言われても仕方のない有様だ。
 九条は九条に付き従う人の数と同様に反感を買い、それを捻じ伏せて頂点に君臨している。決して折れることのない強さを持ち、頭の切れる良い性格をしている――下衆な性格、と言う方が正しいか――と、鈴宮をはじめとする大多数がそう普段の九条を認識している。否、していた。
 鈴宮は全く想像出来ないものを見てしまったのだ。その瞬間だけ、九条がとても小さく見えた。
 『愛』という、一方では酷く曖昧で、もう一方では非常に明確なものに、九条が嫌悪と苦痛と羨望を向けていることに気付いたのは新学期になってから。具体的には、天久一成という男が風紀委員長になってからだ。
 すでに三ヶ月が経ったが、近頃の九条は以前に比べて不安定であると鈴宮は感じている。十中八九、天久との接触が関係している。それは確かなのだが、果たして良い方向に九条が揺らいでいるのか否か――それは不透明なままである。
 鈴宮はそれを知ったところで、とやかく言うつもりは全くない。何があったのか詮索する気もない。
 ただ、九条に対する見方が変わった、それだけのことだ。いや、九条に同情するようになった、と言った方が合っているのであろうか。

「今日のノルマ終わったし、楽市の手伝いでもしてくるよ」
「勝手にしろ」

 鈴宮は九条に一言、職員室に向かうことを告げて生徒会室を出た。少し歩いたところで立ち止まり、不機嫌な王を残したままの生徒会室の方へ振り返る。今更ではあるが、采華と岸をあの空間に残したままにしたのは良くなかったかと不安に駆られた。が、いつまで経っても九条に慣れないまま、というのもよろしくない。
 鈴宮はやれやれと、深く溜息を吐いた。

「……ホント、周りを振り回すのが得意なヤツばかりで疲れるよ」

 ぽつりと落とされた胸の内は、彼以外に誰も居ない広い廊下の静けさに溶け込むかのように消えていった。



『愛なんてくだらねぇ』
 その言葉がまるで助けを求めているように思えてしまう程、鈴宮は九条に同情していた。


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