「残念なお知らせだよ、暁」
アキラの声が暗い。
「どうしたんだ、アキラ」
「ツギハギさんにばれた」
「えっ、繭の女が?」
「いや、違うな。僕たちが追いかけてた魔人の卵がツギハギさんたちのところにまで情報があがっちゃったみたいでね、対策本部がたてられることになったんだ」
「えっ」
「案の定、僕は担当をはずされたよ」
「アキラの姉が繭の女の本体だって、誰も知らないんだろ?なのにか?」
「お姉ちゃんの方じゃない」
「まさか、シュバルツバースの?」
「ああ、天使の眷属になっちゃってる父さんと母さんの方だ。二人ともマスコミに顔出したことあるからすぐ身元が割れちゃった。どうやら、今、繭は品川の大聖堂にあるらしくてね」
「ケイの両親が通ってたあの教会か」
「うん、そうだよ。どうやら3年前に本部を壊滅してから、行方不明になってる幹部の一部が入り込んでるみたいだ。さすがに入れてもらえなかった。これでも直談判したんだけどな。おかげでまた休みたくもないのに休暇をもらったよ。どうしようかな」
ためいきしかでてこないアキラは、どこか投げやり気味になっている。繭の女の誕生を阻止しろという謎の少年の助言通り、ダメージを与える方法を把握し着実に攻略していたはずなのだが、失敗続きである。物質世界のものを問答無用でマグネタイトに変換する黒い液体が噴出する前にすべてを燃やし尽くさなければならないのだが、来栖とアキラのペルソナ、悪魔、そして銃火器では火力がぜんぜん足りないらしい。実力不足を痛感しているアキラは、寝る間も惜しんで任務やアルバイトをシフトに入れ、少しでも強い悪魔を手にするために懸命なのを来栖はつぶさに見てきた。さすがに無理をしすぎているときは止めた。それがアキラが求めていることだと知っているから。来栖がアキラを見放したが最後、アキラは焦燥のあまり地獄の業火を求めて強力な悪魔と自身を生け贄に邪教の館で悪魔合体の儀式を執り行いかねないのである。どうもアキラの先走る焦燥の正体は感情から発生するマグネタイトから使役する悪魔に垂れ流されているようで、強かな者はアキラをそそのかすようなそぶりを見せてはミノタウロスに睨まれてスマホに戻っていく。我が主を頼んだぞとミノタウロスにいわれてしまっては、ますますアキラから目が離せない来栖である。
「追い出されたのか」
「まあ似たようなものだよ。独身寮だとみんなの動きがわかっちゃうからね。それに後からついて行きかねない。ああもう、なんで筒抜けなんだろう、僕の行動パターン」
「どれくらい?」
「休暇?」
「ああ」
「二週間くらいかな」
「長いな」
「でしょ?やんなるよ全く。今度はちゃんと遊べよだってさ、くっそう」
ツギハギに釘をさされた時のことを思い出したのか、アキラは悔しそうだ。あんなんだから未だに独身なんだよ、と不満をぼやくアキラに、来栖はカレンダーをみながらいった。
「またあのクリニックに行くのか?」
「んー、どうしようかな。さすがにまた休みだとおじいちゃんたちを心配させちゃうかなーと思ってね。ホテルかな、高くつくけど」
「うちにくるか?」
「え、ルブラン?」
「ソファでよかったら貸す」
「ほんとに?それは助かるな、いちいち車で迎えにいく手間が省けてありがたいよ。でもいいのかい?佐倉さんにいわなくて」
「大丈夫、たぶん」
「あはは、期待しないで待ってるよ。だめだったら滝水さんのところにでも転がり込もうかなって思ってるんだ。退院したらしくてね、進捗が聞きたいらしい」
「女子高生がいるから?」
「うるさいな」
「たしかにケイは美人だけど、一般人だろ」
「でも悪魔について理解があるのは得点たかいよ、僕的に」
「オレは戦えるからもっと高いよな?」
「あはは、なに張り合ってるんだよ、暁。そんなの比べるまでもないだろ、頼りにしてる。それじゃあ、学校がんばって」
「ああ、ありがとう。今日はどうするんだ、アキラ?」
「ん、今日はいつも通りフロリダでアルバイトでもしようと思ってね」
「わかった。学校が終わったらすぐにいく」
「ありがとう、待ってるよ」
スマホを切った来栖の足下でうろうろしていたモルガナが近くの棚からテーブルによじ登り、学生鞄の中にすっぽりと収まる。
「ってことはアキラ、今日からうちに泊まるんだよな?」
「そうだな」
「やったぜ、お土産は寿司にしてくれってメッセ送れよ、暁!」
回らない方の寿司の差し入れを持ってきてくれるのは、たいてい給料日なのだと覚えてしまったモルガナはご機嫌だ。ケイと知り合ってからもう1ヶ月以上たっていることを思いだし、時間がたつ早さを自覚する。滝水が退院できるほどなのだから、当然といえば当然だが滝水の家に二週間もいればきっとアキラとケイは仲良くなるだろう。もともと彼女がほしいといってはばからないアキラである。悪魔に関する理解がないと仕事について明かすことができない。一般人にたいするハードルの高さは、ケイははじめから低くなっているのだ。なんとなく、それはイヤだなと思った来栖である。まして、暁がいるからまだ人間でいられる、なんてこぼすアキラである。コカクチョウにいずれ変異する運命にあり、それに抵抗するか受け入れるかの二つの道に思い悩むケイと共にいたら、もしかしたら、がよぎってしまうのだ。暁はアキラに人間でいてもらいたいのである。
悪魔は変化しない生き物なのだという。成長しない、変化しない、人間と契約することでより強い存在に変化することもあるがあくまで人間との関係ありきのイレギュラー。そしてより強い存在への渇望は本能であり、悪魔同士で合体という邪教により強い存在に生まれ変わることもまた肯定される、力ありきの世界だという。もしアキラが悪魔になったら、永遠に今の精神のまま年も取らずにずっとそこにあり続けることになる。それだけはいやだった。生きることは変わり続けることだ。まだアキラがこちら側の世界に未練があり、その楔のひとつが来栖だというのなら、絶対に来栖はその手を離す気などないのだ。
階段を下りていくと天気予報が聞こえる。どうやら今日は不安定な天気のようだ。
「おはよう」
「おう、今日は早いな」
「着信に起こされた」
「あっはっは、また遊びの誘いか?人気者はつらいな、色男」
「残念だけど男」
「お、どいつだ?」
「暁」
「へえ、久しぶりだな。なんだって?」
「急な休みが取れたけど金がないんだって」
「ほお、警備会社ってのは大変だな。薄給なのに最近物騒だからろくに休みもとれねえっていってたもんな、こないだ。やっととれた休みだ、用心棒ってことで泊めてやってもいいぞ。好きなだけ泊まってけ」
「ありがとう」
「ただし金は払わせるなよ、こないだ断りそびれちまったからな」
初めてアキラが家にきたとき、1日ルブランの来栖の部屋でゲームをしたり、マンガを読んだりしながら晩ご飯までご馳走したことがある。門限の関係で夜遅くまでいられなかったものの、祐介たちがわりとそのコースをたどるので、すでに夕飯の仕込みに入っていたら遠慮されたときのことを思い出したらしい。佐倉と来栖に押し切られる形でご飯をご馳走になったアキラは、社会人にもなってなにも出さないのは、と思ったのかこっそりテーブルにカレーセットの代金をおいて帰ってのである。来栖の友達からお金は受け取れない、と来栖にわたされたそのお金。そのまま返しても受け取ってくれないだろう、というわけでミリタリーショップで購入した新規装備品の足しになった。アキラはなにも知らないけれど、返ってきているのだ。
「わかった、そういっとく」
「ああ、そうしてくれ。今日からか?」
「うん」
「よし、じゃあ席に着け。そろそろメシにしよう」
「あれ、双葉は?」
「好きなアニメの一挙放送とラジオをぶっ続けだからな、まだ寝てるぞ」
「そっか、わかった」
「今日は雨降るかもしれねえ、傘もってけよ」
「わかった」
「なーなー、暁。もっとでっかい傘買おうぜ?ワガハイ濡れちまう」
「はいはい、おまえの分は今用意してやるよ」
テーブル席に着いた隣のイスによじ登るモルガナに佐倉は笑いながら返事をする。ちがうんだけどな、とにやにやしながら、ご飯は楽しみなようでモルガナはご機嫌だ。
「お金はいらねーから、寿司にしようぜ、寿司!食べ物なら返せないしな!」
「そればっかだな、モルガナ」
「いいじゃねーか!元はといえば、ワガハイ留守番してる間に寿司食ってくるおまえ等がわるい!お土産もねーし!」
「だからごめんって」
「だめだな、誠意は形が重要だぞ、ジョーカー。だから今すぐアキラに寿司をねだるんだ!」
「おいおい、いつまでスマホさわってんだ。メシの時くらいおいとけ。おめーもにゃーにゃーうるせえんだよ、静かにしろ」
「なんでワガハイまで」
不満げに鳴くモルガナに、ほんとうに言ってることがわかってるような返事をする、賢い猫だと佐倉は感心したようにつぶやく。その言葉にちょっと機嫌がよくなったモルガナは皿の上のに食らいつく。猫じゃねーけどな、の言葉に説得力は皆無である。
ちなみに、来栖が出したメールの返信にはそこそこ値段が張りそうなお寿司が添付されていた。
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