魔人を孕んだ黒い球体が繭の女を産み落とすまで、秒読み段階に入っている。謎の少年から受け取った悪魔のデータはただちに松田に送られ、解析が行われた。謎の少年の忠告どおり、繭の女の弱点は火炎と銃撃。体力が減ると近くにいる物質を無理やりマグネタイトに変換し、様々なマグネタイトがとけこんだスープの中に溶解させる呪詛を放ってくる。その対象は生命体ならば全てが対象であり、万が一仕留め損なったら待っているのは悪魔の存在が世間に知られてしまうレベルの甚大な被害が予想された。なにがなんでも黒い球体の時点で屠る必要がある。そのためには黒い球体がターンことに弱点が変更され、それ以外は吸収してしまう能力が最大の難関となった。アキラたちが討伐に失敗すればいずれ人は繭の女の餌食になり、死の気配によってきた魔人たちが湧き出す危険エリアとなるらしい。謎の少年の話を聞いたアキラは血相変えた。もともと魔人は満月のみ恐ろしい低さの確率で出現する悪魔なのだ。ただでさえ途方もなく強く、すぐに復活する。そんな悪魔の出現が常態化などおぞましい現実が待ち受けていると想像するのは容易い。松田にいわせれば死そのものが跋扈する世界などわずかな可能性だろうが摘み取らなければならない。アキラは謎の少年から受け取ったデータから新しくアプリをもらい、探知できる機能を追加した。そして来栖とともに黒い球体が出現した場所にいそいだのである。
送られてきたデータを入力する。アキラは未踏の地であるターミナルに転送された。転送完了の電子音が聞こえる。立て付けの悪い扉を開くと、真正面には機械が鎮座していた。悪魔の姿は見えない。
低いコンピュータの唸る音が響いている。静寂が支配する薄暗いこの空間ではやけに響いた。あたりを警戒しながら、電源を探る。ターミナルにほど近いところにスイッチがあった。あたりが一様に明るくなる。コンピュータの前には大きなモニタが設置され、電源が復旧したことでスイッチが入ったらしい。砂嵐のあと、ノイズ混じりの映像が流れ始めた。引き寄せられるようにアキラは前に経つ。
それはアキラが経験した事件のニュースや新聞、マスメディアの情報を乱雑にまとめた映像だった。
2010年頃から奇怪な事件が立て続けに起こり、猟奇的な殺人事件が多発し、行方不明者が急増する。不穏な、オカルト的な噂が流布しはじめる。震度5以上の大きな揺れがありながら震源地が特定できない奇妙な地震が東京を中心に頻発した。吉祥寺は謎の大災害に巻き込まれ、政府は戒厳令を発動、自衛隊によって封鎖されてしまう。地震はやまない。交通機関は寸断され復旧のめどが立たず、避難命令が出たが輸送手段のめどが立たないのか連絡がない。混乱した人々はSNSや掲示板で情報を求めた。しかし、信憑性ある情報は真っ先に死に、根拠のない無作為な言葉に埋め尽くされていく。そのうち、DDS、通称悪魔召還プログラムと呼ばれるアプリとANS、通称悪魔分析プログラムというアプリが勝手にスマホや携帯、ノートパソコンにダウンロードされる事件が相次ぐ。そして、某国から発射されると一方的な最終通告があった核攻撃、それを防ぐように指示を出すダダノヒトナリ特別顧問がアキラがかつて慕っていた先輩を呼ぶ。アキラが乱入したところで映像は終わっていた。
「悪趣味だな、誰だよこんなの残したのは」
アキラは顔をしかめる。
「内部カメラ使われてないか」
「ああ、うん。たぶん悪魔討伐隊から離脱したグループのアジトだったんだよ、ここ。技術班が抜けちゃうとこうやって情報が抜かれる」
「核兵器って恐ろしい言葉が出てきたような」
「あのときは僕らも死を覚悟したよ。なぜ落ちなかったか、今でもわからない」
「ずいぶんと古い映像が残ってたな。まさか当時の映像が見れるなんて思わなかったぞ、ワガハイ」
「僕もだよ」
「なんかこわいな」
うん、とうなずこうとしたアキラだったが、沈黙したまま、静かに愛刀に手をかける。
「どうしたんだ、アキラ?」
「さがってて、モナ。新手だ」
アキラの視線の先にはいつの間にか消えたモニタ。その鏡状態となった真後ろが映る。ずるりとした液体が溢れてきて、床から黒い塊が湧いてきた。来栖たちは身構える。
「貴方たちもこの世界の苦難から逃れたいのね、かわいそうな人の子よ。死は誰にでも平等にやってくる。さあ、手を取りなさい。私とひとつになればなにも怖くはないわ」
アキラは唇を噛む。来栖は心配でアキラに視線をなげる。繭の女と同じ声だ。恐らくは。
「お姉ちゃんの声で語るな、悪魔風情が」
恐ろしく冷え切った声が響いた。今から生まれ落ちようとしている魔人の声がする。声が響きわたる。黒い球体の真下に魔法陣が形成され、すさまじい殺気を放ってくる悪魔が召還された。
「勝手に決めつけるな」
「そーだぞ!ワガハイたちの人生がどうかなんてワガハイたちがが決めるんだ。お前に決められてたまるか」
「僕は僕の道を切り開くだけだ。悪魔だろうが神だろうが必ず出し抜いてみせる。そのためだったら、なんだって利用してやるさ、たとえ僕の命だろうとね!」
アキラの返事は即答だった。何事も最後まで諦めるな。決して諦めなければ、いつか希望が見える。そして、希望は決して人を見捨てない。先輩と共に行方不明になってしまった特別顧問のダダノヒトナリの言葉だ。今は亡き戦友からの言葉だと聞いていた。いつかアキラに託したいとも言っていた。その理由を知ることは永遠にないが、それでも構わない。
「おあいにくさま、僕は諦めが悪いんだ。少なくても、お前の手を取るかもしれないやつよりはずっと。だからここで死ね」
すさまじい閃光が炸裂する。閃光弾にも似た特大魔法の洗礼を皮切りに、アキラたちの魔人狩り、掃討作戦は始まった。
魔人たちの討伐には半日を要した。
最後の1体を撃破し、黒い球体の弱点をパターン化する方法により攻略したアキラたちはアジトへ帰還する。任務を終えた証として、スマホの写真を提出すると、提示された通りの報酬と貴重な能力アップのお香が支給された。
翌日、同じ依頼がアキラのスマホにやってくる。どうやら取り残しがいたらしい。あらかた掃討したはずなのだが、珍しいこともあるものだ。召集に応じてくれた来栖たちを首を傾げながらも、もう一度シェルター内に再侵入する。黒い繭は平然とした様子でアキラたちの前に立ちふさがる。どうやら同じ個体のようで、アキラに業火でなぶられた憎悪から真っ先に攻撃してきた。少々苦戦しながらもなんとか撃破し、出現場所とおぼしきコンピュータやディスプレイを丁寧に破壊し、ふたたびアキラたちは帰還する。報酬はやや減少したが、復活したデータを提出した分が補填され、全体的には黒字になった。
さらに翌日。
今度こそ、別のクエストを受注しようと試みたアキラだったが、飛び込んできたのは再々調査の依頼である。3度目ともなれば嫌な予感しかしない。案の定、黒い球体が復活したという悲報である。埒があかない。これは一度相談した方がよさそうだ。アキラは来栖たちを呼んだ。さすがに3回も同じ任務が続くとうんざりといった様子の面々だが、討伐が先である。
すっかりなれてしまった討伐のルーチンをこなし、アキラはあたりを見渡した。
「やっぱりどこか別の場所から転送されてるのか?」
「でも回線は見あたんないぜ?」
「回線はすべて切断したはずだよ。転送は考えられない」
「そうだよな。うーん、どう思う?アキラ」
投げられた質問に、アキラはぺたぺたと冷たい機械をさわりながら、考えているから静かにしてくれと告げた。わかった、とうなずいた来栖あたりを見渡す。
「なにを悩んでいるんだ、僕は。よく考えろ。ターミナルはそもそも魔界からエネルギーを供給しているんだぞ。壊したものはもはや選択肢には入らないはずだ。それはわかってる」
アキラは上を見上げる。煌々と電灯があたりを照らしていた。
「暁、モナ」
「なに?」
「なんだ?」
「伏せてろ」
「え?って、おうわっ!?」
おもむろにガラクタを投げつけたことで、火花が散る。ガラスの砕け散る音がして、あたりは一瞬で真っ暗になった。
「ちょ、おい、アキラ、なにしてんだよ!?」
「うるさい、モナ。静かにしてくれ」
「でも・・・・」
「いいから」
悲鳴をあげそうになって、口をふさがれていたモルガナは、ばしばし手をたたく。息を殺す後ろ姿を手探りで探り当て、手を離してくれとのばそうとした。だんだん目が慣れてくる。そのうち、電気が復旧したのか、あたりは明るくなった。モルガナはあわてて来栖から離れる。アキラは我関せずと上を見上げたままだ。
「やっぱりか。本命はこっちだ」
「どういうことだ?アキラ」
「そーだぜ、アキラ。ちょっと教えてくれよ、一人で納得してないでさ」
「黒い球体を復活させてる奴がわかったんだよ。犯人はこいつだ」
アキラがにらむのは電灯だ。疑問符がとぶ2人を後目に、来栖はアキラを見上げる。
「ここの電気はどっからか知ってるか?」
「うーん、そうだな。さすがにそういうことは、本部に聞いた方が早いんじゃないかな。松田さんがターミナルを設置したはずだし」
「じゃあ、聞いてくれ」
「なるべく早く。球体がまた復活しちまう」
「わかった」
アキラは苦笑いして、メールを送る。
10分ほどして、松田から返事がきた。
今から6年ほど前のこと。今はなきメシア教との抗争で劣勢になっていたガイア教の過激派が、封印していた邪神を復活させようとした時の儀式の遺産がまだ生きていることが判明した。このシェルターを管理する自立した独立発電所とコントロールするコンピュータに仕込まれた悪魔召還プログラム。それが諸悪の根元である。発電で得たエネルギーをマグネタイトに変換することで、黒い球体を何度も復活させている。このプログラムにはセキュリティがくまれており、そこにハッキングするウィルスを松田が放ったところである。これから発電所の場所を教えるから、そこにいるであろう本体の黒い球体を討伐してほしい、ときた。
「えーっと、つまり、発電所は壊しちゃだめってことか?」
「そうなるね。ライフラインが使えないと大変だもの。仕方ないわ」
「えー、でも面倒だな。黒い球体が人質にとったらどうすんだよ、発電所」
「僕らが戦うのはこれで4度目だ。その分利がある。問題はないよ」
「アキラ、なにか他に策はないのか?」
「松田さんがDDSを止めてるんだ。その間は黒い塊は復活できない。再起動する前に無力化してしまえばいい」
ウィルスと人智の及ばない戦いを繰り広げた黒い球体がそのウィルスを取り込むことでさらなる進化を遂げ、電霊として再臨していたと知るのはその後だ。
「暁!」
アキラの声が飛ぶ。いいのか、と振り返ると、早くしてくれ、僕の決意が揺らがないうちにとアキラは口走る。
「ああ、わかった。期待に応えてみせる」
「誰モガ同ジ量ノ時間ヲ持ッテイル。貴様ラ人間ハ過ギサッタ日々を思イ出スノデハナク、過ギ去ッタ瞬間ヲ思イ出スノダ。過去ノコトハ過去ノコトダトイッテ、片ヅケテシマエバ、ソレニヨッテ、貴様ラハ未来ヲモ放棄シテシマウコトニナル。サア、【次コソハ】ト自ラヲナグサメヨ。ソノ【次】ガ貴様ラヲ墓場ニ送リ込ムソノ日マデ」
「暁!」
「ああ、アキラ。行くぞ!」
彼らの戦いは始まる。
熾烈を極めた激闘の果てに、雌雄は決した。
呪怨を残し、黒い球体は姿を消した。来栖は大きく息を吐く。
「大丈夫かい、アキラ。一度支部に戻ったほ・・・・・アキラ?」
じわりじわりと目尻から熱いものがこみ上げてくる。ぬぐってもぬぐってもあふれてくるそれに、感情の高ぶりも押さえきれなくなってきたようで、アキラはそのまま崩れ落ちた。来栖が初めて見たアキラの泣き顔だった。わあわあ泣きわめくアキラに近づき、衝動がすっかり引くまで背中をさすってやる。優しい眼差しのまま、来栖は何もいわなかった。うぐ、ひく、と嗚咽をもらしながら、もらった布でぐしぐし乱雑に顔を拭い、目を真っ赤にしたアキラは何もいわない。帰ろう、と手を差し出され、こくこくうなずいたアキラは手を取った。
泣き顔を見られてしまった気恥ずかしさからか、やけにアキラは視線を合わせない。頬が赤らんでいるのがわかる。目が赤いのをみられたくないのかもしれない。
「その、ありがとう」
「ああ、どういたしまして」
バツ悪そうにアキラは頬をかく。
「久しぶりに寝れそうだ」
「それはよかった」
「そのお礼といってはなんだけど、暁から相談されてた話、ツギハギさんに話してみようと思う。今の君ならきっと大丈夫だ」
「もちろん来てくれるんだよな?」
「ああ、僕も行くよ、暁」
パキン、となにかが砕け散る音がする。アキラのミノタウロスが背後に出現し、鮮やかな閃光につつまれた。
「これは...!」
どうやらミノタウロスが覚醒したようだ。拘束具である鎖を破壊した牛の亜人は咆哮する。
「アステリオス・賊神(ピカロ)が僕の新たな力か。ありがとう来栖くん。僕がここまでこれたのは君のおかけだ。今度は僕が君の助けになるばんだね、今後ともよろしく」
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