ペルソナ降魔編 前編
パイプオルガンが控えているオペラステージ、誰もいない観客席、ドーム型の天井にはシャンデリアが荘厳に輝いている。ステージには仮面をつけた女性が言葉の無いオペラを歌っていて、後ろ姿しか見えないピアニストがメロディを刻んでいる。そのステージのすぐ横には司会者の台があり、傍らには黒いサングラスをかけたキャンパスを構えている画家の男がいる。司会進行役の男は静かに一礼した。そしてオペラ歌手にスポットがあてられ、不思議な旋律が紡がれ始める。


「ようこそ、アキラ様。お久しぶりでございます。来る日も来る日もあなた様をお待ち申し上げておりました。ここは人の心の様々なる形を探求しつづけるものたちの集う場所。我らが4人、今一度、貴方様の力になれますことを嬉しく思います。ようやく我らは新たな心のありようを観測し続けることができる。いつか《答え》を得る時がきたら、その対価として貴方をお助けするよう、仰せつかっております。これからもどうか、ご贔屓に」


恭しくお辞儀をされ、アキラはなんとなく気まずくてほほをかいた。司会者はお見通しのようで笑っている。アキラがこの店にやってくるのは実に三年ぶりになる。メメントスができるまで悪魔の出現はおちついており、本格的な悪魔の強化ができる施設はガントレットに悪魔の強化ができるアプリが普及したことで自然と縁遠くなってしまった。戦闘中でも悪魔合体ができる利便性に勝てなかったのである。ならどうしてきたのかといえば、フロリダにある悪魔に関するクエストの窓口にてアキラを指名し、依頼してきたからである。悪魔討伐隊のガントレットの性能に大きく貢献している、悪魔辞典はここが管理しているのだ。名指しされたら、ツギハギやマツダからさっさといけと圧力をかけられたのである。


「人の心もちにより世界は如何様にもかわる。私らは主人様が不在の間、その留守を預かる人形にすぎませんからね。いわば鏡、私自身が何者かになることはない。なるとすれば、それは私が答えを見つけ、この部屋から出られた悲願の日でありましょう。さすれば今回もクエストを受けていただき、誠に恐縮でございます。ささ、こちらに」


アキラは司会者に促されてステージ最前列の椅子に座った。ピアノがやむ。そして、すっくと立ち上がった男がこちらを向いて、礼をする。アキラも軽く礼をした。仮面からのぞく目は真っ暗である。男はアキラが初めてクエストを受けたときから、目がないのだ。義眼すら彼には不要である。


「今一度対面できて光栄だ、アキラ。オレを覚えているか?」

「久しぶりですね、名無しさん」

「ああ。オレは名無し。閉ざされし、心の扉を開くピアノ弾き。俺が紡ぐ音色は、お前の心の扉を開くためにある。それには俺自身、己の心の中と対峙せねばならん。だからこそ自らの目を塞ぎ、もう9万と155の夜が過ぎた。ようやくお前の心の音が聴ける。楽しみにしているぞ」


さて、と男は問いを投げる。


「最後に会ってから三年がたつわけだが、アキラ、お前が生まれてきたのは何ゆえだ?俺は未だ、答えが見つけられずにいる。ゆえに今一度お前に問おう。お前が生まれてきたのは、何ゆえかと」


始めてきたときは、わからない、と答えたはずだ。


「まだわかりません。でも、見つかるまで探しますよ」


男は嬉しそうに笑う。


「そうか、そうか。かつてお前はオレと同じ己を問うことを知らなかったが、出来上がったのか!そう答えたのは、428人ぶりだ!お前も未だ旅の途中・・・汝が旅に幸多からんことを。
もっていけ、餞別だ。お前と同じ答えをした男が置いていったものだがオレには必要ない」


名無しから投げられたものを受け取ったアキラは破顔する。地返しの玉。反魂香。たしかに死してなおここにいる彼らにとっては天敵のようなアイテムだ。よほどのことがあったに違いない。今度はコーラスがやんだ。仮面の女が笑いかける。


「お久しぶりです、アキラさん。私を覚えていて?」

「ベラドンナさんですよね、もちろん覚えてますよ」

「そう、私はベラドンナ。己という魔物に挑む、もののふ震える歌うたい。貴方の心を鎮めるのが私の役目。そのためには、私自身、己の内なる音楽にのみ耳をそばだてねばなりません。それゆえ、現世の音が届きませんが、あなたのおっしゃりたいことは凛々しい口元を見れば分かります。人は皆、自分とは何かを求め続ける、永遠のさすらい人ですわ。それが、人の背負いし十字架なのでしょう。ですが、昔ここを訪れた殿方は無くしてはならないものを無くしたがゆえに、涙を流すとおっしゃいましたわ。願わくば貴方が2度とそのような涙を流しませんようにお祈りいたしますわ、アキラさん」

「ありがとうございます」


どうやらここに来なくなったアキラについて、彼らはまるで見てきたかのように理解しているらしい。今に始まったことではないが、不思議な人たちである。もっとも、政府機関には魂さえ砕けなければ延々と宿主を変えて生き続ける葛葉という一族がいるのだ。それに比べたらまだ悪魔に精通した実体のある幽霊たちはまだわかりやすくていい。


そして、最後に、今回の依頼人であるサングラスの男が笑いかけた。


「それでは、依頼人である僕の挨拶といこうか。僕は悪魔絵師。人のうちに住まう、神と悪魔を描く絵師だ。僕は己の心情を絵で語る。ようやくきてくれたね、アキラ君。時間の概念がない僕たちがわざわざ呼ぶなんてめったにないことなんだが、君は人間だ。百年もたったら君が死んでしまう。時間がもったいなくてね。おかげで描きたいものがたくさんあるんだ。また、付き合ってくれるね?」


もちろんです、とアキラはうなずいた。アキラの報告やガントレットのデータを元に絵を描く彼は、恐ろしい再現率で悪魔辞典を更新していく。悪魔討伐隊のデータの全てはこの男の能力で成り立つところもあるのだ。ゆえに知らない悪魔がいるとこの男の目の色が変わる。ミノタウロスをつれて来店したとき、DDSをやりこんでいた時代からの相棒だと紹介した。そのときから気に入られてしまった。なんでも悪魔絵師がみたことがない姿だったらしい。かつては悪魔に特定のスキルを取得させてくれるから重宝した。今はガントレットの性能が上がり、悪魔のスキルをいつでもアキラはガントレットを通して発動できる。悪魔の力を体に入れる時点で負担は大きいが、契約した悪魔のマグネタイトを肩代わりしているのだ。それくらい当然である。



悪魔絵師は笑った。そして、ゆっくりと手招きする。促されるまま、アキラはステージに上がった。あまりしゃべることは得意ではない悪魔絵師は、アキラに近況を訪ねてくる。話し始めると、やはり君は面白いよと断言される。久しぶりに創作意欲が掻き立てられると静かながらその口ぶりにはたぎるものがあるようで、悪魔絵師はキャンパスをみつめる。ベラドンナと名無しは所定の位置に戻って仕事を始めた。


「ここにいる連中は死を知らない。もちろん、僕もその一人。ここの住人となり、永遠の時を手にしたと同時に、僕は絵画以外のものに執着しなくなってしまったんだ。ここに来て、一番よかったと思えることは、現世の人々の心が、手に取るようにわかることだ。それが荒んでいく様子も、実によく分かるよ。人のありようによって悪魔は変化していく。興味深いことだ」


サングラスがゆがんだ彼を映す。画家は筆を走らせる。斜めに彼を見ながら続けた。


「悪魔の姿は、人間が考えたものだ。しかし、人間に悪魔を想像させた原型が必ずある。そう僕は考えている。僕はこのキャンパスにそれを描きたいんだ。僕が君たちに悪魔を現出させる媒介として悪魔辞典のページを渡すのは、その一環でもある」


悪魔絵師は新しい絵の具を走らせる。


「時たま考えるんだ。現実、いわゆる僕らにとっての世界というやつは本当に一つしかないのか、否かとね」

「それはメメントスや魔界ではなく?」

「いや、ちがうね。パラレルワールド、いわゆる並行世界のことだ。その世界にはきっともう一人の自分が存在する。その人格は、この僕を見て、何と言うだろう・・・フフ・・・きっと、腹を抱えて笑うんだろうな。なんてくだらないことで悩んでるんだと」

「なにかあったんですか?」

「いや、大したことじゃないさ。同じ、普遍的無意識から生じたという点ではシャドウもペルソナも悪魔であっても変わらないはずなんだ。それが違うものとなる理由が僕は知りたい。扱えるものと扱えないもの。その境が知りたい。所詮、人の心はままならない。君も僕からすれば絵に魂が宿った一つの形だ。君はまだ迷っている。答えはいつもすぐ近くに合って遠いものだ。だが、一度それを捕まえれば、後は迷うことはない。君にはそれが見つけられることを祈っているよ」


筆がとまる。男はキャンパスに最後の一筆をいれた。


「アキラ君はここに現実を持ち込んでくるものだから、無性に懐かしくなってしまっていけないね。死なんてとっくに忘れてしまったはずなんだが奇妙なものだ。僕はいつでもここにいる。また以前のように立ち寄るといい。ここでは、時間は意味を為さないからな。タロットは心のひな形だ。心が人の運命を回す。さて、アキラ君にはこれをあげよう」


キャンパスが一瞬でトランプサイズの小さなカードに圧縮される。それを手渡された彼は、見たこともない絵柄に見入る。


「これから君はこのカードを通して、世界の真実と戦うことになる」

「しんじつ?」

「いやなに、こちらの話だよ。ペルソナという力は、本来、神や悪魔の姿をしたもう一人の人格を憑依させることで発動するんだ。悪魔使いである君と違って、身体を強化できるのが特徴だ。本来なら特定のエリアでしかできないが、魔界と境界があいまいになりつつある今の東京に生まれたメメントスは、東京を模した分だけ境界があいまいになっていく。それがなにを意味するのか、聡明な君ならわかるだろう、アキラ君」


悪魔絵師がアキラを見る。


「そのマグネタイトに魅せられて近寄ってきた神話の存在がパレスの歪みにより変質し、人間の想像の型にはめられ、力を制約された状態に貶められたシャドウのような何かがいたとしよう。人間と契約することでマグネタイトを確保し、その想像の力で一部の力を解放できたとしたらどうなる?貶められたとはいえ神話の存在はいわば劇物だ、すさまじい負担がかかる。劇物を劇物のまま使役する悪魔使いである君ならよくわかるはずだ。そんなことを企む輩がいるかもしれない。気をつけるんだよ」


渡されたのは、スキルカードではない。ミノタウロスが描かれたカードである。


「ガントレットにダウンロードしてみるといい。先ほどいったペルソナ使いの原始的なやり方が君には向いている。すなわち神世の存在を体に降ろすやり方だ。降魔、とかつてここにきたことがある人々はいっていたよ。忠誠度や信頼関係が必要になるが、ミノタウロスとならそれが可能だろう。ただし、ペルソナ化している間はミノタウロス本体を戦闘に呼び出すことはできないから注意だ」

「ありがとうございます」

「なに、これからメメントスのガイドを頼むんだ。それくらい前払いさせてもらうよ」



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bkm
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