みいろのきおく
「ぼ、ぼくは《星杯戦士アウラム》でダイレクトアタック!!」
星杯の加護を受けて覚醒した少年がハノイの騎士にトドメを刺した。やった、と声を張り上げた少年に《星杯》デッキに融合したイグニスは叫ぶ。
「逃げろ、誠也!」
「え?」
「こいつ、自爆する気だ!逃げろ!」
ハノイの騎士は普通のアバターを使用する構成員ではなかった。自爆装置を搭載したアバターをAIに操作させ、構成員は現実世界もしくはここではないどこかで遠隔操作している。誠也と呼ばれた少年はあわててボードに捕まり、一気にスピードを加速させた。
すぐ後ろで断末魔が響き渡る。気になった和波が後ろを見ようとしたら、イグニスがとめた。
「今はそれどころじゃねーだろ、はやくこっから逃げろ!」
イグニスがデッキデータとなりデュエルディスクのプログラムを改変したことでグレイコードの監視下から一時的に外れることに成功したのだ、はやく逃げなくてはいけない。和波はわけがわからないまま、ログアウトした。
「あ、れ」
違和感にはすぐに気がついた。
「あ?なんだこれ」
イグニスも気づいた。
突破パソコンの中から飛び出してきた男の子に誰も反応しないのだ。まるでいないかのように雑踏は通り過ぎていく。え、え、なんで、と今にも泣きそうな顔で立ち尽くす和波にイグニスはとりあえずどっかに隠れることを提案した。普通なら保護者同伴では立ち入れないはずの夜のネットカフェに入り込んだ和波は、パソコンにデュエルディスクをつなぐ。
「お前、俺様と同じになってんのかクソガキ」
「きみといっしょ?」
「おうよ、俺様たちイグニスは生体組織、つまりはお前らのいう体がねーわけだ。機械組織はあんだけどな。それはともかくだ、なんでんなユーレイになっちまったんだ?心当たりは?」
ユーレイ、の言葉にぶわっと涙が浮かぶ。いきなり泣き始めた和波にギョッとしたイグニスは狼狽する。
「な、なんで泣くんだよ!俺様事実をいっただけじゃねーか!」
「ぼく、ぼく、ユーレイさんじゃないもん!ユーレイさんじゃないもん、わあああっ」
「はあ?いやいやいや、どこをどう見たって立派なユーレイさんじゃねーかよ、クソガキ!」
「ちがうもん、ちがうもん、ぼくはここ!わあああっ」
泣きわめく子供に誰も反応しないのは、まごうことなきユーレイさんである。あーあー、めんどくせえ!とため息をついたイグニスはしかたねえな、と折れた。人間は理不尽だ、事実を指摘するだけで怒り出す。
ここからイグニスは根気強く和波にユーレイさんになってしまった訳を聞くのだ。要領を得ない、無秩序な情報を吐き出させ、繰り返し繰り返し聴き出しながら、和波のおかれた状況を考察する。
5年前に誘拐され、体をとられた。そして小さな端末に閉じ込められた。体にはグレイコードが遠隔操作するAIが入り込み、父親や母親、姉の端末に工作をしながら彼らを情報流出の拠点と位置付けて好き勝手されている。誰も気づいてくれない。和波はいろんなアバターに閉じ込められて、いろんなことをさせられた。それ以外の時はスピードデュエルの訓練をひたすらさせられた。
なるほど、だからガキのくせにスピードデュエルを知ってたわけか。
「よし、話はだいたいわかったぜ、誠也。まずはお前の体を取り返さねえとなあ?」
「え?」
「ユーレイさんじゃねーんだろ、誠也くん。なら、体を取り返さねえとなあ?」
「できるの?」
「できるに決まってんだろ、バカにすんな。俺様を誰だと思ってんだ」
「ほんとに?」
「ったりめえだろ、俺様はてめーら人間と違って嘘つかねえからな!ほら周りの大人たちと違って声が二重で同じこといってるだろ?」
「……」
和波はじいっとイグニスをみつめていた。
「……うん」
「さあて、まずは作戦を考えねえとなあ?」
「うん!」
和波はようやく笑顔をみせた。
正直イグニスはおうちに帰りたいと泣く和波の気持ちがわからなかった。誘拐されてよく似たAIとすり替えられたのに、誰1人として気づいてくれない絶望を味わったというのにどうして帰りたいと泣くのだろう。周りにとってはすり替えられているAIが本物の和波誠也だというのにだ。やっぱり人間は感情という非効率な情報に判断を簡単に左右される下等な生命体だ。まあ、いいかとイグニスは安請け合いした。グレイコードのAIを取り込んでプログラムを獲得すればイグニスはそれだけアップデートできる。ついでにグレイコードのデータバンクを根こそぎ食い荒らせばハノイの騎士への報復も容易になる策が思いつくかもしれない。どう見ても和波誠也のヒーローになることはイグニスにとって利益しかもたらさない。
そして、まずはデュエルディスクを逆探知して、監視している構成員のアバターを喰った。そのエリアまるごと食い尽くした。そして別回線から遠隔操作している構成員のアバターを喰った。そして遠隔操作していたパソコンからグレイコードのネットワークを通じて和波の体を牛耳るAIが通う小学校に入り込んだ。
和波誠也は小学校5年生になっていた。友達がたくさんいて、毎日楽しく学校で勉強やスポーツをして、すきあらばグレイコードの犯罪の裏工作のタネをばら撒く恐ろしい小学生になっていた。勝手に入り込んだパソコン室でサーバにハッキングしていた瞬間を狙った。遠隔操作する人間を失った小学生はぐったりと突っ伏していた。
「よくもまあ、5年も見ず知らずのガキの振りができたな、おっさんよ。返してもらうぜ」
海馬コーポレーションの躍進しつづける技術を盗むために、著名な研究者の息子に成り済ますとは相当な根性だとイグニスは呆れ返る。このとき食い尽くしたパーソナル情報たちがイグニスのもつことになる膨大なアバター素体の記念すべき1号たちとなるのだがそれはまた別の話だ。
「そら、どうだ、誠也。5年ぶりの体はよ」
「すごい、ぼく、ぼく、おっきくなっちゃった!!」
中身は6歳のままである。一気に高くなった目線、大きな手足、ランドセル、なにもかもが焦がれて止まなかった現実である。
「ありがとう!ほんとにありがとう!!」
「な、俺様は嘘つかねえだろ?」
「うん!」
「で、だ。誠也くんよ、よく考えてみてくれ。まだおうちには帰れないぜ、和波誠也くんの記憶がねえからな。あと誘拐されてた証拠も。信じてもらえないと悲しいだろ?だから探しに行こうぜ」
「あ、そっか!すごいね、えーあいだから、あたまいい!」
「へへ、まーな。それじゃあ、今度はSOLテクノロジー社のデータバンクに行こうぜ。どうやらグレイコードはSOLテクノロジー社に潜んでるみてえだからな。お前を5年間ひどい目にあわせてきたやつらをやっつけてやろうぜ!」
「うん!」
その予想はあたる。和波を適当に丸め込み、グレイコードの拠点となるサーバのひとつに入り込んだイグニスは、SOLテクノロジー社の内部に入り込み、ハノイの騎士にも内通者がいるグレイコードが所有するデータバンクに宝の山をみた。狂乱するほど歓喜した相方をみて、和波はわけのわからないままニコニコした。嘘はつかなくても6歳児には難しいことをまくし立てると、だいたいのいってることはわかっても難しいことはわからないのだ。ここまで何人を電脳死に追いやったかこのガキは知らないし、知る必要はない。
イグニスの目的はハノイの騎士への報復だ。
もっともっと情報がほしい。イグニスは和波を説き伏せてSOLテクノロジー社のデータバンクに入り込もうとした。ハノイの騎士に関する情報がほしい。そこで待ち受けていたハノイの騎士と交戦状態になる。
なんとかデュエルに勝利したが、自爆から逃げる途中で突然発生したデータストームに和波は飲まれた。
風が吹いていた。強い風だ。境目のない闇に飲み込まれ、不快な咀嚼音が響き渡る。体の中がぬるりとした液体に満たされ、体のあらゆるところから染み出してくる。全てが黒の粘液に満たされ、やがて薄い表層が出来上がった。
「おい、誠也!誠也!しっかりしろ!」
内側に呼び掛けるが気を失っているのか、イグニスのアーカイブに取り込まれて膨大な情報の濁流に飲まれて浮上できないのか返事がない。イグニスは想像以上に重くなった自らの容量に舌打ちした。なんとか近くの回線に逃げ込めたが、データストームをぶつけてきたやつに見つかる可能性がある。サイバース由来のデータを感知できるのか、相手は執拗にイグニスをおいかけてくる。どうする、どうする、考えろ。誠也は人間のまま家に返さないといけない。しばらくの塾考の末、イグニスは取り込んだ和波のパーソナル情報を全てサイバース由来のデータに変換することを思いついた。精神は5年間端末に閉じ込められていたせいで6歳児相当だ、問題ない。問題は生体情報である。これさえデータ化できればかなり楽になる。だが生体情報をデータ化する技術をイグニスはもっていなかった、SOLテクノロジー社のどこかにあるらしいがどこにある?
そして、イグニスはあるエリアをみつけた。
「う、あ、うわあああっ!おちる、おちるー!!たすけ、わああっ」
「誠也、落ち着け、落ち着け。もう大丈夫だぜ」
「あ、あれ?」
またユーレイさんの状態になっていることに愕然とする和波にイグニスは真剣な眼差しでいいはなつ。
「誠也、実は俺たち、海の向こうにきちまったらしい」
「え、うみのむこう?がいこく?」
「さすがに泳いで帰れねー」
「どうしよう!?」
「だからな、俺様は考えたんだ。ネットから帰ろうぜ」
「え、でもぼく、」
「どーやらここだとな、できるらしいぜ。ユーレイさんにならなくてもパソコンの中に入れる方法がな」
「ほんと!?」
「おう、だから俺様勉強してくるぜ。ただな、俺達は追われてる身だ、わかるだろ?」
データストームに飲まれた記憶が蘇ったのか、壊れた人形のように和波は何度もうなずいた。
「絶対にここからユーレイさんにならずに一緒に出ような、誠也。だから俺様との約束はかならず守れ」
「うん」
「ひとつ、絶対に誠也のことは秘密」
「ひみつ」
「そう、ひみつだ。誰にもな」
「だれ?っていわれたらどうしよう?」
「ユーレイさんだな」
「ぼくユーレイさんじゃないもん」
「でも誠也はひみつだろ」
「あ、そっか」
「またナンバーで呼ばれたいのか?」
「やだ!!」
「ならユーレイさんだ」
「えー」
「そんでふたつ、俺様みたいに一緒に同じこと話してるやつにしか見つかるな」
「うそつきだから?」
「そう、うそつきだからだ。またグレイコードに連れ戻されちまう」
「やだ!」
「そうそう、やだろ?誠也くん、和波くん、って呼ばれてもうそついてたらでてきちゃダメだ」
「わかった」
「みっつ、ふたつの声が同じこといってるやつ以外は信じるな。いいな?」
「うそつきじゃないから?」
「そうそう、うそつきじゃないから」
「わかった!」
「ユーレイさんになりたくなかったら、ちゃんと寝て、食べて、動け」
「ぼく、たべるとストーンってなるよ?」
「なってもだ。ユーレイさんになりたくないだろ」
「わかった」
「いいこだ。俺様が迎えにくるまでずっとかくれんぼしてろ。あんだけやったんだ、今度は1人でできるだろ?」
「きてくれないの?」
「ごめんな、絶対迎えにくっからよ。泣くな」
こくん、と和波はうなずいた。
「いつ?」
「終わったらすぐだ」
「あした?」
「そんなに早くは無理だっつーの」
「とーか?」
「頑張ればなんとか」
「わかった、とーか。ね、どうやってぼくみつけるの?」
「ん?」
「みつけられる?」
「ばーかいえ、俺様をだれだと思ってんだ。そこいらのAIと一緒にすんな。イグニスだぞ、イグニス」
「いぐにす、がなまえ?」
「あ、そーいや、なんだっけ」
「え?」
「今まで誠也のことで手一杯だから忘れてたぜ。そーだな、ま、HALとでも呼べ。今の俺様にはお似合いな名前だ」
「はる?」
「イントネーションが雑いなおい、まーいいか。またな、誠也。ぜってー迎えにくるからグレイコードやSOLテクノロジー社の連中に見つかるんじゃねーぞ」
「うん、ぼくがんばる。はる、いってらっしゃい」
くしゃくしゃになりながら和波はHALを見送った。
命がけのかくれんぼはこうして幕をあけたのである。