「この間はありがとう、和波。金返すよ、いくらだ?」
「はい?」
「ほら、俺が熱出したとき、コンビニ」
「あー、はい、えーっといくらだったっけ。わかりました、××××円ですね」
「わかった」
「はい、たしかに。ありがとうございます」
遊作からお金を受け取った和波は高校生が持つには少しハードルが高そうなブランドの財布をしまった。和波に聞いたら驚かれたあたり、姉からのプレゼントでもあるためわざわざ調べたことはなかったようだ。物に頓着しない印象がある和波だが、遊作だって知ってるブランドの名前すら知らないのはどうだろう。遊作だってニュースくらいみる。むしろハノイの動向が気になるからアンテナは広い方だ。ほんとうに世間知らずというか流行に興味がないというか、復讐したい相手についてオープンしているが故に気を張らずに済むあたりはのんきで羨ましい。そんなことをぼんやり考えていた遊作は、和波に手を掴まれた。
どきっとしてしまった遊作は思わずどもる。
「え、あ、な、なんだ?」
「あ、藤木君、指」
「指?」
いわれたところに視線を落とす。
「すっごく血が出てますよ、大丈夫ですか!?」
普通に手を握られ、和波は様子を見ている。その近さに戸惑う。
「え?あ、ああ、いつの間に」
「!?」
「大丈夫だ、いつものことだし」
「えっ冬でもないのにですよ、大丈夫ですか?」
「夏でも冬でもなるんだよ」
「うわ、痛そう。藤木君、よかったら使ってください」
渡されたのは最近流行っているバンドエイドだ。手、洗ってください、と促され、遊作はぐいぐい背中を押されてトイレに押し込まれた。使ってください、とさしだされたのは柔らかいタオルである。血で汚れるのも構わないようなのでいわれるがまま遊作は血を拭う。そして和波により手慣れた様子で処置は完了した。
「ぐじゅぐじゅがなくなるまで取らないでくださいね、あとが残りますから」
ここみたいに、と手の甲や他の指先を指さされ遊作は苦笑いする。いつまで手を握ってるつもりなんだろう、和波は。
「大袈裟だな、和波」
「大袈裟なくらいがいいんですよ、今の時期ほんと怖いんですから」
和波はこういった処置にやたら詳しいし、やたらテキパキしているあたり昔やらかしたのかもしれないし、お姉さんに教えてもらったのかもしれないが遊作にはわからない。だが遊作以上に顔を歪め、痛そう痛そう連呼する和波は過剰に見えた。
「水に触っちゃだめですよ、治るまで」
バンドエイドがまかれた指を優しく手に取り和波は幼い子供に語りかけるように笑いかける。
「ほんとに大袈裟だな、和波。大したことないだろ、これくらい」
たぶん草薙やアイならツバつけときゃ治るといいそうな、ほんとにささいな傷だ。まるで突き指や火傷した時のような処置をされた指先を見るとなんだかくすぐったくて笑ってしまう。
「そんなことないですよ、ほんとはお風呂もやめたほうがいいとは思いますけど暑いですし。なるべくさわらないようにしてくださいね」
「利き手だから難しいな」
「もー、なんでそんな能天気なんですか藤木君」
「アンタは俺の母親かなんかか?」
「え?ちがいますけど」
「......大真面目にされるとそっちの方が困るな」
「もう、藤木君」
「なんで怒るんだ」
「僕の話、ちゃんときいてくれないからですよ」
はあ、とため息をついた和波は肩をすくめた。
「和波、いいかげん手、離してくれ」
「あ、すいません、つい」
ついってなんだ、ついって。え?としか返さない和波に遊作は無駄などきどきを残したままようやく離れた手をまじまじと見つめた。
期末テストが終わればいよいよ夏休みは目前だ。気の早い先生たちはまだ一週間もあるというのに夏休みの課題を渡してくる。いつもより重くなってしまったカバンをかかえ、二人は帰路につく。その会話の中で和波の家にあった持ち物不明の私物が遊作のものだと判明した。ずっと探していた遊作はこれさいわいと取りに戻ることになったのだった。ついでに夏休みの宿題終わらせてしまうかと二人で格闘すること数時間、気づいたら外は真っ暗である。
「帰るの面倒ですし、泊まっていきます?」
「ああ、そうする」
「じゃあ適当につくっちゃうので藤木君は待っててください」
「いや、俺もなにか」
「藤木君」
「なんだ」
「もー、やっぱり忘れてる。藤木君は今利き手を怪我してるんですよ!?そんなことさせられないです!」
ジト目の和波にキッチンに入れてもらえなかった遊作は高校生にしては手の込んだご飯をご馳走になった。
「あ、お風呂湧きましたよ。先入ってください」
「ああ、そうさせてもらう、ありがとう」
「はい」
「なんでついてくるんだ?」
「え?だって一人じゃ体洗ったり髪洗ったりできないですよね?」
さも当然という顔をした爆弾発言に遊作は二の句が継げない。
「いい、いらない、大丈夫だ」
「大丈夫じゃないからいってるんですよ、さっきから僕の話スルーしっぱなしじゃないですか!」
「だから落ち着け和波!この状況は明らかにおかしい」
「え?なんでです?」
遊作はめまいがした。誰かこいつに常識を教えてくれ。
「ほら、いきましょう。なに恥ずかしがってるんですか、藤木君。僕たち男の子なんだし平気ですよね」
「なんで無駄に男らしいんだ、アンタ」
「はい?」
「だからいいって」
「だめです、ここは僕の家だから藤木君はお客様として僕のいうこと聞いてください」
「一理あるけど今使う論理じゃない」
「はやくしましょう、藤木君」
なぜかぐいぐいくる和波に押し切られ、なにが悲しくて16にもなって同級生の男の子に体を洗ってもらわなくてはいけないのだという話である。いっそ水道代がもったいないからと言われた方がマシだった。なんだこの羞恥プレイ。真面目に恥ずかしいぞこれ。遊作は脱衣所から浴槽に向かうあたりで無の境地を会得する羽目になったのだった。
「和波」
「はい?」
「和波、お前な、本気か?」
「なにがです?」
「本気で俺に三日も泊まれっていってるのか?世話やくために?」
「はい、なにか問題でもあります?」
「問題しかないだろ、おちつけ。普通に考えて、どう考えてもおかしい」
「うーん、そうです?藤木君にはそれくらいしないとダメかなって思いますけど。39℃の高熱が出ても気づかなかったり、連日の徹夜の無理がたたって倒れたりしましたよね」
満面の笑みを浮かべて語る和波に遊作はうとしか言えない。どっちも和波に助けてもらい、看病までしてもらった。一人は嫌だから一緒にいてほしいといわなくても和波はわざわざ話に応じてくれたし、寝るまで見ていてくれた記憶がある。病からくる気の弱さから今思えば恥ずかしくなるような、わけのわからないことを詰め寄ったような、そうでないような。藤木君に頼られるなんてうれしいです、とどこまでもどこかずれている和波はニコニコ笑っている。
「あ、なら僕が藤木君のおうちにお邪魔しましょうか」
素敵な思いつきだといわんばかりの笑顔に遊作は速攻却下した。
「そういう問題じゃないからな!?」
「うーん、藤木君がどうしてそこまでしぶるのかよくわからないです。一緒にお風呂ってなんか楽しくないですか?テンションあがりません?」
「キャンプみたいなノリでいってるけど和波のいってることはおかしい」
「?」
「16にもなって友達に頭や体洗ってもらう身にもなってくれ」
「僕は楽しいですよ」
どこまでも友達に対する善意しかない和波に遊作はおかしいとしかいえない。それ以外の感情が芽生えてしまった自分もまたおかしいのかもしれなかった。