ヴレインズ試作E
微睡みを促す秒針のリズムをかき消すのは、無駄に高音質で大きすぎるテレビから聞こえてくる音だ。BGM、英語、海外のドラマか映画でも見ているのだろうか。お菓子を食べているのか、がさごそ袋をあさる音がする。そして時々聞こえてくるのは笑い声。ここまで把握してしまうということは、もう体はすでに覚醒状態に入ってしまっている。心地よい眠気は遠ざかり、雑音ばかりが不快にさせる。寝たふりは諦めて、遊作は目を覚ました。前後の記憶がはっきりしない。

「ここ、は」

起き上がろうとして、起き上がることはできなかった。がっと手首に走る痛み。思わず視線を走らせれば、拘束具がつけられていた。ぞわっとした悪寒が体に走る。なんだこれ、が先に来る。どうしてこうなっているのかわからない。前後の記憶は相変わらずおぼろげで、ずきずきとした痛みが思い出すのを邪魔してくる。がちゃがちゃやっている遊作の向こう側の扉からは、げらげら笑っている女の声が響いている。壁がヤニで汚れている。どうやらかなりの喫煙者らしい。

ここはどこだろうか。現実世界?それとも仮想現実?おちつけ。後者ならここから突破できるはずだ。そう考えた遊作は周囲に目をやった。どうやら、どこかの実験室らしい。実験台に遊作は寝かされており、物理的に拘束されている。愛用のデュエルディスクやDボードをすぐ見つけることができたが、なにかの端子につながれており、巨大なスクリーンや機械と連動している。これはデータを抜かれてしまっただろうか。遊作は舌打ちをした。こんなことする人間だ、パーソナル情報に介入することは禁忌とされているが警告を無視するだけの度胸はあるだろう。

「おや、目を覚ましたんだね、ハッカー君」

白衣姿の女が現れた。シャープなデザインの眼鏡をかけているが、とても知的な雰囲気はない。それはさっきから聞こえていた大笑いだったり、タバコのヤニで汚れた白衣だったりが目につくからだろうか。それともはだけた白衣から下着が全然隠れていないからだろうか。さすがに目のやり場に困った遊作はそれとなく視線を外した。女は高校生の遊作には少々刺激が強すぎるボディラインを持っていた。ぜんぜん白衣でそのラインが隠し切れていないあたり、下着姿で過ごしていたがそのうち寒くなってきて白衣だけひっかぶったような格好だった。何考えてるんだこいつ、で遊作の頭の中はいっぱいになった。だめな独身女が目の前にいる。


女はあまり凝ったものは持っていないようだった。それは自室だからなのか、遊作に危害を加えるつもりはないからなのか、絶対に安全だと確信できる何かがあるのか、それはわからない。とりあえず、携帯端末は放り出したままのようだ。遊作のデュエルディスクの近くに置きっ放しになっている。どうやらかなりずさん、おおざっぱ、そんな性格のようだ。タバコのにおいがするのに見当たらない。こちらに来る前に消したか、それとも白衣に染み付いているだけなのか。どのみちその片手に握られている缶ビールがかなり酔いが回っていることを教えている。あまり中身がはいっていないのか、ずんずん近づいてくる女が振ってもこぼれない。結構飲んでるのかもしれない。


どう見ても駄目な独身女の見本みたいな格好である。こんなやつに捕まってるのかと思うと気が遠くなってくる。何が悲しくて、こんな状況に陥っているのやら。


「いやあ、いい拾いものをしちゃったなあ。まさかこんなに早くお近づきになれるとは思わなかったよ、Playmaker君、いや藤木遊作君、かな?」

「・・・・・・なにが目的だ」

「いんや、正直君には興味ないんだよねえ。私が気になってるのはこっちさ、君のデッキ」

「デッキ?」

「そうそう、これでもお姉さん、自主学習機能を搭載したAIの研究をしている口なんだけど、君の使ってる《サイバース》族、ってあれだろ。今巷で噂の自我に目覚めたAIもといNPCたちなんだろ?こいつらをテーマカテゴリ化してデッキとして使うなんてさ、こいつらの存在を許さないハノイの騎士や運営敵に回すようなもんじゃないか。ひっじょーに気になるんだよねえ。解析してもいいかい?」

「人のデッキに勝手に触るのはマナー違反だろ」

「だから聞いてるんじゃないのさ」

「拘束してるのはどこのどいつだ」

「いやだって、男はオオカミだっていうしねえ?」

「どの口が言ってるんだ、お前」

「あっはっは、怖い顔しないでほしいなあ。じゃあ、決闘者は決闘者らしくデュエルといこうじゃないのさ、遊作君、私が勝ったら、君のデッキ解析させて頂戴ね」


ウインクがひどく似合わない女だった。しぶしぶうなずいた遊作に、満足げに笑った女は拘束を解いた。


「あ、いっとくけど、一応ここ私が管理者だからね、遊作君。下手なこと考えない方が君のためだよ」

「そんなことより、あんたに言わなきゃいけないことがある」

「なんだい?お姉さんにいってごらん?」

「今すぐ服を着ろ!」


「遊作」

「ん?」

「ちょっと面白い情報が手に入ったんだが」

ぱきん、と焼きたてのソーセージがわれる音がする。たっぷりのケチャップとマスタードをのせたそれを、口いっぱいに頬張っている常連に草薙は苦笑いする。それどころじゃなさそうだ。後にするかと聞けば、遊作は首を振り、それをよこせを手を出してくる。行儀悪いぞとたしなめると、口の中が空いたらしい遊作が何を今更とじと目で返した。食事を止める気はみじんもないようで、大きめのサイズだというのにどんどん減っていく。草薙はジャンクフードでマナーを語る気はないようで、肩をすくめた。そしてレシートの後ろになにやら走り書きをして渡してくる。そこに書かれていたのは、和波誠也、人の名前である。受け取った遊作はその先を促した。

「聞いたことくらいはあるだろ?」

「なかったらもぐりだろ」

くしゃくしゃに丸めたゴミを遊作は狙い澄ませて、ちょっと距離のあるゴミ箱に投げ入れる。見事入った。やめてくれよ、またシルバーの人ににらまれるじゃないか、と草薙はぼやく。移動販売は事前の許可がいるのだ。あんたが営業した後はゴミだらけだと清掃員のおじさんから怒られてしまったらしい。別にゴミはゴミ箱にちゃんと捨ててるから問題ないと遊作は聞く耳を持たない。というか自分だけに言われても困るという顔をするハッカー仲間に草薙はためいきをついた。

「で、その和波誠也がどうしたって?」

「遊作と同じ高校に入るらしいな、同級生だ」

「・・・・・・は?」

「だから言っただろ、面白い情報だって」

「どこが面白いだよ、大問題じゃないか」

「でもリアルでもネットでも監視できるって楽じゃないか?」

「たしかに・・・・・・って、ちょっと待て。そもそもなんで和波がうちの学校に転校してくるんだよ」

「それくらいハッカーの端くれなら調べてみたらどうだ?」

「焚きつけるだけ焚きつけて終わり?」

「追加報酬が必要です」

「・・・おかわり」

「ツケは認めないよ、高校生」

「・・・・・・」

遊作は無言で小銭を漁った。

そして数日ほど遊作は情報を漁っていた。和波誠也、当時16歳、デンシティにあるデジタル教育の先駆として全国に知られたパソコン部の部員であり、コンクールで入賞するほどのプログラム技術があったことで知られるつかの間の時の人。あるときを境にぱたりとメディアに出てこなくなった。興味がなくなった世間からは忘れ去られているが、遊作は忘れようがない。まだ未成年だからメディアは自主規制したため、ネットに疎い世代はそれ以上知らないがこの青年の正体は悪質なハッカーとして1年前にデンシティを震撼させた未成年のクラッカーであるといわれている。いわれている、というのも、悪質なクラッカーはだいたい未成年が多く、首謀者である大人の手足だったのか、クラッカー集団の末端だったのか、それとも冤罪なのかはっきりしないからだ。記録では一貫して無罪を主張しており、罪を認めていない。罪状だけみれば家裁から裁判所に送られて実刑判決を受けるような案件がならぶが、よほど優秀な弁護士を雇ったのか、1年間の保護観察処分という判決を受けて、その期間が終わり、身元引受人である親戚から家族のところにもどったようだ。罪を認めていないのに、処分が下り、それを受け入れた。周りの圧力に屈したのか、虚言を続けるのに飽きたのか、どちらだろう。

遊作が彼に注目するのは、彼が実行犯の一人だとされた事件のいくつかが、遊作が追いかけているハノイの騎士の関与が疑われるからだ。サイバーテロ未遂や電脳空間ブレインズにおける犯罪行為、枚挙にいとまはないが、もし彼が本当に起こしたのだとしたら彼は間違いなくハノイの騎士の末端だ。ずっと家裁の決定を不服として裁判を続けると訴えていたのに、突然取り下げたのはこの保護観察を勝ち取るという取引があったともとれる。名前は伏せられるが裁判の様子は報道される。罪状だけ見れば、刑事裁判が妥当だろうに、保護観察処分。似たような事例は過去にもあった。裁判記録を見ればすぐわかる。それは刑事事件による立件、執行猶予付きの実刑。あまりにも落差がある。未成年によるクラッカー行為を問題視するメディアの中心人物、象徴的な存在としてネット上では実名が挙げられ、炎上したり、魚拓がとられたり、いろんなお祭り騒ぎがあった。人権侵害だと訴えられて勝訴した影響で、今では表だったところでは粗方ページが削除されているものの、一度ネットに流出したデータは一生消えない。消したら増える。面白がった人間の手で拡散される。それなのに、ぱたりとやんだ。ほんとにページが出てこないのだ。裏サイトを巡ってみたり、魚拓を漁ったりしたが当時のお祭り騒ぎのページはひとつもさらえなかった。徹底しすぎているのが怪しかった。

保護観察処分の間はデンシティを離れていたのだが、こちらに帰ってくることになったという。かつての高校ではなく、遊作の高校を選ぶことにしたようだ。まさかの同学年である。どうやら進学に必要な単位が足りなかったらしい。進学校は単位1つが赤点だと進学を認めなかったようだ。

たしかにテレビでは顔も名前も非公表。ネットではすでにページが抹消済み。裁判ではあまりにも不自然なほど和波に有利な判決。ここまで来るとバックになにかやばいものがある、とたった1年前の事件である。覚えていたとしても表だって言える人間は少ないだろう。

ざっと確認してみたが、保護観察処分を受け入れたということは、罪を認めたと同義だ。和波はパソコンやインターネットに触れることに関して、1年近く制限されていたようだ。ヴレインズ空間で使用していたIDは使用禁止になり、BANされてしまっている。カウンセリングなどにも通っていたようで、今でも使用時間などに一部制限がされているようで、かつての友人との接触は厳禁らしい。どうやら部活内にそういったつながりを持つ部員がおり、蔓延しているところに入部してしまい、染まってしまったという判断のようだ。

ハノイの騎士との接触を再開するならおそらく今のタイミングとなるだろう。わざわざ裁判の判決までねじ曲げたのだ、よほど切り捨てるには惜しい人材らしい。遊作はさっそく学校のパソコンにハッキングを仕掛け、転校してくるクラス情報などを持ち出した。

「・・・・・・同じクラスか」

偶然にしてはできすぎている。もしかして、が浮かぶがさすがに遊作は首を振った。ハノイの騎士は遊作や草薙の存在をまだ認知していないはずである。刺客を送り込むにしたってもっと知名度が低い、ハノイとの関連が疑えないような人間を選ぶだろう。はやる気持ちを抑えつつ、リアルでも監視できるよう、ウィルスプログラムを構築する作業に没頭した。

そして、遊作だけが一方的に知っている状態で、和波ともども入学式、始業式、そして席替え、初めての授業、といろんなことが始まっていく。遊作が注意深く観察した限り、和波はほんとうにパソコンに触れることを極力避けているようにみえた。携帯端末も一世代前のものであり、ネットがろくに使えないもの。もちろんブレインズにアクセスすることはできそうにない。一応、掃除の時間等にしれっと抜き取ったデュエルディスクや携帯端末にウィルスを仕込んで遠隔操作や監視を強化してみたが、とくに代わり映えのしない日々が続いた。

そんなある日、遊作はブレインズでトワイライトロードを使うアバターがいる、と一部で噂になっていることを知る。トワイライトロード、和波が愛用しているデッキだ。いや、していた、が正しい。BANされた決闘者が使用したテーマカテゴリは、その影響もあって一時的に運営が禁止制限をキツくする。イメージも1度ついてしまうとなかなか払拭されない。ライトロード自体はなかなか人気のテーマだが、使用者が少なくなる流れには逆らえないようだった。好きだけどメインじゃなくてサブに回す、といった風潮が根強い中、メインで使うアバターはめずらしい。

興味がわいた遊作は、和波の携帯端末やデュエルディスクの情報を抜いてみるが、新規のIDをつかった形跡がない。なにより何度か探してみたそのアバターは女だった。別人だろうか、と思った。でもそれがブレインズに飽きてしまったユーザーが違法に金銭と交換する裏サイトで入手されたものだと知ると話は別だ。遊作がみた女はその1度きり。運営がすぐに対処してしまうからだ。こういった複数のアカウントを禁止している運営にけんかを売るようなユーザーは少なくない。よくいる悪質なユーザーかもしれないが、ライトロードをメインに据える女は気になって当然だ。

そして、一度デュエルを挑もうと遊作は考えたのだ。決闘者を見極めるにはデュエルが一番である。アバターを異性にしようが、プレイングスタイルを変更することなど人間はできない。どんなに皮を被っても、いずれどこかに表面化する。大学の先生を驚かせるほどのプログラマーの卵として有望視されていた頃の和波にあこがれをいだいていた時代もある遊作である。かつてのプレイングは目に焼き付けるほど何度も見返した。別人かどうかわかる自信があった。

そして、どうなった?

遊作は自分を捕まえた女がそのアバターだとようやく思い出す。

「そうか、俺は負けたのか」

「どうしたんだい、突然」

「やっと思い出しただけだ」

「うん?」

中の人が男だとわかっていても、やっぱり目の前の女は目のやり場に困る。というかこんなやつに負けた上にアカウントバレしたのか俺はと悪化する頭痛に遊作はいっそのこと思い出したくなかったと頭を抱えた。


「はあい、Playmakerくん。元気してるかい?」

「いきなりハッキングして何の用だ。現実世界(リアル)でも同じクラスなんだから話しかければいいだろ」

「いやあ、前科の関係でそうそう簡単に接触するわけにもいかなくてねえ。君、ハノイの騎士が起こしたあの事件の被害者だろ?あーいう関係者に関わるの全面的に禁止されちゃってさ、悪いね」

「お前、それをどこで」

「なんで君にできて私にもできないと思うのか、はなはだ疑問ではあるんだけど。君が私のことを調べたように、私も君のことを調べただけだよ。かつてのツテをつかってね」

「何が目的だ」

「いやね、新しいプログラム組んだから被検体に成ってほしいんだ」

「は?!」

「簡単だろ、もし役立てるようなら使ってくれてもいいんだ」

「どんなプログラムだ。前みたいにデュエル中逃走できないように結界を張る、みたいな有用なプログラムなら考える」

「有用、有用、もちろん有用さ」

「一応聞く、どんなプログラムだ」

「デュエルした方が早いから、早速いってみよう」

「おいばかやめろ」

「なんでだよけち」

「あたりまえだ!」

「むー、ちょっとばかしダメージがちゃんとアバターに入るようになるだけじゃないか」

「!?それって、リアルにダメージが反映されるってことか?!なんて仕様だ!」

「そうだよ、リアルにダメージが反映されるんだよ、アバターの服のみにね」

「・・・・・・は?」

「さすがにアバターのダメージが体に還元されちゃ危ないからね、せめてアバターの服にそのダメージを反映させよ」

「まてまてまて!なんでそうなるんだ!おかしいだろ!」

「なんでだよ、ロマンじゃないか」

「ロマンもくそもあるか!そんなプログラムばらまいてみろ!デュエル始まった途端、互いにBAN食らうじゃないか!」

「それくらいのリスクはあった方が燃えるでしょ?」

「燃えない」

「嘘はよくないなあ、Playmakerくん。私と決闘したときのこと考えたでしょう?ちょっと考えたでしょう?」

「うるさいだまれ」

「あっはっは、声がうわずってるよ少年!」

「だいたいアンタも頭のねじが吹っ飛びすぎだろ!自分のアバターがひんむかれてもいいのかよ」

「いやだって私負けないし?」

「おい」

「というわけで、このプログラムのテストプレイお願いできないかな」

「なぜOKしてもらえると思ったんだ、アンタ」

「思ってないさ、だから強制的にやらせようと思ったのに」

「たち悪いなアンタ!?」

「あっはっは、褒めても何も出ないよ」

「褒めてない」

「というかテストプレイつきあってくれないと、君のアバターよく似たアバター作ってこのプログラムばらまくよ」

「それだけはやめろ」

「嫌なら私のラボにまた来てくれたたまえよ、少年!」

遊作はため息をついた。


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