営業時間だというのにカフェナギがしまっている。メールにも電話にも反応がない。さすがに心配になった遊作は学校が終わるとすぐカフェナギに向かった。トレーラーは鍵が掛かっている。もっている合い鍵を回すと、電気をつける暇も惜しいのか、巨大なスクリーンの前でワイヤレスのキーボードを一心不乱にたたく草薙の姿があった。
「草薙さん?」
「……」
すぐそこにいるというのに、遊作の声すら届かないようだ。
「草薙さん!」
遊作は肩を叩く。びくっと肩が震え、勢いよく振り返った草薙は絶句していた。だが遊作だとわかるといつもの柔らかな笑みに戻る。
「な、なんだ遊作か、びっくりさせないでくれ。誰かと思った」
「連絡にも出ないで何してるんだ、草薙さん。なにかあったのか?」
少々怒りも込めて問い詰めると草薙は、え、という顔をする。近くに置きっぱなしになっている端末は、遊作の履歴だらけになっていた。あー、といいながら髭すら剃っていない頬を掻く。
「ごめんな、遊作。それどころじゃなかったんだ」
「というと?」
電気をつけながら、遊作は隣の定位置に座った。
「アナザーとは別の昏睡事件が起こってるって噂を目にしてな」
「アナザー以外の?」
「ああ、この掲示板を見てくれ」
主にゴーストガールとの連絡手段に使っているハッカー御用達の裏サイトのあるスレッドを確認した遊作は、目を丸くする。
「草薙さん、これは」
「な?俺の気持ちわかってくれただろ?」
「なんで俺に連絡くれなかったんだ、一番しなきゃいけないやつじゃないか」
「あー、ごめんな。このスレッド見た途端、我を忘れちゃったみたいだ。げ、もうこんな時間かよ」
「見つけたのはいつ?」
「朝の仕込み前にちょっとな」
「……草薙さん」
「だからごめんって。これからは気をつける」
「ほんとに気をつけてくれ」
「ああ」
もうひとつのアナザー、ともいうべき昏睡事件。最大の違いは被害者のデュエルログがずっと更新されつづけているということだ。わかりやすくいうなら。精神だけリンクヴレインズに無理矢理ログインさせられ、どこかでデュエルを強要されているというのだ。睡眠時間の関係か時々数時間は更新が止まるらしいが、時間が経つとまたデュエルが開始されるらしい。対戦相手は必ず《天気》という遊作も草薙も知らない、もちろん今のデンシティには普及すらしていないテーマの使い手。そして、幼い声が音声として紛れ込んでいることがあるという。幼くして死んだデュエリストが遊び相手を求めている、なんてオカルトが垂れ流されていたが、その子供が6才くらいというのだ。草薙は心当たりがありすぎていても立ってもいられなくなったようだ。
「俺が調べた限り、どうやら突然昏睡状態になるわけじゃないらしい。少なくても、被害者は自主的にリンクヴレインズにログインする時間が長くなっていき、体調不良になってもなお行こうとして周囲とトラブルになってるな」
「なるほど、それほどのものがあるのか」
「たんなる依存症といえば早いが、ちょっと気になる。ログインしてから同じ人間とデュエルをする時間がどんどん長くなるらしい」
「可能なのか?たしか制限がかかってたはずじゃ?」
「できてるんだな、これが」
「相手はハッカーか」
「きっとな」
「気になるな」
「だろ?お前ならそういうと思って、被害者リストを作ってみた。そんでデットラインと思われるログイン時間を更新し続けてる廃人達のリストだ」
ほら、と渡された冊子。集中力が切れたせいで一気に眠くなってきたのか、背もたれがきしむのも気にせず、くあ、と草薙は大きくのびをした。そして乱暴に目尻を拭う。
「駄目だ、眠い。俺、少し寝るな」
「ああ、あとは任せてくれ」
「おう」
どんどん長くなる欠伸を繰り返しながら、草薙は腕を組み楽な体制を取るとそのまままぶたを閉じた。遊作はざっとリストを確認する。しばらくすれば寝息がたちはじめる。おつかれさま、と小さくつぶやいて、遊作はキーボードを叩き始めた。
睡眠以外強要されるマスタールールのデュエルモンスターズ。毎日毎日少しずつ長くなっていくデュエル時間。遊作をはじめとしたロスト事件の被害者、そして被害者家族の感情を逆なでするような事件である。もしこれがハノイの仕業でありplaymakerをおびき出すための罠だとしたら絶対に許すことはできない。いや、愉快犯の犯行だとしたら絶対に許せない。草薙の先走った行動を咎めはしたけれど、同じ立場だったらきっと遊作だっていても立ってもいられず、犯人の特定に躍起になったはずだ。キーボードを叩く力がついつい大きくなってしまう。遊作はどの被害者候補を監視しようか、膨大なリストを考察する。もともと課金に課金を重ねてリンクヴレインズに命をかけているような廃人はわかりにくいから除外だ。いつも少ないが劇的に増えてきているやつに絞る必要がある。できれば生活環境が激変したことがわかりやすい学生。この間の学生のようにできれば同じ学校の奴。一度学校をハッキングして生徒名簿の情報は入手済みなのだ、周囲を調べるのが楽になる。時は一刻を争うのだ。そして遊作はある名前で手を止めた。
「………和波?」
草薙はリストアップに懸命で個々の名前までは意識が行かなかったのだろう。ほぼ機械的にデータの整理に没頭していたようだ。遊作は今日体調不良で休みだと島がいっていたクラスメイトを思い浮かべる。心配になり連絡を入れる。
『あれ、遊作じゃねーか。どうしたよ?今誠也は寝込んでるぜ』
「HALか」
『おうよ、ただいま留守番機能中のHAL様だぜ。何のようだ?』
「ちょうどいい、ひとつ聞きたいんだが和波の体調不良は寝不足か?」
『あ?よくわかったな。最近ご熱心のアバターがいるんだよ』
「まさか《天気》使いか?!」
『お、おう!?すげーな情報はえーなよくわかったな!?』
「和波は話せるか?」
『まじでどーしたよ、遊作。まあたたき起こせば起きるんじゃねーか?』
「なら俺が行くまでに起こしておいてくれ」
『え、今からくんの?マジで?』
「ああ」
『ちょ、お、おーい!』
一方的に通信を斬った遊作は、草薙を揺り起こす。
「お、おう!?ど、どうした遊作」
「草薙さん、今から和波のところに行ってくる」
「んえ!?どうしたんだ?」
「和波が《天気》使いとのデュエルのしすぎで寝込んでるみたいだ。話聞いてくる」
「……えええっ!?お、俺運転するぞ!?」
「やめてくれ、居眠り運転されたら俺が困る。調べてくれてありがとう」
「……あー、ごめんな、肝心なところ見落としてたか」
「草薙さんのおかげだ。もう家に帰って寝てくれ。連絡は明日する」
「おう、頼む」
慌ただしく去って行った遊作を見送り、草薙は大きく欠伸をした。
「あー駄目だ、俺も年か?」
高級マンションのエントランスホールで遊作を出迎えた和波は、ほんとうに眠そうだった。あわててパジャマから着替えたのか、靴下が裏表反対だったり、服が後ろ前反対だったりする。指摘すると恥ずかしそうに顔を赤らめてお礼をいいながら、あわててカード認証をすませ、エレベータに飛び乗った。話を聞いていた警備員の笑顔が生暖かかったのはきっと気のせいではない。
「どうぞ、ちらかってますけど」
「ああ、ありがとう」
スリッパをそろえて出してくれた和波にお礼を言って、遊作はそのままリビングに通された。
「なにのみます?」
「ああ、お構いなく」
「いえ、そういうわけにもいかないですし」
「じゃあお茶で」
「いつもの珈琲、今飲んだら寝られなくなっちゃいますもんね」
「和波は寝られそうだな」
「はい、すぐにでも」
軽口を叩きながら、走ってきた遊作のために和波は冷たいお茶と茶菓子を出してくれた。向かいに座った和波をみて、遊作は体調不良の訳を聞いた。和波ははずかしそうに頬を赤らめる。
「最近仲良くしてるフレンドがいるんです。デュエルがすっごく上手で、時間経つのもわすれちゃうからつい。気づいたら三時回ってたりするから……」
「ようするに寝不足か?」
「……はい」
「アンタな……もう16だろ、和波。小学生じゃないんだから、友達と遊ぶのがうれしいからって夜更かしするやつがあるか。しかも三時?そんなの倒れるに決まってるだろ」
「うう、そのとおりです。お姉ちゃんにも怒られました。ごめんなさい」
「HALはなにもいわないのか」
「HALがいるとログインさせてくれないんですもん」
「今の俺みたいに置いてきぼりだったわけか」
「……です」
遊作はあきれてものも言えない。ここまで来たのが途端に馬鹿らしくなってしまうが、一応確認はしなくてはならない。
「で?」
「はい?」
「アンタが仲良くしてるアバターネームは?」
「ステラちゃんのことです?」
遊作はためいきをついた。草薙が調べ上げてくれた資料に上がっている第一級の最重要参考人がまさにステラなのである。
「どこで会ったんだ?」
「えっと、このエリアですね」
遊作が教えろと提示したリンクヴレインズの全景マップの一角を指さした和波に遊作は被害者候補でまず間違いないと確信した。被害者達がずっとログインし続けているエリアこそ、その場所なのだ。それは意外にもリンクヴレインズには何処にでもありそうなデンシティを似せて作られたエリアであり、コピペして形成された街エリアのひとつにすぎない。なんの変哲もないエリアだが、時々あるイベント会場以外はまずユーザーがいくことはない、なにもないエリアの一つだった。
「ちゃん?」
「はい、ちっちゃい女の子なんです。迷子になってたところを助けてあげたら懐かれちゃって。時々お父さんたちに隠れてログインするようになったから、一緒に遊んであげてるんです。ずっと病院にいるみたいで。病気なのかな」
「リアルは知らないのか?」
「初めてあったとき、普通にぜんぶしゃべっちゃったんで知ってるんですけど、さすがにまずいなって思って何も聞かなかったことにしてます」
「そうなのか」
「はい」
「いくつくらい?」
「えっと、小学校前だっていってたから6,7才くらいじゃないですかね」
「……あのな、和波」
「はい?」
「普通、6才くらいの女の子が深夜3時までログインできるわけないだろ。病院に入院してるならなおさらだ。普通はもう寝てる」
「あ」
「なんでそんなログインが伸びるんだ」
「だって、まだ遊びたいって泣いちゃうから可哀想になっちゃって」
「あのな……いくらなんでもおかしいだろ。基本パーツは生体情報を参照するけど、課金してパーツを入手すればいくらでも偽造できるんだ。あきらかに普通の女の子じゃないだろ」
「……そのとおりです」
今気づきました、という反応をナチュラルに返され、遊作はため息しかでない。
「もう寝ようとか言わないのか」
「あはは、最近は眠すぎて寝落ちしちゃって、ステラちゃんに大丈夫?って起こされることが増えました」
「ここまでくると病気だな」
「ほんとそのとおりです。ごめんなさい」
和波は反省しきりである。話を聞いてみると外国人の小さな女の子のようだ。小さな子供でも両親と子供の部屋を分け、子供は置いてきぼりにして夜にディナーに両親が出かけてしまう文化で育ったようで、いつも夜は帰ってくるのが遅いらしい。ステラという少女はほんとうに頭が良くて、両親同伴が基本のリンクヴレインズへのログイン方法の抜け道を駆使して入り浸り、さみしさを紛らわせているようだ。なかなか学校や近所になじめずひとりぼっちのようで、和波は相談に乗っているうちに懐かれ、そのうちずるずるとログイン時間が長引き始めていたようである。遊作からすれば穴の多い設定だ、しかも初期設定に徹しきれずにボロが出まくってるし。でも和波のようなユーザーが良心をつけ込まれてだまされるんだろうな、とも思う。現に今の和波は睡眠不足でだいぶ思考が回っていないようだから。いつもの和波なら気づいたはずだ、5年もの間スピードデュエルを強要されたかつての悪夢と似たような環境だということに。自発的に動いている分なおのこと自覚できないのだろう。恐ろしいものだ。
「和波、いつか変なやつにひっかかりそうだな」
「え?」
「いや、なんでもない。こっちの話だ」
「えっと、その、ごめんなさい」
「ほんとに今気づいて良かった」
「えっと……?」
そして遊作は和波に草薙から貰った冊子を渡すのだ。ついでにスレッドのページのスクショも。戸惑いながらも目を通し始めた和波はだんだん色を失っていく。
「え、え、じゃあ、僕もまさか……?」
「ああ、きっとな」
「僕、どうしたら」
「俺が見ててやるから今まで通りにすればいい。本性を現したら、俺が助けてやるから」
「わ、わかりました」
ごくりとつばを飲み、和波はこくこくうなずく。思えば和波と遊作はデュエルディスクを連携しているのだ。デュエルのログやログイン時間に着目すればおかしい、に気づけたはずだが、和波が煩わしく思ってHALを置いて姉のアカウントでログインしたせいで記録に残らない。気づけたのは奇跡と言っていい。
「とりあえず、今日は寝ろ。起こして悪かったな」
「は、はい、わかりました。お休みなさい」