黒い数珠
緋勇は雷角がいい放った、知らない先祖の罪という言葉に妙なひっかかりを覚えていた。普通に考えるなら江戸時代の人々、いわゆる今東京に住んでいる人々の守護に打倒徳川の怨念を利用され、毒を以て毒を制せられたからこその怒りだろう。にしては、緋勇たちに向けられた殺意はどうにもそれだけではないような気がしてならなかった。
だから、久しぶりに実家に連絡を入れたのだ。まさか当たってしまうとは思わなかったが。
「《龍閃組》」
「そう、御先祖様が隠密として重要な役割を果たしていた。その功績が無視できなかったから、緋勇家は明治政府にとりたてられた。やがて2度の大戦を経て故郷に帰り、今の家があるんだよ」
祖父は今までろくに興味も示さなかった緋勇家の歴史について、孫がいきなり興味津々で聞いてきたからなんだか嬉しそうだ。
祖父はいう。隠密とは、主君などの密命を受けて秘かに情報収集などに従事する者。古くは忍者と同一であったが、近世に入ると忍者に限定されなくなり、そのころに緋勇家も隠密として従事することになったという。
「それって、もしかして九角鬼修?」
「......よくわかったな、龍麻。そう、《龍閃組》をはじめとした多くの隠密が結成されたのは、徳川家光・家綱公の時代にまで遡る。九角鬼修率いる《鬼道衆》とわしらの先祖は長らく戦っていたようだ」
身分的には低かったが、江戸中の風説を調査したり、領内外の情勢を探ったりしたらしい。
現代のような情報通信手段が発達していなかった当時、人がコツコツと足を運んで風聞を集めて廻ることが、最も重要な情報収集の手段であった。
「天海大僧正の進言だったと言われているよ。老中もお抱えの隠密がいたが、将軍自らが直接コントロールができる直属の諜報機関をつくり、ダイレクトに情報の収集を実行するための組織が必要だったんだ」
つまり隠密とは、小禄で決して身分は高くはないが、一般のイメージである人知れず諜報活動に従事するスパイで、その末路は哀れな使い捨ての役割などではなかったといえる。それどころか、江戸幕府を支える重要な役割のひとつとして認識されていた、とみるべきであろう、と祖父は結んだ。
「もしかして、《菩薩眼》と関係ある?じいちゃん」
祖父の息を飲む音がやけに大きく聞こえた。
「よくわかったな《鬼道衆》と徳川幕府は代々《菩薩眼》を巡って争っていたんだ。かの女性を手中に収めれば、天下は安寧だとつたわっていたからな。理由はわからんが」
「《菩薩眼》の《宿星》の子がいるんだ。死者蘇生までできるようになってる」
「なんと......それは驚いた。緋勇家の文献では1人しか確認されていない」
「先祖返り?」
「おそらくな」
「じいちゃん、《鬼道衆》のやつに先祖の罪がどうの言われたんだけどホントに和解したんだよな?」
「なんて暴言を言われたのかはしらんが間違いない。それだけはたしかだ、安心しなさい。決してお天道様に顔向けできないようなことはしていないよ。そうだ、和解の証の品を送ろう」
「和解の品?」
「そうだとも。当時の棟梁、九角天戒とわかちあったといわれる数珠、お前の父さんにも持たせたが帰ってきてしまった家宝だ」
そういって祖父は笑った。
「九角天戒と関係あったんだ、俺の家」
「なんだ、知ってるのか」
「......あんまり嬉しくない経緯で知っちゃったんだけどな......」
緋勇はため息をついて、《鬼道衆》との戦いや九角家と未だに連絡が取れないことを話した。
「そうか......。この数珠はな、互いに近くにいればどういう原理かはしらんが、わかる効果があると言われている。残念ながら150年間、再会した話は聞かんが......そういうことなら尚更今の龍麻に必要なものだろうな。大事に身につけておきなさい」
「わかった。ありがとう、じいちゃん」
「まさか九角の末裔とそんなことになっているとはな......《鬼道》と《宿星》の歴史は切っても切れない関係なのかもしれんな......」
「......そうだね。やりきれないよ」
「まあそういうな。因果というやつはいろんなことを起こすものなんだから。いいことも、悪いこともな。龍麻、くれぐれも気をつけてな」
「うん、ありがとう」
そして、数日後、不思議な《氣》が込められた数珠が届いた。
祖父曰く、この数珠が黒いのは、黒は他の色に染まらず、そのエネルギーも非常に強いパワーストーンが使われているためだという。手に入れる際も自分がパワーストーンに負けないか、今欲している確固たる物があるか確認しなくてはならないレベルであり、自我を確立して自分の進みたい道が決まっているときなどにとても良い色だという。
《鬼道衆》を解散したのち、自分の道を歩むよう村の人間に申し付けたという棟梁たる九角天戒に、緋勇家の先祖が故郷に帰る際に餞別として渡したのだという。
たしかにこの数珠はエネルギーを浄化・純化する力が強く、体が本来持っている力をさらに高めるようにサポートする効果があるように思えた。身体的に直接働きかけているのではなく、精神面を強くサポートすることによって身体も回復する、という効果だ。
また、現実的な感覚を研ぎ澄まし、高めていくという働きもあるようだから、なにかを極めるには最適な装備なのだろう。
祖父曰く、これだけの強い力を持っているパワーストーンなので、心や身体の調子が悪い時に身につけてしまうと、石からの強いエネルギーに負けてしまうこともあるから注意しろと言われた。これが身につけられるような人間だったんだろうことは想像にかたくない。
目黄不動 (めきふどう)がある永久寺を目指して緋勇は出発したのだった。目黄不動と呼ばれているのは、永久寺だけではなく目青不動の祠があった最勝寺もなのだが、以前いった時には似たような祠を見つけることが出来なかったため、消去法でそこだろうとみんな考えたのだ。
「この東京のどっかにいるんだよな、たぶん。この数珠の片割れもってるやつが......いや、持ってるとは限らないか。150年も前だもんな......」
東京で最も交通量が多いといわれる昭和通りと明治通り、この二つの道路の交差する大関横丁の交差点のすぐそばに永久寺はある。
「誰もいないな、早く来すぎたか......」
どうやら家宝を身につけているせいで気分がせいてしまったようだ。緋勇は仕方ないので近くにあった観光用のパンフレットを広げることにする。暇つぶしにと駅でもらってきたのだ。
永久寺の歴史をひもとくと、遠く14世紀南北朝騒乱の頃建立されたらしい。ただ当時は真言宗のお寺で名称も唯識院と呼ばれていた。このことは當山の板碑に書かれているのだが、板碑のいたみが激しくそれ以上詳しいことが判読できない。その後の歴史の流れの中でいくたびか戦乱などによって焼失し、再建を繰り返してきた。
時には道安和尚という高僧によって諸堂伽藍が整備され、名も白岩寺と改められ、禪閣として隆興をきわめたこともあった。また寺院名も時に大乗坊さらに蓮台寺と変遷を重ね、宗旨も先にあげた真言宗から禅宗そして日蓮宗と移り変わってきたようだ。
江戸時代に入って、出羽の羽黒山の圭海という行者によって天台宗の寺となる。さらに寛文年間、幕臣山野嘉右衛門、号して藤原の永久という人が諸堂を再建し境内地も拡張・整備され、寺院名も永久寺と改められ、中興の祖となった。
泰平の世となった寛永年間の中頃、東海道など五街道が整備され、街道の道中安全を祈願することが幕府によって命じられた。その時、上野寛永寺の天海大僧正の発願によって江戸府内の由緒ある古刹が五色不動として五街道沿いに定められた。
その際、南北朝以来の古刹であり、また日光街道(今の昭和通り)に面した永久寺が目黄不動尊として指定され、ここに南北朝以来の古刹は天台宗目黄不動尊永久寺として大成した。
現在の永久寺は、大関横丁の交差点のすぐそばだから時に自動車の騒音につつまれることもあるが、樹齢一千年を越える松の木が、御仏と共に訪れる人を静かに迎えているのが見える。
「なるほど......そんときに俺の先祖は《龍閃組》に入るために上京したのか」
なんだか不思議な気分だった。
「......?」
ふと数珠に目をやるとうっすらと光を放っているのがわかる。
「おい」
「!」
振り返ると強烈な赤が目に入った。
「テメェが持ってるその数珠......そいつをどこで手に入れやがった」
「どこでって、俺ん家に伝わる家宝だよ」
「んだと?そいつは俺の先祖が友と別れる時にわけたいわく付きの片割れだ。テメェが持ってていいもんじゃねェ」
「!!」
「......そうか、奪ったんだな。テメェか、テメェの先祖がそいつから奪いやがったんだな。でなきゃ、テメェが持ってるわけがねェ」
「まさか、お前は!」
「それはついで引き合う絆の証、九角家の家宝だ。九角を滅ぼした徳川の狗が持ってていいもんじゃねェんだよッ!テメェがもつ資格なんざねェッ!必ず奪い返してやるからな、覚悟しやがれッ」
「待ってくれ、名前は?俺は緋勇、緋勇龍麻。あんたは?」
「はあ?九角天童だ」
「俺の先祖のこと、なにも伝わってないのか?」
「なにを訳のわかんねえことを......。滅ぼしたのはお前たちだろうが」
「なんでそうなるんだよ!和解した証に俺の先祖が渡したんだ、その友ってのは俺の先祖のことだよ!」
失笑した九角は一瞥もくれずにそのまま行ってしまう。緋勇はあわてておいかけたのだが、境内には誰もいなかったのだった。
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