《夜会》の会場は、《墓地》から遠くにあるという事実からか、あたりの空気が静かで明るいように錯覚しそうになる。外の暗闇が《遺跡》のあたりをただよう怨霊すら生贄にして、ある種の踏み絵として機能しながらも。次の一年の封印にそなえて力を蓄えるために捉えている数多の魂からエネルギーを奪い取る鎮魂の儀式から遠ざけてくれている。空気がいちばん親しく私達を包んでくれる。
大部屋の空気の変化に私は気づいていた。熱気が色濃くなっているのに、奇妙なほど落ちつき払っている。喧騒は相変わらずだが、殺気立ったところがない。さっきまで部屋中を包んでいた、ヒリヒリとするような乾いた空気が、微かだが湿りけを含んでいるようにも感じられる。
《生徒会》や《転校生》がしきりに外を気にしながら、パーティを盛り上げようとしているからだろうか。《執行委員》や同行者(バディ)のみんなは気づいていながら、交流を楽しんでいた。
こんな伸々と自然のままな姿で生きていられる世界もあるのは、學園祭だけだと思ってた。
お城のように暖かく安心で、満たされていて、タオルから食器から室内ばきまでみんな趣味がいいインテリア、何も私をかき乱すものはなく、会社の何もかもがざわめく風景のように遠くにある。
明かりのこうこうとついた室内の暖かい空気の中、現実の位相から微妙にずれている花園にいるようなものだった。そのことに、誰もがはっきりと気づいている楽しい時間だ。そして限りがある。いつまでも続くわけがない。
何でもない夜中の会話のすばらしさは、それにぴったりと寄り添っている空間の匂いだ。人と同じ部屋にいて、でもじぶん一人でいるよりも自由で、心強い。言葉以外の多くに何もかもが香り立つようにふくよかだ。
手擲弾でも投げつけたような音だった。クラッカーを誰かが鳴らしたのだ。うねって来る色テープの浪。ぶわっと散る雪紙の中で、《夜会》が始まる。
グラスのぶつかる音、たべる音、足音、マッチをする音、ライターの音、客たちのおしゃべり、笑い声、挨拶、ムード・ミュージックのすかした響き、などがまじりあって作るざわめき。
会場は広く、大きなテーブルのうえの銀の食器には色とりどりの料理が並び、カトレアをかたどったいくつもの小さなシャンデリアが照らす下で、たくさんの仮面をつけた生徒たちが談笑していた。今夜だけは無礼講だ。画面の向こうが誰かは秘密なのだ。制服姿で特徴的な生徒が多すぎるために仮面が意味をなしていないのだとしても。
やがてBGMがかわる。取手のピアノだ。私は拍手した。つられでまばらな拍手が広がる。取手は照れたようにわらった。ダンスがはじまったのだ。
少し大きく動くと他にぶつかってしまうほどたくさんの男女が踊っている。光と音楽とざわめきの洪水を掻き分けて表へ出る勇気はなく、私は窓際で食事を優先していた。
「なにがっついてんだよ、お前」
呆れ顔の皆守に声をかけられた。
「お前は肥後か」
「甲ちゃんのせいで夕食まだだったからね」
「はあ?阿門からの呼び出しは8時からだろ?」
「食欲わくと思う?気分ばかりがせいて7時半頃からウロウロしてたよ」
「......だから来てくれるのが早かったのか」
「まあね。そういう甲ちゃんはどうしたんだよ、九ちゃんは?」
「八千穂に捕まってどっかいった」
「あはは。踊らないの?」
「はあ?誰がだよ、誰が」
「あ、ちょっと勝手に食べるなよ、まだ試してないのに」
「少なくても俺はお前よりは楽しもうとはしてるぜ。しゃべろうとはしてるわけだからな」
「数合わせの婚活パーティーや合コンでがっつり食べて帰る私に羞恥心などない」
「やめろ。なんかやめろ。んな生々しい話聞きたくねえよ」
小突かれた。皆守は機嫌がいいから、《生徒会》と和解したんだと思われる。よかったよかった。
床と天井をのぞけば、テーブルも壁も装飾品もぜんぶが一級品で、ガ至るところに巨大な観葉植物が配されている。 生徒たちは思い思いにダンスしている。この体の記憶に頼れば私も踊れるがそんな勇気はなかった。
「ところで、なんだその変なにお......」
「か、彼氏だなんてそんな」
照れまくりのやっちーの声がした。ダンスホールの中心がさっとひいていく。どうやら双樹と葉佩のダンスが始まったようだ。左手を腹に、右手を背中へ回し、ダンスパーティーで見せるかのように丁寧にお辞儀をする。
古ぼけたビクターの蓄音器が据えてあって、磨り滅ったダンスレコードが暑苦しく鳴っていた。それでも二人の足取りはダンスのように軽かった。
やっちーはあわあわしている。双樹が葉佩に超至近距離で話しかけているからだろう。葉佩もなにか受け答えしている。やっちーが阿門に話しかけられて顔を上げた。どうやらあのダンスはそういう体勢で行うものだから心配するなとでも言われたようだ。耳まで真っ赤になったやっちーがぶんぶん首をふっている。
「違いますううう───────!」
しん、となってしまった会場の中心で我に返ってしまったやっちーは悲鳴をあげた。双樹は葉佩から離れ、やっちーのところに向かう。そしてやっちーの手をとると葉佩の近くまで連れていき、そのままダンスをはじめてしまった。
「無理無理むりです、やったことないよ〜ッ!」
双樹に先導されてなんとかぎこちないながらも、なんとか必死についていく。真っ赤で任そうなドレスを踏んづけてこけるという大惨事から免れたやっちーは解放された。すでにぐったりしていたのだが、今度はめっちゃ笑顔の葉佩に手をとられてしまう。
「きゅ、きゅ、九チャンッ!?待って待ってまってええー!」
私は携帯でずっと撮影していた。記念だ記念。きっといい思い出になる。なにも起こらないうちに写真をとらなければ。2人を眩しそうに見ている皆守もとる。なにしてんだという顔の皆守の後ろに回り、ぐいぐいおしてやる。
「おい、なにしてんだ、翔ちゃん!?」
「九ちゃん、九ちゃん。親友おいてきぼりにしたらダメだろ、可哀想だよ」
「はあっ!?おいこら、翔ッ!」
「甲ちゃん!」
「皆守くん!」
私に押されているせいで避けられなかった皆守は、葉佩に抱きつかれてさらに上からやっちーに乗っかられて潰れた。
「あとはごゆっくり〜」
私はぎゃいぎゃい吠えている皆守とは目を合わせることなく食事スペースに戻ることにする。なにが変な匂いだ、失礼なやつめ。ラベンダーとカレーしかわからないお前にだけは言われたくないぞ、皆守。
食事はビュフェスタイルで、数えきれないほどたくさんの前菜、カレー味や麦入りのスープ、それに羊肉のローストや煮こみ、ビーフシチュー、魚のフライ、エビや肉だんご入りのカレー料理が、ところせましと並んでいた。
ちょいちょい気になるものをつまみながら、私は窓の近くで外を眺める。仮面をつけているせいで眼鏡がかけられなくなった私の視界には、大気の流れが奇妙な色を伴っているのが明確に見えるようになっていた。
ダンスホールの会場の隅から隅まで歩いた歩数や叩いた柱や壁、床の響きから察するに広さはだいたい把握した。阿門邸に案内されたときに間取りはだいたいみたから、《ロゼッタ協会》の内部資料となんらかわらないことが判明したのでやることは簡単だ。
私は目を閉じた。JADEさんに教えてもらった方法で頭の中に具体的な映像を描き出し、大気の流れを観測する。ふたたび目を開く。目が異様に熱くなる。おそらく今の私の目は黄色だ。
「......異常なし、か」
恐らく一番封印が弱まるであろう真夜中にむけて、私は眠くならないように話し相手を探しに行くことにした。
真里野になぜ七瀬がいないのか泣かれたり。墨木がぼっちで食事をしているから声をかけたり。タイゾーちゃんと食べたい料理がかちあって盛り上がったり。菜々子ちゃんに連絡先を教えてもらったり。取手を労いにいったり。
お怒りの皆守から逃げ回るべく仲間たちのところをぐるっと回っていた私は、声をかけられた。
「......あの、少しいいですか?」
知らない女子生徒だった。仮面をつけているからわからないが、華奢だが色つやが良く、はじけそうな肌をしていた。きゅっと締まったふくらはぎに黒い革靴、制服にあどけない顔。不思議に明るい色気があった。
「江見翔先輩......ですよね?」
どうやら下級生である。
「そうだよ、はじめまして」
「はじめまして」
ぺこりと頭を下げた。
「実は先輩に聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと?」
「はい。友達に頼まれたんです」
「友達に」
「《夜会》に選ばれなかったから」
「ああ、なるほど。それで、なにかな」
「先輩には好きな人っているんでしょうか。七瀬先輩ですか?それとも葉佩先輩?」
「......まって、なんでその2択なんだよ」
「え、だって噂が......」
「あはは......月魅は大事な友達だし、九ちゃんは恩人だよ」
「恩人?」
「オレがこの學園に来たのは行方不明になった父さんを探すためだ。九ちゃんのおかげで失踪の理由がわかりそうでね。だから恩人」
「そうなんですか」
「そうだよ」
「どれくらい大切な恩人なんですか?」
「うーん、そうだな......。いちばん怖いのは、九ちゃんが死ぬことってくらいには、大事かな。九ちゃんがオレの希望なんだ」
するりと言葉にでるくらい、私の中で決まっていた。
「九ちゃんがいなかったら、たぶんオレはなにもできないまま卒業してたからね。もし九ちゃんになにかあったら、なんて考えたくもないよ」
「葉佩先輩、《生徒会》と対立してる《転校生》ですもんね、なるほど。わかりました、ありがとうございます。友達につたえておきます」
「うん、友達によろしくね」
女子生徒は去っていった。
「......今どんなことになってるんだろうなあ、噂......」
ちょっと不安になった私だった。気づけばもう1時を過ぎようとしている。そろそろ牛の刻だからまた阿門邸を調べてみよう。私はまた意識を集中させようとした、その時だ。
携帯電話が鳴った。私だけではない、この場にいる全員の携帯電話が鳴りだしたのだ。一瞬にしてあたりは静まりかえる。......来てしまったようだ。私はメールをみた。
「きゃああああ!」
耳をつんざく悲鳴があたりに木霊する。あわててそちらをみた私は、さっき話しかけてきた女子生徒が空中に浮き上がっているのを見た。じたばたしているのに、勝手につりさげられていく。それを見た一般生徒が騒ぎ出す。私はあわててそちらに向かって駆け出したのだった。