私と風呂2
「さあて、困ったな。お風呂どうしよう」
「俺達入るからお前くるなよ?」
「え〜ッ!?夜会まで時間ないのに理不尽すぎない?」
「やめて翔ちゃん俺達お婿に行けなくなるぅ!」
「どうしようかな。阿門とこに借りに行くか、瑞麗先生んとこに借りに行くか」
「まてまてまて正気かお前。なんでその二択なんだ」
「門前払いされない?」
「腐乱死体始末したままで夜会にでろと?贄にされる可能性があるから今夜だけは《遺跡》に行くなって忠告されたのにガン無視して助太刀した私に何か言うことはないのか、君たち」
「それはそれ、これはこれ、だ」
「それに関しては嬉しいよ、すっごく。でもさあ......さすがに翔チャンが大人のお姉さんだってわかってると、お風呂とトイレだけは勘弁してってなるんだよ。わかってくれよ、翔チャン。俺達男の子なんだから!」
「なんだよ、甲ちゃんも九ちゃんも。いつもなら私を優先していれてくれるのに」
「今夜は《夜会》だから9時前に風呂はいって行きたいやつが多いんだよ、わかれ」
「混んでるんだよ〜ッ!」
「誰のせいでこんなことになったか、わかってるのか甲ちゃん」
「それについては謝る、すまん。悪かった。だがまだ人間の尊厳までは捨てたくないんだよ。男の矜持ってやつだ。そもそも今入ってるやつらは、お前の事情知ってるやつらばかりだろうが。多数決とっても脚下されるんだが?」
「はあ......わかったよ、あきらめる。ダメもとで瑞麗先生と阿門に聞いてみるとするよ」
「いやだからなんでその2択なんだよ」
「私から男子寮の大衆浴場という選択肢を奪っておきながら、まだ潰そうとするとか血も涙もないね、甲ちゃん」
「もっとなんかこう、あるだろ?部活練のシャワーとか」
「今の時間帯の校舎にファントムが常駐してるの九ちゃんから聞いててそれいうのか、甲ちゃん。正気?學園祭の襲撃忘れたのか?」
「いや......だから、俺は思いつかないだけであるはずだろ......なあ九ちゃん」
「ううーん、正直なところ全く思いつかない」
「おい」
「だってさー、女子寮の大衆浴場は男子寮と同じくやっちーたちが使ってるだろ、今。事情はわかってても俺と入れ替わった時の月魅みたいに、白岐さんくらいしか許してくれないと思う」
「それはカウンセラーも同じだろうが......。だからって《生徒会長》んとこにシャワー浴びに行くってどんだけ図太いんだよ、アホか」
「今夜は危ないから《遺跡》が近い生徒寮ではなく《生徒会長》邸宅で泊まってねって、実質お泊まり会なのでは?」
「やめろ、大体あってるが言い方が悪意あるぞ」
「他に言い様がない気がするけど」
「だいたいファントムが怪しいって九ちゃんに忠告されたばかりだろうが。真っ先にねらわれかねないのはお前だぞ、翔ちゃん」
「その私を真っ先に排除しにかかったやつがなんかいってる」
「いやだから、それはな......」
「みんなが風呂出るまで待っててよ、翔ちゃん。俺たちも待ってるからさ」
「嘘つけ。お前ら揃って湯冷めするからってすぐ阿門邸いく未来しか見えない」
「大丈夫大丈夫、置いて行かないよ、安心して」
「そこまで薄情じゃねえさ」
「マラソンで一緒に走ろうねとか、テスト勉強しないよね、って約束並みに信用できないんだけど、君達。1回私の目を見ていってみろ」
あからさまに目を逸らされて、私はため息をついた。そして携帯のバイブレーションが鳴ったので、そのまま携帯をひらく。
「あ、よかった」
「ん?」
「え?」
「瑞麗先生いいって」
「はッ!?」
「はいぃッ!?!」
「まてまてまて何だと!?何考えてんだ、カウンセラーッ!今の翔ちゃんは体と精神が融合して、男になっていくんだから気をつけろって忠告した張本人じゃねーかッ!」
「る、る、瑞麗先生の部屋にお呼ばれされるとか羨ましすぎるぞ、翔ちゃん!ずるいッ!!」
「おいこらどさくさに紛れて何言ってんだ、阿呆!」
「痛いッ!常識的に考えろよ、普通に考えて青少年の夢じゃないかッ、美人すぎる保健医の部屋にお呼ばれしてシャワー借りるとかッ!」
「うるせえよ、唾飛ばすな汚ねえな」
「なに騒いでるのか知らないけどさ、《遺跡》の件について対応に追われてるはずの瑞麗先生とそんな雰囲気になるわけないじゃん。あと30分もないんだよ?」
「ダウトーッ!そのにやにやはなんだよ、翔ちゃんッ!!」
「......そういや、雛川とカウンセラーとどっちが好みか八千穂が聞いたとき、カウンセラーって即答してたな、翔ちゃん。弟みたいに思われてるやつから噛み付かれると可愛い反応するもんだって」
「えええええッ!?なんだよそれ、聞いてないッ!えっ、マジでもう女の人好きになっちゃうレベルなのかよ、翔ちゃんッ!この裏切り者ォッ!!」
「いや、わかんねーぞ九ちゃん。やけに生々しいくらい具体的だったからまさか女も男もいけるとかいうオチじゃないだろうな」
「えええッ」
「君ら、いつから成績表に《想像力豊かです》って書かれるようになったんだよ。童貞もここまでくると妄想たくましいな」
「誰が童貞だよ、失礼なっ!」
「翔ちゃん、いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるんだが?」
「いやだって......ほら、ねえ?」
「翔ちゃん、翔ちゃん、女性から男性にだってセクハラは当てはまるんだぜ?」
「その生暖かい視線はなんだよ、やめろ。不愉快だ」
「あはは、冗談だよ、冗談。この体の持ち主が童貞じゃないんだから、そこそこモテてる君らが童貞なわけないよね、わかってるって、心配しなくてもさ」
「はあ......デリカシーってもんがねーのか、お前は」
「大人のお姉さんにそう言われると新しいトビラ開きそうになるけど、翔ちゃん男の子だしなあ」
「いっぺん黙れ」
「いたっ」
私が吹き出しているとメールが来たのか、またバイブレーションがきた。
「あ、阿門とこも大丈夫みたい」
「......まじかよ」
「さすがに俺も鍵貰ってないのに入る勇気はないな〜......セキュリティすげーんだもん」
「なんで知ってんだ、そんなこと」
「《ロゼッタ協会》による内部資料です」
「おい」
「まさかどっちも大丈夫だとは思わなかったな〜......さあてどうするか」
私はメールを見比べながらひとりごちた。
阿門邸に向かう途中、私は見回りをしている双樹とばったりあった。
「こんばんは、5月の《転校生》さん。誰かと思ったら......たしか、江見翔、だったかしら?あたしはA組の双樹咲重。こうして直にお話するのははじめてね」
「そうだね、はじめまして。ややオレは江見翔。18年前行方不明になった江見睡院を探しに来た《転校生》だよ」
「ええ、貴方の素性については神鳳からよく聞いているわ。でも感心しないわね、《夜会》の招待客でもある貴方がそんな匂いではドレスコードにひっかかるのではなくて?」
「あはは......ほんとは男子寮の風呂に入りたかったんだけど、甲ちゃんたちに断固拒否されちゃってね。混んでるんだってさ」
「まあ......事情もわからなくはないけど苦労してるのね。特別にいつでもお風呂に入れるよう寮長に伝えておいてあげたのに、こういうときはどうしようもないってことかしら。でもだからといって、そのまま阿門様の家に行くのはどうかと思うわよ?」
「千貫さんがお風呂貸してくれるっていうから行く途中なんだけどね」
「あら......あの人が生徒を邸宅に阿門様の許可なく立ち入らせるなんてめずらしいわね......」
「いや、許可はとってるんじゃないかな、さすがにね?話が聞きたいんじゃない?《遺跡》の事変について」
「あら、そうなの。男子寮や教師の家が騒がしいと思ったら、やっぱりなにかあったのね」
「あれ、阿門から聞いてないの?」
「《夜会》の準備で忙しい主催者側の手を煩わせるわけにはいかないでしょう?それに私は阿門様がすべてなの。だから《遺跡》に興味はないわ。今夜はなんびとたりとも《墓地》に立ち入らせるなという阿門様のお達しなのよね。ふふ、お泊まり会だなんて幸運だと思いなさいな」
「ってことは見回り?お疲れ様」
「あら、ありがとう。......でも、そうねえ」
「なに?」
「どんな夜遊びをしたのかは知らないけれど、阿門様のおうちにあるもの、そして貴方の今もっているもの、全部使い切ったとしてもこの匂いは取れないんじゃないかしら」
「えっ、そんなに?おかしいな、今まで特に何も言われなかったのに」
「私は神鳳じゃないから断言はできないけれど、それが影響してるんじゃないかしらね。男と女のフェロモンは違うものよ」
「フェロモンにまで影響出るのか......」
「ふふ、そうよ。よかったら、今から水泳部の部室に来なさいな。私が《夜会》にふさわしい香りを調合してあげるわ。ついでにシャワーを貸してあげる。ずっと気になっていたのよ、もうすぐ12月に入るというのに、お風呂すら何時間も待たなきゃいけないなんて身体的にも精神的にもよろしくないわ」
双樹は私に水泳部の部室の鍵を渡してきた。
「あ、ありがとう......でもどうして?」
「実はね、同じ女として同情していたのよ。見ず知らずの男の体になった上にその体と同化していくだなんて。そのうち、なにもかもが男になるなんて、恐怖でしかないもの。シャワーくらい自由に使えないとやってられないわよね」
「うん、たしかに。その点についてはまったくもってその通りなんだけど」
双樹は笑った。
「あなた、今の体になる前、人を好きになったことがあるでしょう?ならわかるんじゃないかしら。誰かを好きになったとき、清潔にできないなんて発狂したくなるわよ。男だろうと、女だろうとそれは変わらないんじゃなくて?」
「あはは......今の体で誰かとどうこうとは考えられないかな......いつかは返さなければならない借り物だ。自分のものには出来ないよ」
「あら、理性なんて愛の衝動の前には無力よ?」
「知ってはいるけどね......そういう気分になるかどうか想像力が働かないのは事実だから」
「あら......可哀想に、まさかあなた皆守みたいに枯れてるの?」
「枯れてない枯れてない。というかよりによってなんで甲ちゃん?」
「よく一緒にいるじゃないの、葉佩と3人で。だから類は友を呼ぶのかと。
「じゃあ行きましょう。阿門様には私が付き添いをすると伝えておくから」
私はプールに連れていかれたのだった。
プールサイドには白く塗られた監視台があり、体格の良い指導員がプールの眺めるための台がいくつもある。プールが満月の光をちりばめたように光っている。半透明のゼリーのように見えるプールは、なにかかき混ぜてあるのかもしれない。
年中温水プールがあるだけあり、施設は全体的に新しい印象だ。双樹が鍵を開けて電気をつけてくれた。
「私、女子更衣室で香りの調合してくるから、終わったら連絡ちょうだい」
「え?あ、うん、わかったよ」
渡された連絡先の紙を受けとり、プールの施設並に広いスペースに戸惑いながら私は男子用更衣室に向かった。
洗濯乾燥機などがある。私が持ち込んだのは《ロゼッタ協会》から支給されている特殊な洗剤や柔軟剤である。あと匂いに特化した薬品。洗濯物をネットに入れて、洗濯乾燥機を回す。これがなかったら私は《宝探し屋》だと速攻でバレていたに違いない。
これで落とせないものは無いはずなんだけどなあ。やっぱり体臭に染み付いたんだろうか?念入りに洗わなくては。
着替えを済ませて、ロッカーの鍵をしめる。ロッカーキーは手首につけ、シャワー室に向かった。
さっさと入ろう、気持ち悪い。間仕切りのカーテンをひいて、私は入った。汗みどろになったあとのシャワーの気持ちよさは格別だ。水を全身がむさぼり食うような感じになる。
思い存分髪や体、顔を洗った。洗っても洗ってもねちねちと取り切れなかったものが、さわれば手が切れるほどさばさばと油が抜けて、頭の中まで軽くなる。
肌が痛むのは知っていたが、悠長なことはいっていられない。タオルを手に取って顔をごしごしと拭くと、パイル地が皮膚にこすれて心地良い痛みが伝わった。
全身を洗うのにすごく長い時間がかかる。歯を一本一本取り外して洗っているんじゃないかという気がするくらいだ。シャワーに入って石鹸で嫌な匂いのする汗を洗い流していく。
あとはもう匂いが落ちるように祈りながらひたすら頭や顔や体を洗っては流す作業をくりかえす。タオルを嗅いでみて、ダメそうならまた一からだ。
そのうちだいぶ薄まってきて、さらに続けたらようやく気にならなくなった。カーテンや壁や床をを念入りに綺麗にする。よかった、水泳部が入る時に不快になったら困るし。匂いは残らなかった。
念入りにをふいて体をふいて、洗濯乾燥機から制服を回収する。ロッカー前で着替えを完了した。
「えーっと、これでよし」
メールを送ると玄関前の広間にいると返ってきた。
「お待たせ」
「あら、ずいぶんと手荒く肌を擦ったのね......保湿はしてるみたいだけど、将来シミになるわよ」
「わかる?なかなか匂いがとれなくてね」
「気持ちはわかるけど、無理をしてはダメよ。お肌の大敵なんだから。よかったらこれも使ってみたらどう?」
渡されたのは高そうな容器に入った保湿ジェルだ。
「なにからなにまでありがとう」
「いいのよ。私がやりたいだけだから。うーん......私の見立てどおり、やっぱり匂いが消しきれていないわ。これ、使ってみて」
渡されたのは香水だ。双樹はこの香りで特定の記憶を消したり、特定の状態異常にすることができる力がある芳香師、もとい調香師だ。
数千種類におよぶ香料の中から組み合わせて、新しい香りを作りだす専門職、香りを作り出すスペシャリストである。
約6000種類以上もある香料の中から組み合わせをするため、香りの知識だけでなく、その基本となる化学的な知識や、芸術的なセンスや感覚、時代のニーズや流行りを読む力も求められる。
學園祭でネイルサロンをしているから、こちらで卒業したら働くつもりなのかもしれない。ついでに別作品では皆守がアロマショップのアルバイトをしているから、そこの店員である可能性も無きにしも非ずである。
「なんの香り?フレグランス系だね」
双樹は笑う。
「なんだと思う?」
「ラベンダーじゃないのはたしかだね。なんだろ、メンソールみたいな、柑橘系みたいな......」
「そうね。シトラスやローズマリー、あたりが入っているわ。精神をおちつけて、記憶や判断力に関して効果が得られる」
「そっか、ありがとう。いっかい男子寮に帰って試してみるよ」
「ええ、ためしてみて。それじゃあね」
双樹と学生寮前で私は別れたのだった。一応自室でH.A.N.T.の解析にかけてみたが問題なかったので、試してみよう。