月光がさす場所7

「甲ちゃん、甲ちゃん、大 大丈夫か〜?」

「............その、こえは、......くろ、うか......?」

「深呼吸できてるか〜?」

「......できっ......るかっ......」

「ならさ、大きく息を吸う深呼吸じゃなくて、吸った息を10秒程度かけてゆっくり吐き出してみようか。はい、せーの。息吸って」

「......かひゅっ......」

「いち、に、さん、し、ごー、ろく、なな、はち、きゅう、じゅー。はい、息吸って」

扉の向こうからとぎれとぎれの呼吸音が聞こえてくる。葉佩は根気強くカウントをつづける。1時間くらいたったころ、ようやく皆守はまともに会話できるようになった。

皆守に症状を聞いたところ、息苦しさ、胸部の不快感、動悸、めまい、手足の痺れなどが突発的に起こり、不安や恐怖から自分をコントロールできなくなるものだった。

「過呼吸だよ、過呼吸。発作は非常に苦しく、とても強い恐怖感に襲われるけど、もう楽になってきただろ?」

「......はあ、は......」

「過呼吸だってわかったら、安心して発作を起こりにくくなるんだ。瑞麗先生にあとで聞いとけ」

「......ひゅっ......」

皆守の苦しげな息遣いが聞こえなくなるまで扉越しの会話は続いた。

「......九ちゃん、よく知ってるね。過呼吸の対処法」

「まあ覚えがあるからな〜」

「そっか」

「うん」

「甲ちゃん、開けていいか?」

「......翔ちゃん、か?」

「うん、そうだよ」

「俺としたことが窮地に陥っちゃってさ〜、翔ちゃんに助けられちゃったよ。一生の不覚だわ〜」

「..................」

沈黙がおりた。

「なーなー、甲ちゃん。しんどいみたいだからこのまま聞いてくれるか?今からすんごいしんどい話をしなきゃいけないんだけどさ」

「......ああ」

「察しがいい甲ちゃんならもう気づいてると思うけど、あの温室とラベンダーは幻覚だった。そこにいたのはスライムに無理やり動かされてる死体だけ。腕1本でも殺しにくるからもう原型すら保ってない」

「......だろうな。銃声がずっとしてた」

「瑞麗先生呼ぼうと思うんだけど、たぶん病院に運ばれてそれきりになる。見るのは今しかないけど、見るか?」

「..................」

皆守は沈黙している。

「甲ちゃんもわかってるように、宇宙探偵が見過ごすはずない。瑞麗先生の病院なら警察に届はされないかわりに、調べ尽くされたあと、遺族に帰される。今会わないと甲ちゃんが会えるのはずっと後になるけど......」

死後数年たてば白骨化するはずの遺体が原型を保ち、まるでついさっきまで生きていたかのような姿を保っているということはだ。ほかの行方不明者のように肉体を永遠に保存する特殊な処理が施され、正真正銘のミイラだったことを示している。それがやけに物分りがいい病院(またの名をエムツー機関のフロント企業)に運び込まれたらどうなるかくらい皆守もわかるはずだ。

「俺は《宝探し屋》であって警察じゃないから、あれが誰なのか聞くつもりはないよ。頸動脈あれだけバッサリやってるんだ、角度的に考えて甲ちゃんがやったとは思ってない。甲ちゃんがどう思ってるのかは別にしてだ」

「......」

扉の向こうで嗚咽が聞こえる。この場に及んでも思い出せないのは、皆守が女教師の死と向き合うことが出来る精神状態じゃないからなのだろうか。《黒い砂》の忘却効果はもともと完全ではなく、なおかつ《遺跡》の封印がかつてないくらいに弱まっているのだから、ここから先は皆守の問題となる。

気にかけてくれた女教師が《生徒会》の実態を知り、私で最後にしてねといいながら目の前で自殺する。皆守の手を汚したくないからと命を絶つ。皆守の化人が母親に大火傷を負わせて殺し、父親に首を切り落とされたヒノカグツチなあたり、女教師に対して母親と重ねみるほどの感情があったとうかがわせる。目の前で死んだ女教師の遺体を前に呆然としていた皆守が過呼吸に陥るところしか見たことがない私だったが今の皆守を見ていると複雑な気分になる。

行方不明になった人間は魂を《遺跡》の封印の糧にされ、その魂を地上にとどめるために肉体は特殊な処理が施されて不死状態となる。魂が解放されれば肉体に帰還し、蘇生される。《生徒会》も《執行委員》も実は《宝探し屋》や侵入者を殺すことは想定していない。《遺跡》で死んだ人間は目の前でみたわけではないから実感がわかない。殺してない、眠らせてやるだけだ。無意識のうちに使ってきた言い訳を真正面から封じられ、皆守のことを慮っていながらとてつもなく残酷な遺言を残して死ぬ。

皆守は耐えられず女教師の写真を差し出して、《黒い砂》の影響下に入ったわけだから、この3年間女教師のいうとおり最後のままだ。その遺言だっていつまで守れるかわからない。葉佩はもう最後の《生徒会執行委員》と知り合ってしまっている。次は《生徒会》だ。終わりが近づいている。

今の皆守ではとてもでは無いが向き合える精神状態ではない気がした。

「俺は今の甲ちゃんしか知らないからさ、甲ちゃんを優先するよ。会いたい?会いたくない?」

長い長い沈黙がおりた。

「......わるい、くろ......いや、九ちゃん。翔ちゃん。あけてくれるか、力が入らないんでな」

私は葉佩と顔を見合わせた。さすがに無理だろうという雰囲気が私と葉佩の間にはあったからだ。おそるおそる開けてみると、無理やり顔を擦ったせいか酷い顔をしている皆守がそこに立っていた。ふらついている。肩を貸してやると、皆守は顔をゆがめた。

「......なんつー匂いだ......」

「そんなにひどい?」

「鼻が麻痺してわかんないなあ」

「......けほ」

「無理すんなよ、甲ちゃん」

葉佩の言葉に皆守は無理やり笑顔を作った。

「......は、考え無しは罪だっていったのはお前だぜ、九ちゃん」

「責めてるつもりはないっていったよね、俺」

「こういう時だけ優しい言葉かけやがって......俺がこうしたいって思ったんだよ、わるいか」

「甲ちゃん......ったくもー、だからほっとけないんだよ、お前さあ」

「素直じゃないんだから」

「......うるさい」

そうはいうものの、陰惨な状態となった遺体を目にする精神的ダメージは計り知れないものだった。実際は私たちがかき集めた破片がかつての女教師だと気づいてしまった時点で、皆守は人のやける匂いを感じとってしまいそれどころではなくなってしまう。吐き気、目眩、立ちくらみ、呼吸が荒くなる。最後には近づけなくなってしまい、その場に座り込んでしまった。

「......こんなになるまで、動いてたのか......」

想像を絶する戦いを制したのだと把握したらしい皆守は葉佩を見上げる。

「時間がたつとスライムが繋ぎになって蘇生するんだ」

「私が焼いたから、だんだんツギハギになっていったよ」

「..................悪かった」

皆守は小さく呟いた。

「九ちゃんに声をかけられてなきゃ、俺は一人で《遺跡》に潜ってた。......どうなってたか、考えたくもねえな」

「誰かに呼び出されたのか?」

皆守は首を振る。

「最近、夢見が悪いんだよ......」

「あれ、甲ちゃんもだったのか」

「......ああ」

「そこに墓荒らしと盗掘と悪夢か......《遺跡》に呼ばれたんだね。来てよかった」

「......?」

「阿門からの呼び出しで聞いたんだ。この《遺跡》、定期的に封印が弱まると贄を欲するんだって。親しい人間に擬態するらしいんだ」

「......ッ」

私が意図的に伏せた《黒い砂》の下りに皆守は勘づいたようで青ざめていく。

「私が今回の候補らしい。父さんが18年前に犠牲になったし、6年前は父さんのバディだった人だし。ただ、封印が今までになく弱まっているから、贄の数も足りないのかもしれない」

「それで甲ちゃんを?ひっでえ話だな。というか翔ちゃん、それなのに来てくれたのかよ!大丈夫なのか!?」

「......わるい、翔ちゃん。イマイチよく飲み込めないんだが......あぶない状況だった、のか?」

私は頷いた。

「《夜会》が泊まりになるのは、封印が弱まる年らしい。今年がそうなように。阿門にそれ以外の意図はないらしいよ」

「───────ッ」

息を飲む音がした。どうやら皆守の中で凝り固まっていたものが瞬く間に氷塊したらしい。よかった、すれ違いによる仲違いは悲しいもんな。

「そっか〜、そういうことなら《夜会》いかなきゃな、甲ちゃん」

「あ、ああ......そうだな。また亡霊が現れちゃたまったもんじゃない」

「よかったよかった、疲れたから寮で休むとか言われたら引きずってでも連れていかなきゃいけないとこだったよ」

「おい......さすがにそこまで馬鹿じゃないぞ、俺は」

「でもそっか〜、ならファントム注意しないとな〜。あいつ、《生徒会》陽動するつもりなら何仕出かしてもおかしくないぞ」

瑞麗先生に連絡を入れながら葉佩がいう。私たちは息を飲んだのだった。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -