月光のさす場所1

日が落ちるにつれてどんどん下り坂になっていった空は、今や雨を含んだ薄墨色となっていた。そこにどんどん黒い雲が増えていく。私がBARに辿り着くころには、雲が湿気の重みに耐え切れなくなって雨を落とし始めた。追い立てられるように、私は営業中の看板がかかったドアをあける。

照明が控えめなため、BAR九龍(カオルーン)の店内は基本的に適度に暗い。揺らめくアンティークの明かりがよりいっそうムードを引き立てる。

全寮制の高校敷地内にあるため、生徒や教師といった學園関係者しか利用しないためか、ここはバーテンダーにしてマスターの千貫さんがひとりで経営していた。

バックバーのウィスキーなどのボトルの前に、1つ1つのボトルの名前と価格を自然に表示してある。必要のないものだと異論を唱える人もいるだろうが、ウィスキー初心者にとっては非常にありがたいし、第一、お客さんのすべてがウィスキー飲みやマニアというわけではない。

私はいいなあという顔をして見ていることしか出来ないのだが。江見翔の体が20歳だと判明したところで、偽造された戸籍からなにからすべて18となっているのだ。私が酒が許されることは無い。

薄暗がりのなか緊密で濃い夜の空気に満ちて、少ない客は緊密にはりめぐらされた雰囲気をほどかないように、そっと小声で話し合っていた。しかし、次第に雨足が強くなってきたからか、帰り支度をし始めている。

扉についている呼び鈴が私の来訪を知らせる。

「こんばんは」

「いらっしゃいませ」

すっかりここの常連となってしまっている私だが、生徒にはミルクかミネラルウォーターしか出してもらえないので、目的はマスターの話だ。カウンターに座ると一番隅っこの席で手を振る人がいる。私はそっちに向かい、すぐ横に座った。

「こんばんは、江見君」

「こんばんは、雛川先生」

「先生、今夜は忙しくなりそうなの。江見君もかしら?」

「オレは逆ですね。この2週間ずっと忙しかったからやっと休めます。たぶん、こー......皆守も」

「あらあら、そうだったの。なら、かわりに先生頑張っちゃおうかしら」

「頑張ってください。あいつも先生いたらすごいやる気になると思うし」

雛川先生はうれしそうに笑っている。どうやら私と皆守で蝶の迷宮を行けるところまで行った今、この2週間を取り戻すかのようにあらゆるバディに葉佩は声を掛けているようだった。やっちーが雛川先生と夜遊びしたいって希望出してたからだろう。H.A.N.T.の履歴をみたらクエストガチャをしまくっているようだから、依頼人からの好感度をはやく最高値にしたいのかもしれない。彼らなくしてハンターランキングの上位はありえないからである。

千貫さんは種々な酒を一つの器へ入れて蓋をして振っている。はじめは振っているがしまいには器に振られているような恰好をする。そのうち私たちとは違う席に向かった。あー、あれはプリンカレーをマミーズにいつも出前している先生じゃないか。

「それにしても雨が強くなってきたわね。風邪ひかないように気をつけてね、江見君」

「あいつに言ってあげてください。オレがいうより喜びますよ」

「まあ......江見君たら悪い子ね。そんなことまで気を回さなくてもいいのよ」

雛川先生は笑う。

ラウンジの大きな窓からは初秋の雨が見えた。雨はあいかわらず音もなく降りつづき、その奥の方に森の不穏な軋みが様々なメッセージをにじませているのが見えた。ラウンジには客の姿は殆んどなく、湿っぽい沈黙があたりを支配していた。

気づけば私達以外に店内には客の姿は殆んどなく、しんとした空気が長い時を経た木材や漆喰によくなじんでいた。何十年か前に流行ったようなジャズ・ピアノ・トリオの音楽が天井のスピーカーから小さく流れ、グラスの触れあう音や氷を割る音がときおりそれに混じった。

照明が暗いのでとても落ち着いた。手元が見えないくらいだった。店中がいつも、もう夕方なのにわざと明かりをつけずに待っているような様子だった。

「お水をどうぞ。ご注文は?」

千貫さんがさしだしたグラスの中では澄んだ水が氷の冷たい色に透けて、ゆっくりと溶けていた。私はそれを受け取り、口をつける。うす暗い店内と、靴音のように遠くから規則正しく寄せてくるピアノのメロディーが集中に拍車をかけた。

「マスターのお話が聞きたいです」

「いつもいつもありがとうございます。老いぼれの話でよろしければ......」

千貫さんは目を細めて笑った。

天井の低い店の造りも、ヴォリュームをしぼったジャズピアノも、水底に沈んでいるような心地よい倦怠を誘う。私は耳を傾けた。

「今夜はは11月21日、鎮魂祭の前の日ですから、今夜は趣向を変えて、このような話はいかがでしょうか」

「ちんこんさい......みたましずめのたむり、だったかしら」

「さすがは雛川先生、ご存知でしたか。鎮魂祭とは、宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式で、宮中三殿に近い綾綺殿にて行われています。一般的ではないものの、宮中と同日に行われている石上神宮や、彌彦神社や物部神社など、各地の神社でも行われる例もあるとか」

私は注意深く千貫さんを見てみるが、いつものおぼっちゃまの話と何ら変わらないテンションである。さすがだ。

「天皇に対して行う場合には《みたましずめ》あるいは《みたまふり》と言います。鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていました。太陽暦導入後は11月22日、明日ですね」

「まあ、そうなんですか」

「この學園では、この敷地を提供している阿門一族の館に生徒の皆さんをお招きして、交流をはかる《夜会》が行われる日でもあります」

「聞いたことがあります。教師は参加出来ないそうだけど、メールが届くんですよね?」

「はい、そのように生徒の皆様からはお伺いしています。明日の登校時に同時にメールが送られてくるとか」

「楽しそうね。江見君もメールがきたら、先生の分まで楽しんできてね」

「来たらいいんですけどね......。オレ、《生徒会長》と一度ゆっくり話してみたいんです。一回だけ、廊下でちょっと話したんだけど、今思えばちょっといいすぎたなって」

「阿門帝等君と?喧嘩をしてしまったの?」

「ちょっとイライラしてて......阿門は心配してくれたんですけど、あの時のオレは素直に受け止められるほど余裕がなかったんですよ。悪いことしちゃったな」

「まあ......それは謝らなくてはいけないわね」

「そうはいっても、今の《生徒会》、學園祭のことで忙しそうだから近づけないんですよね。頻繁に役員会議してるみたいだし。だから阿門の実家だって聞いてるから、もしメール来たら謝りに行きたいんですけど......」

私は水を飲んだ。喉が渇いていけない。

「ふふ、さようでございますか。メールが届くといいですね」

「来なかったら来なかったで待ちますよ。また会おうっていってたし、落ち着いたらまた会えるだろうし」

「謝るという行為は大人になっても難しいものです。必ず機会は訪れますよ」

「あはは、ありがとうございます」

「さて、それでは話を戻しましょうか。ところで、11月22日になぜ鎮魂祭が行なわれるか、お2人はご存知ですかな?」

「え?えーっと、そうだわ。......新嘗祭と関係があるとか?」

「冬至だからですか?」

「どちらも正解です。さすがですね。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられています。また、新嘗祭という重大な祭事に臨む天皇の霊を強化する祭でもあるわけですね」

千貫さんは具体的に鎮魂の儀についての説明を始めた。

まずは、宇気槽(うきふね)と呼ばれる箱を伏せ、その上に女官が乗って桙で宇気槽の底を10回突く「宇気槽の儀」が行われる。これは日本神話の岩戸隠れの場面において天鈿女命が槽に乗って踊ったという伝承に基づくとされている。かつてこの儀は、天鈿女命の後裔である猿女君の女性が行っており、「猿女の鎮魂」とも呼ばれていた。

つぎに、天皇の衣を左右に10回振る魂振の儀が行われる。これは饒速日命が天津神より下された十種の神宝を用いた呪法に由来するとされる。『先代旧事本紀』には、饒速日命の子の宇摩志麻治命が十種の神宝を使って神武天皇の心身の安鎮を祈ったとの記述があり、「所謂(いはゆる)御鎮魂祭は此よりして始(おこ)れり」としている。

「神武天皇が始まりなんですね......」

しみじみと呟く雛川先生に私はうなずく。それは歴史のロマンに思いを耽けるわけではなく、この世界における神武天皇の治世はいわゆる《天御子》の連中の統治の全盛期なのだと知るがゆえの沈黙だった。

「この學園の《夜会》も鎮魂祭が始まりだとするなら、なかなかロマンチックですね。そうは思わない?江見君」

「そうですね」

龍脈的に見ても今の時期に鎮魂祭をするのは合理的だろう。そもそも龍脈とは地中を流れる気のルートのことだ。大地の気は山の尾根伝いに流れると考えられており、その流れが龍のように見えることから「龍脈」と呼ばれる。風水では、この「龍脈」の気が噴き出すポイントである「龍穴」に住むと、一族は永きに渡って繁栄できると考えられている。風水では、「龍穴」に良い気が多く集まるため、ここに住むと一族は永きに渡って繁栄できると考えられている。

龍脈は自然の河川同様、何かしらの地理的な要因でその位置を変えることがあるため、たとえ一度正確に把握できたとしても、歳月が過ぎると同じ場所にあるとは限らないとされる。

この龍脈の活性化は18年周期でやってくる。1980年から1981年にかけて、次は1998年から1999年にかけて。だが双龍の関係で2004年、つまり今だ。このたびに《遺跡》の封印が弱まり、ファントムが出現するのだとしたら、江見睡院はなんなのだろう。

あーやだやだ思考が飛躍しすぎている。私は考えを一旦冷やすために水を飲み干したのだった。

「ところでそのブローチ素敵ね、どうしたの?」

「これですか?もらったんです。大切な人から」

「まあ」

葉佩からもらった髪留めをしている雛川先生はニコニコと笑う。五十鈴さんによる鑑定だとものすごく古いアンティークを後世でブローチにしたものらしい。これ自体に邪神の気配は感じないが、ものすごく魔力のつまったものだという。

世界のどこにもない鉱物出できているというブローチ、持っている分には無害でむしろ私には恩恵があるらしい。
イスの偉大なる種族から借りている銃にセットすると破邪属性がつくから、ご利益があるのは間違いない。具体的には装備して《遺跡》に潜らないとわからないらしいが。

なので安全は保証されたからつけてるわけである。なにも起こらないといいなあ。
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