海底牧場

2004年10月6日放課後

呼び鈴がなる。どんどんドアが叩かれ、携帯電話にはたくさんの履歴が更新されつづけ、バイブレーションとアラームがうるさい。私は今日も一日ベッドから起き上がれなかったことを悟った。グズグズしながらようやく手繰り寄せた携帯電話に話しかける。

「......もしもし」

「もしもし、翔クン?俺だよ、葉佩。出てくれてよかった。倒れてたらどうしようかと思ってたんだよ。大丈夫か〜?」

「......心配かけてごめん......大丈夫じゃないよ」

「うわ、声掠れてるじゃん。これ以上長引くようなら瑞麗先生に診断書書いてもらって病院いけよ〜。学校のプリントとノートのコピー、ポストに入れとくからな」

「............いつもありがとう、葉佩。ごめん」

「いいって、いいって。すどりんの事件で体冷やしちゃったんだろ、たぶん。お大事にな」

「......うん」

玄関の向こう側でなにかが投函される音がした。私はふらふらする体を鞭打って電気をつけながら進んでいき、ポストをあける。葉佩がいれてくれたクリアファイルの塊と白い封筒。

「......またか」

私はハサミで切って中身を出してみる。中には裁断されたパピルス、そして封筒サイズに細切れにされた江見睡院の直筆のメモである。さすがにゲームにでてきた数十枚のメモの内容までは覚えていないため、H.A.N.T.を起動する。

「H.A.N.T.のナビゲーションシステムを起動します。戦闘態勢に移行します」

白い封筒はいつも反応がないからH.A.N.T.のカメラでパピルスを見てみる。あらたなる江見睡院メモがアップデートされた。パピルス内の炭素の状況と福井県の水月湖の年縞により具体的な作成時期が特定できる。判定はやはり最近だ。

「......警告かなにかか?」

私が江見睡院の息子でもなんでもない赤の他人の《ロゼッタ協会》諜報員だと知らない時点で《生徒会》か《遺跡》に潜む何者かによる犯行だろう。一応《ロゼッタ協会》に報告はあげておく。今のところH.A.N.T.で感知できるトラップはないから私は放置していた。

なにせ手紙の内容は「《遺跡》にかかわるな」「逃げろ」「《天香學園》から出ていけ」どれも受け入れることなどできない世界がそこにはあるからだ。

「ああ、だめだ、ねなきゃ」

ぞくぞくする。悪寒が背中を走る。体の具合が、袋をかぶっている様にはっきりしない。体調が悪いのか、ちょっとやそっとじゃ治らない、かなり風邪である。頭の芯がグラッと揺れた気がした。 やはり風邪をひいたようだ。口の中はザラザラするし、体じゅうに紙やすりをかけられたような気分だ。寝床のなかで満潮のように悪寒が退いてゆくのを待っているしかない。

病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではない。最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応いやおうなしに引き摺ずってゆく。そんな漠然とした不安があった。お腹すいたからこんな妄想にかられるのかとまた起き上がる。思えば水ものしか今日は食べていなかった。

「......さいあくだ......食料つきた......」

部屋に誰も入れたくなくて買い込んだはずの食材が尽きてしまっている。私は覚悟を決めた。インテリアと誤魔化せそうなものはおいといて、H.A.N.T.やらなんやらを覚束無い手つきでかき集めて押し入れの中に入れる。

「......葉佩にさっき頼めばよかった」

ウィダー系がほしいとメールを送っておく。滋養強壮に効きそうなやつならなんでもいいが、化人産の料理を出されても今は舌がバカになっているからわからないだろうなと思った。

「よっしゃ、まかしとけ〜!」

メールの返信を確認して、私はベッドに戻った。

「......ありがとう、葉佩」

「いやいや、いつも翔クンにはお世話になってるしな。遺跡探索的な意味で。はやく復帰してもらわないと」

「ははッ......少しは自分で読めるようになりなよ、葉佩」

「やだね」

「なんでそんなえらそうなのさ」

私は笑った。たくさんもらったご飯をビニール袋ごと受け取る。

「ところで葉佩」

「ん〜?」

「最近江見睡院メモは見つかった?最近書かれたようなやつ」

「いんや、《遺跡》には18年前のメモしかでてこないね」

「そっか......なら見てもらいたいものがあるんだけど」

「?」

私がいつもポストに入ってる江見睡院メモをわたした。

「これが毎日入ってるんだ。なにか手がかりにならないかな」

「......これは。ありがとう、話してくれて。誰だよこんなたちわりぃ」

明らかに怒っている葉佩が封筒をにぎりしめ、いってしまう。

次の日、私は保健室に連行されていた。葉佩はチャイムがなってホームルームにいってしまう。残されたのは呆れ顔の瑞麗先生とぼーっとしている私だけだ。

「......なんでこうなるまで放っておいたんだ」

「えっ」

「君はただでさえ精神交換されて、他の人間よりも肉体の中ですら不安定な存在なんだぞ。いくら体に馴染んできて融合が始まってるとはいえだ。結論から言おう、君は死にかかっている。精神力を奪うウィルスを継続的に摂取しているせいだ」

「まさかあの手紙?」

「そうだよ。しらべさせてもらったが......あれは未知のウィルスだな。人間の精神力を糧に繁殖するめずらしいタイプのウィルスだ。ある意味呪いといってもいいかもしれん」

私はそのウィルスに心当たりがあった。デジタル部が主催でやっている《隣人倶楽部》とかいう怪しいセミナーみたいな宗教みたいな集まりだ。でもあれは電子ドラッグみたいなものにウィルスが混入しているからではなかったかな?

「ちなみに《隣人倶楽部》にいったことは?」

「ないです、一度も。だろうとは思っていたよ。君にはもっとも縁遠い存在だろうからね。君と似たような症状を発症して保健室に運ばれてくる生徒がここのところ多くてね、頭を悩ませていたところなんだ。《隣人倶楽部》が関係ないならば、これはインクに付着しているようだね」

「インク......おかしいな、H.A.N.T.には反応無かったのに」

「それはそうさ。お菓子を満たす湿気を防ぐ気体のように、封を開けた時点で大気中に撹拌されてしまうレベルの混入率だったようだからね」

「......」

「体調不良は治らないはずだ。君は緩やかに死にかけているのだから」

ようやく理解した明確な殺意に私は息を飲む。


見えないものに常に監視されているような圧迫感にじわりじわりと押し付けられて息苦しい。はけ口のない、耐え難い陰鬱な殺意は、いつしか私の中で何百トンもあろうかという水を全身で浴びているような重圧となっていたようだ。無言の声が、見えない矢のように体のそここに突き刺さり、質量を持たない心の状態が肉体に様々な影響を与えた結果だと瑞麗先生はいう。

「このまま手紙を読んでいたら、君は重症化して死に至る。精神力ばかり攻撃されてここまで悪化するのは君だけだろうね。しばらくは手紙をさっさと葉佩にくれてやることだ。そうしてこれを飲むといい。ただでさえ君の氣はせき止められた川のように澱んでいるからね、せめて循環の助けになれば回復に向かうだろう」

「ありがとうございます」

「ともあれ、手遅れになる前でよかったという他ないな。気をつけて帰りなさい」

「わかりました」

私は保健室をあとにした。
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