最終話

「翔か───────。来ると思っていた」

威圧的な声がひびく。窓際に立ったまま、振り返ることなく、阿門は私の気配に気づいたようだ。唇は静かに合わさり、頬から力が消えた。やや吊り上がった眉は、鳥が羽根を休めるように平らになった。

「来るのが遅くなってごめんね。《訓練所》の探索も一区切りついたから、ようやく今の時間になっても身体を返してもらえたんだ。まあ、明日からまた似たようなルーティンになるんだけど」

「そうか......詳細は八坂から聞いている。そう気にすることはない。こうして来てくれたのだからな」

窓から見える景色を眺めながら、阿門がいう。

「いいものだな、こういう穏やかな放課後も。この平穏はお前と九龍がもたらしたのだ。この校庭も、校舎も、そして《生徒会》も、この學園に囚われていた数多の魂すらも」

ひとつひとつが、赤く照らされては満たされていく、激しい夕焼けだった。 私たちは何も言わずに見つめていた。 

じょじょにその夕焼けが去っていくとき、何ともいいがたい気持ちとすがすがしい感謝の気持ちが混じって、切なくなった。  

これからの人生に、たとえ今日のような日はあっても、この空の具合、雲の形、空気の色、風の温度、二度とはないのだ。  

夕闇の透明なスクリーンが浮かびあがる。 そこにあるすべてが、手を伸ばせば水のようにすくえそうだった。つやめいた滴がぽたりぽたりとしたたり落ち、コンクリートにはねかえるとき、去ってゆく陽の匂いと、濃い夜の匂いの両方をたたえていそうだった。

雨が降ってきたのだ。

「そうだね〜、気兼ねなく補習ができるよ」

私の言葉に阿門は軽く笑った。

「世界を救った英雄といえども、実際は世間の栄光をえられないことの方が多いのかもしれないな」

「あはは。仕方ないよ、1ヶ月も入院したのは私なんだから。それに《遺跡》から帰れば私はただの生徒にすぎないからね、これが悲しいかな、現実ってやつだ」

「名誉の負傷だろう」

「ありがとう」

「ただ、気になることがある。八坂や皆守から話は聞いているんだが、お前は《訓練所》の探索中は身体を預けて精神だけ本来の場所に帰っているそうだな。休む間もないといった様子だが、静養するためにもどってきたのではないのか?」

「さすがは情報早いね......甲ちゃんめ」

「あの男も心配しているのだ。もちろん、俺も」

「あはは......阿門てさ、なんていうかこういい意味で素直だよね。正直というか」

「なんのことだ。八坂にもよく言われるが......」

「双樹さんの心労が思いやられるなァ......。とりあえずありがとう」

「?」

「まあいいや、それについてはまた次の機会に話そうよ、皇七がいる時にでも。話は変わるけどさ、そうなんだよ。実はこっちの世界でも《アマツミカボシ》に関する史跡が次々に消失する事件が相次いでるみたいでさ......不気味すぎて困るよ」

「それは《天御子》の仕業なのか?」

「氣をみれば一発でわかるよ。なにかどでかいことしようとしてるみたいでさ、なかなか休む気になれないんだよね」

「そうか......」

「一夜にしてその存在が消失ならまだいいよ。でも由来となる伝承、祀る対象が改変されるという事変が起こったら、私という存在が消失しかねないから困る。《アマツミカボシ》が次元をこえて逃げたから私がいるのに」

「......ほんとうなのか」

「うん、そうだよ。甲ちゃんから聞いてるでしょ?私は違う次元の違う時間軸からきた人間なんだ」

「まさか......いや、うたがう訳では無い。八坂の言動を見ていたらだいたいの想像は出来ていた。だが、まさか次元まで違うとは」

「阿門たちと出会えたことについては感謝するけどさ、それとこれとは話が別っていうね?なにを企んでいるのやら。まあ《天御子》たちの考えていることまでわかるわけないんだけど」

「そうだな」

「歴史が改変されてしまったらなにがこまるって、その対応策を講じられる人間がいないという状況が1番怖いんだよ。私がいないってことは、宇宙人に関する知識がない。《タカミムスビ》に関するなにもかも、《遺跡》の封印がとかれる前に解明にいたる保証はないからね。対応に右往左往するしかなくなる。歴史改変による惨禍に飲まれたら終わりだ」

「考えるだけでゾッとする話だ.....もしお前がいなかったら今頃この街は......」

「だいたい私は《和魂》と《荒魂》が乖離せずに転生してる稀有な例なんだから余計なことしてほしくないんだよ、ほんとに」
 
「肉体と精神は惹かれ合うものだ。今の翔は仮初の身体に避難しているわけだから、《アマツミカボシ》に近い器がつくられたら呼ばれるのか」

「あんまり想像したくないけど......たぶんね。今の私は魂と肉体が融合しきってないし、魂だけ呼ばれたらあがらえる自信が無いね」

「そういう懸念があるのなら......。秘中の秘について、対抗策を考える必要があるな」

「そうだね、そうした方がいいかもしれない......」

「うちの資料庫をみるか?」

「えっ、いいの?ありがとう!助かるよ。そういう資料はなかなかないからね」

「卒業したら面と向かってアドバイスできる機会がなくなるからな」

「そうだねえ」

「なにもないことを祈る」

「《訓練所》の探索は順調みたいだし、このままいってくれたらそれだけでいいんだけどなあ。前途多難だよ、ほんとに」

阿門は私の今までの話を、そうおもしろがってもいないが、そうかと言って全然興味がなくもないといった穏やかな表情で耳を傾けていた。

「私ね、時間と次元を跳躍してきてさ、わかったことがあるんだ」

「なんだ」

「私たちは普通、時間という概念について考える時、直線として捉えがちでしょう?長いまっすぐな棒に刻み目をつけるみたいにね。こっちが前の未来で、こっちが後ろの過去で、今はここにいるみたいに」

「ああ」

「でも実際には時間は直線じゃない。どんなかっこうもしていない。それはあらゆる意味においてかたちを持たないもの。でも私たちはかたちのないものを頭に思い浮かべられないから、便宜的にそれを直線として認識するにすぎない」

「そうだな」

「私も今まで時間を永遠に続く一直線として捉えて、その基本的認識のもとに行動をしてきた。とくに不都合や矛盾は見いだせないし、経験則としてそれは正しいはずだってね」

「だが、違ったと?」

「うん。人が変えられるのは未来だけだと思い込んでた。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんじゃないかって思うようになった。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないかなって。だから、改変しようとしたらいとも容易く行われてしまう。私が存在するだけでここまで変わったんだから、私にできることは最期まで責任をもつことだけなんだって」

「そうか......ならよかった。俺はお前の存在しない世界を知らない。だから比較することすらできないが、俺はお前に出会うことができてよかったと思っている」

「うん、ありがとう」

「書庫にいくか。案内しよう。こちらだ」

私は阿門につれられて部屋をあとにしたのだった。
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