雪が降り始めた。つい身構えてしまうが正真正銘の雪のようだ。携帯電話の天気予報は午後から雪、降水確率は低めだったがあたってしまった。
「これはこれは江見さん......」
「こんばんは、千貫さん。さっきメールした通り、阿門に会いに来たんだけど」
「ようこそ、いらっしゃいました。どうぞ」
私は応接室に通された。しばらくするとお茶とおかしをだされた。
「あれ、阿門は?」
「失礼ですが、少々お時間はございますか?」
なにかあるなと私は気づいて姿勢を正した。
「一度お聞きしたかったのですが、あなたは───────《宝探し屋》でいらっしゃいますね?」
「わかってたんですね」
「フフッ、阿門家にお仕えして数十年以上《人》を見てきた私の目は誤魔化せません」
「阿門には言わなかったみたいですが」
「旦那様のお客様のご意向ですから......。いくら阿門様に請われましてもお伝え出来ていないことはたくさんあります」
「なるほど」
「ですが......それ故にお客様の中に確固たる真実がある場合、我々はそれを信じるしかなかった。いえ、信じたかったのかもしれません」
私はうなずくしかない。彼女の狂気のなかで育まれた嘘は真実への階段を一段ずつ上りつめるように、ゆっくりと昇華されていった。そのなかで人間の心理の歪んだ鏡に映った真実を千貫さんたちは目あたりにしたのだろう。
目の当たりに見た飾り気のない真実は案外そっけないもので、言葉に含まれている真実の量を測ることほど断片的な真実をうまく組み合わせきちっと整合させる上で難しいことはない。
ある程度の真実が含まれたフィクションの方が救われることもある。
現実から目を逸らす最上の方法は、すべてを逆さまにすることだ。「息子は生きている」と言っている限り、本人にとっては、それが真実だったのだから。
「つまり、6年前の《夜会》の日に、母さんは来たんですね。阿門のお父さんだけに彼女の中の真実を伝えるために尋ねてきた。江見翔と名付けた子供がいることを本気で信じ込んだまま、父親たる江見睡院を助けたいから《遺跡》に近づくなと。当時の《生徒会》や《黒い砂》、《墓守》、《巫女》の関係者を守るために」
「私は途中で席を外すよう言われましたので憶測にすぎない情報なのですが、おそらくは」
「ありがとうございます。私は江見翔になるはずだった子を解放してやらなくちゃならないというわけだ。江見睡院を失ったいま、《タカミムスビ》の落とし子の中枢にはその魂があるのだから」
千貫さんはため息をついた。
「フッ......私も老いたものだ......。耄碌してしまったようです。やはり《人》はどう足掻いても、老いには打ち勝てないのか......」
「何を言ってるんですか、全部わかってたくせに。断片的な情報から事実を導き出したのは他ならぬ千貫さんでしょう?悪い人。全然教えてくれなかったじゃないですか」
「......左様でございますな。少なくてもあなたを煙にまくことは出来ていたわけですから。それに今は己の老いを嘆いている場合ではない。私にはまだすべきことがありました。ありがとう、江見さん。───────と、そういえば。おぼっちゃまのアポイントをとられて申し訳ないのですが、どこにいるのか探していただけませんかな?朝から出られたきりで連絡もなく心配で心配で......。私は職務上この屋敷から離れる訳にはいきませんので......」
「わかりました」
「でしたら、賄い程度ですが召し上がっていってください」
「ありがとうございます」
私は賄いをご馳走になり、ケータリング状態の昼ごはんを持って屋敷を後にしたのだった。
「というわけだよ」
「............そうか。厳十郎め......夕方には帰ると伝えておいたのに」
生徒会室にて阿門はふかぶかとため息をついた。
「何をしに来たかと思えば......またか」
「まただね」
「......すまん」
「いいよ、阿門にも会っておこうと思っていたし」
「......そうか」
「阿門がこれからどうするのか。それは阿門だけが決めることができる。だから私からいうことはないよ。阿門の思うことをしたらいいと思う。私は私のやるべきことをやるだけだし、阿門の邪魔はしないかわりに邪魔もさせない。ただ、異常事態になったらよろしくね」
私はきっぱりと言った。こういうときには、何に関してでもきっぱりと言い放った方がいい。断言した事柄が真実であろうが誤まりであろうが、どうでもいいこと。その場の気配がくっきりとしたものになって、相手と自分の力関係が明らかになればそれでいいのである。
「......江見睡院は助けられたのにか」
「この《遺跡》の封印をといた責任は最期までとるよ」
「葉佩と同じことをいうんだな」
「決めたからね」
「..................江見」
「なに?」
「お前は母親についてどう思う。自分を遺して父親を選んだ母親を」
「そうだなあ......18歳で時間が止まった人なんだと思うよ。母さんの前には時間なんて意味をなさない。思い出もだ。そもそも父さんに庇われた時点で当時の生徒会長に差し出した《思い出》は帰ってこなかったんだから、母さんの根幹は《墓守》だったんだと思うよ」
「《魂》なきまま生きていた、というわけか」
「そうだね、そういうことになると思う。そこらへんは私より阿門のがわかっていると思うけど」
もし彼女がその空虚な感覚によって時間の流れを感じているとすれば、一秒間も一億年も同じ長さに感じていたはずだ。それはきっと死後の感覚にほかならない。この流れている無限の時間の正体は、極端な錯覚だ。それが彼女を孤独にさせ、狂気を加速させた。教師として舞い戻ってきたあたり、傍目からみたらなにも違和感を抱かなかったに違いない。《夜会》まで一般の教師として教鞭をとっていたというのだから。それは彼女の外側の話であって、内側は違ったのだ。
「母さんは、《遺跡》に戻る予感があったんだと思うよ。《生徒会》に入る前の自分を取り戻すためなのか、父さんを助けるためなのか、後輩たちを助けたかったのかはわからないけど。たしかなのは、母さんはもうここには戻らないってことだけだ。父さんの目の前で暴走した《黒い砂》によって変生して、父さんが母さんを殺したそうだから。砂すら残らなかったらしい」
「..................そうか」
「父さんから聞いたからね、間違いないよ」
阿門は目を閉じた。阿門は12歳の時に彼女にあったことがあるそうだから、江見睡院が助かったと聞いて一抹の期待をしていたのだろう。リアルな真実として私から語られた現実を前に、まだ納得がいかない顔をしている。心の中にただショックな音をたてて響いてきているのか、センチメンタルになっているのか、長い長い沈黙が続いた。
阿門が何を考えているのか私にはわからない。
ただ受け入れているようにみえた。私がもたらした新しい状況にあわせて自らの意識を再編成しているようにみえた。気のせいかもしれないが、阿門が目を開けた時、雰囲気がかわった。今まで長いあいだ身にまとってきた鎧を脱ぎ捨てて、また新たな重装備を背負おうとしていた。
「お前と会うのがあと6年早かったら......いや、なんでもない。忘れてくれ」
その前に本音が漏れてしまったようだが。
「わかった、聞かなかったことにするよ。ただね、これで阿門のお父さんが父さんのこと最期まで気にかけてくれたって話に報いれるかなって」
「江見......お前というやつは......聞かなかったことにしてないんだが」
「あれ、そうかな?」
「まあいい......」
「早く食べなよ、さめるよ?」
「......そうだな」