私が朝食のお持ち帰りを持って帰ってくると、葉佩が江見睡院と話しているところだった。
「おかえり、翔チャン」
「おかえり、翔。今、葉佩君に新たな剣について話していたところなんだ」
「そうそう、直ったんだよ翔ちゃんッ!喪部銛矢に砕かれちった黄金の剣!まさか完全体じゃなかったなんて驚いた!」
「私はそうじゃないかと思っただけだし、砕けた状態から復元させたのは葉佩君の技術だ。誇っていいよ」
「やった!」
「ほんとに?すごいじゃないか、九ちゃん。さっすがあ」
「へへへッ、もっと褒めてもいいんだぜ?でもよかったよ、ほんと。せっかくもらったばっかなのに、これからどうしようかと思ってたんだ。睡院先生のおかげだよ。俺だけじゃ絶対わかんなかったし」
「そうなんだ?すごいなあ」
「疑問に思ってはいたんだ。《封印の巫女》の出現条件から察するに、授けられたということは、《遺跡》の《封印》が解かれる前提がまずあったからだろうとね。《長髄彦》を討つことを考えるなら、記紀神話に縁が深いものを伝承するはずだ。だが、葉佩君が見せてくれた黄金剣は該当するものが無い。しかも《遺跡》に深く関わりのあったニギハヤヒを降ろしていた喪部に砕かれてしまうほど脆いはずがない。当時、ニギハヤヒは神にして指導者だ。《魔人》ではなかった。アラハバキ族の実働部隊の司令官だった《長髄彦》の方が《魔人》ではないニギハヤヒよりはるかに実力は上のはず。こんなにヤワな作りでは、かつてあったという反乱時に鎮圧出来るわけがないんだよ。鎮圧出来たから伝承したと考えるのが自然だ。この剣を作ったのはニギハヤヒなのだから。《長髄彦》のことをよく知るからこそ、伝承するに値する剣をつくるはずだ」
江見睡院はそういって、葉佩が見せてきていたらしい剣を葉佩に返した。私はせっかくなので見せてもらうことにする。
「葉佩君は初めての《遺跡》探索で習ったのではないかな?貴金属の筆頭である金は、イオン化傾向が非常に小さく安定した金属だ。塩酸はもとより濃硫酸、濃硝酸にも侵されない。しかし、王水に溶けることはよく知られている」
「習いました、習いました。あんだけでかい金の錠が溶けちゃうんだもんな〜、化学ってすごい」
王水は錬金術師が発見したとされる濃塩酸と濃硝酸を3:1の体積比で混合してできる橙赤色の液体だ。
酸化力が非常に強く、王水との反応で生じた金属化合物はその金属の最高酸化数を示す。ただし酸に対しての耐性が極めて高いため、溶解できない。また、銀もほとんど溶けない。
腐食性が非常に強いため、人体にとっては極めて有害である。地下であることが多い《遺跡》においては、特に取り扱い注意のアイテムだ。
「まさか貰った剣を溶かすとは思わなかったな〜。さすがは江見睡院先生。頼りになります。ありがとうございます!」
葉佩は嬉しそうに笑った。
「いやいや、どういたしまして。それにしてもだ、当たっていてよかったよ。やはり記紀神話に由来する剣が正体を表したのだから。物部氏縁の剣となるとそう多くはないからね」
そういって江見睡院は、新たな剣について話し始めた。
この剣はおそらく十種神宝のレプリカだろうとのこと。十種神宝とは神武天皇と皇后の心身安鎮を行うために、物部氏が宮中における鎮魂祭を行った時に使用した宝物のことである。もともとは祖神たるニギハヤヒが古代日本に降り立つときにもっていた秘宝だといい、大和朝廷の傘下に入る時に献上したらしい。
文字通り10つの秘宝だ。
沖津鏡(おきつかがみ)は高い所に置く鏡。太陽の分霊とも言われる。裏面には掟が彫られている、いわば道しるべ。
辺津鏡(へつかがみ)はいつも周辺に置く鏡。顔を映して生気・邪気の判断を行う。フツと息を吹きかけて磨くことが、自己の研鑽につながる。
生玉(いくたま)願いを神に託したり、神の言葉を受け取ったりするとき、この玉を持つ。神の言葉が心で聞ける。神と人をつなぐ神人合一のための光の玉。
足玉(たるたま)は全ての願いをかなえる玉。この玉を左手に載せ、右手に八握剣を持ち、国家の繁栄を願う。
死返玉(まかるかへしのたま)は死者を蘇らせることができる玉。左胸の上に置き、手をかざして呪文を唱え由良由良と回す。
道返玉(ちかへしのたま)はヘソ上一寸のところに置き、手をかざしながら呪文を唱える。悪霊封じ・悪霊退散。
蛇比礼(へびのひれ)は魔除けの布。もともとは、古代鑪製鉄の神事で、溶鋼から下半身を守るための前掛け。のちに、地から這い出して来る邪霊から身を守るための神器となった。毒蛇に遭遇したときにも使用する。
蜂比礼(はちのひれ)は魔除けの布。振ったり身を隠したりして、天空からの邪霊から身を守る。または、邪霊や不浄なものの上にかぶせて魔を封じ込める。
品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)は物部の比礼。ここに物を置くと品々が清められる。死人や病人をこの比礼を敷いて寝かせて、死返玉により蘇生術を施す。また魔物から、大切な品々を隠すときにも使う。
そして、八握剣(やつかのつるぎ)は国家の安泰を願うための神剣。悪霊を祓うことができる。邪悪を罰し、平らげると言われている。7つの柄があるという、とても奇妙な形をしている。
「やつかのつるぎ......八握剣......これが。たしかに普通の剣じゃないとは思ってたけど、これが......」
「H.A.N.T.で解析してみてくれ。そこに祝詞......いわゆる呪文があるはずだ。《長髄彦》との戦いできっと力になるはずだよ」
葉佩のH.A.N.T.はただちに解析を開始した。さすがは歴史の教師として潜入しただけはある、江見睡院の知識は半端ない。
「睡院先生のバディ補正半端ないよ、翔チャン......ッ!」
「私達頑張ったもん、ご褒美だよご褒美」
「そうだよなッ!」
最近凹んでばっかりだった葉佩のここまでの笑顔は久しぶりに見たかもしれない。だから、単純によかったなあと思うのだ。
《ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ
ひふみよ いむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑに さりへて のます あせえほれけ》
「む、むずかしくない......?」
ちょっと葉佩は固まっている。
「緊張しなくてもいい、H.A.N.T.の後から唱えたらいいよ。これを唱えることで、神霊を鎮め、すべての災いを払い、幸福に変えることができるという祝詞だ。本来は刀剣は日神を招祷する呪具で、大陸シャーマニズム系の流れを汲んでいる。だが、物部氏ゆかりの神霊の憑依する依代そのものだからね、《鎮魂の儀》と同じ類の呪法だ。本来は死者蘇生の秘技でもあるんだが、さすがにそう都合がいい訳では無いだろう。魂を強化して、氣を高め、神薙の力を付与しながら、相手に呪詛を与える歪なものだ」
「俺は大丈夫ですよね?」
ちょっと不安そうな葉佩に睡院は肩を叩いた。
「すまない、ちょっと脅しすぎたな。あくまで模造品だ。古来より神の持ち物とされる、拳八つ程の長さの剣でしかない。《封印の巫女》が君に託したんだから、呪われるわけがないだろう?これが本来の姿なんだから。一度白岐という子に見せてみてはどうかな?たしか、喪部銛矢に砕かれるような代物を渡してしまったと気に病んでいたはずだろう?」
「あ、そっか。そーですよね!」
葉佩はさっそくメールを打ち始めた。
「父さん、そろそろ朝食にしたら?」
「ああ、そうだね。ありがとう」
私は葉佩の分もコーヒーを入れてやることにした。きっと葉佩も睡院と話したいことがまだまだ山ほどあるはずだから。
「ちょうどいい、2人が揃っている今、話しておこう」
「え?」
「なんですか?」
「私を失った今、《タカミムスビ》の落とし子がなんの姿で現れるかについてだ」
「あっ......それは......」
「たぶんだけど、女の人ですよね?助けられないんですか?睡院先生みたいに」
睡院は首をふった。
「彼女ではないよ。彼女がもしいたら、《タカミムスビ》はもっとうまく私を利用できたはずだ。彼女を人質にされたら私はなにもできなかっただろう」
「あれ?」
「彼女は自身の全てをこれに託したんだ。だから遺体もなにも出なかった。葉佩君が話してくれたマッケンゼンのような結末だな」
私達は息を飲んだ。
「じゃあ、一体、なにに?」
「彼女の最期は他ならぬ私がやらかしたことだ。今でも夢にみるよ。あそこまで準備してきた彼女が失敗したのは、《タカミムスビ》の落とし子が私と蛭子(えびす)を戦わせたからだ。ただでさえ疲弊していた彼女の精神力はそこで完全に壊れてしまったんだ」
江見睡院の言葉に私は顔がひきつるのがわかった。
「えびす?」
聞きなれない響きに不思議そうに葉佩は首を傾げる。
「漢字では蛙の子と書くんだ。国産みのエリアに《碑文》がなかったかい?《水蛭子(ひるこ)》のことだよ」
「ヒルコ......ヒルコ......えーっとたしか、あの全身緑色のカエルみたいな化人だっけ......?」
「獣人で打撃に強く、さらに頭痛持ちのあいつだね」
「待って待って、えーっと」
葉佩はH.A.N.T.の敵情報を検索し始めた。
「......えっ」
葉佩はH.A.N.T.を見たまま固まっている。
ヒルコはイザナギとイザナミとの間に生まれた最初の神だ。子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナギに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマと共に、二神の子の数には入れないと記されている。
棄てられた理由について『古事記』ではイザナギ・イザナミの二神の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明。
後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測を生んだ。あるいは、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある。
『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。書紀では、イザナミがイザナギに声をかけ、最初に淡路洲、次に蛭児を生んだが、蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、天磐
樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した、とする。
中世以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしている。
始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。
「なぜヒルコではなく、エビスなのか。似て非なるほど強い化人だったからだ、ほぼ別物だったよ」
私は黙ったまま聞いていた。葉佩は私と睡院を見比べたまま固まっている。
江見睡院の話は続く。
蛭子神が流れ着いたという日本各地に残っている伝説があるらしい。
平安期の歌人大江朝綱は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠んだ。神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印とするのちの伝説や伝承に引き継がれた。
海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビスと結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされる。
また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとする。
『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって西宮に現れたとある。
日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。ヒルコとえびすを同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではない。ただ、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。
現在、ヒルコを祭神とする神社は恵比寿を祭神とすることも多い。
不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られるとされるが、神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は珍しいという。
「父さん、大丈夫?」
「いや、大丈夫だ。これだけは話しておかなければならないと思っていたんだ。おそらく君たちにこれから立ちはだかる化人の情報が一番の助けになるはずだろう」
「でも、その化人について思い出すとき、いちばん辛いのは父さんじゃないか」
「それでもだ。この《遺跡》に挑んでたくさんの《宝探し屋》が行方不明になってきた。なら、話すべきだ。君たちは私の命の恩人なのだから」
そういって、江見睡院はおそらく戦うことになるであろう私に情報を開示してくる。私は頭に叩き込んだ。
「..................翔チャン、えーっと......??ごめん、待って、それってどういう......えっ?ちょ、あれ?」
一方、葉佩は完全に混乱していた。そりゃそうだ、私は江見睡院の息子としてこの学園に乗り込んできたのだ。その江見睡院本人から、息子の肉体を取り込んだ蛭子(えびす)が敵として出てくるから気をつけろと言われてしまったのである。なのに私は父さんと呼んでいる。意味がわからないに違いない。
「あ、もしかして、翔チャン大和みたいに18じゃないとか?」
「そうだね、オレは本当は20だよ」
「やっぱり!」
「残念ながら私が彼女とあったのは18年前だよ」
「あれっ......え、えー??」
「まさかここまでバレないとは思わなかったよ、九ちゃん。父さんに話を合わせたせいで、助けるまでは言えなくなっちゃった私も悪いとは思うんだけどさ」
「え、まってまってまって、ヤダなんか怖いよ、そのくだり!え、翔チャン、まさか翔チャンじゃないのか!?」
「そのまさかです」
「えっ、えっ」
「九ちゃんはここにくる前から私の事知ってるはずなんですけどね......。敬語じゃないだけでなんでここまでわかんないんですかね......。ちょっと意味わかんないです......」
「あああああッ!!まさか、まさか、紅海さんッ!?」
「そうですよ〜」
「そんなのわかるわけないじゃんか、紅海さんのバカやろ〜ッ!メールとキャラ違いすぎるだろっ!?」
「普通ならH.A.N.T.を勝手にバディにアップデートさせまくったら、さすがに九ちゃん怒られますからね?ちゃんと説明書よんでくださいね?いやマジで」
「まだ見落としあったんだ、俺!?もうやだ......」
「もうやだはこっちの台詞なんですがね〜......」
「ほんとごめん、紅海さん!あれからアカウント停止って聞いて、ほんと心配してたんだ!」
「九ちゃんがまたやらかしたら怖いから停止させてるだけですがなにか」
「うぐっ......どうしようなにもいい返せない......」
「言い返さなくていいです」
「いつもは全肯定してくれる、あれだけ優しい紅海さんが辛辣だあ......」
「さすがにあれだけされたら擁護できないです......」
「ほんとごめん、紅海さん!ほんとに後方支援の体制万全だったんだな!?」
葉佩が抱きついてくるのでひきはがす。
「ごめんてー!」
「ゴメンで済んだら墓守はいらないんだよなあ......」
「おっしゃる通りです、はい。というか紅海さん、諜報員として潜伏しすぎだろ!?待って待って待って、どっからがほんとでどっからが嘘!?」
「簡単に言うなら、身体の方の情報はまるごと嘘で、精神と魂の方の情報はホントだね」
「あ、そっか、そうだよな。次戦うのは翔チャンにあたる子なんだもんな?えっ、じゃあ、ほんとは《ロゼッタ協会》の諜報員で、俺の新しい担当の紅海さんが江見翔ってキャラクターで潜入してたってこと?」
「そういうこと。ちなみに皆神山については本当だけど、《九龍の秘宝》に繋がる《碑文》を持ち帰る途中の紅海と私が精神交換されたのが正確な情報。私は知らなかったけど、喪部銛矢はあったことがあるらしいね」
「もしかして、時諏訪慎也って子だったりする?」
「なんで知ってんの、九ちゃん」
「喪部銛矢がいってたんだよ、ボクと会って生き残れたのはこれが2人目だって」
「まじかよ......喪部銛矢怖すぎるだろ......」
「もしかして、ジェイドさんがいってた幼馴染って時諏訪慎也君だったりする?」
「そうだよ?てかなに話してんの、あの忍者」
「まじか......まじかあ......俺全然気づかなかったよ......」
「九ちゃんらしいよ」
「どうしよう、全然嬉しくない」
「九ちゃんらしいですよ」
「なんで言い直したんだよ、やめて」
私と葉佩のやり取りをみながら、江見睡院は穏やかに笑っていた。