虚人たち7

葉佩との戦いに敗れた皆守は、その直後に《黒い砂》に飲まれて意識を刈り取られた。夷澤や神鳳のように墓守を変生させようと暴走を始めた《黒い砂》に生成された化人はヒノカグツチだった。意識を取り戻したときには全てが終わっていて、あとから聞かされるしかない事実にかわいた笑いしか出なかった。

ヒノカグツチは、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの産道に大火傷を負わせ、これがもとでイザナミは病気になってしまう。

病床ではさらに多くの神々が生まれるが、イザナミは結局この火傷がもとで亡くなってしまう。そして出雲国と伯耆国(ほうきのくに)との境にある比婆山(ひばやま)に葬られる。

妻であるイザナミの死を嘆いたイザナギは、腰にさしていた剣を抜きはなち、ヒノカグツチの首を斬り落としてしまう。

ヒノカグツチは古代の人々が最も恐れた「火事」に繋がる事から、産まれながらにして親殺しを為すという暴力的な面を有する。母の創世神を焼き殺し、父の創世神が黄泉の国に渡る遠因となるなど、『この世に完全なものは存在しない』という、日本神話の基本特性を色濃く表す神でもある。

ヒノカグツチはイザナミという『母』を死に追いやるだけでなく、これを起点としてイザナギに子殺しをさせ、黄泉の国に渡って現世(うつしよ)に穢れを持ち込む結果になるなど完全全能の存在を全否定する特性を有している。

これは、他の神話体系に見られる『主神殺し』や『神の子殺し』とは一線を画す特性であり、唯一神教は言うまでもなく、『造物主はいつの間にか居なくなった』と曖昧にされる多神教においても類を見ない。 ヒノカグツチの前では、万物の祖でさえも死から逃れる事は出来ないのだ。

「強かったよ、ヒノカグツチ。甲ちゃんが差し出した思い出ってのは、それだけ大切で、強烈な出来事だったってことだよな」

ほら、と化人の核となっていたセピア色の写真を差し出しされた皆守は、無言のまま受け取った。

「これってあれだろ?甲ちゃんが撮ったんだろ?この人笑ってるし、撮った人も笑ってなきゃ、ここまでいい写真は撮れないよ。いい写真だな」

「......あァ、そうだな。やっと思い出せた......」

皆守は憑き物がおちたように力なく笑う。

「吸っていいか?」

「どうぞ」

「......なにがあったのかは九龍から聞いたぞ、皆守」

「そうかい。じゃあ真里野も聞いてくれ。何を思い出したのか整理するためにも誰かに喋りたい気分なんだ」

皆守はアロマを吸ってから、ラベンダーの息を吐き出した。そして、話し出す。

2年前のあの日、あの場所でなにが起こったのか、まるでついさっき体験してきたばかりのような状況だと皆守はいう。当時の皆守が過呼吸になり、このままでは死ぬと本気で恐怖して忘れることを選択した出来事だ。それを新鮮な気持ちでまた追体験するのだ。地獄には違いなかった。

だが、1ヶ月間にも渡って女教師を思い出せないジレンマを抱えながら、感情だけは克明に思い出していた皆守にとってはまだマシだった。待ちわびた衝撃だといっていい。だからかわからないが、過呼吸は起こらなかった。

「あの頃の《生徒会》は《執行委員》がなかった。俺は阿門にスカウトされてからずっと一人で実働を担当していたんだ。双樹や神鳳の《力》は粛清には向かないからな」

「たしかに......二学期までの《生徒会》はファントムの陽動があったころのように強権を振るっていた記憶がある」

「そうなんだ?じゃあ、甲ちゃんが離脱してから、阿門が色々思うことがあって今の《生徒会》に体制を変えたわけだ。なるほど」

「あの女(ひと)は、俺に近づきすぎた。俺も近づかせすぎた。俺をまともに見てくれた初めての先生だったから、うっかり気を許して、居場所を感じるようになってしまったんだ。そして俺は粛清している所をあの人に見られた。忘れもしない9月21日だ。何度も説得されたが、あの時の俺は《生徒会》で居場所を失うことに対する恐怖が上回った。そして、温室で......」

「自分で自分の喉をかき切って自殺したわけだ」

「なんと......」

「私で最期にしてねと、そう、言って笑っていた......。訳が分からなかった......今でも微塵も理解できないが......あの女(ひと)は、俺が心を開かないことに絶望したのかもしれないな、と今なら思う。だから、あんな方法しか取れなかったんだろうな、と」

皆守はいうのだ。

女教師が思い詰めた顔でなにをいったのか、皆守がなんと返したのか鮮明に思い出せる。なのに刃物を突き立てる瞬間と前後の会話に脈略がなさすぎてやっぱり理解ができないのだと。

追体験にもかかわらず、脳の処理能力が追い付かず、目の前で起きていることを把握するのにひどく時間がかかった。血にまみれて酷い惨状の中心にいるのに、場違いなほど穏やかで真摯な表情。それが緩やかにほどけて微笑んだように見えた。このセピア色の写真のような、皆守が一番大好きだった笑顔だからなおさら。

「あの日から俺は少しずつ病んでいったんだろうな。過呼吸の治療をするには全てを打ち明けないといけなくなる。そんなこと出来るわけがない。でも次第に症状が酷くなる。あの時、初めて発症した過呼吸は本気で死ぬんじゃないかと思い込むくらい怖かった。このままだと壊れてしまうと本気で思った俺は、この写真とあの女(ひと)の記憶を全部阿門に差し出したんだ」

「あれ、《生徒会》だったのに?そんときはまだなにも差し出してなかったのかよ、甲ちゃん」

「あァ......阿門が俺は《墓守》に向いてるからと《力》だけくれたんだ」

「ふむふむ、なるほど〜。1年の甲ちゃんは今とだいぶ性格が違うみたいだし、阿門は《墓守》に向いてる人材スカウトする才能あったんだ?そうじゃなきゃ副生徒会長なんてしないもんな」

「そうだな......。話を聞いてくれてありがとう、九ちゃん。ほんとにお前は大したやつだよ」

「へへッ、だからいっただろ?勝てると思われてるなら心外だって」

「あァ......俺は敵に回す相手を初めから見誤っていたんだろうな。《ロゼッタ協会》が本気でこの《遺跡》を攻略しようとしたとき、九ちゃんみたいなやつが適任だと知ってて送り込んだんだろう。間違いなくあたってる」

葉佩は嬉しそうに笑う。

「立てる?」

「悪い、手を貸してくれ」

「はいよ」

土埃を払った皆守はようやく立ち上がった。

「皆守。今は緊急の用があるから九龍の隣にたつことを許すが、次からは覚悟することだ」

「あァ、わかってるさ。それなりの報いは受ける。俺は監視役として近づいた。出会ったときから裏切りつづけていたんだからな」

「ミイラ取りがミイラになっちゃったけどな!俺、わりと定評があるんだよ」

あはは、と笑う葉佩に皆守はかわいた笑いをもらす。

「俺はまんまと引っかかったってわけか」

「勝手にひっかかる甲ちゃんが悪いよ。俺はそんなつもり微塵も無いのにさ」

「まあ、悪い気はしないさ。前を見据えて進む九ちゃんはひたすら眩しいんだ。憧憬と羨望に包まれ、その隣にいることが誇らしく思える。生徒会の人間であることを忘れるほどにな。思えばこれが敗因だったんだろう。こうして俺は負けた。なあ、九ちゃん。これからは俺の《墓守》の力を九ちゃんのために使わせてくれ」

「もちろん、使ってもらうぜ〜。本命はまだ先にいるんだからさ。さあて、気を取り直して、喪部銛矢んとこに行こうか。魂の霊安室への回廊、見つけたし」

隠し部屋を開拓するために葉佩は爆弾を投げる。そして、その先でえらくご立腹な夕薙とジェイド、しょんぼりしている江見と合流したのだった。

「俺はまた翔ちゃんたちに守られてたってわけか......」

葉佩と江見が初めからこの場所で合流する気だったと聞いて、皆守は目にする前に倒されてしまった女教師の姿をした化人を思う。もし、葉佩と戦っているさなかに女教師によく似た化人が襲ってきたら、皆守はまともでいられた自信は微塵もなかった。

「騙し討ちするみたいになってごめんね、甲ちゃん。この常世の国エリアこそが父さんや母さんの失踪した現場なんだ」

「なっ......」

「18年前の《生徒会》の副生徒会長は母さんだったんだ。だから母さんはひとりでここまで潜ることが出来たし、ここが龍穴から氣が一番吹き出してることを知ってた。そして父さんを救い出そうとして失敗した」

「翔チャンから、このエリアの踏破が《タカミムスビ》の落とし子が産み落とされる門の開閉と連動してると聞かされたらさ、こうするしかなかったんだよ」

「《タカミムスビ》の落とし子は《墓守》という名前の従属の証、《生贄》を欲してる。《黒い砂》から解放されようがされまいが標的が甲ちゃんになるのは目に見えてたからね」

「真里野だってただじゃ済まなかったし。だから翔チャンにお願いしたんだ」

「上手くいってよかったよ」

「ほんとにな」

笑う江見の肩を掴む影がある。

「初耳なんだが?これで隠し事は全部か?」

「そうだな、翔には1人で潜ることを責めたのは謝るとしてだ。当事者ではない僕たちにまでなにも言わないのはどうかと思うぞ」

「..................ごめんなさい」

「九龍、拙者にも明かして欲しかったのだが......」

「だって真里野、隠し事苦手じゃん!恋心隠せるようになってからそれ言えよ?」

「うっ......」

「それはともかく。翔チャン、さっきの死に戻りの件はさすがに俺もいただけないかな〜?俺がバディは生きて帰すを信条にしてるの知ってるだろ?それを破らせるの前提とか何考えてんの?馬鹿なのか?いや馬鹿だったな、この手の話になった翔チャンが反省した試しがないし。すっごくバカになっちゃうんだよ」

「ああ、翔はこの世界で生きていくには未練がなさすぎるんだ。だから狂気に侵された瞬間に本能を簡単に飛び越えてなんの躊躇もなくなる。もっとわかりやすくいかないとわからないらしい」

「大和......さすがにそこまで馬鹿じゃないよ、私......」

「なんだよも〜、翔チャンたら!愛してほしかったらいってくれよな!」

「そういう意味じゃないと思うぞ、九ちゃん」
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