《夜会》前にシャワーを借りてから、私は瑞麗先生の家にたびたびお邪魔するようになっていた。呪殺されそうになった時は夕薙が運び込んでくれたし、そのあとの警備員室の事件のあともお世話になってしまった。
そして今、私が《タカミムスビ》を退散させる儀式の準備中だとバレてしまい、呼び出された私はお説教をくらっているのだった。
道教に精通し、氣の使い手でもある瑞麗先生からすれば、私がやろうとしているのは邪教中の邪教だ。失敗すれば発狂ではすまなくなる。失敗したが最後よくて廃人、わるくて即死、そして例外なく東京が死ぬ。
こんこんと危険性について教えてくれる瑞麗先生には悪いが客観的な情報を与えられれば与えられるほど私の中で最適解だという確信が深まっていた。
はあ、と瑞麗先生はためいきをついた。
「君は......君というやつは......いつもそうだな......。どれだけ私を心配させれば気がすむんだ?人の気もしらないで......!」
「瑞麗先生......」
「どれだけ私を振り回せば気が済むんだ......?」
「先生......?」
いつもと様子が違うような?首をかしげていると、瑞麗先生はなんの予兆もなく、おそらくは衝動的に私の指を上から握りこんだ。
「えっ......」
私は固まる。まったく一瞬の、前後の思慮を忘れた行動だった。私はびっくりして手を引っこめようとした。声を出さずに握りこまれた指だけがもがいた。
瑞麗先生の顔は赤い。自分の羞恥心を消すために握った指をいっそう強くして放さなかった。
「あの、瑞麗先生......?」
「八千穂から聞いた。君、男としては、私のような女が好みだそうじゃないか。いつもは臆面にも出さない癖に」
「え゛っ、どうしてそれをっ!?」
初めはそれほど強くない握手だった。瑞麗先生は指を絡ませ、一定の強さで私の手を握り続けていた。その指には、患者の脈を測っている医師の、職業的な緻密さに似たものがあった。
それでいて、手を握り、指先を通して気持ちを伝えようとしていた。
「瑞麗せんせ、あの......」
「私みたいなタイプは弟だと思ってる相手から噛みつかれると可愛いと思うだったか?」
「ど、どこまで聞いて......」
「なにが......なにがギャップを想像すると可愛いと思うだ......こっちの気もしらないで......」
反対側の手はぬくもりを求める小さな生き物のように、手を握りしめていた。それは、とてもしっかりとした握り方だった。力まかせに握りこむのではなくそっと包みこんでくるのに、少しもゆるぎがない。思いがけないほど確かで優しい感覚だ。手をつないでいるだけで身体ごと包まれている安心感があった。
「あの......瑞麗せんせ?」
「ああ、そうさ。私は君程恋愛経験はないから、気づかなくて悪かったとは思っている。すまなかった。でもな......でもな、翔」
いきなり名前で呼ばれて私は目を見開いた。
「な、なんですか、いきなり......。今まで名前なんて一度も......」
いつも苗字固定だっだから好感度あがっても苗字の方が呼びやすいし、そのまま固定のパターンかと思ってたんだが、えっ、なにこれ。瑞麗先生は不意に小声になる。
「君が来る時はいつも誰かしらいただろう。うかつに呼んだらややこしいことになりかねないんだよ......」
「えっ、鴉室さん、まさか外から様子伺ってたり?」
「そのまさかだ、あの馬鹿......。図々しい上に気が利かない......君を不埒な道に誘おうとするし、頼んでもないのに手料理食べるとか何を考えているんだ......」
「えっ、瑞麗先生あの時は感謝するんだなって普通に食べてたじゃないですか。お礼だって持っていったお弁当ですよね?」
「あのな......気づいてやれなかったのは、ほんとうに悪かった。でも、だからって自己完結して外堀から埋めていくのはやめてくれないか、本当に心臓に悪いんだが......」
「外堀って、そんなつもりじゃないですよ。私はただ......」
「いうな、いわないでくれ、君が諦めたあとに気づいた私が今更一方的に意識している状態なのはわかっているんだ。ただな、一介の教師が男子高校生を自宅に何回もシャワーを貸す理由くらい、深読みしてほしかったんだがな......。脈がないからっていきなり頼りになる先生の対応にもどられると、今更自覚してしまった私はどうしたらいいのかわからなくなるだろう......?」
瑞麗先生は一向に手を離してくれない。むしろ握りこんでこちらを覗き込んでくる。
「なあ、頼むよ、翔。頼むから私にも君を守らせてくれ。ひとりでまた何もかも成し遂げようとしないでくれ。ここにいてくれ。私のそばに…......私を、独りにしないで…......」
「......瑞麗先生......」
私は混乱していた。いったいなにがどうなっているんだろう?どうして瑞麗先生がめっちゃ涙目で私を見つめているんだろう?疑問符は乱舞しているのだが、とりあえずいえることは、私は瑞麗先生とどういうわけか特別な関係になる瀬戸際らしいということだ。
「やっぱり可愛いじゃないですか」
笑う私に瑞麗先生は真っ赤になってしまったのだった。