「なあ、江見。自分の意思でしていたはずの行動が実は全く別の意思をもつ《何者か》に操られてのことだとしたら、どうだ?他者に操られる。それは恐ろしいことだとは思わないか?」
「そうですね......私みたいに精神しかない状態だと、私が私であることが唯一の頼りだからなあ。自分の根幹が揺らぐわけですから怖いです」
「ああ、そうだな。自分の意思が何者かに操作されるなんて考えただけでゾッとする。《真の恐怖》を知る者は、おそれ故に日頃から慎重な行動をとるためか、他者に影響されにくいという傾向にあるようだ。君なら大丈夫だとは思うが、用心するに越したことはないぞ。悪いことは言わないから無防備な今、外に出るべきじゃない」
瑞麗先生からまさかのストップがかかってしまった。
「ここに連れてきて正解だ、2人とも。江見は今の學園をうろつくのは非常に危険だ。學園のどこかに強い氣がある。悪霊程度では近づけない何かが。月魅に取り憑けない今、ファントムはどこにいくのかわかったものじゃないからな」
「それは......」
「先に案じていたからブローチの加護だけに甘んじることなく、私に相談するようすすめたんじゃないのか?」
「そうですけど......」
「あ、よかった〜ッ!白岐さん、無事だって!今、こっちに向かってるところみたいだよ!」
私の手元の携帯が鳴り響く。見てみると葉佩たちは無事だった。夕薙とも合流し、神鳳の行方を探しているところだそうだ。
「自らの意思で足手まといにならないよう此処に来たんじゃないのか、江見。君ならサポートできるだろう、わざわさ保健室からでなくても」
瑞麗先生はわりと本気のようで私を真剣な眼差しで見つめてくる。
「これだけの死霊達の渦巻く中では、江見翔という器にしがみついているだけの君の不安定な精神が無事でいられる保証はない。時間の問題だ。意志の強さが要とはいえだ」
「どうしてもですか」
「どうしてもだ。君がいっていたんじゃないか、今ここで離脱したら情報を抱え落ちする。正確に情報提供できるのは自分だけだと。なぜ葉佩が危機に陥ったとたんに周りが見えなくなる。いつもの君であるだけでいいんだ、少しはおちつきたまえ」
そういって瑞麗先生は頭を撫でてきた。
「霊的障害は、死霊や生霊に関わらず、強い念が起こす物だ。故に不安や不満、絶望といった闇を心に抱えれば抱えるほど干渉を受けやすくなる。感情を抱く人間に寄ってきやすい。君の意思がどれほど力が強かろうとも、次々と霊障が起こっているのはつよい氣にあてられているからだ。それによりつよい恨みつらみにあてられる。肉体が先に耐えきれなくなるだろう。そうなったら最期だ。やがて迎えがくるだろう。黄泉へと連れていくために」
「───────............分かりました」
私は眼鏡を外した。やれやれといった様子で瑞麗先生は笑う。校舎の位置関係はだいたい把握している。私が調べるべきなのは、神鳳が炙りだそうとしている強い氣の持ち主だ。葉佩を襲うよう命じているはずなのに、いう事を聞かない悪霊たちがひかれている氣の持ち主。月魅がここにいる今、ファントムはどこにいるのかわからなくなってしまっている。その原因を突き止めようとするはずだ。
私は《如来眼》を起動させた。
「..................」
「どうだい?」
「..............................わかりました、屋上。いや、違う。これはただの人間の氣じゃない、まさかこの氣の流れは......」
私はあわてて電話をかけた。
「九ちゃん、その階段上に上がって!神鳳は屋上に向かってるッ!」
そのときだ。老朽化により故障したためだろうか、長い間動いていないはずの時計塔の鐘の音が響き渡る。私たちはびくっと肩を揺らした。ひび割れた和音で、カアーン、カアーン、と灰色の冬の寒空に、異様な長さでなっているのだ。
「時計塔の......だよね......?」
「おかしいですね、白岐さんはもう保護されたはずなのに」
「だよね?」
私は携帯を握りしめながら葉佩の誘導を続ける。私の目には、屋上に物凄い勢いで氣が集められている異様な光景がうつっていた。これから生け贄としてなにかを供えるような血なまぐさい儀式がはじまる予感しかしない。
「気をつけて、九ちゃん。屋上に氣が大量に流れ込んでる。神鳳はその犯人と対峙するつもりみたいだ」
途中から葉佩の声が聞こえなくなった。どうやら通話状態のまま私に聞かせてくれるつもりらしい。皆守と葉佩が誰かを詰問するのが聞こえる。《宝探し屋》との対決を邪魔された神鳳は本気で怒っているようだ。氣が強くなる。
「クククッ......案外因襲が深く根を張る旧家の言い伝えもバカにできないものでね。古い因襲に身動きできないほど縛られ、頑なに昔からのしきたりを守る能無しでも、失伝せずにいたことだけは褒めてやるとしよう」
それは喪部銛矢の声だった。
「ひとふたみよいむななやここのつとたり。ふるべゆらゆらとふるべ」
狂ったようになり続ける時計塔の鐘にもかかわらず、はっきりと喪部の声が聞こえる。
「あ、あれ?」
「雰囲気が明るくなりました?」
「......悪霊が静まったようだ」
「まさか、《鎮魂の儀》の呪文?」
同じことを思ったようで、葉佩が電話の向こうで聞いている。
喪部はこたえる。
外からやってくる魂が毎年冬になると人につき、魂の入れ替えをするという古代日本の信仰形態がある。新嘗祭も、魂の蘇生を目的とした行事だ。肉体は「魂の容れ物」である。その肉体に霊は宿る。その霊は、祖神から引き継がれたものらしい。
さらに「魂の入れ物」に入るのは、「祖神」だけではない。根本的な力の泉もだ。魂を扱う方法を、物部の石上(いそのかみ)の鎮魂術という。
身体と魂魄を結ぶいのちの糸を古来より受け継がれる秘事を以て結ぶことにより身も心も健全で健康な状態にし、さらには強運・勝運を与える神事だ。
古代より伝わる魂を直接揺り動かして本人の元の気・運気の巡りを円滑にし病や邪気を祓い、健全な魂に戻す物部氏の秘事を行いたのだと喪部はいった。
「今年は失敗したみたいだからね、わざわざ秘中の秘を教えてやったにもかかわらず」
喪部は続ける。鎮魂というと一般的に霊を弔うための言葉と解釈されるがら本来はその逆で活力を与える・復活を促す・甦る・悪影響をもたらすものを払拭するなど総ての好転的な意味を持つものだ。それが神道行事の根幹を為す"祓いの本義"である。
元来存在するもの総てに生命が存在すると考え、存在そのものが生命といって過言ではないとする。そのものが存在し続ける上で最も必要なものが魂魄だ。この魂魄を振り動かし、結びつけ、鎮め置く、そのものの存在を本来の姿に立ち戻らせる祈祷法こそ、「鎮魂」本来のあり方なのだ。その狭義の一部分に霊を弔うことも含まれてはいるが大儀はあくまでも存在を存在たらしめることであり、より大きな存在へ導くものだ。
「つまり、悪霊たちはファントムの方に流れちまったってことか?」
「完全に復活していない悪霊より《祖神》を降ろしているボクの方が強い氣を持つに決まっているじゃないか」
当然だろうとばかりに喪部はいう。
「まともにしてやったのさ、ろくな意思もない下級霊はすぐに流されるからね。どこにいるべきなのかわかればいなくなる」
神鳳は喪部になにやら話しかけている。喪部は嘲笑まじりだ。葉佩たちは立ち去ることにしたようで、声が遠ざかっていく。
「このボクに喧嘩を売る方が悪いんだ」
やけにこの言葉だけが響いた。電話を切ろうかとした矢先、喪部と思われる不思議な旋律が聞こえたのか葉佩の動きがとまった。扉をふたたび開いた葉佩たちが走り出す。
「いあ、いあ」
全身の毛が逆立つのがわかった。それは邪神を賛美する言葉だ。先程の呪文が鎮魂かつ魔力を高める呪文なら、次の呪文が本命ということらしい。
私が試そうとして瑞麗先生にとめられていた悪魔祓いの呪文じゃないか。
「なんて冒涜的な......」
神鳳の言葉だけがやけに大きく聞こえた。