戦火の残滓

糸ばかりが残るフィールドである。サイバースの風に吹かれても微動だにしない糸。万が一ぶつかったらと想像するだけでぞわぞわしてしまうのは、フィーアのデータががんじがらめなせいだろうか。あちらこちらにはりめぐされている中スピードデュエルを仕掛けるのは難易度が高すぎるとマスタールールで挑んで正解だったと和波は思った。先攻をとられ、まるで蜘蛛の糸のように待ち受けていた彼女からフィーアを奪還する最善手だったのだと今ならわかる。

「うかつに触るんじゃねーぞ、誠也」

伸ばしかけていた手を思わず和波はひっこめた。

「解析不能。だめだサンプル持って帰ろうかとも思ったが、どうやらそれすら許しちゃくれねーらしいな。
最近の流行りなのかよ、こいつら」

HALは苛立った様子でぼやく。

「えっ、まさかこの子も対イグニス用にウィルス仕込んであるの?」

「おうよ、そのまさかだ。まさか仁の意識のデータ奪ってったやつらと手を組んでんじゃねーだろうな、この野郎。めんどくさいことしやがって。おかげで迂闊に取り込めねえ」

アイが意識不明になりかけたウィルスのサンプルはすでにある。アップデートはしてあるが今回、仕込まれているのはさらに複雑化したウィルスのようだ。セキュリティ的な問題もあり、HALは捕食を断念することにしたらしかった。

「ならしかたないね。ルールに従ってもらおうかな。デュエルで勝った以上、このルールからは逃れられないよ」

HALは少女の捕食をあきらめ、フィーアのデータの奪還に成功する。そして和波は叫んだ。

「僕が要求するのは君の素性です」

少女は観念したようにデータマテリアルを開示する。それを受け取ると閃光が走った。思わず目を瞑った和波が辺りを見渡すとすでに人はいない。

「逃げられちゃったか」

「ま、フィーアが奪還できただけよしとしようぜ」

「うん」

「おいおいおい、精霊プログラム仕込んでんじゃねーよクソ野郎が」

「え、じゃあどうするの?おねえちゃんのとこ行く?」

「ああ、そうだな。そっちの方が早そうだ」

「そうだね」

和波たちはログアウトしたのだった。




「フィーアちゃん、そうだ、フィーアちゃんの様子はどうなのお姉ちゃん!」

「よくデータを奪還してくれたね、誠也。ほんとうに危なかったみたいだ。なんとか無事に保護できそうだよ」

「ほんとに?」

「うん、サイバース由来の体だから復元は可能だ幾らでも。問題はそのデータの根幹であるフィーアの魂や記憶だからね。誠也が助けに行くって約束したこと、助けに来てくれたこと、助けてくれたこと、そのひとつひとつがフィーアちゃんの魂を繋いでくれたみたいだ」

「ってことは……」

「ああ、それなりに体の復元に時間はかかるけど問題ないよ。まかせて」

「よかったあ……!」

和波は大きく安堵の息をはいた。

「どうやらあの糸は構成データ、プログラムを書き換えてしまうウィルスの一種みたいだね。精霊世界からこちらに来たことでそうなったのか、彼女がそれに感染したからああなったのかはさすがにわからないな」

「そうなんだ……」

「気をつけなよ、誠也。アバターでログインするならともかく、今回みたいにフルダイブするときは影響をもろに受けるからね」

「わ、わかった。気をつけるよ」

「んなピンチに陥っても俺様がなんとかしてやっから安心しろ。あのとき追いかけていかなきゃ今頃フィーアはあのお人形さんの仲間入りだったんだからよ」

「そうだよね!」

「全く……相手も小癪な真似をしてくれる。大丈夫だった、誠也?顔色が悪いよ」

「……嫌な予感はずっとしてたんだ。起こりませんようにって願いながら待ってた。助けられてよかった、失敗したら僕、どうなってたか正直わかんないよ」

和波は力なく笑う。今更恐怖が体を襲ってきたのだ。姉は頭を撫でた。

「ところで残念なお知らせがあるよ、誠也」

「え、なに?」

「ゴーストが誠也のアバター使い始めたから罪状追加だ。なりすましにしても悪質すぎるってね。賞金が跳ね上がった」

「え゛」

「財前は誠也のことよく知ってるからね。気にかけてくれてる分、許せないんだろうさ」

「財前さん……!」

「ま、必要経費ってやつだな諦めろ」

「HALが提案してきたことじゃないか!」

「のったのはてめーだろ」

「うぐ」

「穂村や不霊夢が釣れたんだ。効果は確実に出てるのは間違いない。なにが問題なんだよ?追われる身なのは今に始まったことじゃねーだろーが。それにバウンティハンターっつうなら強い奴らが集まってるはずだぜ。なにが問題なんだよ?」

「…………あれ、思ったよりない?」

「リターンがでかすぎるからな。ゴーストも和波誠也も首突っ込める状況ってのは早々に作り出せるもんじゃない。だろ?」

「そう、だね」

「だろー」

得意げにHALが笑う。姉は呆れ顔だ。




「ウィンダ……!」

和波が持ち帰ってきた《エルシャドール・ミドラーシュ》のデータ、そして記憶の説明、精霊プログラムで構築されていながら対イグニス用ウィルスが仕込まれたアバター。説明が終わった瞬間に、ふらふらとウィンは座り込んでしまった。

「やっぱり、あの子が探してた姉さんって、ウィンさんのことだったんですね」

こくこくと力なくウィンはうなずく。ウィンは精霊世界で風の種族だったガスタの家系の一人だったらしい。しかも族長を務める《ガスタの賢者 ウィンダール》を父にもち、《ガスタの巫女 ウィンダ》と共に長老の一族の出身。希代の才能を発揮しながらも家系に縛られる事を嫌って精霊世界から別の世界に旅立った。そしてこの現実世界を知り、今ここにいる。本来鳥獣を使い魔にするガスタだがウィンは他のガスタと違いドラゴン族をパートナーにしている。それも才能の証だった。

精霊プログラムを解析した結果、彼女の生涯が明らかになった。精霊世界は長らく戦争状態であり、中立を保っていたガスタだったが、敵は容赦なかった。長老の直系の一族であり、族長である父が戦地に赴いて不在の間、族長の代行としてガスタの神官家を相談役とし、役割を果たした彼女だが、風の谷に猛毒を仕込まれて一族が全滅しかけた。この毒は敗走した敵が湿地帯を新たな拠点にすべく再侵攻を企てた策略によるもの。さいわい他の勢力が救援に駆け付けたことで窮地を脱することができた。救援がくるまで持ちこたえられたのは猛毒の風が撒かれた時、族長たる彼女の父親が敵のアジトに突撃して一時的に《猛毒の風》の散布が止まったおかげらしいが、その後の消息は不明。

彼女は霞の谷の祭壇というガスタ一族が守り続けてきた聖地に赴き、戦争の終わりを願うがそこがまさに敵勢力が欲しがっていた場所だった。精霊世界の戦火が全土に及んだとき、修正力たる神が現れ世界を破壊して再生しようとした。その復活の際に神の波動を受けて彼女は死亡したらしい。

彼女の記憶はここまでだが、戦争は無事集結したようだ。

「じゃあ、あの子はウィンダさんで間違い無いね、墓地から蘇ったみたいな記憶の断片をみたから」

「どうして……」

「どうやら精霊世界はこちらの世界より時間の流れがはやいらしい。残念だけど……」

「……覚悟はしてました。こちらの世界で私と敵対してた勢力のアクセサリーをつけた子を見たことがあるから、それだけ時間が流れて平和になったんだろうなって。でも、こんなのってないですよ、ウィンダ、どうして」

泣き始めてしまったウィンの背中をさすりながら、和波の姉はため息をついた。
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