「フランキスカっ!?ほんとうにリボルバーはそう言ってたのか、和波君!」
「……え?あ、は、はい」
その言葉を聞いた草薙は和波の肩をがっと掴んだかと思うと、がくがく揺らし始める。間違いないんだな、と詰問じみた声に驚いた和波は並々ならぬ雰囲気を感じ取り、その表情におびえがまじる。
「く、草薙さん……?」
戸惑いと困惑に揺れながら、こくこくうなずくしかできない和波。遊作はあわててわってはいった。
「落ち着いてくれ、草薙さん。和波が痛がってる」
「あ、ご、ごめんな、和波君。とんでもないものが出てきたからつい……!」
「草薙さんがこんなに驚くなんて……何者なんだ、そのフランキスカってやつは」
「まさかこんなところで名前を聞くことになるとは思わなくてな……」
少しでも落ちつこうとしているのか、草薙は大きく息を吐く。
「話してくれるよな、草薙さん」
「よかったら、僕も聞きたいです」
「あ、ああ、ちょっと待ってくれ」
動揺を落ち着きに変えたいらしい。いつもはスティックで済ませるのに、わざわざポットに注いで抽出するタイプのインスタントコーヒーに手を伸ばす。手伝おうと立ち上がりかけた和波だったが、落ちつく時間が欲しいんだ、と草薙は断った。
「和波君はどうする?紅茶の方がいいか?」
「あ、僕は牛乳入れてください」
「砂糖とミルクは?」
「あ、大丈夫です。ブラックコーヒー飲んでも寝られるんですけど、僕猫舌なのでなかなか飲めないんです」
「あっはっは、わかったわかった。今の時期にホットは熱いもんな、わかるぜ」
草薙と遊作、和波に紙コップが置かれる。しばらくの間、誰も口にだすでもなく、沈黙が訪れる。
「どこから話したらいいもんかな」
「俺もまだ聞いたことがないってことは、俺と会う前の話か?」
「ああ、俺が遊作と出会う前の話だ」
そうやって切り出した草薙は、ぽつりぽつりと話し始めた。
遊作と出会うまでの草薙には、ハッカー仲間とよべる男がいた。本業はSOLテクノロジー社の技術者、副業で内通者として情報を漏らすことを平然とやっている人間だった。
若くしてセキュリティ本部長にまで上り詰めた財前晃など才能に恵まれた人間を異様に敵視していて未だに非常勤で雇用されている自分に劣等感を持っている男だった。ひねくれた、素直じゃない男ではあったが、直情的で熱くなりがちで情に厚いー本人に言わせれば断じて違うーところを草薙はそれなりに気に入っていた。
定期的に飲みに行って愚痴を聞いてやるのが習慣だった。草薙にしては付き合いがいい方だったのも、互いに子供の頃からよく知っていた仲だったからなのかもしれない。
あるとき、草薙がSOLテクノロジー社のある事業について情報を探ろうとしていたとき、かたくなにその男は情報をくれなかった。いくら粘っても却下された。上層部から降りてきた事業であり、今までとは全く異なると。
危ないから手を引け、と本気で諭された。草薙にとっては今の遊作のような関係だったという。二人ならやれると意味もなく思っていた。
根負けした男はいつものように情報を渡す場所を指定してきて、1時間たっても来なかったら今までの連絡ログといった記録をすべて抹消するウィルスをばらまいてくれ、とメールがきた。それが草薙と男が実際にあった最後の会話だった。
次の日、男はこなかった。草薙はもともとこの関係を始めたときの取り決め通りウィルスをばらまいた。
夜になると男はやっと草薙の前に現れた。テレビのニュース速報だった。グレイ・コードの犯行予告にあったサイバー犯罪だった。セキュリティプログラムを書き換え、防災テロ対策を壊滅状態に陥らせ、デュエルの大型イベントで爆弾を積んだトラックを突っ込ませる。自動運転を搭載していた無人のトラックは一瞬にしてイベント会場を大火災にかえた。
多数の重軽傷者が出た。その首謀者として逮捕されたのが男だったのである。男が無罪なのは草薙がなによりも知っていた。だがそれを明かすことはハッカー仲間を売ることになる。男は一度も草薙のことを話さなかったが、警察に逮捕された。状況証拠が整いすぎていた。はめられたんだ、と草薙は思った。
なんとかしようと当時あらゆる手段を尽くしたが、冤罪を覆すことはできなかった。男は、無実の罪で一発で実刑となり、刑務所に送られる護送車の中で突然発狂し、死にたくないと叫びながらデータチップを突然粉々に砕き、意識を失い、そのまま植物状態になった。
そして、一度も意識が戻らないまま衰弱死した。グレイ・コードにハメられた挙げ句、殺されたのだ、と気づいたがどうしても手段がわからなかった。
「まさかあのデータチップの中にあいつの精神が入ってたなんて思わないだろ、普通。何年越しの真相解明だよ、くそ」
草薙は悔しそうだ。握り拳が白む。
「……しらなかった」
遊作はどこか気まずげだ。
「今まで言う機会もなかったもんな。ごめんな、遊作。隠してたわけじゃないんだが」
「いや、いいんだ。今話してくれただけで十分」
「和波君のおかげで、今ならわかる。グレイ・コードに誘拐されて体を奪われてデータチップに精神をぶち込まれてたんだろうな。それでAIのぶち込まれた体が勝手に遠隔操作で犯罪を起こす。えげつないことしやがる」
「草薙さん……」
和波は心配そうだ。
「ありがとな、和波君。君のおかげで、何年後しかわからないけどアイツが無実だってやっと確信が持てたよ」
「……はい」
「そんな顔するなよ、和波君のせいじゃないさ。あいつも和波君も被害者なんだから」
「草薙さん……」
「なにか聞きたいことでもあるのか、和波」
「あ、は、はい」
「うん?」
「草薙さん、その人がフランキスカっていったんですか?」
「ああ、俺が当時追っかけてたSOLテクノロジー社の事業は、明らかにハノイの騎士の標的になりそうだったからな。先回りして情報だけでも欲しかったんだよ。そしたら、ようやく見つけたソースコードにその単語があったもんだから聞いたら血相変えてやめろってな」
「……ってことは、SOLテクノロジー社がグレイ・コードを利用して?」
「あるいは俺が入手しかけた情報がグレイ・コードのSOLテクノロジー社における潜伏先を特定しかねない爆弾だったのかもしれないな」
「そう、ですね。草薙さん、ひとついいですか?その人はデュエリストでしたか?」
「ああ、劣等感さえなきゃそれなりに腕の立つデュエリストになってただろうさ」
「そっか……なら、最悪もう手遅れだったのかもしれません」
「うん?どういう意味だい?」
「フランキスカは、デュエリストにとって魂とも言うべきデッキデータさえ残っていれば、魂の蘇生は可能だっていってました。昔は蘇生する対象が拒否すれば失敗におわったそうなんですけど、未練がある状態で殺せばそれは克服できるって……」
「なんてやつだ」
「どこまで残虐なんだ、そいつは」
「それが今のグレイ・コードの常套手段ですね」
和波は静かにいう。
「フランキスカが計画の立案を担当するようになってから、どんどんグレイ・コードのサイバー犯罪の凶悪さは増していったんです。次々湧き出すアイディアを形にするのが手間だって愚痴るくらいでしたから。フランキスカにとっては、すべて不死を手にするための実験にすぎないんです」
はあ、と和波はためいきだ。
「その理論はサイバースの性質ありきで成り立ってます。だから今の状況はフランキスカにとって発狂寸前の状況なはずです。あの人は僕が唯一の成功例だって笑ってましたから……きっと戻ってきて欲しいんでしょうね。今の僕はあの人が作ったサイバース由来の体で生きてるから、息子みたいなもんだっていってました」
ぞっとする二人である。和波も自分の発言に鳥肌が立ったのか顔色が悪くなる。
「フランキスカか、想像以上にやばい相手だがどうする、和波君。リボルバーの提案、受けるか?」
「え?」
「そうだな、今回はグレイ・コードを壊滅させたい和波が決めるべきだろ。俺たちは協力者にすぎないからな」
「藤木君……草薙さん……」
「俺たちのことは気にするな。今回は特別だ」
「そうだな。どっちでも俺たちは協力するぜ」
「ありがとうございます、二人とも」
うれしそうに和波は笑った。
「……ハノイに貸しを作るのはどうかと思うんですけど、僕は、その」
「うん」
「うけるのか?」
「うけたい、です」
「わかった」
「ほんとにいいんです?」
「ああ。でも、いっかいだけだぞ」
「はい!」
グレイ・コードの中核を担っていたかつてのメンバーは、数々のサイバー犯罪、それを軸にしたテロ事件の容疑も重なり死刑判決を受けた人間もいる。
だが彼らが責任をなすりつけ、罪を軽くするためなのか。それとも本当に恐るべきサイコパスなのかはわからない。だが、フランキスカとグレイ・コードで名乗っている男は名指しで主犯格、あるいは実行犯としてメンバーの口から出ている。
まだ捕まっていない、今はグレイ・コードを率いているリーダー、フランキスカ。彼が逮捕されて法廷で裁かれ罪が確定するまでは、彼らの刑の執行は延期されている。
フランキスカが中心となった時からグレイ・コードのサイバー犯罪はなにかの主張をするため、というよりはある偏った思想を体現して布教するため、といった意味合いが強くなってきて、カルト宗教まがいの心酔に陥る人間がかなり出始めてしまっているためだという。
グレイ・コードの創立メンバーがいなくなれば、まだ代行という立場を主張し続けているフランキスカが表立って後継者を名乗るきっかけを与え、活動を活性化させてしまう恐れがあった。
リボルバーに連絡を入れた翌日、送りつけられた添付ファイルはどこの公権力から入手したのだろうか。明らかにどこかのサーバにハッキングしないと入手できない類の公文書が貼り付けられていた。
グレイ・コードはサイバー犯罪からテロ集団に変貌を遂げ始める過渡期からの動向がつぶさに載っていて、このときからフランキスカと呼ばれていた男は徹底的にマークされているようである。
個人情報がすべて載っているのを確認したときには和波は笑うしかなかった。高校の生徒名簿をハッキングするのがかわいく見えてしまうほどの手間である。それだけの危険を冒してまでやってやったんだから、こっちが望むデータをよこせとリボルバーは言いたいらしかった。
和波はHALが保管していたデータをすべてリボルバーに送った。短く、感謝する、とだけ書いてある返信が
しばらくしたら届いた。そして、数日が経過した頃、リボルバーから返信があった。
「そのメールがこれなんですけど」
和波は端末を見せる。遊作も同期している関係でリアルタイムでその動向を掴んでいたため、そのときと比べると時間経過も相まって落ちついているがやっぱりどこか機嫌が悪い。遊作も端末を広げた。そして端子を繋ぎ、巨大なモニタに表示させる。
「リボルバーが言ってた内通者ってやつか」
「たぶんな」
内通者を疑うきっかけになったと思われる、ハノイの騎士の活動を支えている潤沢な資金源のデータだ。グレイ・コードがフランキスカの手中に収まった3,4年前から不自然な資金の流れができている。
金額は年をまたぐごとに雪だるま式にふくれあがり、目に余る額になっている。どうやらグレイ・コードに資金を横流ししている不届き者がいて、そいつがハノイの騎士のネットワークで入手したはずのSOLテクノロジー社の動向などを流布しているといいたいらしい。
さすがに誰がその内通者なのかまで書いてはいないものの、近々相応の報いを受けてもらうとだけ書いてある。特定することができたのだろう。できることなら是非とも教えてもらいたいものだ。和波はそう切り出したが、反応はよくなかった。
代わりに送られてきたのは、SOLテクノロジー社の社員のリスト。真っ赤に塗りつぶされた職員が何人もいる。グレイ・コードの工作員、もしくは協力者の類いだとリボルバーは言う。
たった数日でここまで調べ上げているのだ、ほんとうに確証を得るだけの物的証拠だけが見つからなくて、欲しくてたまらなかった、ということのようである。悔しいけれど、ハノイの騎士の持っている情報量はやはりすさまじいモノがある。これを得るためにとりひきしたのだ、活用させてもらうとしよう。
「しっかし、あれだな。全然接点がないぞ」
「ほんとですね、年齢も、性別も、出身地も、部署も違う。経歴も同じ方が少ないみたい。うーん、どうやって知り合ったのかな、この人達」
「案外ネット上でしかやり取りしてなかったりしてな」
「うーん、普通のサイバー犯罪集団ならそうだと思うんですけど、グレイ・コードってサイコデュエリストで構成されてるんですよ、なんらかの手段はあるはずです。お互いがお互いのこと把握してないと巻き込んじゃうし」
「それも自己責任とか?」
「それだけはないです、被検体を誘拐するために徹底的に調べ上げて計画をして実行に移す用意周到さがあるから、グレイ・コードは今だに生き残ってるんです。そうじゃなかったら、僕だってこんな理不尽な人生歩んでないですよ」
和波の口調がとげとげしくなる。
「ごめんごめん、失言だった」
「もう、ごめんって顔じゃないですよ、アイ君」
和波はじとめである。そして、こつん、とデュエルディスクを叩いた。
「痛ったい、なんだ今の!?俺AIなのに痛いぞ!?」
「あんまり調子に乗ってるとこうなりますよって見本です、アイ君。サイコデュエリストって、科学じゃ証明できない力を使うからサイコデュエリストって呼ばれてるんですよ。僕みたいに人の心を読んだり、読んだ相手を操ったり、なんてかわいいものなんだから」
「ちょっとまて和波、いまなんていった」
「だから言ったじゃないですか、僕はデュエルディスクがないと普通の生活ができないって。力がコントロールできないのにどんどん強くなってるんです、今も。ちょっとスキルをオフにしただけでこれですもん。全力でつかったらどうなるかなんて僕にもわからないです」
和波は悲しげだ。この能力に目覚めさせた謎の男は呪いにかけたといっていたから、ほんとうにその通りだとしかいいようがないのだ。
「スキルに変換できるのだって、そもそも僕がサイバースのデータでもあるからなんですよね。でも、おかげで今の僕があるからそれはいいんです。これからどうします、藤木君、草薙さん。この人達、あたってみます?」
「和波一人でできるのか?」
「うーん、僕が自由に行き来できるのは産業部のある階だけなんですよね。機会がないかちょっと伺ってみます」
「なら、ここのグループは和波に任せるとして、俺たちはこっちのグループを当たってみるか。なにか情報持ってるかもしれない」
「そうですね」
三人はうなずいた。
数週間たったころ、ハッキングしていた草薙がとんでもないニュースを持ち込んだ。
「そんな、まさか……!」
「どういうことだ、事故死だと?」
「俺たちに気づいたのか?まさか」
「そんなわけないです、あの人がそんな、」
HALが病院にハッキングを仕掛ける。カルテの不正入手のあと、そのデータを食い入るように読み込んだ和波はへたりこんだ。
「そんな」
感電による四肢の壊死から始まった度重なる切断手術だったが、壊死の速度に治療が追いつかなかったようだ。フランキスカと呼ばれた男は数年前に死んでいた。
それも姉が誘拐されたそのときに。姉がグレイ・コードの集大成ともいうべき事件を阻止したから絶望したのだろうか。あそこまで不死を追い求め、本気でみんなをその領域まで連れて行こうとしているやつが?そんな簡単に!?
何度も見るが死亡届は受理され、火葬されているのがわかる。身元不明のため警察はまだ特定するには至っていないようだ。長い間空き家だったおんぼろアパートに違法建築の末秘密に建造された地下、そこで違法に改造された旧式ポットが発見された。
グレイ・コードの名前は出なかったが、長らく公権力にマークされていた男である。遺伝子照合で間違いなく本人だと特定されている。和波はたまらずリボルバーに連絡する。
長い沈黙だった。
そんなはずはない、とはっきり告げる文面が届く。やはり独自のネットワークではフランキスカしかなしえない水面下の工作がいくつも遂行中らしい。どういうことだろう?
「偽装?」
「じゃあ誰なんだ、明らかにこいつはフランキスカだろ」
和波がしる経歴、リボルバーが明かしてくれた経歴、すべてに合致するのは世界広しといえども数年前に死んだ男しかいないはずだ。わけがわからなくなってきた和波は混乱する。
「とにかくだ、和波。リボルバーがくれたこいつらをしらみつぶしに当たってみるぞ。もしかしたら、その中にフランキスカがいるのかもしれない」
「……あ、そっか」
気が動転しすぎて忘れていた。グレイ・コードにとって肉体と精神は繋がりをもたないのだ。入れ替えてしまえば延々と寿命は延びることになる。
実際は拒否反応とか難しいものがあるらしいが、和波が脱出して5年たつのだ、もっとおぞましい方法で克服していても何らおかしくはない。
「そう、ですね。ありがとうございます、藤木君。じゃあ、明日から引き続き、探すのがんばりましょう」
「ああ」
遊作はうなずいた。