「IN TO THE VRAINS!」
ふかふかのベッドからログインした葵はすぐにその違和感に気がついた。ログインしてすぐ行くことができるはずのリンクヴレインズではなく、葵がきてしまったのはいつもスキップ設定にしているはずのカスタマイズルームだったのである。
常時装備設定にしておけば、いちいちパーツを選ぶことなくフルダイブすると同時にブルーエンジェルのアバター設定でリンクヴレインズにログインできるというのにだ。メンテナンスや不具合があるなんてお兄様から聞いてなかったんだけどな、と思いつつ、運営からのメッセージをみる。
「な、なにこれ」
葵は戦慄した。葵のリンクヴレインズにおけるIDナンバーが表示されており、ようこそという初めてログインしたユーザーに対するアナウンスが表示されているではないか。
ブルーエンジェルとハンドルネームすら設定されていないデフォルトの状態である。おかしい、いくらなんでもおかしい。葵はブルーエンジェルとしてBANされるような違法行為をした覚えはない。
葵がブルーエンジェルとしてスピードデュエルに参入を表明したときには、SOLテクノロジー社はすでにスピードデュエル人口を把握するのを断念して危険行為から削除、むしろ推奨すりための環境づくりに尽力し始めていた。
ほんとうに心当たりがない。一度ログアウトして再起動した方がいいだろうか、そのあと運営かお兄様に連絡を、とメニュー画面を開こうとしたとき、葵は固まる。ログアウトのボタンがない。リンクヴレインズにログインするボタンしかない。
葵は制服姿の葵のままリンクヴレインズにログインしろといわれているようなものだった。デッキの設定すらしていない、生身同然の状態で!異常事態である。血の気がひいた葵は、外と連絡を取り合う手段が皆無だと30分ほどかけて把握したあと、震える指先でログインボタンを押した。
葵がいたのははじめたばかりのユーザーに対するチュートリアルエリアである。とっくの昔に忘れてしまった導入だがそれはどうでもいいとばかりに後でボタンを連打する。
ようこそ、リンクヴレインズへ!
今の葵は寒気しか感じない。デフォルトで設定されているデュエルディスクには、デフォルトであるはずのデッキではなく知らないデッキがセットされているのだ。
しかもすぐ下には意味深なカウントダウンが開始されている。三時間である。一体なにをさせようとしているのだろう、なにかのイベントならアバター初期化なんておぞましいこと運営がするわけがない。
『急げ!』
表示されたメッセージはこれだけだ。さすがに葵はさっき飛ばしたチュートリアルが本来のチュートリアルではないのだと気づいた。あわててログを確認する。
そこには、今の葵の状況を説明する図解が入っている。SOLテクノロジー社が誇るログインしたユーザーの生身を取り込んで、そのパーソナル情報から自己生成したデータをアバター化し、好きにカスタマイズできると書いてある。
チュートリアルをちょっとしたミニゲームにしていると考えればかわいいものだがログアウトできずユーザーに強制する時点で悪意しか感じない。
フレンド登録してメッセージを送ってみよう、という項目が表示されている。葵は迷うことなくplaymakerと和波に連絡をいれた。おすすめ、で名指しされている時点で他に選択肢がなかったともいう。
ログインしたときに感じた違和感に葵は強烈なデジャヴを感じていたのだ。それは自分が自分ではなくなる恐ろしい瞬間だった。ハノイに仕込まれたカードを使用したことでパーソナル情報にハッキングされた上、一時的に管理者権限を譲渡してしまい、脳内を直接書き換えられたも同然の恐怖を思い出してしまう。
自然と助けを求める対象はかつて助けてくれた決闘者だ。そして、幾度も今のような事態になるかもしれないから注意してくださいね、なにかあったら知らせてください、僕が助けに行きますから、と忠告してくれたクラスメイトである。
葵が先の事件で入院している間、何度も足繁く通い、ノートや提出物を渡してくれた和波は、葵の陥った事態を相当重く見ているようだった。ハノイの騎士に感化されてできた模倣犯ともいうべきサイバー犯罪集団のせいで姉が植物状態なのだ、当然である。和波は姉を助けるために相当勉強しているようだったし、こういった事態に陥ったときの対処法を葵に教えてくれた。
和波から真っ先に連絡がきた。葵はそれだけで泣きそうになる。
『大丈夫ですか、財前さん!今、財前部長にも連絡入れましたので安心してください!』
初期化したメッセージ、そして字数制限に書かれた今の状況、異常事態だと和波は気づいてくれたようだ。葵はほっとする。
『わ、私は大丈夫、まだ生身でリンクヴレインズにログインしただけみたい』
『今どこにいるかわかりますか?』
『チュートリアルで最初にログインするエリアだわ』
『あそこですね、わかりました。財前部長がセキュリティ部門のみなさんと調べてます。なにかかわったことはありませんか?』
『えっと、デッキがデフォルトじゃないわ』
『なんて表示されてます?』
『なにかしら、これ。Crawler?』
『ほんとですか!?』
『え、ええ』
『財前さん、絶対にそのデッキ使わないでください!それはアイツラがいつも使うテーマカテゴリなんです!絶対になにかある!』
血相変えて叫ぶ和波に葵は息を飲む。和波に連絡をいれてよかった、と心底思うのだ。
『島くんの次は財前さんだなんて......!なにを企んでるんだ、アイツラ!財前さん、他になにか気になることありませんか?』
『えっと、その、デュエルディスクになにかのカウントダウンがあるわ』
『なんのでしょう?』
『たぶんチュートリアルをすすめろってことなんだと思うわ、急げとしかメッセージが標示されないの』
『そのチュートリアルって?』
『和波くんに送ったあのメッセージよ』
『なるほど......わかりました。あのメッセージ、財前部長にも送ったので解析を待ちましょう。でもなんのカウントダウンか気になるな、どれくらいですか?』
『えっと、あ、あと2時間40分』
『財前さんに心当たりはありませんか?』
葵は首を振る。
『ないの、全然ないわ、思いつかない』
『えっと、じゃあ、いつもはどうしてます?』
『いつも?いつも......そうね、えっとみんなにコメントを返して、配信開始して、スピードデュエル......』
『3時間てほとんど終わりかけですよね、なにかいつもしてることはありますか?』
『いつも?え、普通に感想戦して、コメント読んで、次の配信について......』
必死で記憶をたどりながら葵は考える。
『あ!』
『思いだせました?』
『私、和波くんのお姉さんのことここにログインしたときは探すようにしてるの。なにか力になれたらと思って。和波くんのお姉さんによく似たアバターがいないか、デュエルログを確認しながらチェックしてるわ』
『財前さん......』
『いいの、気にしないで。何度も見かけてるのにいつも見失うから和波くんになかなかいえなかったの。和波くんがSOLテクノロジー社の人たちとサルベージ実験してるのは知ってるから、見かける、なんて知ってると思っていえなかっただけだから。ぬか喜びさせちゃいけないと思って』
『ってことは、財前さんのログになにかあるのかな』
『うーん、昨日のログにはなにもなかったのに。でも見てみるわ、初期化されたと思ってまだログ見てないの』
『はい、お願いします』
葵はデュエルログを確認する。そこにはたったひとつだけデュエルのログが残っていた。文字化けしていて読めない。
『あったわ、見てみる』
葵がページをひらくと、そこには和波によく似た女性が誰かと決闘しているのが見えた。瓦礫の四散するエリアだが、葵は見たことがない。その映像をスクリーンショットにおさめてメッセージを和波に送る。
『ここ、は』
『和波君?』
『姉さんが、』
『和波君の?』
『姉さんが緊急転送された場所です!誰とデュエルしてるんだろう?』
アングルが悪くて相手がCrawler使いだということしかわからない。
『私、行くわ』
『え』
『このログにリンクが貼ってあるの。たぶんこのアドレス、そこに繋がってるはすだわ。どのみちここでチュートリアルが終わった以上、私はここにしかいけないみたい』
『ま、待ってください、財前さん!危ないです、あそこは!』
『大丈夫よ』
『え』
『playmakerが先に行ってくれたみたいだから!和波君は兄さんに連絡よろしくね!』
『財前さん!』
チャット機能は切られてしまった。和波は頭をかかえる。デュエルディスクにはリアルタイムでスクリーンショットや動画が送られてくる。
和波と遊作のデュエルディスクは同期しているのだ、同じ情報を時間差はあるがすぐ受け取れる。どうしようこれ絶対僕が財前部長に教えてあげないといけない流れじゃないか!また悲しい顔させなきゃいけないのかなあ、しかもplaymakerの援護ができないし!あーもう、と叫ぶ和波にご愁傷さんとHALは笑った。
ちゃちなデザインのエリアだった。プログラムがむき出しであちこちに0と1が露出している。ユーザーの目を全く意識していないあたり、どこかのデバック空間か、もしくは使われていない空間だろうか。
サイバースが消えてから全盛期の70パーセントでなんとかやりくりしているリンクヴレインズにおいて不必要な容量をくう空間など保持する余裕があるとは到底思えないけれど。
試しにアイに解析を頼むが、セキュリティはわりとしっかりしているようだ。どうみてもリンクヴレインズ最初期の空間にしか見えないが。
playmakerが降り立つと、そこは一昔前流行ったようなメロディが流れ、ようこそリンクヴレインズへ、という人力で入力して学習させていたタイプの人工知能が喋り始める。流暢だがどこかデジタルから脱却できない、そんなプログラムだ。
彼女の説明によれば、playmakerはSOLテクノロジー社がこの仮想現実を展開し始めて最初のユーザー、つまりはβ版をプレイするすさまじい競争倍率を勝ち抜いた歴戦のデュエリストらしい。リンクヴレインズ稼動前のオープンイベント用に作られたチュートリアル画面のようだ。
デモも兼ねているからか、ユーザーが行き来できる場所に制限をかけるため一から空間を構築したらしい。試しにplaymakerはこの空間をひととおり歩いてみることにした。
基本的なシステムの説明、アバターの種類、今と比べるとちゃちな印象を受けるが黎明期はこんな感じだったのかもしれない。当時のユーザーはおそらくこんなクオリティでもわくわくしたのだ、きっと。
ユーザーへの説明もかねた、かなり簡略化されたコンパクトな空間である。今あるリンクヴレインズの各エリアの縮小版が存在し、最初にログインしたチュートリアルエリアはちょうど中央に位置する。他エリアはチュートリアルエリアをぐるりととりかこむように配置されており、1枚のピザのような印象を受けた。
『せっま!』
「たしかに半日もあればまわりきれそうな広さだな。でも、β版ユーザーに一人ずつ用意されたなら、相当な数だ」
『あ、それもそうか』
当時の状況など今playmakerとアイが知りたいことではないからどうでもいいが、似たような空間がひたすら並んでいるデバック空間があるということだ。
もしくはこれは当時の資料としてしか意味を持たないのかもしれない。この程度のプログラム、今のSOLテクノロジー社なら数日で構築してしまいそうだが。
「あった、ここだな」
『ブルーエンジェルが誘い込まれたところな、間違いない』
playmakerは辺りを見渡す。
『playmakerサマ、ちょっとここからプログラム書き換えてくれ。ここだけセキュリティが甘い』
「わかった」
アイがデュエルディスクから顔を出し、黒い液状の身体をプログラムに接触させる。そのデータを取り込み、playmakerの前に四角いウィンドウを表示させた。
「これだな、ちょっと待ってろ」
デュエルディスクに帰還したアイの代わりに手を伸ばしたplaymakerはソースコードを読み取り、不自然なコードを抽出し、書き換える。
なにもない空間に光が現れた。四角い光が縦に伸びていき、ひと一人が通れそうな扉となる。playmakerはそこをくぐり抜けた。
『うわー、すげー』
「この空間の管理者室か」
今まで見てきたいろんなエリアのオブジェクトが博物館のように展示されていたり、この空間自体の設計図といった大事な情報が並べられていたりする。デバック空間というよりはたくさんあったかつてのβ版ユーザー向けの空間を一括で管理するためのエリアのようだ。
もちろんplaymakerもアイも見るのは初めてである。興味深げにあたりを見渡しながら先を急いでいたplaymakerは、一番奥の部屋にたどりついた。
『おっとこいつはひどいな!』
「ハッキングでもされたか?」
『にしては派手に暴れたみたいだなー、復旧すらされてないってどーよ。β版ユーザーたくさんいたんじゃねーの?』
「俺に言われても困る」
『あはは、でっすよねー。ところでさ、playmakerサマ』
「なんだ」
『ハノイの気配がびっみょーにするの、わかる?』
「お前も気づいてたか、アイ」
『この惨状の主犯かどうかは正直微妙だけどさ、とりあえずハノイの騎士がここにきたことあるのは事実みたいだぜ』
「グレイコードはハノイの騎士に感化されてできたクラッカー集団だっていわれてるはずだ。まさかハノイの?」
『さー、さすがにそこまでは』
「なにか残ってないか探すぞ」
『へいへいっと、わかったよ』
研究室、と思われるエリアだった。緊急電源とかかれた赤いランプが点滅し続けている。瓦礫が四散するそこでは、用途不明の巨大なパソコンや機械がぐちゃぐちゃになっていた。竜巻でも発生したのかと思いたくなるほどの惨状である。
playmakerはまだ生きているパソコンを見つけ出すのに30分かかった。コードをつなぎ、デュエルディスクに移動させる。複雑なプログラムらしくアイをもってしてもしばらく時間がかかりそうだという。その解析を待つ間、playmakerは更新され続ける和波のタブレットとデュエルディスクのデータを閲覧していた。
ブルーエンジェルがこちらにログインする、とわかったころ、アイが解析を終わらせた。
『おい、おいおいおーい、ちょーっと不味くないですかねplaymakerサマ!』
「どうした?」
『このパソコンから解析できたプログラムのひとつ、俺様もうもってるんだけど!』
「なんだって!?サイバースのか?」
『ちがう、ハノイの騎士だ!《クラッキング・ドラゴン》使ってきたアイツの!データ!!』
playmakerは目を丸くした。
「まさか自爆装置!?」
『おおあたり!作動してないってことはここにいた誰かさんがどっかに持ち出したんだろうなあ。作動してたらこの空間どころか連携してるシステムぜんぶ吹っ飛ぶような特大のやつだし』
「でもこの惨状は......」
『邪魔しようとしたやつがいたんだろうなあ』
playmakerの視線が裂けた空間になげられる。
「あそこはどこに繋がってる?」
『さー?みたところインターネットのどこかとしか言えないなあ。正直こっから飛び込んだら俺もplaymakerサマもどこにとばされるかわかったもんじゃないぜ?』
β版ユーザーを救おうとした誰かの痕跡だけが残されたエリアである。SOLテクノロジー社がわざわざ保管するとすれば、それは、まさか。
playmakerはいきをはく。
「とりあえず、ハノイの騎士が関わってるかは別として、グレイコードが主犯なのは間違いないな」
『おう、そうだぜ。それだけははっきりわかる。ハノイの気配より濃厚な気味の悪い気配がするもんなあ、さっきから!』
「さっきから俺たちをみてるのは誰だ」
playmakerが睨みつけたその先には、ブルーエンジェルがいた。
「嫌な予感はしてたのよね」
はあ、とブルーエンジェルはためいきをつく。
「グレイコードにとっては困る重大なもの、見つけちゃったのかな私。それとも和波君を苦しめるために?」
「和波のこと、知ってるのか」
「まあ、ね。兄さんがセキュリティ部門のトップだから、いやでもそういうことは耳にするの。和波君、だいぶ苦労してるみたいだし、力になりたいと思うでしょ?」
「気持ちはわかる」
「ね」
「ああ」
「ねえ、playmaker」
「なんだ」
「これで2回目だね。今度はちゃんと助けてよ?」
「言われなくても助けてやるさ。安心しろ」
「あなたならそういってくれると思ってたわ」
ブルーエンジェルの頭上にカウントダウンが表示されている。
「たぶん、グレイコードは和波君を連れ戻したがってるのね。さっきから和波君とデュエルしろってチュートリアルがうるさいの。だから、お願い、playmaker。私をとめて」
「ああ、任せろ」
「ええ、任せたわ」
デュエルディスクを構えた二人はデュエルを宣言した。