消えない。消えてくれない。
あの時手折った細首の感触が手のひらから消えてなくならない。
初めて触れた『人間』の感触。それを壊した感覚。
暴れまわる四肢を押さえつけて水に沈めた、己の中に沈めた感触。
これで終わりのはずだ。なのにどうして消えてくれない!
どうして!どうして!!
11_出発
目がさめた。覚めることができた。
だんだんとはっきりしていく視界に映るのはバラックの天井。ところどころにある隙間から柔い光が差し込んでいる。天国にしても地獄にしても少々貧相な天井なのでやはりここはまだ現世と見るべきか。体を起こしてよくみれば、どうやらここは小屋のようだ。私が寝ていた場所もベットとは言えない木の箱の上だった。
ここまでくると悪運としか言いようがない。私はまた生き延びたらしい。
状況を確認したところで、小屋の扉が軋んだ音を立てて開いた。比喩ではない鳥の巣頭のキコルさんが驚いた顔をして入ってきて、手にしていた水桶を落として床が水浸しになった。
どこかで見たことある光景だぞ。デジャビュかな?
「……生きてる」
「え、」
ぽつりと呟いたキコルさんは次の瞬間には私に抱きついていた。
「わああああああ!よかったっス!本当に生きてたっス!」
「キコルさんとりあえず落ち着いて……!」
涙とか鼻水とかで私の肩が濡れてるんで!生きてたの喜んでくれるのは私も嬉しいんですけど!
「あの、ありがとうございました。助けていただいて……」
「お礼なら俺っちじゃなくてトアルの兄さんに言うっスよ!裸でぐったりしたまま担がれてるのを見た時は何事かと……」
「はだ……う、うわああああ!?」
衝撃の事実に必死になって布団を手繰り寄せる私に、姉が二人もいるから慣れてるんスよ、とキコルさんは笑っているが、そうじゃない!私が恥ずかしい!一応嫁入り前の乙女なんです!
「……って、ちょっと待ってください、トアルのお兄さんって」
「俺だよ。……元気そうで何よりだ」
いつの間にか戸口に立っていた緑の衣を身に纏った勇者は騒ぐほどに元気な私を見て冷ややかな視線を投げてよこしていた。いつから見てたのかは知らないが、正直キコルさんの暴走を止めて欲しかったよリンク君……裸の人間に抱きつくなんて世が世ならお縄ですよ。いや、それより私が公然猥褻罪で捕まったりするのか……
男性に裸を見られたというあまりにショックな事実にうなだれていると、リンクは村に戻ってイリアのやつを持ってきたから、と私に服一式を差し出した。
イリア。
今頃は忘れられた里にいるのだろうか。記憶はまだあるのだろうか。子供たちを探しに行くと言っていたボウさんはどうしたのだろう。そういえばリンクはもう見慣れた緑の格好だ。今物語はどのあたりなんだ?剣のことを突っ込まれたらなんて返せばいいのだろう。あの時襲われた魔物はなんだったんだろうか。
聞きたいことも、言いたいこともたくさんあった。
「り、リンクさん、あの!」
「とりあえず服を先に着てくれないか」
「あ、はい」
打った先手は正論で簡単に躱された。
何から話すべきか。何を話さないでおくべきか。
着替えている途中、頭で考えようにも上手く纏まらなかった。何度も手を止めながら時間を稼いだが、残念ながらそんな中途半端な時間では名案は生まれない。ええい、もうなるようになれ!と半ばヤケクソになって扉を開ける。
「リンクさん!あの!」
「……キコル、この前言ってた油入りビンくれ。100ルピーでよかったか」
出てきた私と確実に目があったのに、視線はあからさまに逸らされた。何故。
私よか聞きたいことはたくさんあるだろうに、リンクは私を視界に入れないようにして旅支度をし始めた。
いや、なんだろう。リンクも話しにくいことでもあるかのような雰囲気な気がする。
「そんなところでぼけっと突っ立ってないで、そこにある荷物持ってくれ」
「は?」
顎で示された先には小さめのカバンが一つ。持ってくれ?取ってくれではなくて?
頭に疑問符を浮かべているのに気づいたのか、リンクはうんざりしたように言い放った。
「話は道中聞かせてもらう。全部。今は時間がないから先に出発だ。エポナは呼んでも来てくれないから、徒歩で行かなくちゃならないし」
「な、何、どういうことですか?なんで私も?」
「質問も後にしてくれ。誰のせいで時間に追われてるかわかるだろ」
何も言い返せなかった。
ゲームの時間経過はプレイヤーに委ねられている。回り道して虫集めをしてもいいし、ハートのかけらコンプやゴースト退治に戻ってもいい。
だけどここでは違うのだ。遅くなったら誰に危害が及ぶかわからない。死にかけていたゾーラの王子ラルスなんかは典型だ。もし間に合わなかったら。
ここは現実だ。いい加減にわかるべきだ。
時間も命も有限で、手遅れになることも、取り返せなくなることもある。
「わかりました」
持った鞄は食料が入っているのか案外重かった。
けれどそれよりももっと重いものが肩にのしかかった気がした。