∴しからないで



 王道に黒いペンにしようと思ったのにインクがなかった。しかたなく近くにあるペンから、手にとってはキャップをゆるめて書いて、ゆるめて書いて、赤と緑をへて青にたどりついた。ほんとうは、臙脂色のイメージなんだけれど。わたしはそれがすき。あの色のペンがあったら荻野先生あたりを言いくるめてそのペンだけで板書するようにって頼むのに、と考えながらわたしは青のペンをホワイトボードの上でつーっと動かす。ペンを真横に倒してなにかをかくのはむつかしい。単調な細さの線はいたずらにふるえた。

「落書き?」
「うん」

 うしろから声をかけてきた男の子が近くの席をぎぎぎと引く音。じっと見られている気配がする。わたしはペンを動かすのをやめない。彼は、わたしを眺めるのをやめない。あとで、ちゃんと目を見て話そうとぼんやり思った。

「・・・できた」
「それ、噂のゆうくん?」
「そう。噂の裕くん」
「似てんの、それ」
「ばっちり」

 最後に右下のほうに「裕くん」って、ハートマーク付きで題名をつけてから、青いペンを投げ出すように手放した。振り返るとやっぱり彼はわたしを見ていた。安永くん。知り合ったのは入学してすぐだったけれど、最近になってよく話すようになった。いろんな人に平等に優しい性格らしいと、よく話すようになって知った。

「安永くんは委員会だったの? 呼び出し?」
「そういうとこ。ちょっと書類をもらいに。麦乃さんは?」
「今日は裕くんの学校、終わるの遅いから」
「一緒に帰んの?」
「どうかなあ。約束はしてないし。他の子見つけたらその子と帰るかも」
「不思議やな。麦乃さんたちの関係って」
「そう? わたしと裕くん、いつもこんな調子だよ」

 ええな、そういうの。安永くんはちょっと前髪を揺らして笑った。他の同級生よりよっぽどかわいく安永くんは笑顔をつくる。安永くんは裕くんに会ったことがないけれど、裕くんのことをずいぶんよく知っていた。わたしが、裕くんのことをよく話題にしたせい。
 だって、わたし、裕くんがいないと、だめなんだもん。今まで手を繋いだことのある男の人、誰がいなくなってもわたしはピンシャンして生きているけれど、もし、もしも、裕くんがどこかに消えちゃったらたぶんわたしは三日三晩泣いてから死んじゃう。裕くんがいないとわたしは呼吸もできない。どうしたら生きられるのか、どうして生きられるのか、わかんない。
 裕くんにも言ったことのないわたしの秘密を、安永くんはわらったりしなかった。ただ、「悪くない思うよ」と、晋一郎さんよりずっとオトナに首をかしげてわたしにキスをした。

 それから、わたしたちはよく放課後におなじ空間にいるようになった。付き合ってもいないし、あの1回以来キスしたりぎゅーしたりもしてない。なにかを求められているような、そういうのもなかった。ただ、安永くんの「麦乃さん」がお気に入りにはなった。

「ね、安永くん。今日は安永くんの話、しよ」
「唐突やな」
「わたし、意外と安永くんのこと知らないもん。学校きっての秀才で、中学まで西のほうにいたこと、くらい」
「それでもけっこう知ってるほうやと思うけど」

 安永くんの目は、前髪が短いせいかよく茶色く見えた。きれいな、利発そうな目尻も、素敵だと思う。とくとくと見つめながらリクエスト通りの安永くんの話を聞いていると、ふっと意識がわたしから離れて、そう、ちょうど教室の出入り口のあたりにとんでいく。客観的に見たわたしと安永くんは、まるで恋人同士のようだった。まるでもようだも、実はそんなところ、あのときに飛び越してるのかもしれない。

 妹がいることと、楽器が出来てしまうことと、実はなつかしい関西弁が抜けないようにちょっと意地になっていることを、初めて知った。

「・・・麦乃さん、」
「麦乃、でいいよ。なんか、やだ」
「・・・麦乃?」
「なあに、時雨くん」

「・・・一緒に帰る?」
「うん」

 空気を許すと、時雨くんの手がわたしに触れた。嫌悪感はちっともわいてはこなくて、自然にわたしの体は時雨くんに寄り添う。青いペンの裕くんは消さずに、わたしたちはずっと前からそうしていたように教室を出た。




150410
title : Venus
これこれのつづきもどきでした。
















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