強くなる(ウォルト)








「ねぇねぇ、おかーさん!」

「なぁに?ウォルト」

「弓を教えて!ぼく、もっと強くなりたいんだ!」


先日の6歳の誕生日にウィルに作ってもらった子ども用の弓矢は、ウォルトの格好の遊び道具になっている。
息子の輝かんばかりの笑顔を目にして、レベッカは静かに刺繍をしていた手を止めた。


「そうねぇ…お父さんに聞いてごらんなさい」

「やだ!お母さんがいい!!」

「どうして?」


稀代の弓使いと謳われる夫の弓の実力は、大陸一、二を争う。
教えを乞うのであれば、自分よりも彼の方が適任だ。

ウォルトはまだ小さいが母親にベッタリという訳でもなく、父であるウィルにもよく懐いている筈だが…


「だって、お父さんよりもお母さんの方が強いんでしょ?お父さん、若い頃はお母さんに負けっぱなしだったって言ってたよ」

「うっ……」


思わず言葉に詰まる。

確かに結婚前、ネルガルとの戦いの辺りではレベッカもウィルに並んで相当腕をならしたし、ウィル相手に蹴りをお見舞いしていたこともしばしばだ。


(もうっ!ウィルったら…!)


若気の至りの塊だった自分を思い出して居たたまれなくなる。

もう今はロイの乳母としてフェレ城に勤め、弓から遠ざかって久しい。
ウィルもその方が安心できると言っていた。


「お母さん、今はもう昔ほど上手じゃないもの。やっぱりお父さんに教えてもらいなさい」

「う───……お父さん、いつ帰ってくる?」

「夕方くらいかしら」


ウィルはフェレ騎士団に加わり、数日前からリキア東部へ遠征に行っている。
何も問題が無ければ、今日帰還する予定だ。


「夕方まで待てないよー」


ぷう、と頬を膨らませて部屋を出ていく息子を見送り、レベッカは再び刺繍を始めた。













***









「ただいまー」

「あら、ウィル…お帰りなさい。お疲れ様」

「うん…なぁ、おれの机に置いてあった『兵士強化マニュアル』知らないか?」

「ワレス様の?」

「あぁ。遠征から帰ったら、キアランの兵士育成方法を参考にさせてくれってマーカス将軍に頼まれたんだよ。机の上に置いてあった筈なんだけどなぁ…」

「ふぅん…知らないわ」


そっか、と呟くと、ウィルは首を捻りながらも息子を呼んだ。


「ウォルトー、ウォールトー!ちゃんと母さんの言うこと聞いてたかー?」


だがしかし返事は無い。
いつもならば喜び勇んでウィルに飛び付いてくる筈なのに。


「あれ?ウォルトは?」

「そういえば…しばらく声を聴いてないわね」


もう外は薄暗い。

息子がいないという事実に気がついて、レベッカが急に不安そうな顔になる。
そんなレベッカを安心させるようにポンポンと頭を撫で、ウィルは疲れを感じさせない笑顔を見せた。


「その辺で遊んでるんだろ。ちょっと見てくる」

「でも、疲れてるでしょう?私が…」

「大丈夫大丈夫!レベッカの美味ーい夕飯楽しみにしてたんだぜ。帰ったら三人ですぐメシにしよう」


レベッカの立つ台所からは、既にいい匂いが立ちこめている。

丁度うまい具合にウィルの腹の虫が鳴り、二人で顔を見合わせて笑った。


その時だった。





「レベッカ?ちょっといいかい?」




コンコンとノックの後に、燃えるような赤毛の青年が入ってきた。


「エ、エリウッド様!?どうされました!?ロイ様に何か…!」

「ぼくは何ともないよ」


ロイの乳母であるレベッカが慌ててドアに駆け寄ると同時に、エリウッドのマントをしっかりと掴んでいるロイが顔を出した。

そしてそのロイの後ろには、赤い鎧を身に纏った10代半ばの少年が、バツの悪そうな顔で立っている。


「エリウッド様、一体…?」

「あぁ、うん。……アレン」


ウィルとレベッカが怪訝な顔を向けていると、エリウッドが困ったように笑って身を引いた。
代わりにアレンが前に出てくる。

その腕に抱えられているのは……


「ウォルト!?何したんだお前!?」


ウィルが慌ててアレンから預かると、ウォルトは何故か子ども用の鎧を着て目を回していた。


「……も、申し訳ありませんウィルさん!!お、俺はその…まさかウォルトが本当に実践するとは思わなくて…」


ガバッと勢いよく頭を下げたアレンの背に手を置きながら、エリウッドはやはり苦笑している。


「叱らないでやってくれないか、ウィル。アレンはウォルトに頼まれて、本を読んであげただけなんだ」


そこでウィルはハッとした。


「本って…まさか…」

「うん、これ」


エリウッドが掲げてみせたのは、思った通り『兵士強化マニュアル』だった。














アレンの話によると、つまりこういう事らしい。


『ん?何読んでるんだ、ウォルト』

『あ!アレンのお兄ちゃん!』


アレンが槍の素振りをしようと城の中庭に出てみると、木の下でウォルトが何やら小難しい本を開いていた。

こんな小さな子どもが読むにしては、どう見ても不釣り合いな本である。


『アレンのお兄ちゃん、ご本読んで』

『別にいいけど…本って、これをか?』

『うん!お父さんの部屋にあったんだけど、難しくて読めないんだ』


へぇ、ウィルさんでも本なんて読むんだ。などと考えながら表紙を見ると、タイトルは「兵士強化マニュアル」。


『「兵士強化マニュアル」?何だこれ…フェレのものじゃないな。…キアラン?そんな地名あったか?』


キアランがオスティアの統治下に入った頃、アレンはまだ小さかったから知らなくても無理はない。

パラパラと中身を見てみると、知らない土地の訓練方法がぎっしりと載っており、アレンの興味を惹くのは容易かった。


『………』

『おにーちゃん?何て書いてあるの?』

『あ、あぁ…。すごいぞこの本。この通りに訓練したら、すっげぇ騎士になれそうだ。ウィルさんに、また貸してくださいって言っといてくれよ』

『強くなれるの!?ねぇ、読んで!』


ウォルトにせがまれ、適当なページの訓練方法を読んでやる。


『んー……領地を全力疾走……鎧を着ければ尚良し……』

『ぜんりょくしっそー?』

『思いっきり走るって事だ。しかし…強くはなれそうだけど、よく読んだら無茶苦茶だなこの訓練方法…』


アレンが呆れたところで、正午の鐘が鳴り響いた。


『おっと、昼飯の時間だ。素振りは午後に回すか…。じゃぁな』


ウォルトに本を返すと、アレンはヒラヒラ手を振りながら食堂へと向かっていったが、不意に立ち止まって振り返った。




『あ、そうだ。ウォルト、お前こんな本に頼らなくてもさ………』












***








その数時間後


アレンが誰もいない中庭で素振りをしていると、不意に声をかけられた。


『やぁ。精が出るね、アレン』

『こ、これはエリウッド様…!如何なさいました、このような所へ』

『ふふ。公務に煮詰まってしまってね。マーカスが遠征に行ってるところだから、鬼の居ぬ間に息抜きでもと思って』

『左様でしたか』


まだ子どもと言ってもよいアレンとでも、エリウッドは対等に話してくれる。
代々フェレの家に仕えているアレンの祖父母も両親も、エルバートやエリウッドの人柄をこよなく慕っていた。

しばらく二人で雑談をしていると、幼い子どもの甲高い声が聞こえてきた。


『父上!父上!!たいへんです!!』

『どうしたんだい、ロイ。そんなに慌てて』

『こちらへ来てください!ウォルトが!』


ロイのただならぬ様子に、エリウッドとアレンはすぐに後を追う。

ロイの案内で城壁の裏手にやってくると、そこにはウォルトが目を回して倒れていた。


『ウォ、ウォルト!どうしたんだ!?』


エリウッドが慌てて抱き起こすが、ウォルトはぐるぐる目を回している。

何故か鎧を着けているウォルトと、側に落ちていた分厚い本を見て、アレンは息を呑んだ。


『お、お前まさか、この本を実践したのか!?』

『どういうことだい?』


エリウッドが冷静に聞き、アレンが事情を説明していると、ウォルトが身動ぎしてうっすらと目を開けた。


『ウォルト、なんでこんな無茶を?』

『…ぼく…つよくなりたくて…』

『どうして強くなりたいんだ?』



あのね、とウォルトは続ける。




















『ぼく、大きくなったらお父さんみたいに強くなって、ぼくがロイを守るんだ』


























***










「そう言った後に、また気を失ってしまってね」

「…………申し訳ありませんでした、エリウッド様。うちのバカ息子が」

「ウィル、そう言う割には嬉しそうだよ」


エリウッドに指摘され、ウィルが諦めてハハハと笑った。
反対に、エリウッドが眉を寄せて表情を曇らせる。


「謝るのはこちらの方だ。命に別状はなかったから良かったけど、ロイのためにウォルトに何かあったら、僕は君たちに顔向け出来ない」

「何を仰いますか。臣下が主君のために身体を張るのは当然のことです」


それに、とウィルは続ける。


「ロイ様のために強くあろうとする息子を、おれたちは誇りに思います」












***











「んー…?」

「起きた?もう、ウォルトったら。あんまり心配させないでちょうだい」

「おかーさん…」

「聞いたぞウォルト。『兵士強化マニュアル』実践したんだってな?よくやった」

「………おとーさん?」


くっくっと笑うウィルに頭を撫でられ覚醒したのか、ウォルトはピョコンと飛び起きた。


「お父さん!弓!教えて!!」

「おいおい、いきなりかよ…」


ウィルが苦笑いを返すと、ウォルトは興奮気味にウィルに詰め寄った。


「だって、だって、アレンのお兄ちゃんも、エリウッドさまも、あの本に頼らなくたって、お父さんに教えてもらうのが一番だって言ってたもん!お父さんは一番強い弓使いなんでしょ!?」

「いや、本当に一番強いのはお母さ……」

「ウィル!!」

「ぐはっ」


レベッカの肘がもろに腹に入り、ウィルが崩れ落ちる。
その様子をキョトンして見ていたウォルトに、レベッカが誤魔化すように笑った。


「…まー…とりあえずメシにしようや。明日は父さん一日空いてるから、一緒に狩りにでも行くか」

「……うん!」


弾けるような笑顔を見せるウォルトに、ウィルとレベッカは息子の将来の心配は無さそうだと微笑んだ。












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