夢花火(笹+ヤコ)









「あれ、弥子ちゃん」

「笹塚さん」


解決した事件の調書を書いてもらって、警察署から出ようとした時、笹塚に声をかけられた。
いつも傍にいるはずの石垣の姿は無い。


「こんにちは。今から現場ですか?」

「いや……今日はもう上がり」


煙草の煙を燻らせながら、笹塚がボリボリと頭を掻く。

珍しい。笹塚と言えば、上がらないテンションながらも、四六時中やれ事件だと駆けずり回っているイメージなのに。

そんな弥子の思考が顔に出ていたのか、笹塚は明後日の方向に煙を吐き出し、横目で弥子をチラリと見やった。


「…そろそろ休まないと、完全に労働基準法違反してるからな」


なるほど。日本の平和を守るお巡りさんも、まごうことなき人間なのだ。
笹塚の目元に広がる隈からしても、然るべき休養は取ってもらいたい。


「そうだったんですか。じゃ、途中まで一緒に帰り……あ、笹塚さん車?」

「いや、歩き。あと今日は夕飯の買い物しようと思って」

「笹塚さん料理するんですか!?」


意外や意外。ポンッとエプロン姿でフライパンと包丁を構える笹塚が脳内に現れ…あ、でも案外似合うかもとか考えていると


「……まぁ、一人暮らしだし。たまにはね」


いかにも笹塚らしい脱力系の声音が聴こえて、そのままスタスタと出口に向かって歩き出す。


「…弥子ちゃん家、商店街の向こうだろ。行こう」

「あ、はい!」


その長い脚による広い歩幅に追い付こうと走り出すと、隣に並んだ時点で笹塚の歩みが弥子に合わせるように遅くなった。


「笹塚さん、今日のメニューは?」

「………………………………………………………酒に合うもの、かな」












***












結果として、買い物は果たされなかった。


「………………」

「………………」


ドザァアアアアアア…と降る大雨を、弥子は呆然として見つめている。

その隣では笹塚が溜め息をついて煙草に火を点けようとしていたが、湿気って点かなかったようだ。
まだ中身のありそうな箱を無表情で握り潰していた。


「…大丈夫?」

「あっ は、はい。まぁ…」


警察署を出て、商店街が近づいて来たところで突然の大雨に見舞われた。

慌てて辺りを見回すも、運悪く雨が凌げそうな場所は無く

笹塚に腕を引かれながら、ようやく商店街の入り口に辿り着いた頃には、二人とも濡れ鼠と化していた次第である。


「止まないかなぁ」

「どうだろうな。それより…」


一心に暗い空を見上げていた弥子に目を向けた笹塚が、珍しく一瞬ギョッとしたように表情を強張らせて目を逸らした。


「?」


どうしたんだろうとその高い身長を見上げると、不意にバサッという音と共に暗くなる視界。


「うぁっ…!?な、何!?」


慌ててその暗闇を取り去ると、弥子の視界を奪ったものの正体は、何のことはない。笹塚の上着だった。


「…?笹塚さん?」

「……それ着ときなよ、弥子ちゃん。風邪引く」

「や、でも」


今が秋口だとか冬なら風邪も引きやすいだろうが、季節は夏だ。
寒さを感じるわけもなく、むしろ雨に濡れたカッターシャツが肌に張り付いて気持ち悪いという点を除けば、少しばかり涼しさを感じているのもまた事実。


「別に大丈…」

「いいから、着て」


普段は弥子の意見に(事件に関わるもの以外)積極的には反発しない笹塚が、弥子の言葉を遮ってまで自身の上着をフワリと弥子の肩に被せた。

弥子が不審そうに首を傾げると、笹塚はこれまた珍しく困ったような表情になり


「……………目のやり場に、困るんだけど」

「は?………あっ…!!わ、わっ、」


ようやく笹塚の真意を理解した弥子が、慌てて笹塚の上着の前をかき合わせる。


「ご…ごめんなさい…」

「……」


赤い顔を俯かせて謝ると、笹塚も些か気まずげに頬を掻いた。

そのまま無言でしばらくぼんやりしていると、やっと雨足が弱まってきたようだ。
キラキラと水溜まりが反射して、雨上がりの商店街を照らしている。


「止みましたね」

「………そうね」

「買い物、します?」

「いや…」


その言葉を不思議に思って見上げると、笹塚と目が合った。


「弥子ちゃん家までまだ遠いし……うち、おいで。着替え貸すから」

「え」


まさかの提案に、ポカンと間抜け面にはなっていなかっただろうか。

いやいやいやいやと辞退しようとしたが、上着は返さなければならないし、何よりも笹塚の家というものに強い興味が沸き上がってくる。


「来る?」


首を傾げる笹塚に、弥子は逡巡してからゆっくりと頷いた。












***












笹塚の部屋は思っていたよりもずっと整然としていた。

いや違う。これは片付いているというよりも、ただ単に物が無いだけらしい。
こざっぱりとした部屋に通されるなり、ポイッと投げられたタオルを慌ててキャッチする。

礼を言って未だ水滴が滴る髪にタオルを乗せると、笹塚が歩み寄ってきてタオルを取り、無言で弥子の髪を拭き始めた。

少し驚きながらも、されるがままになっていた弥子がクスクスと笑みを溢す。


「何?」

「いえ…笹塚さん、お兄ちゃんみたい」

「…………そ」


お父さんて言われなくて良かったよ、と呟き、笹塚はフイッと部屋を出て行った。

その少し後に、ザァッと水の落ちる音。


「お湯出してるから。溜まったら入りな」

「何から何まですみません…」


弥子が風呂に入っている間、笹塚は適当に髪を拭きながら冷蔵庫を開ける。

買い物は出来なかったが、まぁ今日の夕飯くらいは何とかなりそうだった。
濃紺のエプロンを身に付け、野菜を切り始める。

しばらくして部屋にいい匂いが漂い始め、タイミング良く弥子が髪を拭きながら浴室から出てきた。


「笹塚さーん、服大きいですよー」

「…そりゃ弥子ちゃんのサイズに合わせて買ってないからね」


ブカブカの服の袖とズボンの裾を折りながら弥子が目を輝かせる。


「わーいい匂い!カレーですか?」

「食べるでしょ?」

「へ!?いやもうほんとそこまでは……家でもご飯あるんで」

「もう作っちまったし。弥子ちゃんならここで食ったって家のメシも余裕だろ」


当然のように言われ、言い返せない自分が情けない。
言葉に詰まっていると、笹塚が弥子の背を押して少し強引にリビングのソファに座らせた。

そのままクローゼットの奥底から引っ張り出してきたドライヤーの熱風を弥子の髪に吹きかける。


「…笹塚さんって、何だかんだ物凄く面倒見がいいですよね…」

「そう?」


もはや遠慮する隙も与えてくれないほど、それはそれは自然な動作で弥子の髪を乾かす笹塚。

弥子も早々に諦めて、大人しく髪を乾かされる体勢になった。

笹塚の長い指が髪をすいてくれて気持ちいい。


「ん。乾いた…かな」


丹念に濡れているところが無いか確かめてから、笹塚がドライヤーの電源を切る。


「ありがとうございました」


パッと笑って振り返ると、うん、と頷いて笹塚は弥子の頭を撫でた。


「そんじゃ食おっか」


立ち上がって台所に向かうと、笹塚は皿に炊きたての白米をよそい始める。


「はい大盛り」


ドン!と山盛られたカレーの美味しそうな匂いに、思わず弥子の喉がゴクリと鳴った。


「い、いただきます!」

「どーぞ」


笹塚も自分の分を確保して弥子の向かいに座り、テレビを点けながらビールを開ける。
笹塚宅にジュースなんて気のきいたものは無いので、弥子の前に置かれたのはミネラルウォーターだ。


「おいしー!笹塚さん!美味しいです!!」

「………カレーなんて誰が作ったってそれなりにはなるよ」

「それでも美味しい!」




自分の料理を幸せそうに食べる弥子を眺めながら、本当に珍しく笹塚が僅かに微笑んでいたことを




食べることに夢中だった弥子は知る由も無かった。










































(……………………弥子ちゃんも飲む?)


(いいんですか!?やっぱ風呂上がりの一杯はたまりませんよね〜!)


(え……ほんとに飲むの?)ジャラッ


(ハッ! ややややだなぁ冗談ですよ冗談…!ミネラルウォーター超美味しいです はい…)



















だから早く手錠しまって!


























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