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秘密(兵助)











深夜


伊月が完全に眠りに落ちたのを確認し、兵助は身を起こした。


「………」


音もなく立ち上がり、眠る伊月の顔を見下ろす。
その穏やかな寝顔にフッと微笑んでから、こっそり用意していた靴を手に、窓から外へ出た。

寝静まった住宅街は酷く閑散としている。
目を閉じて大きく息を吸うと、自分の世界と変わらない風が通り抜けた。

スウッと目を開けた兵助の表情は、触れれば切れそうな程に鋭くて。

神経を研ぎ澄ませたまま、兵助の影が夜の町に躍り出た。










***







辿り着いた場所は、伊月と最初に出会った森林公園。

ここ最近、どこかいい所はないかと密かに探していたのだが、人がいなそうな場所はなかなか見つからなかった。

ここも十分とは言いがたいのだが、一番マシだろう。
今は深夜で、周りの気配を探っても誰もいない。

だいぶ整備されているが、なるべく木々が密集している所を選んで真っ直ぐに立つ。


「……」


深呼吸を数回繰り返し、目の前に広がる木々に目を向けた。


















ザワッ















木々がざわめいた。

次の瞬間、木々に止まっていたカラスたちが、ギャァギャァと鳴きながら一斉に飛び立っていく。
遠くの方の民家からは、飼い犬たちが吠えているのが僅かに聞こえてきた。

兵助の周囲は酷く禍々しい気配…殺気に包まれ、急激に温度が下がったようだ。


兵助はイメージする。


武器を手に、襲いかかってくる敵たち。
それを迎撃する自分。手には苦無。
人間の身体を切り裂く感触を、意識して思い出す。


「……、……」


頭のなかで一通りシミュレーションし終えると、兵助はフウッと息を吐いた。
力を抜いた兵助は普段と何ら変わらぬ落ち着きを取り戻し、重苦しい空気も消え去る。


「やれやれ…」


たまにはこうして気を引き締めないと、あの感覚を忘れてしまう。
間違えてはいけない。忘れてはいけない。自分は"あちら側"の人間だということを。

自分の手は、とうに赤く染まっているのだ。


「…この世界は、平和だな」









忍者など、必要ないほどに










この世界に慣れてしまうのが怖かった。
元の世界に戻った時、この世界の感覚でいては、とてもじゃないが生きていけそうにない。










『兵助……帰りたい?』











伊月の声が反芻される。
あの時は答えなかったが、


「帰りたいさ…」


伊月の傍は居心地がいいが、やっぱり俺の居場所はあそこしかない。

脳裏に浮かぶ四人の顔。

兵助はぐっと拳を握り締めると、帰路についた。











***









そして事件が起こる。



伊月にバレないよう、こっそりと戻るつもりだった。
起こさないよう、静かに窓を開けると─…


「!!?」

「!!?」


切れ長の目を見開いている伊月と、しっかりと目が合った。
驚きすぎて声も出ないが、伊月も伊月で固まっている。

なんで起きてるんだと頭を抱えたくなったところで、ハッとした。






伊月の顔が、安堵したように、泣きそうに歪んで

声こそ出ていないが、唇が僅かに動いたのを見逃しはしなかった。






















よ か っ た























「しゅ、ん…」


慌てて声をかけようとして、尻すぼみに消えていく。
伊月の表情がみるみるうちに変わっていったからだ。


「とりあえず、そこに座ろうか」


さっきまでの泣きそうだった顔は何処へやら、伊月がにっこり笑って有無を言わさぬ口調で布団を指し示す。
どこぞの保健委員長のような声音に、今度はこちらが泣きそうになった。


「で、どこで何してたんだ?」

「………」


正座する兵助の正面に仁王立ちしている伊月が訊ねてくるが、言える訳がない。あんな自分の本性など、絶対に知られたくなかった。
困り果てて黙していると、伊月が怪訝そうに首を傾げる。


「言えないようなとこ行ってたのか?」

「…それは、その……森林公園……」

「森林公園?なんで?」


勘弁してくれと目線で訴えると、伊月はやれやれと首を振った。


「なぁ兵助…俺はな、この世界でのお前の保護者みたいなもんでもあるんだよ」

「…あぁ…」

「まだ勝手が分かりきってないお前を、あんまり一人で行動させたくないんだけど?」

「………ごめん」


伊月がいっそ過保護なくらいに自分の面倒をきっちり見てくれて、心配してくれているのは、よーく分かっている。
その思いを自分から蔑ろにした罪悪感に、押し潰されそうになった。



でも、



「…また、行くのか?」


伊月の問いには、ゆっくりと首を縦に振る。
黙ってしまった伊月の顔が見ていられずに俯くと、不意に頭を優しく撫でられた。


「気をつけて行けよ」

「!」


その言葉に驚いて顔を上げると、穏やかに笑っている伊月と目が合った。
どうやらもう追及するつもりは無いようだ。

ベッドに向かいながら、伊月がサラリと言い放つ。


「あと、もし元の世界に帰れる時が来たら、絶対帰る前に俺に会いに来て」

「な…」


いきなり何を言い出すんだと言いかけて、口をつぐむ。


(…俺が、元の世界に帰ったと思ったのか)


逆の立場だった時を想像して、胸がキリリと痛んだ。悪いことをしたな。

既にさっさと布団に潜り込んで背を向けている伊月に、そっと声をかける。


「…俊にさよならも言わずに帰るわけないだろ」


返事はなかったが、気配で伊月がまだ寝ていないのは分かっている。
微かに笑んでから、兵助も横になった。









2013.11.27





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