続・心配
兵助が伊作の患者になってから三日。
言われた通りに、今度は勘右衛門を連れて部屋を訪れた。
「こんばんは」
「あぁ来たね。尾浜くんもいらっしゃい。さ、入って入って」
にこやかに二人を迎える伊作に、兵助と勘右衛門はお邪魔しますと頭を下げる。
「あれからどう?肩の具合は」
「あ、はい。ちょっとマシです」
「そう、良かった。それじゃぁ今日は二人でやるマッサージ教えるから。久々知くん横になって」
以前と同じようにうつ伏せになった兵助の腰に馬乗りになると、伊作は勘右衛門を見上げた。
「いい、尾浜くん。まず…」
「あ、はい」
勘右衛門がレクチャーを受けていると、部屋を空けていた食満が戻ってきた。
「お、やってるな」
「おかえりー」
は組の二人は、六年の中でもまだ温厚な部類に入る。
武闘派の食満とて、文次郎や曲者さえいなければ、存外落ち着いているものだ。
「留さんは、今日はどうする?」
「…………………やめとく。お前、こいつらの相手しなきゃなんねーんだろ」
「言い訳だね。バレたからには痛くしなくもないよ」
「つまり痛ぇんじゃねぇか!!」
これで次の日には疲れが取れきってるのだからタチが悪い。
伊作に噛み付いた後、食満はぷいと背を向けて衝立の向こうへ行ってしまった。
何か修理する物でもあるのだろうか。金槌の音がする。
「ふふっ …えーと、どこまでいったっけ」
「あ、そこの……………あれ?兵助?」
勘右衛門が少し驚いた表情で兵助の顔を覗き込んでいる。
伊作も勘右衛門に倣って兵助を見やると──…
「………寝て、る?」
すーすーと小さな寝息をたて、兵助は完全に夢の世界へと旅立っていた。
いや、夢すら見ていないかもしれない。
その寝顔は穏やかなものだ。
「疲れてたのかな」
「えぇ…今日テストがあって。夜もずっと勉強してましたし」
勘右衛門の言葉に、伊作はやれやれと溜め息をつく。
兵助のことだ。また無茶な勉強の仕方でもしてたに違いない。
「テストなんて、通ればいいのにねぇ」
「伊作。それ言ったらうちのクラスが馬鹿の集まりみたいに聞こえるからやめてくれ」
衝立の向こうから聞こえてきた食満の声に、伊作はくすくすと笑う。
「留、勉強じゃ文次郎に敵わないもんね。何だかんだ文次郎もい組だし」
「次は負けん!!大体、文次郎のくせに頭が良いなんて、あの老け顔がどの面下げてっ…!」
「はいはい、頑張れ頑張れ」
勢いよく衝立から顔を出した食満を、伊作が慣れたようにいなす。
その様子を見て勘右衛門がカラカラと笑った。
「やっぱり六年生でもあるんですね。そういうの」
「僕はあんまり気にしたことないけど。尾浜くんはどうだったの、テスト」
「いやぁ…ははは…」
誤魔化し気味に苦笑う勘右衛門の機微を見てとって、伊作が何となしに窺った。
「大丈夫?」
は、と勘右衛門の笑顔が固まった。
「…なにが…ですか?」
「尾浜くんは尾浜くんだよ。気にすることないんだからね」
何を、とはあえて口にしない伊作に、居心地が悪くなって身じろぎする。
思わず視線を下げると、珍しくあどけない表情でスヤスヤと眠る兵助が目に入った。
「別に…俺は…」
「うん。でも、しんどくなったら僕のとこにおいで」
ね。と笑みを見せる伊作には完全に見透かされている。
諦めて溜め息をつき、貼り付けていた笑顔を引っ込めた。
学年一の秀才に一番近い位置にいるということは、油断すればあっという間に心を折られてしまうということだ。
兵助に比べて、自分がどこまでも駄目な奴に思えてしまったことは一度や二度ではない。
加えて、兵助の揺るぎ無い努力も目の当たりにしている立場としては、感心すると同時に
…正直、しんどいと感じることも、ある
「そう思う自分がまた、嫌なんですよね…」
兵助のことが好きだから
ポツリと呟くと、伊作が手を伸ばして勘右衛門の頭をポンポンと撫でた。
「自分と兵助を比べることなんてないんだよ……って言ったって、難しいよね。同室なんだから」
僅かに勘右衛門がきょとんとした表情になったのに、伊作は気付かなかったようだ。
寝ている兵助の肩の筋肉をほぐし続けている。
「優秀な子だから。それなりに軋轢もあるんでしょ?内心で何だかんだ思ってても、尾浜くんが久々知くんの傍にいてくれて有難いよ」
「…兵助のこと、よく分かってるんですね」
その言葉には笑みだけ返して、伊作はちょいちょいと勘右衛門を手招きした。
「ほんとは君にもマッサージしてあげたかったんだけどね。場所が無くて」
「あぁ、俺はいいですよ別に。兵助、連れて帰りますね」
「うん、頼む」
泥のように眠っている兵助をおぶって部屋を出る直前、勘右衛門が伊作を振り返った。
「伊作先輩」
「うん?」
「兵助が俺たち以外の前で無防備に寝るの、初めて見ました」
「……そう」
失礼しますと勘右衛門が笑みを残して立ち去ると、食満がひょいと顔を出した。
「久々知の次は尾浜のカウンセリングか?このお節介め」
「かわいい後輩だからね。尾浜くんの気持ちも分からないでもないし」
「尾浜も苦労性だな」
苦笑しながら食満が衝立の向こうに消えた。
優秀であるが故に、同学年からのやっかみもあるのだろう。
昔は同学年よりも自分たちと過ごしている時間が長かった兵助が、勘右衛門をはじめ、五年に友人が出来ていることが喜ばしい。
「久々知くんが尾浜くんたち以外の前で無防備に寝るのを初めて見た、か…」
伊作がふふっと笑う。
「ねぇ、留。良かったね」
「あん?」
「僕たち以外にも、気を許せる友だちが出来たんだよ。兵助」
いつの頃からか、兵助がこの部屋を訪れる回数はめっきり減ってしまったけど
それでいいんだと思う。
もうあの頃のように、小さな身体で精一杯気を張り詰めている彼の逃げ場になってやる必要も無いのかもしれない。
『…いさく先輩』
『やぁ、いらっしゃい兵助。ごめんね、留は今出掛けてて──』
『いい』
『?』
『いさく先輩が、いい』
『……………どうしたの、兵助。こっちおいで』
『……………』
『大丈夫だよ。僕しかいないから。我慢しなくていい』
『……ぅ…っ……うあ……ああああ…ん………うああぁぁぁぁん……っ!!』
かつての伊作の役割は、今はきっと勘右衛門なり他の五年生が果たしてくれているのだろう。
「…それはそれで、ちょっとばかり寂しいものがあるねぇ」
「お前は久々知の母親か」
呆れたように顔を出す食満に、伊作は頬を膨らませた。
「留だって、今日は久々知くんが来るから早めに帰ってきたくせに」
「………馬鹿言え。たまたまだっての」
「そういう嘘は、僕の目を見て言うんだね。バレバレだよ」
今、兵助の傍にいる彼らの存在を有難いと思うと同時に──
少し羨ましいと思ってしまうなんて
はぁぁと溜め息をついた伊作の頭を、修理を終えた食満が苦笑しながらポンポンと撫でた。
「いい加減子離れしろって。いつまでも変わらないもんなんて、無いんだからよ」
2013.9.12