(俯瞰視点)


 個人差のある比率で期待と不安を胸に秘め、大きめの制服に着られている新入生が校門をくぐっていく入学式。緊張で少し強張った顔は、毎年のことながら可愛いらしい。校舎2階の窓から、黄瀬涼太はネクタイを結び直しつつ黒髪が多く占める頭たちを見下ろした。注意しないと気付かないが、黒とは違う深海のような紺青にふと視線がいく。口を大きく開けて涙を流すほどの欠伸をした長駆の彼からは、緊張など微塵も感じない。同色の瞳は野生動物を連想させ、高めの鼻に薄い唇、鋭い雰囲気を併せ持ったそれなりに整った顔。ハーあれはモテそうっスわ。通俗的な感想を抱き、腕時計を確認する。体育館に向かうその英語教師の頭から、既にその生徒のことは消えていた。



「青峰大輝?あー…まあ、授業は休みがちっスね」
 教材を準備していた黄瀬に、不安そうに一人の生徒の様子について尋ねたのは、高校一年生のある一クラスの担任をしている初老の女教師だった。話題に上った生徒は成績良好とは口が裂けても言えず、それどころか出席日数は単位認定に達するかも危うい、いわゆる問題児だった。二人の会話に、職員室にいた他の教師たちも続々と加わり、口に出すことと言えば「私の授業は寝てるところしか見たことない」やら「赤点回避の技でも持っているのか」などと苦労させられていることが伺える内容ばかり。授業中に「着席」しているとは言え、彼女の有無やよく行く店のことなどばかり聞いてくるマセガキよりは、ギリギリにしろ単位も取れているようだし出席してくれない方がまだ迷惑にならないと捉えていた黄瀬だが、事態は想像していたより深刻らしい。
 黄瀬は、自らが生徒に好かれることや表面上であれば人との付き合いが得意なことを自覚していた。適当に構ってやればすぐに懐くだろう。俺の株もあがりそうっスね。未だ騒ぎ続ける教師陣の横で、整った顔がにっこりと微笑んだ。


 青峰と同じクラスの女子からの情報をもとに、雲ひとつない澄んだ空に一歩ずつ近付く。使うことの少ない屋上への階段は紙コップなどのゴミが散乱していた。失敗したかもなぁ。黄瀬としては現実を分かっていそうな地味な子に声をかけたつもりだったのだが、あの顔の赤くなり方を見て、ある結論に行き着いてしまう程には生徒から好意を持たれた経験があった。判断ミスっスね。黄瀬は頭の中でその女子生徒の顔にバッテンを記した。
「青峰くん」
 五月晴れと表現するのが正しい青空の下、日焼け対策なんて考えたこともなさそうな男がいかがわしい雑誌を傍に置き、寝そべっていた。黄瀬が探していた張本人、青峰大輝である。声をかけた時、ピクリと肩が動き反応があったので起きてはいるのだろう。ただ瞼を開けないところから話す気はないようだ。
「青峰くん、暑くないの?」
 太陽を遮るように黄瀬は青峰の顔を覗き込んだ。特徴のないネクタイが風に揺らいだ。ピクリ。コンクリートの上に無造作に置かれた指先がいらついたように再度動く。大きくがっしりした手に、黄瀬は同僚から聞いた噂を記憶の片隅から引っ張り出す。中学時代からバスケで有名で――
「ねえ、青峰くん」
「んだよ!!!」
 しつこさに耐えきれなくなったのか、がばりと起き上がると、迷惑そうに眉根を寄せた。珍しく出席していたとしても授業中は机に突っ伏して寝ているか、教科書を盾に雑誌を読んでいるかなので、近くで顔を見たことはなかった。思っていたより幼い顔立ちにこの前まで中学生だったということを再確認させられる。
「昼寝の邪魔」
「昼寝する時間じゃないんですけど」
 青峰は目の前の顔を、目を細めてじろじろと眺めてやっと思い出したのか片眉を上げた。
「お前、英語の……授業出ろってか。めんどくせーな」
 元のように横になった青峰のお目当ての雑誌を、黄瀬はすばやく取り上げた。運動神経も良いことが先生一人気の一因であることを、多分この生徒は知らない。今にも舌打ちが聞こえてきそうな凶悪な顔に対して、不釣り合いに、黄瀬の目は綺麗な孤を描いた。
「別にそうは言ってないじゃないっスか」
「何でもいいから帰れよ」
「青峰くんとあんまり喋ったことないなぁって思ったからさー。 お話しよう?」
 にっこり微笑んで、そして黄瀬は勝利を確信した。正直顔はかなり良いほうだと認識していたし、自身でも完璧だと感じる笑顔だった。先程からそっけなくあしらわれてはいるがじきに、そこで黄瀬の思考は打ち切られた。二人きりの屋上ではっきりと耳に届いたのは大きな舌打ちだった。黄瀬はもちろん行っていない。となると後は目の前の。
「なんでいつもへらへらしてんの? お前みたいな奴、嫌いだわ」
 そう言い放つと、青峰は立ち上がり、屋上から出ていった。金属製の扉がゆっくりと閉まる音が黄瀬の鼓膜を振動させた。
 狐に包まれたように立ちすくんでいた黄瀬だったが、すぐにシルバーピアスがアクセントの左耳に特色のある髪をかけると、そのまま人指し指をネクタイの結び目にかけぐいと下に引っ張った。
「…抵抗されると、逆に燃えるっスねぇ」
 切れ長の瞳の奥で、好戦的なカナリヤがさえずった。


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