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「なあなあ。あれってもしかして」

 道すがら、時代遅れとも言えるような不良から助けた朋茗にひと晩の宿を借りることになった一行。夕飯は彼女お手製の料理に毎回飽きないおかず争奪戦を繰り広げた。それが終戦を迎えた頃、空はすっかり黒に近い濃紺沈んでしまっていた。
 満たされたお腹を撫でながら先頭を歩く悟空がその先を指す。悟空たちとは反対の方向から歩いてきたのは見覚えのある浅緑色。

「おや、こんばんは」

 数時間前別れたはずの水櫁が右手を軽く振りながら声をかけてきた。変わらず黒の法衣姿だったが、袈裟はつけていなかった。たったそれだけなのに随分雰囲気が和らいだように見える。

「宿裏に見覚えのあるジープがあったのでまさかとは思ったのですが」
「そのまさかでしたね。こちらも先ほどここの宿の方に聞いたんですよ」

『そういえば、今夜もうひと組鉄の乗り物で来た方がいるんですよね』

 夕食の時、朋茗が行っていたのは水櫁のことだったようだ。

「水櫁も同じ宿だったんだな!」
「そうですね。偶然にも」

 嬉しそうに笑う悟空に水櫁は数時間前と変わらず優しい手つきでその頭を撫でる。その表情はまるで子供をあやす母親のように穏やかだった。悟空はというと甘える子猫のように心地よさそうに頬を緩めてその感触を味わう。

「猫じゃなくて猿だけど――い゛っ!?」

 悟浄の脛に悟空の蹴りが入った。不意打ち過ぎる反撃に声を出さぬままそのまま蹲る。そんな二人を見て彼女が一言。

「仲がいいんですねえ」
「あははは、まあそうですね」
「そういやあ、アンタのツレとは会えたのか?」

 すっかり忘れていたが、水櫁には連れがいたはずだ。そもそも水櫁が三蔵たちと出会うきっかけとなったのは、彼女の連れが荒地に彼女を放置したからだ。
 三蔵が問うと、水櫁は二つ返事で答えた。

「おかげさまで。開口一番に『よく生きてたな』って心底驚いた顔されましたけど、こっちは心底死ぬかと思いましたよ」

 水櫁はやれやれと言ったふうに肩をすくめたあと「改めてその節はお世話になりました」と頭を下げた。対する三蔵一行は社交係である八戒が「こちらこそ悟空がお世話になりました」と微笑んだ。

「うちのも彼ぐらい素直だったらどんなによかったことか……」
「コイツの場合素直すぎて『腹減った』しか言えないがな」
「そんなことねえよ!」
「いや事実だろ、食っちゃ寝猿が」
「まあまあ」

 三蔵の一言に再び悟空と悟浄が一発始めようとしているが、八戒がやんわりと二人の間に入った。
 二、三世間話を交わしていると、外がにわかに賑わい始める。全員が窓の方を見るとぞろぞろと様々な衣装や荷物を担いだ人々が列をなしていた。それを見た水櫁が思い出した、とぽんと手を打つ。

「ああ、そういえばこれも朋茗さんに聞いたんですけど、先刻団体客の予約が入ったそうですよ。なんでも旅の一座だそうで」

 さして興味のない三蔵たちだったが、その中に美人を見つけるや否や、悟浄の目があからさまに変わった。

「踊り子の姉ちゃん達イケてんじゃん」

 次の言葉を続ける前に人前ということもあって八戒が「教育的指導」と安っぽいホイッスルでかき消した。悟浄以外の三人がさりげなく彼女を伺うも、首をかしげるばかりで聞こえてはいなかったようだ。

「それでは自分はこのあたりで。お部屋に戻られる途中お引き止めしてすみませんでした」

 そういうと水櫁はゆったりとした足取りで三蔵たちが来た方向へ歩き出し、三蔵たちもそれを見送ったあとにもらった鍵を頼りに部屋へ向かう。
 その途中、悟空が何の前触れもなくこう言った。

「今思ったんだけど、水櫁って結構美人だよな」
「そういやあそうだな。着てるモンがアレだからわかりづれえけど、確かに綺麗な顔立ちだと思うぜ」

 珍しく悟空と悟浄の意見が一致した。

「まあ俺としてはもうちょっと体つきが豊富だと」
「悟浄?」

 八戒が仏の顔も三度と言わんばかりに威圧。
 縮こまる悟浄を他所に悟空が居心地悪そうにそわそわしているのが目に付いた。

「……すっかり手懐けられたな」
「だって水櫁が頭撫でる手、めっちゃ気持ちよかったんだ」

 悟空は名残惜しそうに自分の頭を撫でた。



「と、いうことがあったんですよ」

 もう底をつきそうなワンカップ片手に水櫁は語った。そのすぐ隣には空き瓶が三つ。

「いやあ偶然とは恐ろしいですね」

 カップの口を持ち、くるくると回せば、中のお酒も同じように渦を描く。そして空いてるもう片方の手で先ほど朋茗から酒のおつまみにともらった唐揚げを素手で食べた。
 行儀が悪いと注意しても「今更でしょう」と改める気はさらさらないらしい。

「それにしてもこのご時世に旅とは酔狂な方たちですよねえ」

 ぐいっと煽れば、はや四本目が空く。透明なだけに傍から見れば、ただの水に見えなくもないが、部屋に立ち込める匂いは酒特有のそれだ。
 そうだというのに飲んでる水櫁の口からは一切酒気を感じないのだから不思議だ。言わずもがな一切変わらない顔色と湯水のように消えていく酒に耐える肝臓も。
 過去に一度、実はただの水なんじゃ? と思って一口もらったが、そんなこともなかった。
 飲めないわけじゃないが、好きでもない。

「髪色が派手なお坊さんもいらして、最近はそういうのが流行りなんですかね?」

 アンタの髪も十分派手だがな、という言葉は言わないでおく。
 というか、見た目は尼のくせして中身はただのぐーたらダメ人間の言われたくないだろう。どこのどいつかは知らないが、こいつと一緒にされたその坊さんが可哀想だ。

「あー! あなた今、自分のこと馬鹿にしましたね? そういうあなただって神様仏様なんてサラッサラ信じてないじゃないですか」

 酔ってもないくせにさも酔ったかのように「人のこと言えませんよね〜」と舌っ足らずな声で馬鹿にしてきたのでちょうど整備の終わった銃の引き金に指を掛ける。

「言っておきますけど、それぶっぱなしてここ追い出されてでもしたら今後一切、びた一文支払いませんからね」

 直前の呂律が回ってないはなんだったのか、するりと出てきた言葉に一切の淀みはない。
 そう言われると否が応でも銃を下げざるを得ない。
 まことに、まことに不本意ではあるが、財布の紐は全て水櫁が握っている。酒を買う程度――量はその時々によるが――しか使い道のなかった彼女の口座にはゼロがいくつも並んでいる。対するこちらは修行僧ということもあってほぼ無一文に等しい。
 この旅は水櫁のお金あってこそなのである。
 一応餞別としてある程度まとまったお金をもらったのだが、水櫁がすぐに酒とつまみに変えたのだ。
 今にして思えば、自分に使えるお金を与えないためだったのかもしれない。そう思うと胃の辺りがじわりと痛む。この詐欺師が。

「ほっ」

 ぐっと眉間を押される。

「ほらほら、そんな怖い顔してたら幸せも恐れをなして逃げちゃいますよ」

 外道が何を言うか。
 そしていつの間にか最後の一本も空いていた。

「さあて、そろそろ寝ましょうか」

 水櫁の手がワンカップから最後の唐揚げに手が伸びる。

「ああ!! ちょっと!!」

 水櫁が摘む前にかっ攫うとそのまま口へ放り込む。

「油断大敵だ、バーカ」

 冷えた唐揚げはとても脂っぽかった。

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