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「……とりあえず傷口は塞ぐことができましたね」

 ひとまず三蔵を屋根の下に避難させる。ぐったりと呼吸はか細いが、生きている。

「ええ、気功のおかげで思っていたより早く止めることができました。しかし問題は――」

 ほんの一瞬だけ安堵の表情を見せる水櫁だが、またすぐに険しいものに戻る。その視線の先には重厚な妖気を発し続ける斉天大聖悟空。悟空の真の姿。
 仇敵が去った今、落ち着きを取り戻したように見え、動かなくなった悟空に悟浄が近寄ろうしたが、悟空は明確な殺意を持って彼の左手が空を切り裂いた。

「悟空!?」
「駄目です! 今の悟空には判別能力がないんだ」
「それを相手にしろって!?」
「――ったくトチ狂いやがって……!!」

 本来の力を得た悟空はありえない速度で容赦なく双蓮と悟浄に鋭い爪を振りかざす。とてもじゃないが避けるのが精一杯だった。その中で悟浄の影から双蓮が悟空の額を掴む。すぐさま掴んだ右手に全法力を流し込んだ。すると薄らぼんやりと金鈷の輪郭が現れ始めた。

「っくそ!!」

しかし双蓮の法力はそれを形作るにはあまりに弱すぎた。すぐに光の粒と消える。悟空は直に流れてくる法力に苦しみもがき、鋭い歯で双蓮に食らいつこうとした。

「……これでも食ってな!!」

 悟空の鋭利な牙はふたりの間に割って入った悟浄が右腕で受け止めた。音を立てて血が派手に飛び散る。
六道の肩を食いちぎった歯は、今度は悟浄の右腕を持っていこうとするのを、そうはさせまいと悟浄は右腕に力を入れて対抗した。

「目ェ覚ましやがれッこのバカ猿……ッ!!」

 双蓮も負けじともう一度金鈷のために力を込めたとき、ふたりの頭に女性の声が凛と響き渡った。

――そのまま抑えておけ!!

 その声に双蓮は悟空を上回るおびただしい神気を感じ取った。
 すると悟空は悟浄の腕を離れ、ぴくりとその動きが止まった。流れるように悟空の頭に金冠と同じ金色に輝く輪が浮かぶ。双蓮の不完全だった金冠が甲高い金属音を立てて悟空の頭におさまった。そして力が抜けたように長く伸びた髪も耳、爪やあんなにおどろおどろしかった妖気がまるで夢のようにふっと消え去り、元の姿戻った悟空はそのまま意識を失った。

「悟空……!! ――寝てやがる」

 大地の気を取り込んだ体に何か異常はないかと心配したが、杞憂だった。ぐーと寝息まで立てている。
 さて、悟空の暴走と無事が戻ったのはいいが、いま何が起こったか誰ひとり分からなかった。少なくとも双蓮は自分の力によるものではないとわかった。

「――ったく、だらしないね」

 悟浄と双蓮の脳内に響いた声が今度は空気を震わせて直に耳に届く。その声に従って振り向くとそこには見知らぬ何とも言い難い姿の女性がいた。

「……よォ」

 人目を引く黒髪に鼻筋がくっきりと美しい顔立ちに反して口調は荒々しさが垣間見える。なにより上半身を纏うは絹のように滑らかで透けており、豊満な胸がありのまま。
 全員がその容姿に開いた口がふさがらないなかで、我先に返った八戒だけが彼女に問うた。
 しかし女性は八戒に応えることなく、瀕死の三蔵と意識を失った悟空を見てふんと軽く鼻息を漏らした。そして発した第一声が、

「こんなところで足止めくらってる様じゃ大したことことないな、お前らも」

 と随分な挨拶だった。
 こっちはただでさえ仲間の命の危機であったのに返ってきた言葉に悟浄が声を荒らげる。双蓮は意識のない悟空を強く抱きしめながら女性を睨んだ。

「口を慎め!! この御方こそ天界を司る五大菩薩が一人、慈愛と慈悲の象徴。観世音菩薩様にあらせられるぞ!!」

 実は後ろにいた従者らしき男性がが控えおろうと悟浄以上に声を荒らげた。ちなみに両性体――都合により下は見せられないらしい――であると人生で知らなくてもいいことを教えられた。
 見た目を然ることながら自らを観世音菩薩と名乗る人物に混乱するのも無理はない。誰が信じられようか、八戒なぞは“慈愛と慈悲”の象徴ではなく“自愛と淫猥”と率直に言った。その隣では法力の消費でぐったりしていた双蓮がさらに青い顔をして頷いている。
しかし悟空の暴走に手も足も出なかったところ急に出現した金鈷とそのタイミングにもしやと悟浄が問う。

「そう。……そのチビの金鈷は一般化してる制御装置とは訳が違う」

 斉天大聖とは限りなく神に近い妖怪だ。その神の如き力を抑え込むにはそれと同等、それ以上の力が必要だ。文字通り神のみが施すことが出来る特殊な金鈷。
 双蓮なんぞが作れるはずもない代物なのだ。そのことに一瞬双蓮はほっとしたが、神に及ばなくとも力不足であることに変わりなく、安堵してしまったことに自己嫌悪を抱いた。

「つまり孫悟空のちからはそれだけ桁外れだってことさ」

 そこで観世音菩薩は一度言葉を切った。そして何か深いものを秘めたように「……まだ天界にいた頃からな」と一瞬水櫁を見る。しかし水櫁はわけがわからない、何故自分を見るのかわからず不思議そうに観世音菩薩を見返した。観世音菩薩は何とも言えない笑みを浮かべて小さく短い息を吐いた。訝しげに水櫁の目が細まる。

「――さて、問題はコイツか。かなりこっぴどくヤられた様だな」
「傷口は塞いだんですけど、失血量がかなり多くて……こればっかりは」
「――まかせろ、この俺に不可能はない」

 にやりと笑った顔は無駄に造形がいいがために普通に黄色い声があがりそうだ。しかしこの数分で中身を知ってしまった全員はこれっぽっちの感情も抱かない。後ろで八戒が従者に「神様って皆さんこうなんですか?」と聞いていた。観世音菩薩の名誉のために言葉を濁すが、もちろん違うらしい。

「よし、そこの血の気の多そうなお前とお前! ちょい顔貸せ」

 お前とお前、選ばれたのは悟浄と双蓮だった。

「ンだとコラ!!」
「アタシをこんなクズと一緒にすんな!!」
「双蓮てめえもさりげなく貶してんじゃねえよ!!」
「うるさい! 一緒に括られるとかないわ。マジでない」

 悟空の暴走を止めてくれたとは言え、やはり信用ならない悟浄は観世音菩薩を睨みつけるが、胸元を掴まれたと思うと次の瞬間には観世音菩薩の唇が悟浄のを奪っていた。
 まさかの接吻にぱちくりと目を見開く八戒。ゲッとする青ざめる双蓮。あららと手を口元に揃える水櫁。
 一瞬かと思えば、これがまた長い。ぴくりともしない。十数秒がまるで倍以上の時間のように感じられた。

「ま、こんなトコか。慣れてンな、お前」
「何をイキナリ……ッ!」
「悟浄?」

 ただ接吻をしただけなのに悟浄の視界がぐらりと揺らぐ。突如襲ってきた目眩に倒れ込んだ。

「……あまり動くと貧血を起こすぞ。いまお前の体から血気を吸い取ったからな」
「あ、そ……」

 そこで双蓮は気づきたくなかったことに気づく。さっき『お前とお前』と指名された。それはつまり――

「いやいやいやいや待て!?」
「いや待ってやんねえよ」

 双蓮は己の身の危険を感じて逃げようとしたが、観世音菩薩の手が伸びる。暴れる双蓮を押さえつけながら悟浄の唇を奪ったその唇で双蓮に食らいついた。
 ちなみにその後ろでは蚊帳の外をいいことに八戒は手を合わせ、水櫁は冷やかすようにきゃーっと顔を覆いつつ、わざと開けた指の隙間からその光景を楽しんでいた。
 色々と大事なものを失い、呆然とする悟浄と双蓮を尻目に観世音菩薩は乱暴に三蔵の髪を乱暴に掴み、ふたりから奪った血気を移そうとする。
 そのとき三蔵にだけ聞こえる声で観世音菩薩は言った。

「……こーゆーことされて悔しいだろ『金蝉童子』。いや……今は玄奘三蔵だったな。悔しかったら生き延びてみな、自分自身の力で」

 先ほどのふたりとは対照に静かに青白い唇と重ね合わせる。
 するといままでピクリともしなかった三蔵の左腕が観世音菩薩を振り払った。意識が戻ったかに見えたが、観世音菩薩曰く無意識らしい。

「本当可愛い奴だよお前は」
「……アンタはコイツのこと知ってんの?」

 知った素振りをする観世音菩薩に口元を執拗に拭った双蓮が聞く。

「さあ、どうだろうな」
「茶化すな。慰謝料としてそれぐらい教えてくれたって釣りが来るくらいだろ」
「ああ? なんだァ? もしかしてハジメテだったとか?」
「えっ、双蓮そうなんですか!?」
「アンタは黙ってろ! 他人事だからってにやにやして」
「ええ〜」
「それで、どうなの」

 中身がどうであろうと神に等しい存在を前にしても、貧血気味の色素の薄い顔でも双蓮の気迫は衰えを知らず、観世音菩薩に答えを要求する。観世音菩薩にはそれが遥か昔に向けられたものと似ていることに気づく。変わったようで変わらない、変わらないようで変わったものにうちから湧き上がる懐かしさと新しさに口元を緩めずにはいられなかった。双蓮はそれを嘲笑とみてさらにきつい目尻をあげる。

「ああ、知ってるさ。コイツもお前らもな」
「それってどういう――」
「さあ、俺は答えたからこれで終いだ」

 観世音菩薩はここで双蓮がまだ追い詰めてくるか思った。しかしおとなしく引き下がった彼女に「おや?」とその様子を見ていた。逆に水櫁が無言でその続きを欲していたがあいにく言わなければわからない質でなと声には出さずちらりと視線を返すだけに終わった。

「コイツに関してはこれで輸血の必要は無くなったから。すげーだろ神様わ」
「……有難うございます」

 何がすごいかと言えばやることなすこと一切他人を配慮しない唯我独尊がである。

「礼なら身体で払ってくれ。俺は善意や道徳心で手を貸したんじゃないぜ」
「というと……?」と水櫁は今度は問うた。

「決まってんだろ。この旅の真の目的、牛魔王の蘇生実験を阻止する為だ」

――まあ実際こんなところで死なれちゃ面白くないんだけどな

「――じゃ、またな」

――見せてもらおう。寄せ集めのパーツで組み立てたポンコツが、何処まで走っていけるのか

 観世音菩薩の心中の言葉は当然誰にも届かぬまま。
 それでいいのだと、観世音菩薩は口元をにやりとあげ、その姿を消した。

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