特訓
※伊吹のトリオン体をいじった女体化(?)要素あり
学校が終わり、いつもと同じように辻は龍之介と共に本部へ向かった。学校を出たすぐはだいたいその日の授業内容やくだらない話をする。本部へ続く地下通路を入ると、自然とボーダーの話に切り替わる。
主に龍之介が辻に教えを乞う。同じアシスト、前衛サポートの師匠として実戦におけるノウハウを龍之介は熱心に聞く。口数が多くない辻だが、こういうときはよく話す。そうでなくても龍之介とはくだらないことや同じ隊の犬飼の無茶ぶりに対する愚痴など、わりと話が続く。龍之介は自覚しているかはさておき、彼は話術に長けている。
先日行われた二宮隊が参戦したランク戦での立ち回りについてひと通り決着が着くと同時に本部にも着いた。
「あ、やっときたね辻ちゃん」
入ってすぐ二人を出迎えたのは犬飼だった。糊のきいた黒いスーツ姿。換装体の犬飼が制服姿の辻に手を振る。犬飼が待っていたということはなにか隊長である二宮の招集か? 道中気にしていなかった端末を咄嗟に確かめる。二宮からは何もなかった。
「俺になにか用事ですか?」
「もちろん。そのために待ってたからね」
犬飼はにこりと人懐っこい笑みを浮かべる。その一瞬、辻の第六感が警鐘を鳴らした。犬飼の今の笑みは、よからぬ事を企んでいるときのものだった。それはなにかと思う間もなく、左腕を掴まれた。
「龍之介……?」
「……進、ごめん」
気が付くと龍之介はいつの間にか制服から換装体へ変わっていた。そして反対側は犬飼ががっちり掴む。
「二宮さんから課題を預かってきたよ」
「課題?」
「女性恐怖症のね」
はっとついこの間二宮と話したことを思い出した。
「進、ごめん……」
龍之介は真っ青な顔をしていた。
「やっほ」
そして目の前にはゴキゲンな伊吹がいた。
〇
「それじゃあちょっと碧子ちゃんにトリオン体の調整してもらってくるね!」ととても二宮さんより一つ上とは思えない無邪気さで伊吹は模擬戦のラウンジの入口で別れた。
辻としてはいますぐにでも全力で家へ緊急脱出したかった。しかし両脇は犬飼と龍之介にがっちりホールドされてる。トリオン体ならまだ抵抗のしようもあったが、肝心のトリガーは早々と取り上げられていた。
周りからの好奇の視線が気まずい。なんとなく影浦の気持ちがわかるような気がした。挟んでる二人とはそう身長も変わらないはずなのに、これからの特訓を考えると、気分は有名な宇宙人写真。あの宇宙人はあのあとどうなったのか。
「新、ごめんな……両隊長からの命令だったから」
隊長の命令は絶対。それでも友人をこのような形で騙すことに彼は沈鬱としている。
「終わったら煮るなり焼くなり模擬戦でぶった斬るなりなんでもしていいからな……。焼肉は……ちょっとキツイけど影浦先輩んところのお好み焼きぐらいなら奢るからさ」と言う。
「ちょっと強引かもしれないけど、辻ちゃんにはこれぐらいの荒治療がいいから、龍之介くんがそんなに気負う必要は無いよ」
逆に自隊の犬飼はこの上なく楽しそうな顔をしていた。もともとテンションの高い人ではあるが、それにしても今日は増して高い。
決定的な弱点を克服しなければならないと思ってはいてもあまりに不意打ちすぎる。
「でも最初から説明しちゃうと辻ちゃん絶対逃げるでしょ」
「馬鹿なこと言わないでください。敵前逃亡なんてしませんよ」
「新、言葉と表情の連携が取れてないぞ……」
そうこうしているうちに個人戦のブースに放り込まれた。犬飼が「じゃあね」と手を振りながら扉が閉まる。残酷なことに、ここまで連れてきた二人のほかに二宮も観戦室にいるという。なんという公開死刑だ……。せめて氷見のサポートがあれば、と思ったが、彼女は今日綾辻たちと遊びに行くと嬉しそうに話していた。
まだ覚悟は決まっていない。しかしいまさら何の抵抗もできない。震える手でトリガーを握ると、指に食い込む感触が未知のものに思えた。
『辻くーん。準備できた?』
トリオン体への換装準備はもとより心の準備などできるはずもない。しかし逃げ道はない。YES or はいしか与えられない無慈悲な選択肢。
『問題ありません』
問題しかないが、その言葉しか残されていなかった。
「転送開始しますよーっと」
制御室の龍之介が操作し、ふたりをシンプルな白い立方体の部屋へ飛ばした。
障害物など何もないまっさらな部屋。建物やオブジェクトなどを利用したテクニックは通用しない。この身ひとつの孤月一本だけの純粋な実力が試される真剣勝負。
やや遅れて転送してきた伊吹の姿をみて辻は目を疑った。
「どう? なかなか似合ってると思うんだけど?」
そう言ってくるりんとその場で回る伊吹にふわりとスカートが広がった。それだけならまだよかったが、なんと換装体の調整で彼の胸には控えめだが女性らしい曲線を描く胸があった。そして生来の童顔など見た目も相まって、いまの伊吹はどこからどう見ても辻の苦手とする女性だ。
辻は声も出せず、腰を抜かしてそのまま尻もちをつきそうなほど狼狽えていた。
「見た目は女子でも中身は僕だから大丈夫だよ」
「進の課題はまず女性に慣れることで、結局中身はいつもの伊吹さんだからあんまり緊張せず模擬戦出来るはずだぜ」
そんな問題じゃないと辻はお腹底から叫びたかった。
あれはもう完全に女性認定を受けてしまっている。辻は全身の筋肉が収縮し、動けない。
「さて、それじゃ始めようか」
伊吹はにこりと可愛く笑ったあと辻に向かってぴんと伸びて相手に敬意をはらって一礼した。それを見て、はっと我に返った辻はこれはれっきとした模擬戦であり、滅多につけて貰えない稽古だと思えば、少しは気が楽になった。無駄な筋肉のこわばりも和らぐ。
「よろしくね」
「……こちらこそよろしくお願いします」
伊吹に倣って辻も頭を下げた。
「言っておくけど、手加減はしないから」
「もちろんです」
両者納刀したまま適度な距離を保ち、龍之介の合図を待つ。
「はじめっ!」
アナウンスと同時に伊吹が消えた。一瞬遅れて「トリオン器官破壊。緊急脱出」と辻は何が起こったかわからぬまま呆然と立ち尽くしていた。
まったく、見えなかった。
気がつけばトリオン器官を横一線に抉り斬られていた。辻が抜刀しきる間もなく、それを上回る速さであの距離を詰め、伊吹は彼を仕留めたのだ。
受けた致命傷は一瞬のうちに戻る。
まさに瞬殺。グラスホッパーでも使ったかようにすばやく間合いに入り、一太刀を引いた。
背後で伊吹の声がする。まるで血を払うようにくるりと孤月を回せばスカートがふわり波打った。
「辻くん、さっきも言ったけど、本気で来てね」
小柄な彼には少し大きい孤月を口元の高さまで上げてかまえた。そのぎらりと辻を見る目は、ふざけた換装体とは裏腹にどこまでもどこまでも冷えきっていた。
からからの口内からじわりと出る唾を飲み込む音が辻にはやけに大きく聞こえた。