あわてんぼうのトナカイさん

 何が楽しくてクリスマスにバイトに勤しまなければならないか、という学生は多いだろう。中でもひとりぼっちの男子諸君は、構成要素は全く同じであるのに隣に女の子と手を繋ぎ、肩を抱いて歩いていく同性に呪いをかけたくなる者も多かろう。
 かくいう俺もクリぼっちバイトの一員だ。トナカイの着ぐるみを防寒具として道行く家族連れやカップルたちに、どことも知らない派遣会社のチラシが入ったティッシュを配っている。無駄にリアリティを求めすぎたせいか、大半は「ひっ」と短く悲鳴を上げてティッシュを差し出す前に早足で通り過ぎる。子供にはだいたい泣かれる。少し離れたところではカメラを向けられ、おおよそSNSにでも晒されるのだろう。
 こんな有り様ではティッシュは一向に減らないと思われがちだが、これが面白いほどダンボールから消えていく。

「よかったらどうぞ」

 何故なら隣にはもう一人、イケメンのサンタが配っているからだ。定番の赤と白のツートンカラーの前でもかすみはしない。この男の前ではどんなダサいTシャツも霞んでしまう。
 さらに隣がこんなホラーじみたトナカイがいれば、なおさらだ。写真を撮るとき隣に自分のほうがまだマシなやつを置くことによって自分をよく魅せるアレだ。

「あ、ありがとうございます!」

 そんな顔が良すぎる後輩の前は老若問わず女性の頬に寒さからくるものではない朱と白い吐息が常に渦巻いている。イルミネーションなぞ比ではない。通りがかる独身男性はみな目が据わっている。
 言い訳がましいが、彼ほどじゃないにせよ、自分の顔面偏差値は決して悪くないと評価している。ただこの後輩以外にも同級生が猛者揃いすぎるのだ。顔面のキセキの世代である(まあ6人もいないが)。

「先輩、さっきからずっと休憩取ってないですよね。時間もそろそろですし、行ってこられては?」

 しかしこの後輩、実によくできた後輩なのである。相手など選り取りみどりそうな彼がこのような日にバイトで1日塗りつぶすのは、ほかでもない家族のためなのだ。弟妹たちのために身を粉にしてバイトに勤しむ彼をどうして責められよう。これで彼を呪うやつがいるならば、喜んでそいつを呪い返してやる。実際そんなことできるわけもないが、こういうのは気持ちである。

「さんきゅー京介。じゃ、ちょっと抜けるぜ」

 手元にあまり減らなかったポケットティッシュをダンボールに戻し、離れる。
 寒さと少しメンタルを削るようなバイトだが、何も俺はバイト代のためにはいったわけではない。

『本日はスペシャルゲストとして、常日頃我々を守ってくれる嵐山隊のみなさんにお越しいただいております!』

 言わずもがな、このイベントに参加する嵐山隊のためだ。彼らを待ちわびる遠くてもここまで黄色い声が聞こえた。
 俺達のバイトで使う休憩室と彼らの控え室がたまたま同じ建物内にあるのだ。隊長の嵐山さんを先頭に、いつもの正義の象徴のような赤い隊服がこちらに向かってくる。クリスマス仕様なのか、女性陣の頭には可愛らしいサンタ帽、男性陣はトナカイの角の被り物を。角は嵐山さんも例外ではない。ボーダーの顔がそれでいいのかと思うが、本人はいつも通り、京介とはまだ違った整った顔を弾ませながら隊員たちと話している。
 美男美女が揃う嵐山隊の中でも俺が追う目はいつも変わらない。
 遠目からもわかる芯の通った背筋。一歩一歩踏み出す度に堂々とした足取りは中学生とは思えないほど。強い意思を宿す切れ長な目。やや高圧的な印象を受けるが、幼さがの残る丸みを帯びた輪郭が上手く調和していて、彼女の魅力を最大限に引き出している。
 と、どっかのロリショタコンのようだと自重。外見だけでもまだまだ語り切れないし、ましてや彼女の性格を語るには到底無理だ。
 そんなことを考えているうちに近づいてくる。普段ならもう遠くからその姿を見ただけで動悸はするし、尋常じゃない汗が体のそのら中から滲み出す。今回は全身着ぐるみのおかげでこうして近づくことができる。が、まったく緊張しないわけない。
 決して広くない廊下なので、俺はほかの部屋と繋がっている扉の僅かな凹みにこれでもかと体を押し付けて道を確保する。

「ありがとうございます!」

 嵐山隊長のはつらつとした声が着ぐるみ越しでもはっきり聞こえる。それから視界の端でとっきーたちが続いて会釈して通り過ぎていく。最後に彼女がその凛とした表情が僅かに緩ませて、「ありがとうございます」と言って過ぎていった。
 完全に嵐山隊が出て行ったあと、俺はもう全身の力が抜けてその場に崩れ落ちる。

「え、え、いま、微笑んでくれたよな……?」

 ありがとうクリスマス。さいっっっっっこうのプレゼントだ!!



 クリスマスイベントも終わり、残す大型イベントは大晦日のみ。
 ステージから完全に降りたところで、いつもどおり嵐山さんが私たちに労いの言葉をかける。それに対して私たちも「お疲れ様でした」と頭を下げた。
 あとは控え室にある荷物をまとめ、裏でもう待機しているであろう根付さんと合流すれば今日の仕事は終わり。
「クリスマスとはいえさ〜」と佐鳥先輩がなにかぼやく。それを聞き流して綾辻先輩にお手洗いに行くので一足先に控え室に戻って欲しい旨を伝え、ひとり違う廊下を行く。
 備え付けの化粧室に誰もいなかった。それをいいことに、じっと鏡と向き合う。トリオン体に疲労の色は出ないのだが、鏡に映る自分の顔色は悪い。今日のステージで特別なにか失敗したわけはない。けれど、もっと上手くやれたと思うような粗がいくつもあった。

「……はぁ」

 未熟だ。
 鏡を見るに眉間に寄るしわは自分が思っているよりもずっと深い。しかしここでいつまでも自分と睨めっこしている場合ではない。反省は後。ぱんっと頬を叩き、気持ちをリセットして控え室に戻ろうと化粧室を出たが、

「私に何か用でしょうか」

 出てすぐに待ち構えていたのは見知らぬ男性が3人。
 関係者のみのここに一般人が入ってこれる訳がなく、案の定彼らの腕章と首にかけてあるネームホルダーが彼らの身分を証明している。

「嵐山隊の木虎ちゃんだよね?」

 優しい声音だったが、その裏には下卑た感情が滲んでいる。
 正直に言って面倒なことに巻き込まれたと思った。
 サインを求めるようなファンなら喜んで受けたが、彼らは違う。いっそボーダーを憎む過激派の方がまだ対処のしようがあった。それがスタッフとなると、わけが違う。
 広報の仕事は根付さん持ついろんな伝手の賜物で、ただの平スタッフでもどんな小さな揉め事でもそれは彼が積み上げてきたものをすべて壊すようなものだ。
 今後、このような場面に何度も遭うことになるならここは自力で乗り切るのが自分のためになる。しかしいまの自分が穏便にこの場を乗り切れる自信は、認めるのも悔しいがない。
 再び己の未熟さを恥じながら、内部通話で嵐山さんたちに応援を頼もうしたとき、男たちから少し離れた後ろに無駄にリアリティを極めたトナカイがいた。その手にはウサギ型など動物を模した色とりどりの風船が握られており、アンバランスにもほどがある。そして彼からは距離があるのに着ぐるみから発せされる気配は凄まじいもので、何故彼らが気づかないのか不思議なほどだった。
 私と目が合うと、ずんずんとこちらに近づいてくる。目の前の男たちよりトナカイのほうがずっと恐ろしいように見える。しかし不思議とこちらに敵意があるようには感じられなかった。男たちに気づかれる前にトナカイから耳をふさぐようなジェスチャー。

「ああ? なんだ、アン――」

 とんとんと肩を叩かれた男が振り向くと逆光により存在感が増したトナカイとほぼゼロ距離でぎょろりとした目と合う。ひっと男が短い悲鳴をかき消すようにぱぱぱぱんっとマシンガンのような破裂音が鳴り、至近距離でくらった男たちは目に火花を散らす。
 その一瞬を突いてぐんっと腕が引っ張られる。トナカイは私をそのまま連れ出し、男たちの壁を抜け、廊下を走り抜ける。引かれる力は決して強くなく、むしろ気遣いの気持ちが伝わってくる。このとき、ステージへ向かう時に道を譲ってくれたトナカイだと気づく。
 与えられた控え室に続く角を曲がった時、「木虎?」と声をかけられた。

「か、かかか、烏丸先輩!?」

 振り向くと、サンタ姿の烏丸先輩。赤と白の安っぽいサテン生地の光沢も烏丸先輩が着ると、天鵞絨のような輝きに変わる。
 まったく予期せぬ遭遇にいつも以上に声が上擦ってしまった。

「広報の仕事か?」
「は、はい! せ、先輩は、バイトですか?」
「ああ。こんな日でも広報の仕事は大変だろ? お疲れ」
「いえ! 先輩こそこの寒空の下、バイトお疲れ様です!!」

 きゃーっ! 先輩のサンタ姿を拝見出来た上に「お疲れ」なんて!!
 ついさっきまで見知らぬ男たちに囲まれて不愉快だった気分も急上昇。

「ところでこのあたりで着ぐるみのトナカイを見なかったか?」

 すっかり烏丸先輩に気を取られて忘れていた。「それなら」と言おうとしたとき、トナカイの姿は跡形もなかった。さっきまでいたのに煙のように消えてしまっていた。

「あ、あれ? さっきまで一緒にいたんですけど……」
「一緒に?」
「はい。少し困っていたところを助けてくれたんですが……」

 そういうと先輩は「そうか」と短い言葉を漏らす。

「お知り合いの方ですか?」
「うん、まあ。思いのほか仕事が早く終わったからそれを伝えに来たんだ」
「そうだったんですね」

 いくら烏丸先輩に夢中になっていたとはいえ、お礼を言いそびれてしまった。

「先輩、その」

 本当なら自分の言葉で伝えるべきだが、嵐山さんたちと別れてからかなり時間が経っている。そしてタイミングを見計らったように私たちにあてがわれていた控え室の扉が開き、私を探しに行こうとしたであろう時枝先輩が出てきた。

「先輩にこんなことをお願いするのは気が引けるのですが……」

 これ以上、嵐山さんたちを待たせるわけにはいかない。苦渋の決断で、烏丸先輩にトナカイの人へ伝言を託した。

「ああ。ちゃんと伝える」

「ありがとうございます」と本来ならトナカイの人にもすべきだったお礼と頭を下げて先輩と別れた。戻った控え室では「あまりに遅いから心配したよ」と綾辻先輩のハグが飛んできた。嵐山さんも「心配したんだぞ」と少しかたい声で咎められ、頭を下げた。先輩たちはもう帰り支度を済ませていたので、私も急いで荷物を詰めた。そのあとは控え室を来た時以上に綺麗に掃除をして出る。最後にイベントの主催者の方にご挨拶をして根付さんと合流した。
 今日はこのまま解散で、夜も遅かったのでそれぞれの家まで送ってもらえることに。

「木虎、大丈夫?」と隣に座っていた時枝先輩が嵐山さんや綾辻先輩に聞こえないような声で聞く。
「え?」
「なんか、すごい複雑な顔してるから」
「そう、ですね。ちょっと色々あったので……」

 烏丸先輩に会えたこと。それは素直に嬉しかったし、ある種の運命を感じた。
 でもその一方で、助けてもらった人に、ろくにお礼も言えなかった自分のいたらなさに自責の念が拭えない。

「大丈夫。きっと木虎の感謝の気持ちは伝わってるよ」

 まるですべてを見ていたような時枝先輩の言葉に目を丸くする。時枝先輩の言う「大丈夫」の根拠はわからなかったけど、少し救われた気がした。
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