黒トリ争奪戦の裏側

「必ずおまえを倒して黒トリガーを回収する」
「残念だけど、そりゃ無理だ」

 お互いに『次はない』と目を合わせると、太刀川と風間は光となって流星の如く冬の夜に飛んで消えていった。
 それからすぐ分断していた三輪たちが撤退していくのが視えて、迅はようやく全身の力を抜く。風刃によるトリオンの消費は激しかったが、幸い損傷と言えるのは頬に受けた掠り傷程度ですみ、すでにトリオンの流出は止まっていた。トリオン体に肉体的疲労は感じないが、A級、しかも複数を相手取るのは精神的にくるものがあった。
風刃を解除し、腰に差していた鞘を手に取り、収める。両手で風刃を包み、まるで祈りを捧げるように額に寄せる。どこか氷のように冷たく感じた。
 時間にすればほんの一瞬。
 今は亡き師匠を思い、少しだけ感傷に浸る。もうここには誰もいない。だからほんの少しだけ。寂しくはあるが、後悔はない。
 ニッと口元を上げ、通信機に手を当てる。

「もしもし〜。こちら実力派エリート、どうぞ?」

 1拍ノイズが走ったあと回線が繋がり、迅と同じように軽い声が返ってきた。

「はいはい。こちら未城。どうぞ?」



「それじゃあ俺らはお先に失礼しますね」
「はい、お疲れさま」
「あ、あたしら明日は本部で模擬戦するのでこっちには寄らないです」
「はいはーい、楽しんできてね〜」
「伊吹さん、紗世さん。申し訳ないんですけど、日付超えそうになったらその前に……」
「碧子ちゃんね! わかってるよ、明日はまだ学校だしね。任せといて!」
「寒いからあまり寄り道しないようにね」
 「はーい!」と元気な隊員3人を見送る。本当は伊吹がそれぞれ家まで送って行きたかったのだが、今日はどうしても支部に残って処理しなければならない書類が溜まっていた。「寒いのに送っていけなくてごめんね……」と謝れば、「いっつも伊吹さんに甘えてばかりですから全然いいですよ!」と声を揃えるので、本当にいい隊員を持ったなあと思うのだ。

「伊吹さん、本当に一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫。いつもデスクワークは紗世に頼りっぱなしだもん。それに紗世も体育のレポートまとめなきゃいけないんでしょ? 僕は下で作業してるからもしなんかあったら呼んでね」
「すみません、お願いします」

 そう言って伊吹は民間の相談窓口になっている1階に残り、紗世は居住スペースと隊員たち用の個室がある2階へ上がっていった。
 それから2時間ほど経った頃。
 不自由な体の為、ほとんど体育の授業は見学を余儀なくされる紗世には単位不足の救済処置として学校側からいくつかレポートを課せられている。資料整理、下書きを終え、残すところ専用のレポート紙に清書するところまで来た。ふうと息を吐き、机の時計を見ると、時刻は22時半を少し過ぎたほど。

「……少し休憩するか」

 このまま最後まで走ってもよかったが、何か温かいものが欲しくなったので、自分も飲むついでに下で仕事をしている伊吹にも労いを込めてコーヒーを淹れようとキッチンに向かった。

「しまった、碧子ちゃんはもう寝ちゃったんだった……」

 基本的に夜間防衛任務時以外で夜までいるのは決まって伊吹、紗世、碧子の3人で、つい人数分のコーヒーを抽出していた。捨てるのももったいないし、かと言って2杯飲むのも何だか眠れなくなりそうで気が引けた。どうしたものかと思った矢先、着信を知らせるコール音が聞こえた。咄嗟に上着のポケットに入れていたボーダー支給の端末を取り出すが、こちらは沈黙。自室に置いている個人の携帯だと気づき、急いで戻った。
 携帯は机ではなく、ベッドの上でけたたましい音で紗世を呼ぶ。相手が誰確認する前に電話に出た。

「もしもし?」
『あ、紗世? おれだけど、』
「迅? 電話なんて珍しいね」
『そう? なあ、今、支部にいるの紗世ひとり?』
「ん? いや、おれと、今は下で伊吹さんが仕事、一応碧子ちゃんもいるけど、もう寝かしつけたところ」
『ふうん』

 ボーダーの回線ではない私用の携帯での電話、こちらを探るような微妙に噛み合わない会話に紗世は、これは何かあるなと察した。

「……迅――」

 紗世が問いかけようとしたが、被せるように迅が言った。

『なあ、今日は星が綺麗だな』
「……は?」

 うっかり携帯を落としそうになる、全く予想だにしてなかった台詞にさすがの紗世も言葉に詰まった。

『あ、言っておくけど、暗号とかじゃないよ』

 茶化すような声に益々紗世は頭を抱えたくなった。「迅……?」と少し苛立ちを込めて責めるように呼べば、『そんな深く考えないでよー』と軽やかに返ってきた。

『本当に綺麗なんだって』
「へえ」
『冷たいなあ。いいから窓開けて見てみなよ』

 渋々と窓を開ければ、体の芯まで凍らすような夜風と、

「おお……」

 確かに迅の言ったとおり、頭上には満天の星空が広がっていた。支部自体が警戒区域に近いため星の輝きを邪魔する人工の灯りが極端に少なく、一つ一つの星が鮮明に見える。

「なあ? 言ったとおりだろ?」
「うん、確かにこれは綺麗だけど……ん?」

 今の迅の言葉に何か違和感を感じる。先程よりはっきり聞こえる、いや、どこか二重に聞こえる声に紗世は上ばかり見ていた視線を下に向けた。まるで舞台俳優のように電灯の下に迅はいた。

「ぼんち揚げ食う?」

 彼の代名詞と言われるお菓子を掲げながら迅悠一は寒空の下、静かに笑った。



「お疲れ〜。伊吹さんももう武装解いても大丈夫だよ」
『はぁ〜い、杜、撤収しまぁす。結局さ、僕たちの出番なかったね』
『迅がプランBって言い切った時点で不安はなくなったけど、まさか本当に風間さんたちを追い返すなんて』
『なんだっけ、「風刃とおれのサイドエフェクトは相性がよすぎるんだ」?』
『そうそう。あと「生粋の能ある鷹なもんで」』
「くぅ〜さっすが実力派エリートが言うと決まるね〜」
「ちょっと茶化さないでよ! 2人とも全然似てないし! はいもう終わり!」



「相変わらず視えてたわけか……」
「ごちそうさま〜。まあいいじゃん、せっかく淹れたコーヒー無駄にならなくて」

 余分に淹れてしまった碧子の分を迅に差し出す。温かい湯気は冷えた冬の空気にすぐに溶けて消えてしまう。夜は氷点下近くまで冷え込むが、全員防寒性の低い服装なのはもちろんトリオン体だからである。全く寒さを感じないわけでもないが、手に持っているコーヒーだけで十分温かった。

「それで? まさか僕たちと天体観測したいがためにきたわけじゃないよね、実力派エリートの迅悠一くん?」

 今までふぅふぅと熱いコーヒーを冷ましながら飲んでいた伊吹の表情が一変。さすがの切り替えの速さに迅はわざとらしく降参のポーズを取るが、「当然」と言わんばかりの顔でこう続けた。

「実は折り入って2人にお願いしたいことがあって」
「お願い?」
「うん」

 飲みやすくなった温度のコーヒーを一口飲んで静かに、隠すことなくことの事情を話し始めた。
 今の本部が出来る前、現在の玉狛支部を起点としていた旧ボーダーから所属していた古株の紗世と伊吹、そして迅すら知らなかった、本当のボーダーの生みの親である空閑有吾とそしてその息子である空閑遊真という近界民のこと。黒トリガーとなった父を蘇らせるために来た遊真だが、現状ではそれは叶わないことを彼は知ってしまった。そんなふわふわと地に足のついていない彼が数年前の自分と重なり、彼に『目的』を与えてやりたい。しかしそれには大きな問題が待ち構えている。

「……今のところちゃんと上手くいく未来がわりとはっきり視えるけど、絶対ってわけでもないし、何がきっかけで大きく変わるかもわからない。だから少しでもそれの脅威となる可能性を潰しておきたいんだ」

 夜空を見つめる迅だが、その目は遠く不確かなものを視ていた。持っていたカップはすっかり冷えてしまった。

「……具体的にはどうするの?」
「城戸さんはどんな手を使ってでも遊真の黒トリガーを奪うつもりでいるからおそらく2日後に帰ってくる遠征部隊とすでに遊真と戦った三輪隊を差し向ける。これはほぼ確定事項。おれは正面切って遠征部隊とやり合うつもりだけど、2人、は玉狛の近くで万が一誰か抜けてきたときのために待機していてほしい」
「遠征部隊を独りで相手取るの……?」
「あ、ああ、おれ“たち”かな。まだ命令は来てないだろうけど、忍田さんが嵐山隊を派遣してくれる。これも確定」
「それでも相手はA級上位。嵐山隊が応援に来ても戦力差は歴然では? それなら始めから伊吹さんを前線に配置したほうが張り合えると思うけど」
「うーん、1番はそれなんだけど……」

 ここに来て迅の言葉が淀む。ちらりと2人の顔を伺うが、すぐに目をそらした。

「おれや嵐山隊は支部長(ボス)や忍田さん、上からっていう後ろ盾があるけど、2人はそうでもないだろ? そうすると立場上きちんと2人を守ってくれる人がいない。もちろんうちの支部長も忍田さんもある程度はかばってくれるだろうけど……。だから2人は奥の手というか、城戸さんたちに気づかなければそれが1番で何も知らないフリを貫いてくれればいいんだ」

 確かに迅の言うとおり、忍田派か玉狛支部派と明確に主張していない2人は一個人としてこの戦いに臨むことになり、責任の在り処は2人自身にすべてのしかかる。そうなると隊員同士の模擬戦以外の私闘違反の罰は迅たちより遥かに重くなるだろう。良くてトリガーの没収、最悪は……。

「はっきり言ってこの戦いで2人が何か得することは何もない。それどころかリスクしかない。これは、本当はおれだけで片付けるべき問題で、正直2人や嵐山たちを巻き込みたくなかった……。でも、どうしても、おれだけの力じゃ無理なんだ。お願いします。どうか、どうかおれに力を貸してください」

 きっちり腰を曲げて頭を下げる。普段胡散臭いと言われ、それを褒め言葉として笑う男とは思えないほど今の迅は真摯で素直だった。
そんな彼を前にして2人は口を結んだまま、ちらりとお互いの顔を見た。トリオン体であるが、内部通話を使うことなく、目だけですべて確認する。
しんと冷え切った冬空のせいか、3人を襲う耳鳴りはやけに尖って聞こえた。

「迅」

 と沈黙を破り、口を開いたのは紗世だった。

「一つ、聞きたいことがある」

 迅は頭を下げたまま無言で先を促す。

「それは何の為? ボーダー? 空閑くん? それとも――」

 そこでようやく迅が顔をあげて、答えた。

「もちろん、――さ」



『でもさあ、やっぱり狡いよね』

 マイク越しに椅子のバネが軋む音が聞こえた。「何が?」と聞けば、サイドエフェクトのことを言われる。

『迅にはおれたちが断らないってほとんど視えてたんだろ? じゃなきゃあんなドヤ顔で答えないでしょ』

 紗世の悔しそうな声。

「まあ、正直に言うとあの質問をされた時点で未来は確定してたよ」
『ほぉらぁ〜やっぱりね〜』
「でも視えてたとしても何て答えるかは聞こえないからセーフセーフ」

 紗世だけでなく、伊吹からもぶぅぶぅと不満の声があがるが、それらが親しみからくるものであることを知ってる迅はくつくつと喉を鳴らしながら聞いていた。

「おれが言うのも何だけどさ、もしあの質問で違う答えを言ってたらどうなった?」

 未来が確定していた時点でその分岐は視えなくなっていた。この際だからと何となく気になっていたことを聞いてみる。その質問に答えたのは伊吹。

『え? そりゃもちろん拒否するどころか、トリオン体だろうと生身だろうとその場で殴り飛ばしてたかな』

 間髪入れずに恐ろしいことをけろりと言ってのけた。最後に『きゃはっ』だったり、『伊吹さんそれはやりすぎですよ』と紗世が笑って誤魔化すが、それは冗談ではなく紛れもない本心で、この2人なら絶対やるなと迅はぞぞっと寒気を感じて渇いた笑いで流した。頼れる味方だったとしても中には絶対敵には回したくないと思う人は何人かいるもので、この2人もそうだ。

『まあでも、可愛い可愛い先輩の頼みを無下にするほど非情な後輩じゃないしね、ぼくら』
『そうそう。いつも頼りっぱなしの先輩からの力になれるならこれぐらい』
「ハイハイ、ありがとうございます。あーいい後輩持てて先輩は幸せ者だなー嬉しいなー」
『おっと、僕はそろそろ落ちようかな。もたもたしてるとレイジにみつかっちゃうかも知れないしね! じゃ、ひと足お先に失礼〜』
 最後に例の約束についてしっかり釘を指してから伊吹は回線を切った。
『それじゃあおれも始末書の準備しないといけないし』
「……ごめんな」
『なんだよ、そんなしおらしい声で謝らないでよ。ここは普通お礼言うところだろ?』
「そうだな、ありがとう。本当助かった」
『よろしい』

 さて、おれもこれから最後の大仕事に向かおうと迅は静まり返った警戒区域を歩き出した。

『……なあ、迅』
「うおっ! なんだまだ繋がってたのか」
『最後にもうひとつ、柄にもなくちょっと臭いけど聞きたいことがあるんだ』
「なに?」
『今の空に星は見えてるか?』

 確かに臭い質問だ、と思ったが、それ以上に優しくて温かいものに満たされた迅はにぃっと口元をあげて答えた。

「ああ、もちろん。あの時と同じ、綺麗な星空だ」
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