いいことばかりのサイドエフェクトではない

 これはまずいと思った時にはもう立つことさえやっとだった。
 あの人の解説が見たかった。東さんの解説。淡々としていて盛り上がることはないけど、穏やかで耳に馴染む低音。
 激戦で白熱する観客席をそっと離れる。
 生で東さんの解説が聞けるなんてそうないのに、もったいないなと後ろ髪を引かれる思いでランク戦室を出た。



「さっきの解説、さすが東さんですね」
「そういう出水の戦況分析と着眼点もなかなかだったぞ」

 B級ランク戦の解説に呼ばれたおれと東さん。ほとんど東さんが解説して、おれはたまに気づいたことを言うだけだったが、的確な東さんの解説はわかりやすくてためになる。まるで東さんが先生で、おれが生徒になったみたいだ。そんな東さんの解説を聞きたいがために集まる人は多く、うちの総合1位の太刀川さんや2位の二宮さんも後ろほうで聞いていたのを見た。
 冬島さんに用のある東さんと隊室に戻るおれは道中他愛もない話をしながらA級の隊室が並ぶ階へ向かっていた。

 かつん。

「ん?」

 何か蹴った。
 軽快な音が階段を上がってすぐの廊下と繋がる空間にからんからんと響く。基本的に清掃が行き届いてる本部内で何かに躓くことはない。
 気になって東さんの言葉を1度止めてもらって、しゃがみこむ。じーっと前方を見つめていると廊下のほの暗い照明の中、何かをきらりと輝いた。

「なんだ、これ」

 拾ったのは正八面体のような結晶か石かよくわからないもの。淡く黄緑に発光していたそれは誰かが落としていった飴ではなかった。淡く発光するそれを照明にかざしてみる。きらきらと透き通っていてまるでお菓子のようだ。

「東さん、これなにかわかります?」
「ん? ちょっと貸してくれるか?」
「いいですよ」

 小さなそれを渡す。おれと同じように光にすかしたり、感触や匂い、色などをじっと観察する。
東さんが見ている間、おれは今日の夕飯はラウンジの食堂だけど何を食べようかなと考えていた。まあエビフライとコロッケの揚げ物定食なんですけどね。
 うーんと唸っている東さんは普段めったに見せないしかめっ面だ。若いボーダーのなかでは大人に分類されるけど、いまのしかめっ面も相まってとても25歳とは思えない。冬島さんと同じと言われても違和感はない。なんなんだこの人。
 じっと東さんを見つめていたら、そんなおれの視線に気がついて、悪いなと言った。引き止めてしまって、という意味だろう。

「いえ」

 このまま隊室に向かうが特に急ぎの用じゃないし、おれもその小さな石が何なのか気になるし。

「それで、なにかわかりましたか?」

 困った時こそ東さん。おれより先にボーダーに入り、当時なにもなかった狙撃手界隈を1人でメソッドを確立したボーダー最初のスナイパー。そしてA級1位部隊を率いた男。学校の課題もトリオンとかその他もろもろのことでわからなくなったら東さんに聞けという共通意識がある。
 さて、そんな東さんが下した結論は。

「わからん」

 そうか、さすが東さん――

「ってわからないんですか!?」
「ああ。わからないな」

 嘘だろ!? とさらに叫びたくなるのを飲み込み、「本当ですか?」と眉をひそめた。そんなおれに東さんは「本当だ」と両手をあげて降参のポーズをとってみせた。

「何かの鉱物だろう。この正八面体に緑がかった色はフローライトに似てるけど、この淡い光はなんだろうか」

「うーん」と唸りながら東さんは石のようなそれを長い指でコロコロ弄ぶ。
 東さんでもわからないとこがあるんだなあ。

「あれ?」
「どうした?」
「東さん、なんか聞こえません?」
 
 誰もいないはずの廊下。空調機の起動音が耳鳴りのように聞こえる中で、別の音が混じっている。おれの言葉に東さんも耳を澄ます。
 
 うっ……あ゛あっ……ぅええぁっ……。
 
 人の声と言うには言葉になってない。聞こえてくるのはわりと近い。階段と十字路になってる右のほうからだ。A級の隊室はまだあと1階上がらなければいけないのに東さんはそのままこのフロアに留まり、右の廊下に出た。
 
「……おい! 大丈夫か!?」
 
 珍しく声を荒らげる東におれもただ事じゃないと察して東さんを追った。
 曲がり角のすぐそこに膝をつき縮こまっていたのは

「碧子!?」

 息は乱れ、顔色も悪く、ぽたりぽたりと脂汗を流している。死んだような目と一瞬合うと、我に返ったように碧子は壁に縋るように立ち上がった。誰が見ても危険な状態だと言うのに碧子はあの大好きな東さんに「大丈夫です。すぐおさまりますから、早くこの場から消えてください」といつもよりしわがれた声で言ってのけた。
 しかしそんな言葉に従うやつはこの場には誰もいない。感情を殺してる東さんと視線を交わすとすぐに行動に出た。
 
「っちょっと! なにするんですか」
 
 口元を押さえながらのろのろとどこかへ消えようとする碧子の前に東さんの背が立ちはだかる。一瞬戸惑ったところをおれが後ろから覆い被さるように碧子の腕を持ってそのままさっと腰を下ろした東さんに抱きつく。腕を東さんの首に苦しくないようにまきつけて、東さんはすぐに碧子の膝裏に腕を通して、首に巻きついている手をしっかりと握った。

「出水、医務室は確か2階だったよな?」
「こっちの階段より中央階段、いやエレベーターを、使った方がいいっすね」
「ちょっ! 人の話をっーーうぐっ、ううっ」
 
 さっきより格段に顔色が白くなっている。急ぎつつもなるべく揺らさないように歩き出そうとした時、碧子がこれ以上は我慢できないと形容しがたい辛そうな声と一緒に吐いた。
 
 てっきり吐瀉物が出てくるものだと思ってたおれと東さんは碧子の口から出てきたのはさっき拾った正八面体の結晶だった。
 
「ああっ……」
 
 悲壮な声に吐いた生理現象でこぼれた涙が青白い頬を伝う。まるで見られたくなかった、というような表情で。
 なぜ碧子の体内からこんなものが?
 ふつふつと湧き出る疑問にもたついていると、先に我に返った東さんが動き出す。
 一般的な病気ではないと察した東さんが「鬼怒田さんか?」と聞く。観念はしたが、苦虫を潰した顔で小さく「そう、です」と答える。
 先に歩き出す東さんに着いて行こうとしたが、その前に今吐いた結晶を拾う。体液がねばついてて正直触りたくなかったが、それは二の次だ。いまは彼女の安全とこれらの理由のほうが重要だ。
 

 
 死んでしまいたいと思った。
 こんなみっともない姿を、あれを見られてしまうなんて。いつか誰かにバレるとわかってても、まさかあの人にバレてしまうなんて。
 なにそれ、気持ち悪い。不気味。
 言われ慣れた言葉がバケツの水をひっくり返されたように頭に降りかかる。
 息が苦しい。突き刺さるような頭痛。そして強く葉を噛み締めてないといられない吐き気。
 ただの吐き気だけだったらどんなによかったのに。


 
 ポロポロと涙を流しながらも必死に吐き気に耐える碧子におれはただ「大丈夫、大丈夫だからな」となんにもならない言葉をかけながら優しく背中を撫でてやることしかできなかった。
 開発室に飛び込むと「鬼怒田さんはいますか!?」と東さんが声をあげる。室内の視線を集めながら奥から鬼怒田さんがやや眠たそうに「大声で叫ぶな。頭に響く」と出てきた。

「伊鈴が」
「伊鈴か! また発作を起こしたのか。こっちだ」

 鬼怒田さんは慣れた様子で東さんを奥の方へ案内する。衝立に囲まれた診察台のような簡易ベッドに寝かされる。それから病院とかでよくみるステンレス製の容器をすぐ傍に置いた。
 これから何か治療が始まるのかと思えば、衝立を動かして小さな個室を作ると、「外に出ろ」と言われた。
 
「え、何もしないんすか?」
「吐かせる以外何も出来ん。それに吐かせた方が本人のためだ」

 おれは後ろ髪を引かれる思いで外へ出た。

「それでお前らはあいつが何を吐いたのか見たのか?」
 
 単刀直入に切り込まれ、一瞬東さんと顔を見合わせる。そして東さんの視線に誘導されるがまま、ずっと握っていた結晶を鬼怒田さんに渡した。
 
「これか。……今回は一段とでかいな」
 
 まじまじと観察する鬼怒田さん。最初の対応からこれが初めての発作ではないようだ。
 
「伊鈴のことだ、何も言わずにただ忘れてくださいと言うだけだから説明してやる」
「えっ? 本人の許可取らなくていいんですか?」
「構わん。見てしまったものは仕方ないし、お前らも気になってるんだろう?」
 
 東さんもおれも否定はしなかった。
 
「お前らなら話しても大丈夫だろうしな。なんかあったときのために少しぐらい知ってるやつが増えても問題なかろう。だが容易に口にするなよ?」
 
 鬼怒田さんの話をまとめるとこうだ。
 簡単に言うと碧子はトリオンを過剰に生成してしまう特殊体質のサイドエフェクトの持ち主らしい。普通トリオン器官は一定量以上の回復はせず、上限に達したら生成を停める機能がある。ところが碧子の場合、その機能が元から備わっておらず、上限に達してもずっと作り続ける。蓄えきれず溢れたトリオンは何とか外に出そうとして凝縮され、黄緑の結晶のとなって出てくるのだ。ただ本来トリオン器官というのは目に見えないため、実体化する際全身に凄まじい痛みを伴う。結晶の大きさはまちまちだが、さらに吐き出すときも喉に結晶の角が当たったりして出血することもあるという。
 ちなみに姉の緋子先輩も特殊体質として相手のトリオン量が見えるサイドエフェクトを持っている。
 発作は少なくとも1日に1回はある。普段はトイレやここ開発室に逃げ込むらしいが、今日は間に合わなかった。
 説明を受けている間も衝立の向こうで苦しそうな酷い呻き声が何度も聞こえた。
 

 続きは緊急脱出しました。
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