4  

「いや〜まさか向日先輩たちの知り合いとは〜」
「本当びっくりだね。俺は滝。よろしくね」
「オレは七森有梨っす。どーもうちの識がお世話になったようで」

 なんとも識を小馬鹿にしたような視線で彼女を一瞥しながら有梨は深々と滝たちに頭を下げる。いつもの立場逆転に識はひと言どころじゃない文句が体の内側からむくむくと湧いてきたが、事実滝たちに世話になったことは変わりない。そしてそれよりも体の不調が上回っていることが識の口を開くことを許さない。歯がゆい気持ちを抱えながらも帰ったら覚えておきなさいよと心に誓った。

「はいはーい! 俺は芥川慈郎! 有梨ちゃんよろしく〜」
「あっ、ういっす。よろしくデス……」

 やはり初対面でちゃん付けに驚きを隠せない。にこにこと曇りなき笑顔にこれが芥川の素であることを知る。向日たちといい、テニスが好きでなおかつ初対面な自分たちにも友好的なことに有梨は喜ぶも、「ちゃん付けはちょっと気持ちわるいのでやめてほしいっす……」と反射的に鳥肌が立つ。

「えっ、俺気持ち悪い……?」
「あー!! 違うんす! ちゃん付けとかオレの柄じゃないっていうか、慣れてなくって! オレが気持ち悪いって意味ですから!!」
「それじゃあ有梨……?」
「うんうん。そうですそうです。あらためてよろしくっす、芥川先輩」
「じゃあじゃあ! 俺のことも苗字じゃなくて名前でよんでほC〜」

 またしても有梨の目が大きくなる。図々しいと思うようなことも何故か、というよりやはり芥川元来の人懐っこさの前には綺麗に消えてしまう。

 まあ、名前じゃないけど、におー先輩とかやぎゅー先輩と若干ゆるい呼び方をしてるしな。

 ついでに本人がそういうならと有梨はじろー先輩と呼んだ。
 これがまた名前で呼ばれて嬉しいと、いっそう芥川の笑顔に輝きが増す。

「……芥川さんってすごい人ですね」
「いや、正直俺らも女子相手にここまでとは思わなかったぜ……」

 コミュ障を自覚している識にはとんでもない距離の詰め方で、鮮やかすぎるそれは彼女に反論の余地を与えることなく有梨と同じ末路を辿っていた。
 付き合いの長い宍戸たちにとっても予想を遥かに上回っていたようだ。そんな彼らでさえ苗字呼びがほとんどである。

「えっと……向日さんでしたか、こちらも有梨がお世話になりました」
「いやむしろ俺のほうが世話になったつーか……」
「え?」
「おいコラ、そんな珍獣見るような目やめろ!!」
「いや日頃の行いとしては想像できなくて」
「わからなくもない! が! 今回はマジだって!!」
「迷子だったところを案内してもらったんだ」

 向日がざっくりと顛末を話す。やっぱり識は目を丸くし、有梨を見た。それに睨み返すも「まあ伊達に来てないからな」と得意げに鼻の下をさする。

「盛り上がっとるところ悪いけどもう順番だいぶ回ってきとるで」

 この中で先頭に立っていた忍足が振り向いて言う。
 識としては実を言うとまた頭を抱えたくなるような展開が広がっていることを彼女は思い出した。
 方や向日を。方や識を。お互い窮地を救ったことであれやこれやという間に一緒に昼食をとることになっていた。

「オレなににすっかなー」
「わたしはあんたが頼んだやつちょっともらうぐらいでいいわ……」

 体調と心労が祟った識の食欲はほぼゼロに近い。そうでなくとも元から少食な彼女は1人前を食べれることが少なく、逆に1人前では足りない有梨がそれを引き継ぐ。ちなみに付け合せなどで有梨が嫌いなものは代わりに食べるということで関係は落ち着いている。

「食べんなんいつまで経っても元気になれへんで」
「……お気遣いはありがたいですが、こういうときは無理しないと決めてるので」
「本当は食べて欲しいところだけどね。確かに今は無理しない方が良さそうだ」
「忍足の気持ちもわかるけど、滝の言う通り無理強いはダメだC」

 そこへ介抱組がフォローに回る。そのまま食券機に小銭を入れる有梨がさらに継ぐ。

「そーそー。無理してろくなことなかったもんなー」
「ただ普通に心配しただけなんに、何や悪者扱いされてる気ぃすんのは俺だけやろか」
「まあいいじゃねえか。ひとそれぞれペースってもんがあるだろ。俺はトンカツ定食にでもするか」
「侑士は心閉ざしすぎて人の心がわかんなくなったんだよ、きっと」
「いくらなんもその言い方は酷ないか!?」
「あ、じゃあオレカツ丼にしよー」

 隣の忍足より昼食のかかった券売機のほうが大事だと言わんばかり。“心を閉ざす”というのが識にはなんなのかよくわからなかったが、「なんか、そのすみません。でもお気遣いありがとうございます」とそっとフォローを入れた。
「いや四条さんが謝る事やないで」と忍足は慌てて両手を振り、「悪いんはあいつらや」とじろりと睨んだ。ぶつかったときや今までの立ち振る舞いからひとつ上とは思えないほど落ち着いていた忍足のその睨みはあまりに子供じみていた。識はいつかも思った、その年相応さにじんわりと静かに笑った。
 ちなみに睨まれたはずの向日や宍戸はまったく気づかず受け取り口で最近話題のゲームについて有梨と盛り上がり、密かに笑う識に滝と芥川は顔を合わせて彼らもまたバレないように笑うのだった。



「高速カウンターとかボレーとかはまあ百五十歩譲っていいじゃないっすか。なんすか“心閉ざす”とか“ムーンライトリーバー”とか何を言っているんすか」
「そりゃこっちの台詞みそ!! なんだよムーンライトリバーって!! かっこいいじゃねえかクソクソ!!」
「突っ込むとこそこかいな……」
「いやいや他にも突っ込むところありますよね」

 昼食を終えて話題は当然のようにテニスへ行く。
 識はテニスについては以前の合宿で学んだ程度である。しかしそれでもテニスで“心を閉ざす”だの“ムーンサルト”だの一体どう言うことだとさすがの識も突っ込まずにはいられなかった。ムーンサルトは新体操の技では、五十歩百歩を足してどうするとそこも言いたかったが、文字通りお茶で濁した。
 代わりに滝が優しく「それを言うなら五十歩百歩だね」と訂正する。

「まあ俺のはわかりやすいと思うで。表情殺して次の一手を相手に読ませないだけの話や」
「ほーん? なるほど? でも言い方がなんかやべえ人にみたいっすね」
「確かに心閉ざした侑士はやべえわ」
「無表情ほど怖いものはねえって言うこともあるしな」
「……お前らそんな目で俺見とったんやんな」
「事実だC」

 この中で滝と並ぶほど大人びた印象の忍足がこうもいじられているのを見て、識は何となく威厳と普段の圧が強いのに同じくいじられている真田を思い出した。
 ちなみに昼食はもう終わったはずなのに何故彼らはまだここにいるのだろうとも思ったがいまさらそんなことを切り出せるような雰囲気ではない。識はなるべく気配を消して、それこそ忍足のように自分を殺して弾む会話に耳を傾けた。

「そういえばどこの学校なんすか?」

 興味本位で有梨が聞いたが、答えが帰ってきた瞬間に聞いたことを後悔し、聞かなかったことにしたかった。

「おっ聞いて驚くなみそ? 氷帝学園だぜ」

 ぴしりと有梨の空気が凍てついたのが隣にいた識にははっきり聞こえた。

「氷帝といえば関東屈指の強豪校ですよね」
「四条さん知ってるの?」

 テニスそのものの話題に乗ってこなかった識はてっきり知らないものだと思い込んでいた滝が驚く。

「ええ、まあ――」

 と、ここで識は内心にたりと笑った。今日ずっと振り回され続けた有梨への仕返しができると。

「昔の話ですが有梨の兄の母校で。当時も結構強かったようですし、雑誌にも特集組まれていましたよね」
「へえ。ほんまよう知っとるな」
「最近そういう機会があったんです。ああ、氷帝といえば、有梨の知り合いで跡――」

 次の瞬間、有梨が識の続きをかき消すようにわっと大声とともに立ち上がった。もちろん氷帝のメンツは揃って肩を跳ね上げる。識は最後まで言えずとも満足げに口元を緩めた。

「びっ、くりしたC〜」
「なんだよ急に」
「い、いや〜いま携帯見たら修理してたラケットが終わったって連絡が来たんすよ」
「それはよかったけど、そんなに驚くことなのかい?」
「ははははっ。マナーモードにしてたんで、ぶぶっといきなりなったことに驚いてつい」


「じゃ、オレらはそういうことで!!」と識の腕を強く掴んで強引にその場を離れた。



 ショップへ向かう途中、有梨はひとことも喋らなかった。
 最初識は跡部と彼女の関係をばらそうとしたことに対してかと思えば、どんどん彼女の足取りが重くなっていることに気づく。跡部との関係以上にショップに何かあるのだろうか。

「ねえ、大丈夫なの?」

 識の問いに有梨は地を這うような低い声で短く「ああ?」と答えた。

「顔色、さっきのわたしより悪いけど」
「……別に」
「具合悪くなったなら早く言いなさいよ。……わたしもあまり余裕がないから」

 妙な間に今度は有梨が違和感を覚える。調子が悪い声音にしては先程のとはどこか違った。

「んじゃ、さっさとラケット受け取って帰ろうぜ」
「そうね」

 結局お互いが感じた異変を口にすることなくふたりは静かにショッピングモールを後にした。


<<

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -