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 有梨と別れた識も直接目当ての店には行かず、ふらふらと適当にウインドショッピングを楽しんでいた。
 ショッピングモールの広間がクリスマス一色だったように立ち並ぶ店も冬物がほとんどを占めている。自分が着る分にはあまり頓着しない識だが、今年のトレンド色やコーディネートは彼女に創作へのインスピレーションを与える。特に色には敏感で、差し色などの研究としていい刺激になるのだった。
「あっ」と彼女のお眼鏡にかなったマネキンの前に立ち止まったとき、ぐらっとふらつきそうなほど誰かに当たってしまった。

「す、すみません!」

 急に立ち止まってしまい、上ずった声で謝る。頭を下げようとして、ぴしりと氷のように硬直することになった。
 ぶつかった相手は軽く見上げるほど大きく、体格もがっちり鍛え上げられてる。丸眼鏡越しの目からは何の感情も映さず、それが一心に識に注がれている。加えて身長差に以前図書館で柳生と柳に挟まれたことを思い出し、暖かく空調が整った室内であるのにぞわぞわと鳥肌がたった。
 もう一度謝ろうとしようとする前に先に向こうが「大丈夫か?」と眉をハの字にしながら言った。

「すまんな、俺がぼーっと歩いていたせいで」

 識の目元を緩め、軽く頭を下げる。何かいちゃもんをつけられるのではと識は身構えていたが、予想とは全く違っていた。出てきた言葉は関西弁で、その声は申し訳なさでいっぱいだ。見た目とその態度に識はまったく違う方向でまた混乱する。
 ぶつかったのは自分のせいだと思い込む彼にあわあわと識は訂正する。

「いえ、元はといえば急に立ち止まったわたしも悪いので気にしなでください。すみませんでした」と心中見かけで判断してという意味も添えた。
「怪我はないか?」
「大丈夫です」

 少しふらついた程度で足を捻ったなんていうことはない。気の毒そうな彼の表情を何とか和らげようと識は少しぎこちなさが見える笑みを返した。それを見て、ようやく彼も安心したようで「ほんならよかったわ」と同じように笑った。その笑みがまた識に妙な親しみを感じさせるが、一方で何ともいえない大人の艶が垣間見える。さきほどの物理的恐怖とは違う寒気に識はもう一度頭を下げて謝ると、少し早足でその場を去った。



 ショップに入った有梨は真っ直ぐレジに向かった。レジ打ちを任されていた若い店員に店長を呼んでもらう。すると店員が呼びに行くよりも先にバックヤードから黒いあご髭と小麦肌にがっちりした体型の男性がぬぅっと姿を現した。有梨の視線に気づいた彼は笑顔で近づき、

「おう、誰かと思えば有梨の嬢ちゃんじゃないか。ずいぶん久しぶりだな! 元気だったか?」
「ういっす。おじさんもあいかわらず元気そうっすね」
「おうよ」

 再会の喜びに店長はハイタッチのために両手を広げる。もちろん有梨もそれに応えようと手を合わそうとするが、寸でのところで彼はひょいっと手の位置を上げられ、すかっと空を切った。

「あいっかわらず大人げなっ!!」

 軽い戯れにもかかわらず鋭い睨みを効かせる。しかし店長にとってはそんなものは子猫同然。たいして悪びれた様子もなく「悪い悪い」と口を大きく開けながら豪快に笑った。

「そういうとこ、ほんっとおじさんは変わらないっすね」
「この歳まで来ると、そう変わることはねえよ。そういう嬢ちゃんはだいぶデカくなったな」

 有梨のものとは比べ物にならないほど分厚く大きい手がまず人差し指と親指に米粒ほどの隙間を作り、わしゃわしゃと彼女の頭をやや乱暴に撫でる。加減を知らない手に「ちょっ縮む! 縮むから!! あとオレはそんなに小さくねえよ!」と声をあげるが、その表情は満更でもない。二人の仲の良さがよくわかる。

「さて再会の喜びはこのあたりにしておいて。今日はどうした?」

 すっかり彼のペースに巻き込まれ、本来の目的をすっかり忘れてしまっていた。肩にかけていたバッグから愛用のラケットを取り出す。

「なんかガットが緩んでる感じがして見てもらおうと」

 有梨からラケットを受け取り、店長は触診を始める。その時間は2、3分足らずで終わった。ガットのほかにフレームも若干歪んでいるなど細かいところまで不具合を見抜く。さすがプロだなと関心し、有梨は修理にどれくらい時間がかかるかを聞き出し、今後の予定をいくつか頭にあげる。

「まあこれくらいなら今日中に直せるさ。急ぎか?」
「急ぎってほどじゃないっすけど、早いことに越したことはないのでできれば早くお願いしたいです」
「わかった」

 俺に任せとけと店長は自身の分厚い胸を叩く。実に頼もしい。それから修理の手続きの書類を書き、今日はずっとこのショッピングモールにいることを伝えた。修理が終わり次第、連絡を入れることで彼との話は終わった。
 ひとまず目処がついたので有梨は一度識に連絡を入れた。

「ああ、そうだ」

 ラケットを片手にバックヤードに戻ろうとした店長が振り向く。つられて有梨も携帯から顔をあげる。

「優雨くんが使ってたグリップテープなんだがな。前来てくれたときは生産終了で在庫がなかったが、ついこの間再生産し始めたぞ。確か嬢ちゃんも使ってただろ?」

 ぐっと呼吸が止まり、僅かに有梨の体が後退する。
 しかしそんな有梨の異変に店長は気づくことなく「良かったら一緒に買って行ってくれや」と眩しい笑顔を残してバッグヤードに消えた。有梨は「あざます」と返そうとした声は聞こえただろうか。
 立ち尽くしているとちょうど識から返信が来る。彼女の用事はまだかかるので、先にフードコートで昼ごはんを食べててもいいと。メッセージ通りにするのもひとつ選択肢だったが、『適当にふらついてるわ』と返しつつ、他の店に行かずにこの場に留まった。思い出が強い故に離れたいのに、また同時に離れたくない。その原因はすべて店長の最後の言葉にある。

「あーあ……」

 普段の能天気さとはかけ離れた重いため息。きまりが悪い時の癖でよく後頭部を掻くが、ため息しか出なかった。普段識がこぼすものとは似ているようで違った。もっと深く沈んで、澱んだもの。
 しかし離れがたいと身体にとりあえず店内を回る。しばらく来ていなかったが、陳列する商品たちは特別変わったところもなく、あっという間に見終えてしまった。ただ一箇所、例のグリップテープが置いてある小物コーナーを残してである。
 ラケットの調整をしにきただけで、そこにいま必要なものはない。テープはもちろんボールなど備品も充分間に合っている。
 店内も一周し終えたし、識に返したように適当にふらつけばいい。ここじゃなくてもまだ見るところはいくらでもある。
 そう思うのに有梨の視線は踏み入れていないそこから離れない。

 ……何を怯えてんだろうな。別に一歩踏み入れた瞬間なにか罠が起動するなんてゲームじゃあるまいし。

 たった一歩でも踏み込めば、ここにこだわることもなくなるだろう。いっそ、と思い切って本当に一歩だけ入った。やはりなにも起こらないし、さあ回れ右をして今度こそどこかへふらふらしに行けばいい。でも身体は、目は。『見たくない見たくない』『やめろやめろ』と叫ぶのに染み付いた記憶が引き止める。

「……ほんとに売ってる」

 店長の言葉を疑っていたわけではないが、現物を前にして出た言葉は意外とさっぱりしていた。

『ねえさん見てみて! おれの新しいグリップ!!』

 無意識にそのままそれを取ろうと手を伸ばすと、もう一つ伸びてきた手とふっと触れた。
 完全に自分の世界に沈んでいた有梨は大げさに体と声が飛び上がった。

「うおっ!?」

 当然向こうもそんな反応が返ってくるとは思わずといったようで短く驚いた。

「すんません……って、ああ!! しかも女テニの奴だ!!」
「ああっ!?」

 さすがにこちらの言葉には怒気が篭る。
 有梨が言うのは向日と別れたあとに見たポニーテールが特徴のあの男子だった。
 やっべと驚きのあまり心の中で留めておくべき言葉が出てしまった。ばっと口を覆うがもう遅い。揺れるポニーテールはどこか愛嬌を見せるけれど、有梨を睨む目は後ずさるほど恐ろしい。

「おい、宍戸! なにモタモタしんだよ!」

 救世主現る。
「くそくそッ!」と彼の後ろから聞こえてきた声はつい先ほど聞いたもので、彼の目から逃げるように体を反らす。ぱちんと目があったのはやっぱりここへ案内した向日だった。

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