仕事を終えた相澤は同僚であるプレゼントマイクに荷物を持ってもらいながら校門に向かっていた。
「悪ィな」
「いいってことよ!その腕じゃ持てねェだろ?にしても、お前復帰早すぎんだろ。医者怒ってたぜ?」
「雄英体育祭が迫ってるからな。悠長なことも言ってられんだろ」
校門の前に呼んであるタクシーに乗りながら、行き先を「病院に。」と告げる。
マイクも一緒に乗ってきたものだから、荷物を運ぶだけじゃなかったのか、と目を瞬かせた。
視線に気づいたマイクは肩をすくめる。
「病院の後で良いからついでに家まで送ってくれよ〜」
「それが目的か」
「それもあるが、もう一つ。お前んとこの生徒の訃報聞いたぜ」
走り出したタクシーの中で神妙なトーンで話し始めたマイクに相澤は目を伏せた。
「…東堂か」
「東堂ハヤテっつったら、ヒーロー界隈じゃ知る人ぞ知る有名人だからな。まさかお前のクラスにその1人娘がいたとはな!ハヤテが死んで、大丈夫なのか?」
「さぁな」
走るタクシーの中で窓の外を眺める相澤の目は憂いを帯びていた。
大怪我後、目が覚めて東堂梓の父親が急死したことを知った彼は暫く押し黙っていた。
今日も、気づけばぼーっとしているものだからマイクも心配になってきたのだ。
「親戚や東堂自身と連絡は取れてねェのか?」
「親戚からは音沙汰無しだ。夕方、東堂ハヤテさんの部下を名乗る九条という男から連絡はあった。忌引き後、変わりなく通学すると、それだけだ」
「ふぅん?親いねェだろ?誰が親代わりになるんだ?」
「親戚から扶養の誘いはあったらしいが、東堂の奴全部断ってその九条って部下を書類上の後見人にするらしい」
「はぁ!?大丈夫かよ、それ」
「知らん。ただ、身内の揉め事に担任の教師が口を挟むわけにも行かんだろ」
言葉の割には余裕ねぇなぁ、
長年の付き合いだからこそわかる表情の違いにマイクはため息をつく。
「個人面談でもしてやったらどうだ?俺ァ東堂家のことはよく知らねーが、結構複雑なんだろ?」
「イかれた一族だよ」
着きましたよ、と病院前でタクシーが止まる。
暫く相澤は病院から学校に通勤するらしく、とりあえず病室まで荷物を持って行ってやるかとマイクは外に出た。
いつのまにか、大雨が降っていた。
「イレイザー、雨降ってんぜ。傘は?」
「持ってねぇよ」
持ってないなら仕方ないか。
2人は早足で病院の裏口に回る。
が、荷物を持って先頭を歩いていたマイクが足を止めた。
「おい、早よ行け」
「……いや、イレイザー、あれ、」
珍しく驚いた様子で静かな声を出すものだから、相澤はマイクの視線の先を追って、
黒い紋付羽織袴を着て座り込むずぶ濡れの少女を見た瞬間、はっと息を飲んだ。
「ッ東堂!?」
痛む身体に鞭を打って駆け寄れば、
少女は顔を上げる。
雨粒なのか涙なのかわからないが、辛さや心の痛みを必死で堪えるような表情に、
相澤もマイクも言葉が出なかった。
『…、相澤、せんせ』
「お前、なんでここに、つーか、いつから此処に」
『学校に電話したら、先生が、ここにいるって』
よろよろと立ち上がった少女は冷え切っていた。
マイクは慌てて抱きかかえると、裏口から病院のロビーの長椅子まで運んだ。
驚いている夜勤の看護師にタオルだけ頼むと、珍しく言葉を失っている同僚の代わりに先生らしく梓を叱った。
「こんな遅くに、雨の中外にいたらダメだろ!明日にでも連絡すりゃあ面談でもなんでもしたんだぞ?つーか、」
親御さんも心配すんぞ、と言おうとしてこの子には親がいないことを思い出してマイクは口をつぐんだ。
梓は俯いている。
いつも花が咲いたように笑う彼女からは想像もつかないほど憔悴していた。
「東堂…」
『…なんかあったら、言えって、』
「え?」
泣きそうな掠れた声だった。
ぎゅうっと、太ももにへばりついた袴を握りながら梓はぽつりと言葉をこぼす。
『まえに、先生が、なんかあったら俺のところに来いって』
「!」
言った。確かに言った。
相談にのってやる、と。
この子は、ただひたすらに担任である相澤を頼ってこの雨の中外で待っていたのだ。
看護師からもらったタオルを頭から梓に被せたマイクは、ちらりと彼を見た。
彼は椅子に座る梓の前にしゃがみ込むと、溢れそうな大きな目を下から覗いた。
「ああ、言ったな。何があった?」
瞬間、梓の目からぶわっと涙があふれた。
『せんせ、わたし、わたしどうすれば、』
「ゆっくり話せ」
『お父さんが、いきなり死んで、よくわかんないまま親戚が集まって来て、おじさんたちが、わたしのこと排除しようとして、わたしまだお父さん死んでパニックで、でも、』
「……」
『でも、お父さん、先代たちがまもってきたものを、まもらなきゃ。次は私が背負わなきゃ、だから、わたし、当主になるしかなかった』
震える手で彼女は家紋のついた首飾りをぎゅっとにぎった。
『いままでの一族を、業を、責任を、ぜんぶ背負わなくちゃで、これからを任されて、部下を守らなくちゃで、わたし、まだ』
嗚咽を漏らす梓をマイクは見ていられなかった。
この数日、きっと彼女は一言も弱音を吐かずにこの想いを必死に自分の中で消化しようと受け止めようとしたのだろう。
友達にも、幼馴染にも、部下にも、親戚にも何も言えない、重い重いこの悩みを。
「東堂、来い」
相澤は、ギプスが巻かれている腕を三角巾から出すとおもむろに広げた。
泣いていた梓もきょとんとしている。
「来い」
もう一度言われ、苦笑するマイクにとん、と背中を押され、
梓はおずおずと相澤に抱きついた。
首に手を回せば、ギプスのついた硬い腕が背中に周り、とんとん、と叩かれる。
「辛いな」
『……』
「お前の痛みはわかってやれねェし、俺は親にはなれねェ」
『……』
「ただ、俺はお前の担任の先生だ。いつでも来い」
そんなに優しい声音を聞いたことがなくて、また涙があふれ始める。
ぐずぐずと腕の中で泣き始めた梓に相澤はやっと安心したようにホッと息をついた。
自分がしていることは彼女にとって気休めでしかない。彼女が縛られている呪いのような一族の決まりから助けてあげることはできないし、彼女自身もそれは望んでいないだろう。
彼女が纏う濡れて重くなった装束がまとわりつく呪いのようで相澤はその冷たさを温めるようにぎゅっと強めに抱いた。
「俺は、お前の味方だ。いいな」
言い聞かせるようにそう言った相澤に、梓は泣きながら強く頷いた。
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