Are you an angel? | ナノ
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22 そして途方に暮れる


浴室のパネルドアを開けた瞬間目に飛び込んだのは、全く予想もしなかった光景だった。
緑色でドロリとしたそれは見た通りまるで泥のようで、その粘性の“何か”を顔から首や腕にまでべったりと塗りつけた姿でそこにいたのはなまえだ。
とても言い難いことではあるが俺には刹那、得体のしれないモンスターのように見えた。元よりなまえだということは無論わかっているのだが。
愛らしい恋人の常とはあまりにもかけ離れた顔を目にして激しい動揺に襲われた。
白い裸体はいつものままなのだが、さすがにそちらに目がいかなかった。
眼前の人間の見た目が思い描いていた彼女と一致しなかった、結果としてはただそれだけのことだ。然して狭い浴室に反響した悲鳴に驚愕し、そのせいでバランスを崩し情けなくも俺は転倒した。

「ね、はじめさん、」
「………」
「腰、痛い?」
「………いや」
「もしかして……怒ってる?」
「…………」

寝室は適温に保たれ、清潔な寝具のかかったベッドの上にいるというのに居心地が悪い。
今も気遣わしげに後ろから覗き込む彼女にはなんの罪もない。むしろ恋人に対しあるまじき感想を持った俺の方が後ろめたいくらいだろう。しかしそれでも俺は言葉少なに背を向けていた。
あれからの顛末は無様すぎてあまり思い返したくはない。
とりあえず濡れた衣服を着替え、無言のまま先にベッドに入った俺のあとから、風呂あがりの手入れを終えたなまえが遠慮がちにもぐり込んできた。
腰はそう痛むわけではない。ソルジャーの身体はそれほどやわには出来ていない故、打ち身などは何程のものでもないのだ。
打撃を受けたのは肉体ではない。
今日一日の浮かれた気持ちが舞い上がっては落とされた、それすらも彼女の所為ではないのだがどうしても収まりがつかない。加えて先ほどの己の慌てよう、結果彼女の眼前に晒した醜態。今現在弱っているのは身体ではなく心だ。
酷く落胆していた。彼女を抱いて、抱き締めて愛を囁き交わしたかった。俺の望みはそれだけだったのだ。
怒っているわけではなく彼女を恨むわけでもないが、感情の折り合いがつかない。
この感覚は何だ。俺は拗ねているのか?
そうだ、拗ねているのかも知れぬ。
唐突に入浴中のドアを開けられれば驚愕するのは彼女も同じだっただろうに。
しかしこの時ばかりは気遣う余裕が持てなかった。
なまえが背後から俺の背にそっと手を当てる。ゆっくりと滑らせた手が腰を撫で始める。

「やっぱり痛い……よね。……驚かせちゃってごめんなさい」
「…………っ」

驚きに肩がぴくりと跳ねた。なまえが自分から俺の身に触れてくるなど、非常に稀なことだ。
その腕が俺の胸にまわされてくる。
元の愛らしい姿に戻った彼女はごく薄いコットンの部屋着を身に着けている。湯上がりのあたたかい体温に後ろから包むように抱きしめられ、胸のふたつの膨らみが柔らかく押し付けられた。
いつにない様子に驚き彼女の方を向こうとした時。

「はじめさん、私……嫌がってるわけじゃないよ?」
「…………なに、を」
「だ、だから、」
「なまえ……この手は……」

不覚にも俺の声が上ずる。何故ならその状態からなまえの細い手が胸から腹へと下りてきたからだ。つい止めようとするがお構いなしに、そして向き直る事を許さずになまえの手が滑っていく。

「待て、」
「腰、痛めたから、……だから私が……ね?」

今宵は一体何がどうなっていると言うのだろう。何から何まで。
更に予想もつかない展開となった。
すっかりさめかけていた熱がこれだけで他愛もなく再燃し俺の中心部を疼かせる。彼女の手は腹を伝い、身につけていた薄手のスウェットの中にゆっくりと侵入した。止まらずに更に奥まで進もうとしている。首筋に触れた唇から吐息がかかる。

「……ま、待て」
「動かないで。じっとしてて」

振り向こうとすれば彼女の指に力がこもった。制止を受け俺の動きが止まる。五指に握り込まれたそれが急激に質量を増した。
なまえが俺の首に口づけながら、その手をゆっくりと上下させる。
あまりの出来事に、拘束されているわけでもないのに身じろぎさえ出来ない。身体の芯から灼熱が湧き上がり焼きつくされそうだ。このようなことをされてはたまらない。
片付けの済んでいないリビングのテーブルのことなどすっかり頭から飛んでしまっていた。

「……は……っ、なまえ……っ」
「きもち、いい……?」

このままでは危ない。すぐに限界がきてしまう。
天使であっても俺はれっきとした男である。そして幾分我慢をし過ぎた。獣じみた衝動が湧き上がりそれは止めようもなく凶暴に突き上げてくる。
ただ出せばそれで満足と言うものではない。
声を聞きたいのだ。あんたの喘ぐ声を。この手で触れて快楽に歪む顔を見たい。俺が求めているのはあんたの乱れる姿だ。

「……は、はじめ、さん!?」

素早く身を起こした俺にひっくり返されたなまえが目を瞠る。見下ろして彼女の両手首を縫い付け組み敷いた。
柔らかな髪がふわりと枕に広がる。なまえは艶めいてひどく煽情的だった。否応なく煽られて既に破裂寸前の己がどくりどくりと脈を打つ。
いつもよりも潤んだ瞳で頬を紅潮させた彼女が、先程からの行為も相まって俺の逡巡も迷いも吹き飛ばし、溜めこんだフラストレーションを見事に思い出させてくれた。
身上は天使であるが今の脳内はどこか悪魔的な感覚に支配されかけている。
肩から垂れ落ちる俺の髪に伸ばすその指は計算ずくか? その指先がつい先刻……。

「あんただ、誘ったのは」
「あの、腰……は?」
「平気だ」
「でもあんなに強くぶつけて、」
「問題ない。悪いが朝まで眠れないと思ってくれ」
「……え、そん……んんっ」

全てを言わせず、薄く開かれた唇を性急に塞いだ。
エアコンで冷えていた筈の部屋が俄かに熱気を孕む。今宵はあんたがどれほど泣いても決して離してやらぬ覚悟だ。





意識が戻るなり感じたのは腰の痛み。おかしいな。痛めたのは確かはじめさんの方だったのに。
それなのにいま現在違和感があるのはどういうわけか私だ。

「……うう、いたた……」

腰だけじゃない身体中がひどいだる重だ。若干筋肉痛もある。
二日酔いで頭が重いと言うなら私にとって珍しくもなんともないけれど、朝の起き抜けにこういうことはそうそうあることじゃない。スポーツを嗜まないしアウトドア派じゃないんだから。
ゴソゴソと手だけで探れば、予想はついていたけど左隣には誰もいなかった。
薄っすらと目を開けてすこしだけ上半身を起こせば、見るまでもなくはじめさんは既にベッドにいない。
もう起きてるんだ。
私は全然寝足りないのに。
一度開いた眼がまた閉じてきて背中から力が抜け、再び皺の寄ったシーツに沈み込む。
それにしても昨夜のあれは一体どういうこと。
お風呂で腰を強打したはじめさん。だから、私は、私は……。急に羞恥に襲われる。そこからの急展開まで鮮明に思い起こされて、独りでに熱が上った頬を両手で押さえまた私は目を開いた。
白い天井クロスを見上げながら、それは昨夜彼の肩越しに見たのと何ら変わりのない天井だけど、私は恥かしいほど声を上げた自分を客観的に思い出した。
でもそれは最初のうちの話で、途中からはわけがわからなくなり、頭の回線は完全にショートした。
観念としてはもちろんわかっていた。だけど超人的な体力を改めて目の当たりに見せつけられた気がしたのだ。果てしない無尽蔵のバイタリティにいいように翻弄された。
人間離れしていることも当然知ってはいるけれど……、いや、そもそも彼は人間じゃないんだよね。こんなことで私、はじめさんの奥さんになんかなれるんだろうか?などとくだらないことを考えながらも再び瞼が落ちてくる。やっぱり眠い。
お昼に近い強烈な太陽光がカーテンを通して容赦なく差し込んでくる。今日も暑いらしい。明け方少し微睡んだだけでまだちゃんと目の覚めてない私は、いちど起き上がろうとしたけど考え直し、またぐずぐずとシーツに頭までくるまった。
のんびりとのどかな休日の午前。
エアコンが時折モーター音を響かせる。
リビングに続く戸は閉まっているけれどキッチンの方からことことと音が聞こえていた。
やがてほのかに漂ってくる、お味噌と出汁の香り。ああ、これはお味噌汁だ。
こんなことが前にもあった。
デジャヴ――。
すると戸を開く小さな音がした。そこから僅かに間があったのは彼が黙ってこちらを見つめていたからなのだろう。
少ししてから遠慮がちな声がかけられた。

「……なまえ」
「…………、」
「起きられるだろうか。その、朝食ができたが」
「…………」
「怒って、いるのか?」

どうやらはじめさんは、昨夜のやり過ぎを反省しているらしい。ああ、目に浮かんでしまう。
これまで幾度となく目にしてきた例のはじめさんの仔犬バージョン。もしも耳が生えていたらきっとぺたりと頭に張り付いて、今にもキューンと鳴き出しそうな切なげな瞳で見つめる。昨夜はビーストだったくせに嵐が過ぎされば彼はたいていこうなる。まさに台風一過という感じ。
でも彼がああなってしまった理由を私はよく知っているのだ。その原因の一端が私にあることもわかっている。長い時間をかけて少しずつお互いのことを理解し合ってきたのだから。
潜めたような呼吸は彼の躊躇いをあらわしている。
でも私はシーツから出られない。
何故ってだって、顔が笑ってしまっている。抑えられない笑みが上ってきてしまったのだ。
するとベッドにそっと歩み寄ってくる気配を感じる。

「……なまえ」

だめだめやめて、はじめさん。言ってしまう。私、言ってしまうよ、我慢が出来ない。
絶対可愛いって、そう言ってしまう。そうしたらはじめさんの方こそ絶対に怒るでしょう?

「なまえ……?」

シーツごしに小刻みに上下する肩を彼は見咎めたようだ。声が俄かに戸惑いを含む。
決して乱暴な手つきではないけれど、僅かだけ強引にシーツを引き剥がした。





「ああ、美味しかった。ご馳走さま」
「よく食べたな」
「お腹空いてたんだもの」

食器を下げながら満足気に笑うはじめさんだけど、私のいつにない食べっぷりは、途中彼のお箸を止めてしまうほどだった。何と言っても朝っぱらから美味しいお味噌汁とご飯をそれぞれおかわりしてしまったのだ。作り置きのお煮つけも、きんぴらごぼうも、分厚い出汁巻き玉子もしっかりたいらげた。おかげで体調はバッチリだ。
さっき一頻り笑い転げる私を見ながら最初は怪訝そうなはじめさんだったけれど。
例の台詞を結局言ってしまった私。わけもわからないままにとりあえずベッドに入り込んできた彼はそれを聞くなりムッとして私を取り押さえ、しかもその時何も着ていなかった為に再びの狼藉を働こうとした。なんとか回避して朝ごはんにありつけたのがあれからさらに一時間近く後の今だ。夜通しかけてかなり体力を消耗した上にもうお昼近く。
そうだこれは、朝というよりはもうお昼ごはんだったのだ。
一緒にお皿をキッチンに運び、サラダのドレッシングなんかをしまう為に冷蔵庫を開ければ、そこには彼のお手製のマスカルポーネとトマトのパスタソースが清潔なタッパーに入れられている。フィットチーネと相性抜群のこれが近頃の私達のお気に入りなのだけど。
視線の先を目で追った彼が「昼食だ」と言うので私は顔を顰める。ちょっと残念だけどこれはきっとお腹に入らない。暫くは空きがない。

「欠食は気が進まないが」
「だって食べ過ぎちゃったんだもの。それに遅く起きたし」
「身体に良くないぞ」
「そんなこと言ったって、だいたい朝が遅くなったのは誰のせい?」
「そ、それは……すまん。しかし、」

調子づいて睨んで見せると素直に謝りながら、でも不意にはじめさんが何かを思いついたみたいに言葉を止めた。そして目を大きく見開いて私に手を伸ばす。
濃い藍色が俄かに輝きを増したように見えた。

「ん?」
「まさか、なまえ?」
「はい?」
「そう言えば、少しふっくらとしたような、」

真顔で私のお腹を触ろうとするのを身を躱して危うく避けた。
その手つきがなんというか、手のひらを広げて丸く撫でるみたいな、そうそれはまるで……。
ちょっと!

「妊娠なんてしてません! 違います!」
「……そうか」

どういうわけか心なしかしゅんとして肩を落とすはじめさん。
何をがっかりしてるんですか、まったく失礼な。
太ったって言いたいの? それははじめさんが美味しいものばかり作るからいけないんでしょう。
体重はそんなに変わってないのにいやになってしまうな。
今朝私の頬がふっくらつやつやなのはね、昨夜お風呂でみっちりと時間をかけてボディのお手入れをしたからで……。
説明を試みようと勢いよく向き直れば、彼はもう全く別のことを考えているみたいにすっかり黙り込んでいた。彼の視線の先に目を移せば冷蔵庫の側面に貼ってあるカレンダーを見ていた。

「はじめさん?」
「なまえの家に伺って父上にご挨拶をせねばならぬ」
「あ、」
「ご両親のご都合に合わせて仕事のシフトを入れるゆえ」
「うん。土日でもいいの? 例えば来週とか」
「人生の一大事だ。その日が良ければそうしよう。そのあと暫く週末休みを取れなくなるかもしれぬがよいか」

はじめさんてば今一瞬妊娠のことなんか考えたから、そっちに思考がいったのかな。
このところ彼はぐんとわかり易くなっている。
私だって両親のところに行くことを忘れていたわけではない。梅雨の前から二人で考えていたのに色々とあって延期になったきりだった。
あれから母の襲撃を受けたりもあって、はじめさんの存在も私達のお付き合いのこともきっと父の耳に入っている筈だ。
けれど筋道を通してご挨拶をと言ってくれるはじめさんの気持ちが嬉しいので、改めて予定を立てたいと思っていた。昨日お風呂でもちょうどそれを考えたばかり。
それならば善は急げということで、今日にでも、いや、今すぐに電話をしてみようと思い立つ。
私の母はなんせ予定の読めない人なのだ。いつもどこを飛び回っているのか、いないときはいない。だから思いついたが吉日。今日かけたからと言って必ずしもつながるとは限らない電話だ。
カレンダーに続いてはじめさんがビジネス手帳なんかを徐に取り出す。
私達はうきうきしていた。
そう、文字通り浮かれていた。
本当はごくわずかにだけど心の片隅に懸っていることがある。それは寝室のドレッサーの中にひっそりと眠っている。
それでもお互いの気持ちが強く結びついていると信じている私達は、何を疑うこともなく永遠に続く二人の明日のことを考えていた。それはとても幸せな気持ちだった。
予測に反して電話に出たのは母だった。よかった今日はいたんだラッキーだな、なんて思いながら用件を伝えるそのやりとりのあいだ。
話が進むにつれて私の口から意味のある言葉が消えていく。
落ち込むと言うよりも私は、そしてはじめさんも心底びっくりしていた。
予測のつかない出来事なんてよくある事だ。昨夜からのことだってそうだったし、日常生活の中ではどこの誰にでも当たり前にあると言っていい。
そういう連続で人は生きている。
だけど。
だけど信じて疑わなかった予測がこうまで見事に裏切られたとしたら。
きっと人は何をどう受け止めていいかわからなくなって頭の中は真っ白になって、そして何も考えられなくなるものなのだ。
スマフォを手にした私の直ぐ隣ではじめさんが息を飲む。
木偶のように固まった私は、意味のない言葉を繰り返す。

「……え、会いたくないって、どうして……」
『そういうことだから』
「そういうことって、ねえ、どうして、」
『とにかく駄目なのよ』
「どうして、お母さん」
『お父さんとも話したの。私達は斎藤さんと会えません』
「…………どう、して、」

ショックとかそんななまやさしい感じじゃない。こんなことを言われたら、ここまで信じがたいリアクションを受けたら人は、本当になにも考えられなくなってしまうのだ。



This story is to be continued.

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MATERIAL: blancbox / web*citron


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