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20 天使だって引くんです


同じだった。
綺麗に澄んだそれは美しい海のようなブルー。
絶対に間違いはない。





土曜の朝は穏やかに始まった。ウィークデーに比べはじめさんも少しだけゆっくりする休日の朝ではあるけれど、今朝は随分ぐっすりと眠っているようで私は珍しく先に起き出す。
うっかりかけっぱなしで眠ってしまったエアコンを切って、まだ夢の中にいるはじめさんを起こさないようにキッチンに行き朝食の用意に取り掛かろうとした。
なんだかこれって奥さんみたい? と独りでなんとなく照れながら、彼が作るようなスペシャルな食卓には程遠いけど取り敢えずコーヒーメーカーをセットして、買い置きのクロワッサンだけじゃ物足りないしベーコンエッグでも作るべきかと考えながら、待てよ、やっぱりスクランブルエッグの方がいいかななどとつまらないことを悩んだ結果、はじめさんはどっちがいい?って聞いてみようそうしようと私は再び寝室に取って返す。
私ははじめさんの寝顔をそうそう見ることが出来ない。何故ならいつも私が彼よりも先に寝て後から起きるからなのである。何の自慢にもならないが。
はじめさんは少し前まで私が頭を載せていた右腕を真横に伸ばした姿勢を変えずに眠っていた。
時刻は9時を回っている。彼がこの時間まで熟睡しているなんてことはかつてない。
これは非常にレアである。
この時点で気づいていればよかったのに、私はダブルベッドに横たわるその人に暫し見惚れてしまった。珍しく静かな寝息を立てる彼を拝むことが出来たのだ。
枕なんて昨夜のうちにどこかに行っちゃっていて、薄いブランケットをお腹から太腿のあたりに掛けた彼は、私が抜けだした時と同じように仰向けで目を閉じていた。
吹き出物なんて一切無縁な白く滑らかな頬は削いだ様に無駄のないライン、伏せられた睫毛は長く、高く通った鼻梁と普段は引き締まった唇がごくごく微かに開いたその造形美にはため息が漏れてしまう。
前髪がさらりと分かれて形のいい眉が覗き、僅かに寝乱れた紫紺の長い髪は明るい色のカーテンを通して差し込む朝日の中でシーツの上に艶やかに流れていた。見慣れた面差しとは言うものの彼の寝顔はまた格段に美しい。
膝下からすらりと伸びた脚も足指の爪の先まで完璧だ。何も身に着けていない上半身は綺麗な胸筋を纏い、鎖骨までが芸術的でまるでギリシャ彫刻と見紛うばかり。
この胸に抱き締められた昨夜の自分を思い出し顔に一気に熱が集まる。っていけない、朝っぱらから何を考えているの。
横たわる彼の全身像に隈なく見惚れてからややあってはっと我に返る。
私ったら。こんなことじゃ彼の奥さんなんて務まらないわ……。
気恥ずかしい気持ちを抑えて彼の肩を軽く揺すった。

「はじめさん、そろそろ起きて。スクランブルエッグとベーコンエッグどっちがいいですか」
「………ん、」
「はじめ……さん……?」

今彼の喉から聞こえた「ん」がなんだか。
何と言うのかいつもの彼の声と幾分違う様な。
なんだかヒューって言う感じで。
それよりも。
そっと触れた彼の肩が何かとても熱いような。

「……なまえ、」

重たげな瞼がゆっくりと上がる。
え?
そのハスキー過ぎる声はどういうわけですか。

「はじめさん、声……、」
「喉が少し……コホッ、」

瞼を上げきれずにまた閉じてしまう。長い前髪を手のひらで除けて恐る恐る額に触れれば、ああ。
熱い。明らかにこれは熱発の状態。
薄い唇は幾分乾いていた。





穏やかな朝と思ったのはどうやら完全な勘違いであった。
はじめさんが体調を崩したことは今までに一度もない。これは彼と一緒に此処で生活するようになってから初めての前代未聞な大事件である。
ブランケットを引き剥がしボクサーパンツ一枚だったはじめさんに直ちにパジャマ(に見立てたロンTとスウェット)を着せつけ、掻き上げた前髪には嫌がるのを宥めすかし小さいヘアクリップを留めて有無を言わせずに冷えピタを貼りつけた。
今日も昼から講義があると無理矢理起きようとするはじめさんを押さえつける。
いつもは私の非力になんて絶対屈することなどない彼だけど流石に39度超えの発熱をしている今は、前身倦怠に襲われているようで思うようにならない身体に苛ついているようだ。
とにかくはじめさんをベッドに戻そうと私は必死だ。

「はじめさん、寝てなきゃだめだってば」
「ゴホッ、大丈夫だ……っ、ゴホ……」

仕事に穴を空けるわけにいかぬと最後まで抵抗していたけど、これじゃ塾の生徒さんに移してしまうよと言えば渋々と力を抜いた。

「熱があるんだから仕方ないよ、ね? 典型的な風邪だから今日は休もう」
「天使は、風邪など、ゴホゴホッ……引かな……っ」
「未だに天使は風邪を引かないなんて、そんな迷信を信じちゃってる天使がいたとはね」
「あれ? 沖田さんいつからそこに」
「そ、総司っ、ゴホッ、何故……っ」

気づけばこの部屋に一つしかないソファに深々と座って悠々とコーヒーを啜る沖田さんがいた。
あ、それ、はじめさんのマグカップ。
今まで全く気がつかずにベッドでじたばたとしていた私とはじめさんは、開け放ったリビングの光景を見て一瞬動きを止めた。

「うん、インターフォン押したけど返事がなかったからね、悪いけどこっちから来たよ、」
「かっ、勝手に、入って……ゴホゴホッ、来る……な……っ」
「はじめさん、喉に悪いから大声で喋っちゃ……」

沖田さんが悪びれなく向けた顔の先、ベランダの窓が開け放たれカーテンがふわりと膨らんでいる。

「珍しいね、風邪なんて。お腹でも出して寝てたわけ?」
「天使は……風邪を……っ、ゴホゴホゴホッ、ゴホ、ゴホッ、ゴホ!」

噎せるように咳き込んだはじめさんの大赤面顔は決して熱の所為だけではなかったのだろう。

「はじめさんっ、大丈夫!?」
「だから引くんだってば、天使も風邪をさ。現に今引いてるじゃない。はじめ君も僕も担がれちゃったんだよ」

そう言って沖田さんははじめさんの背を必死で擦る私にも視線を寄越してクスクスと笑った。
沖田さん曰く天使が風邪を引かないという迷信を二人に吹き込んだのは、なんとはじめさんのお母様だと言う。

「沖田さん、今日は何かあったんですか?」
「あ、たいしたことじゃないんだけど、ね」

沖田さんがちらりとはじめさんを見遣る、
「お粥を作ってくる」と言っているのに「いらない」というはじめさんは、沖田さんの強引な来訪を知ったが最後、ベッドの中にいながらにして潤んだ蒼い瞳に警戒の色を浮かべている。
ふいに伸ばされた熱い手が私の手を掴んだ。見上げる眼差しは久しぶりにご対面のいたいけな仔犬。
あれ、もう疑ったりしないって言っていたのに。

「う、疑って、ゴホッ、いるわけではない、その、少々、心許ない、だけだ……ゴホッゴホッ」

一度消したエアコンを再度つけて室温を調節する。
常備していた市販の風邪薬と冷蔵庫にあったイオン飲料をはじめさんに飲ませ冷凍室を漁ってアイスノンを探し出す。
彼の頭の下に当てながら病院へ行ったほうがいいかな、その場合人医(人間用のお医者さん)でいいのかな。まさか獣医ってことは……、野獣は野獣でも美獣だけど、と言うか天使だしどうなんだろう。
と思い巡らせているとはじめさんが心なしか不快げな顔で私を見上げた。

「あんたは、また、ゴホゴホ、俺に対して……何か……、ゴホ、失礼なことを、考えなかったか、ゴホゴホゴホゴホッ!」
「……うっ、」

この天使、時々勘が鋭いの。
それよりもさっきから頻りに気にしていた仕事場への電話を促せば人(天使)の違った声で事情を説明するはじめさんに、塾の職員さんも多くは聞かずに「お大事に」と言ってくれたようだ。
はじめさんが風邪を引いたのはもしかして恐らくこれが初めてなんだろうな。
昨夜エアコンをかけたまま(見た目は涼しげなはじめさんではあるけれど夜は少し暑がり)、そして裸のまま眠ってしまったのは私のせいでもある。
……かも知れない。
私は急に責任を感じ、熱を持った熱い手をそっと握り返した。

「はじめ君てなんだかんだ言って、ほんと面白いよね、」
「なに……っ! ゴホゴホッ」
「ここ、可愛いね」

沖田さんは自分の前髪の生え際を人差し指で差し、次にはじめさんの前髪を指差した。更に発火したはじめさんが前髪に留められたクリップを毟り取る。
笑いながらはじめさんを一頻りからかって、それから沖田さんは不意に真顔になった。

「この間なまえちゃんのお母さんが来た時、僕らは本当はこれを渡しに来たんだ……、今、大丈夫かな」
「それは?」

はじめさんの体調を気遣う口調で真顔の彼が取り出したもの。
ソファの背もたれから身を乗り出した沖田さんが差し出したのは手紙の束みたいだった。
訝しげな顔をしているはじめさんに受け取ったそれをそのまま手渡す。
10通ほどはあっただろうか、僅かに変色して黄ばんだそれは少し古いもののように見えた。
既に開封されているそれらの宛名は近藤さんの名前だった。
裏を返したはじめさんの瞳が大きく見開かれる。

「……これを、どこで」
「土方さんから預かってきたんだよ。近藤さんの伝言ではじめ君に返して欲しいって」

はじめさんは中を開けることもせずに恐らく封筒の裏に書かれている筈の差出人の文字を凝視している。唇がほんの微かに震えているようだった。
私にはその手紙が何かということもそこにある事情も何一つ掴めないけれど、言葉を挟めるような事柄でないことだけはよく解る。
席を外したほうがいいのかなとそっと引こうとしたら、握られたままだったはじめさんの手はさっきよりも強く私の手を握り締めた。
思わず彼の顔を見つめればどこか迷う様な瞳が私を見返す。

「近藤さんも悩んだみたいなんだ、はじめ君に見せるかどうかは」
「総司は……、中を」
「僕ははじめ君が見てから、君がいいって言うなら、いつでも」
「そうか」
「あともう一つ、伝えなきゃいけないことがある。僕も驚いたんだけど、」

はじめさんの瞳は熱の所為で濡れていたけど、目を逸らさずに沖田さんの口元を見守る。
沖田さんは私にも一瞬だけ視線を寄越した。
それは君にも関係のある事だよ、と言っているように見えたので私も彼の次の言葉をじっと待った。

「近藤さん達が僕達にこれまで伝えてきたことの中に、少しだけ事実と違うことがあったんだ。はじめ君の……母親のことについて」





たまたま持っていたからと沖田さんが松本ドクターの処方した薬を置いて行ってくれた。
それはビタミン剤と軽めの睡眠導入剤らしいけど所謂天使用の処方ってことだろうか。
私にはよく解らないけれど、はじめさんが「何か盛ってなどおらぬだろうな」と珍しい軽口を利けば「さあね、兄のことが信じられないの?」と沖田さんは笑った。
「誰が兄だ」とはじめさんが応えれば「お兄ちゃんて呼んでもいいんだよ、はじめ君。ちょっと呼んでみてよ」とまた笑う沖田さんに「断る」と一言だけ返してはじめさんは、手のひらに載せられた錠剤を水と一緒にあっさりと喉に流し込んだ。
それからずっと眠っている。
幾度か額に手を当ててみたけれど熱は朝ほどではないようで随分落ち着いてきているみたい。
天使の体力は人間とは違うとよく聞いていたけど風邪の治りも人間よりも早いのかな。
沖田さんは以前と変わらずに飄々としていて、一刻私との間に起こったことなんてなかったみたいに振る舞っていてくれた。
はじめさんの為に風邪引きに優しい食品なんかの買い出しにまで行ってくれて、さっきのやり取りじゃないけれどなんだか本当にはじめさんのお兄さんみたいだった。

「はじめ君の体力がああ見えて野獣並みなの知ってるでしょ? だから心配ないよ。明日にはよくなると思う。なんかあったら連絡してきなよ」

そう言って帰って行った。
ベッドサイドのわたしのドレッサーの上に手紙は無造作に置かれたままだ。何の変哲もない四角い封書の束。それは意図的なのか無意識かは解らないけれど宛名を上にして置かれている。

“Att: Mr.Isami Kondo”

私にはそれを裏返して見る権利も勇気もないので手を触れていないけれど、はじめさんの眠る傍らに座ったままそれがずっと気になり続けていた。
はじめさんは結局沖田さんがいる間に中を確かめることをしなかったし、沖田さんもはじめさんを促したりはしなかった。
実際はじめさんは体調を崩していて普段と違うんだから無理もないと言えば言えるんだけど、直ぐに見なかったのは何故なのか何処となく不自然に思えたりもした。
二人の戯言みたいなやり取りで繰り返された兄って言葉もとても気になっている。何だろう。沖田さんがはじめさんのお兄さんってこと?
二人は私が聞いていることを承知で何かをあえて隠すようでもなく、かと言って説明をしてくれるでもなく会話は淡々と交わされた。
天界に関わる事、そしてはじめさん個人のことでまだ私の知らない事が沢山ある。でもいつか全て話してくれるはずだと私は信じている。
彼をこよなく愛している私には怖いことも不安ももう何もないのだから。
窓の外が翳り出し陽の長い夏の一日も暮れようとしていた。
ふと窓辺に立って見ればまだ薄明るい東の空に白い三日月が浮かんでいる。
母に突撃隣の晩御飯をされてから二週間経ち長い梅雨も明けた。
はじめさんが風邪を引いてしまったので今日はもちろん、そして明日の予定も取り敢えず白紙になったわけだけど実は内心で、出来れば今日か明日にでも実家の母のところへ突撃隣の晩御飯のお返しなんてしてしまうのはどうかな、なんて私はチラリと考えていたのだ。
だけど今の状況ではそれは少し先延ばしになりそうだな。

「……なまえ」

小さな声ではじめさんが私を呼んだ。

「あ、目が覚めた?」
「もう少し近くに……、」

振り返れば昼間よりも幾分顔色が良くなった彼が目を覚まし私を見ていた。
綺麗なブルーの瞳には生気が戻ったようでホッとする。
伸ばされた手を取ってゆっくりと隣に横たわりまだほんの少し熱い身体をそっと抱き締めれば今日二度目の仔犬が私の腕の中にいた。
愛しい愛しい人。
別に急ぐことなんかないんだ。
私達にはたくさん時間があるのだから。
柔らかな紫紺の髪を優しく撫でながら「お腹空かない?」と聞けば「少し、」と応える彼に思わずキューンと来て心臓を掴まれてしまった私。
か、可愛いな、はじめさん……。
漏れかけた禁句を飲み込み緩む口元を押さえた。

「大好きだよ。お粥を持ってくるね」

耳元に囁けば彼が目元を染めて微笑む。
微笑み返し彼の髪をもう一度撫でてからベッドを降りた。





間違いはない。
ソフィアはとても美しい瞳を持っていた。
誰もが惹きつけられるような深く澄んだ、それは美しいブルーの。

武骨な手が閉じたスマフォの画面が暗転した。


This story is to be continued.

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I am in love with an angel every day!



MATERIAL: blancbox / web*citron


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