Are you an angel? | ナノ
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16 浄化の螺旋


開け放った窓から陽光と共に爽やかな風が柔らかく吹き込み、窓辺に立つ背の高い人の明るい色の髪を揺らした。此の療養所は下界における病院とは少し趣が違っていて、一見するとリゾートにあるような低階層のコンドミニアムみたいな様子である。
フロントで面会時間などの説明を受け訪れたその部屋は、こじんまりしたリビングにセンスのいいテーブルや本棚、続く解放的な隣室はベッドルームになっており、清潔なベッドとサイドテーブルが置かれているのが見えた。ノックに「どうぞ」と答えただけで、部屋に入ってドアの前に立ち尽くす私に、窓際に居た彼は暫く言葉をかけないまま飽かず外を眺めていた。その姿が拒絶に見えて私は狼狽える。
身に着けた生成りのシャツの背が風に膨らみ、大きくはためいたカーテンにタッセルをかけて、ゆっくりと振り返った沖田さんが私に一歩近づいた。いくらか頬の線が細くなったように見えたけれど、彼の顔色は悪くなくて心の中で私はほっとする。

「で? 君は一体何をしに来たの」
「……あの、」

沖田さんは頬に笑みを浮かべていた。いつものような悪戯っぽさも狡猾さも全くない、それは心を露わにしない笑顔で、彼を見つめたまま口ごもる私を静かに見返した。

「同情しに来たの」
「違います、私は……、」
「それとも、やっぱり僕の方がいいって思い直したの」
「……え、」

もう数歩大股で近づいて来た彼が、私に全てを言わせずに手首を掴む。不意に目の前まできた彼の瞳は僅かに切なげに揺れた後、さっきとは打って変わった冷たい色に変わり、眼を逸らせないまま身構えて瞠目した。見つめ合ったのはほんの一瞬のことなのに、心臓が激しく波立つ。
次の瞬間彼は私の手を離してクスリと笑った。そうかと思うと、さも可笑しくてたまらないと言うようにお腹を抱えて笑い出す。

「冗談だよ、そんな顔しないでよ。僕はそこまで空気の読めない男じゃない」
「…………、」
「相変わらずだね。君がいつまでもそんなふうだと……なんだか一君が気の毒になるよ」

沖田さんは身を捩るように一頻り笑ってから、ぴたりと笑いを収めた。短い間に幾度も表情を変える沖田さんの心持ちが読めずに動揺する。
けれど、一君が気の毒になる、その一言が私を捉えた。
直ぐには意味が理解できずに、だけどその言葉が次第にゆっくりとゆっくりと心に染み通ってくる。まるで鋭利な刃物の切っ先が触れて出来た切り疵のように、直ぐには感じない痛みがじわじわと自覚されてくる。昨夜あれほど考えたのにどう伝えていいか未だ解らなかったせいで、意味のある言葉を一つも発することが出来なかった私は、黙ったまま身を強張らせるしか出来なかった。そんな私をひたと見据えたまま沖田さんが続ける。

「どんなことを言いに来たか察しはついてるよ。けど僕は別に聞きたくないんだ」
「…………、」
「君を傷つけたいわけじゃない。だけどね、僕にも心ってものがあるんだよ、一応」
「…………、」
「どんな言葉をもらっても僕はもう癒されない。わかるでしょ? だから何も言わなくていい。ただ黙って幸せになればいいんだ、一君と」
「沖田さん、私は」
「ねえ、なまえちゃん。優しさが人を傷つけることもあるんだってことを、いい加減君も知ったほうがいいんじゃないかな。僕を心配してわざわざ来てくれたのはわかるけどさ、正直迷惑なんだよね、もう」

込み上げそうな涙を必死で飲み込んだ。何もかもが沖田さんの言う通りだと思った。彼の言ったことは悲しい程に正しい。
優柔不断な私こそがこれまで皆を振り回し傷つけ続けてきた。沖田さんだけでなく千景さんも、そしてはじめさんのことも。それは私がずっと逡巡していたことだった。
弱者ぶりたかったわけじゃない、けれど結果的にそうなっていた。曖昧な態度も沖田さんが口にした優しさというのも、単に私の弱さの表れでしかない。傷つくことを恐れるあまりに結果として相手を傷つける。
口調は決してきつくはなかったけれど、沖田さんの言葉は私を「偽善者」と糾弾していた。私はこういう事を沖田さんに言われる為に此処へ来たのだと今初めて解った。
そしてもう一つ気づいたことがある。沖田さんは自分からわざと嫌な役目を引き受けている。それはきっと私を解放してくれる為なんだと思った。私を傷つける言葉を吐くことで彼はきっと更に傷ついている。彼のしていることはまさに私の逆なのだ。
私は自身の思慮の浅さに頽れそうになりながらも、必死で笑みを浮かべて見せた。
ここで泣いてはいけない。泣きたいのは彼の方だ。ここで泣いたら私はずっと今までのどうしようもない私のままだ。
自分を奮い立たせて唇から言葉を押し出す。

「もう、来ません。でも最後に言わせてください」
「なに?」
「私は沖田さんを誇りに思います。あなたと過ごした時間を忘れません。これからは自分を見失わないように、信じた道を歩いていきます。ありがとうございました」

窓からの風がひときわ強く吹き入り、窓辺を離れた沖田さんのところまで届いてまた彼の髪を僅か揺らした。彼の眉がほんの少しだけ上がった。私の目の端に一瞬それらが映り、尚もせり上げる嗚咽を必死で堪えながら頭を下げた。





本当に参ったな。君を嫌いになることはやっぱりできそうもない。何だかお手上げだった。
開かれたドアから入ってきたなまえちゃんを見た時、僕の心に浮かんだ光景がある。デジャブみたいに感じた小さな痛みも同じだ。僕の心の片隅に消え残っていた深い藍色が、なまえちゃんの左手の薬指を控えめに彩っていた。
あの人はあの日、今目の前にいるなまえちゃんと同じことを言った。その指にはもうラピスラズリはなかったけれど。あれから長い時を経て指環は最もふさわしい人の指に、辿り着いたってわけなのか。
おぼろげな記憶が甦ってくる。
それは恋とはもちろん違っていた。けれど温かくて心地よくて、彼女といたら小さな憂いなんていつも他愛もないことのように融けて消えていった。幼い頃の僅かな期間のことだけれど、若く美しい彼女を僕は母のように慕った。あの人が僕から離れていくとき僕にくれた言葉。なまえちゃんはさっき、奇しくも彼女と同じ言葉を僕に告げたんだ。

総ちゃん、今までありがとう。私はあなたを誇りに思うわ。どうか一を頼みます。

不器用で正直で、そして誰よりも自身の心に忠実で真っ直ぐな瞳。君はあの人と同じ瞳をした。
一君が君に魅かれた理由を僕はどこかで理解していた。誰よりも一君のなまえちゃんへの気持ちが解るのは僕の筈だ。だって僕もかつて同じ人を慕ったんだから。
どこがということもなくなまえちゃんは一君の母親にとてもよく似ている。
長い間僕の中で歪められていた記憶は、この診療所に入所する前に近藤さんと話したことでかなり修正された。あれからも更にいろいろと思い出したことがある。
僕は小さい頃に産みの親から捨てられて近藤さんのもとで育ったけれど、養成所に入る前の短い期間を一君と兄弟のように過ごしたことがあった。その頃一君の傍に居た彼の母親は、僕のことも彼と分け隔てなく可愛がってくれた。彼女が息子である一君よりも僕を、ほんの少しだけ大人扱いしてくれたことも嬉しかった。
掟を破った彼女は神殿に近づくことを許されない立場だった。やがて彼女の追放が決まる。当時幼かった一君にも僕にも、大人の事情なんてものが解るはずなんかない。
彼女が天界を去る日。黙って泣きもせずに歯を食いしばり俯いていた一君の隣にいた僕に、優しく掛けられたその言葉をずっと忘れていたんだ。とても大切な言葉だったのに。悲しさの余り僕は彼女を憎もうと思った。また置いて行かれるのかと、裏切られた気持ちでいっぱいだった。
誰も僕の心の裡を理解することは出来ないかもしれない。当たり前だ、僕本人にだって正確には解らなかったくらいだからね。
一君が生真面目で禁欲的な男になったのはそれからだ。彼の心にだって去来するものが多々あった筈だ。それなのに全ての記憶を曖昧にした僕は、憎しみの対象を前向きにどんどん成長していく一君に向けた。その強さが妬ましくて疎ましくて、そして羨ましかった。
だけどね、心の反対側の蓋をした部分で、僕は彼を弟のように愛してもいたんだ。
考えてみれば一君の恋人を好きになってしまった事は自然の摂理のようであって、だけどそれはやっぱり踏み越えてはいけないラインだったんだと今ならば思う。
なまえちゃん、君が自分を責めることなんて一つもないんだ。元より謝る必要もない。「ごめんなさい」という言葉はとても苦手だ。僕が君から一番聞きたくなかったのは「ごめんなさい」という言葉だった。だってそれはただの免罪符だから。僕はそれを聞くのが嫌だったんだ。でも君は謝ったりなんかしなかった。
君の「ありがとう」は僕の中の全ての憂いを融かし、洗い流していくようだった。なまえちゃんはだから、やっぱりあの人に似ていると思う。
僕が勝手に執着して君を苦しめただけ。それなのに君は「ありがとう」と言ってくれるんだね。今にも泣きそうな瞳に、悲しほど綺麗な笑顔を浮かべて。まるであの時のあの人と全く同じに。
僕に言えるのはもう一言だけだ。幼かった僕にはあの時まだ言えなかった。
だから今度こそ愛する君と、そして一君の幸せを僕は心から祈るよ。

「幸せになりなよ。そうでなければ君も一君も許さない」

長い髪を垂らして僕の目の前で深く頭を下げるなまえちゃんにやっとそれを言えた時、ずっとわだかまっていたものが僕の中でキラキラした何かに変化して、ゆらゆらと立ち昇っていくのを感じた。淡い霧のように哀しみも苦しみも螺旋を描いて浄化されていく。
それから一君が迎えに来るまで。
ただ他愛のない話をして、僕たちは最後の短い時を過ごした。
やがて決められた時間になって一君に彼女を返す時、彼とは何も話さなかったけれど、幾らか眩しげに細めた瞳の藍色を懐かしく眺めた。それはいつぶりのことだろうな。
僕は多分母の庇護を求めるようになまえちゃんを望んだ。けど、一君はどうやらそうじゃなかったようだ。彼は彼女を護る道を選んだんだから。僕たちは同じようになまえちゃんを好きになったようでいて、その実愛情の中身は全然違っていたみたい。一君にとってなまえちゃんは、とっくに母親の投影なんかじゃなくなっていたんだね。それじゃあ彼に勝てるわけなんかない。
でも僕もきっといつか見つける。
療養所の玄関から着かず離れずといった感じに肩を並べ、二人は歩き去っていった。
あーあ、手くらい繋げばいいのにね。まだ僕に遠慮でもしてるのかな。かえって感じ悪いな。
そんな事を思って苦笑いをしながら、少しずつ遠ざかる二つの背中を眺めていた僕に、近寄ってくる奴がいた。背中越しに近づく気配だけで解る。僕は怠い声を上げた。

「またあんた? もう、うんざりなんだけど」
「まあそう言うな。この俺様が直々に慰めに来てやったと言うのに」
「頼んでないんだけどな」
「ふん。俺も来たくて来たわけじゃない」
「ああ、あのお節介な人がまた余計なことを言ったの?」
「貴様、俺の弟を愚弄するつもりか」

振り返れば金色の髪に深い緋色の瞳をした悪魔が、心なしか目元を染めて「俺の弟」なんて言うから、僕はいつも眉間に皺を寄せたあの大天使の顔を思い浮かべ、思わず噴き出した。そして僕も「僕の弟」を想って擽ったいような心地になる。一君はこんなこと考えてもみないだろうけど。
悪魔は片手に酒の瓶を入れた袋を提げていた。ちらりと覗けば中身はどうやら、シャンパン。

「あのさ、僕、病人だよ?」
「先程医師には確認した。治療は済んでいると言うではないか」
「厭らしいな。確認したなんて」
「なまえに事実を告げてはおらん。女々しい貴様を見逃してやったのだ。感謝するがいい」

僕は肩を竦めてガラスドアの前で身体を横向きにし、この小賢しい悪魔を通してやる。
風間はいつものふてぶてしい表情に戻ると不敵に笑い、当たり前のように目の前をゆっくりと通過して僕の部屋に向かって歩き出した。





なまえが総司とどのような話し合いを持ったのか俺は一切聞かなかった。彼女は迷いのない瞳をしていた。そして最後に俺を見つめた総司の翡翠色の瞳も、遠い昔共に稽古に励んだ時を思い出させるような、どこか幼げでありながらどこまでも澄んだ色をしていた。
二人の間で交わされた言葉を俺が知る必要などはないのだと思う。
どれ程の遠回りをしたとしても必ず、青い貴石が正しく俺達を導いていく。
その夜なまえの薬指のラピスラズリに、クリスマスに贈ったエターナルリングを重ねた。彼女は幸せに咲き綻ぶような笑顔で俺を見上げた。
なまえを抱いて俺は改めて決意を固める。これからは一切の迷いを捨て彼女を守り抜いて生きる。全てを受け止めて、求められた時にその力となれるよう、なまえの為にもっと強い男にならねばなるまいと。
身の裡から湧き出でる尽きない泉のような、限りない愛情を何度も刻み付けた。

「なまえ、愛している」

夜が更けいつしか俺の胸に規則正しい吐息がかかり、彼女が眠りに落ちたことを知る。白い羽で彼女の全てを包み込み、深い眠りの中にいるなまえの耳元に何度も囁き続ける。

永遠にお前を愛している。


This story is to be continued.

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I am in love with an angel every day!



MATERIAL: blancbox / web*citron


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