Are you an angel? | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

14 黙ったままで頷いて


どちらも何も言わず再び長い沈黙が流れた。離さねばなるまい、だが離したくない、離れたくない、葛藤の中で合わせた胸の鼓動と温もり、懐かしいなまえの香りだけが確かだった。
このまま時が止まればいい。溢れ出した感情に歯止めが利かなくなりそうなのだ。
俺の胸に埋められたなまえの顔を確かめたかった。もう一度だけ、俺を見てくれないか。
なまえが小さく身じろいだ。不意に現実に戻り弾かれたようになまえの拘束を解く。
あまりの気まずさから逸らしてしまった目の端に一瞬映ったのは、戸惑う瞳と薄く開かれた桜色の唇。
もう一度見つめ合ってしまったら、触れたい衝動に勝てるわけがない。眼を固く閉じてそのまま背を向ける。これ以上彼女を振り回すわけには行かぬ。

「……すまない、どうかしていた」

生身から皮膚を剥がされるような思いとはこのような状態を指すのだろう。手の中の小箱を握り締め、重い足を進めようとした。だが踏み出した足をその場に止めさせたのは、なまえのあまりにも切ない声だった。

「……はじめさん」
「…………」
「行かないで」

振り向くことが出来ずにいる背に、柔らかな感触が触れてくる。なまえの優しい髪の香りが再び鼻腔を擽り、細い腕が縋るように回された。俺の胸をぎゅっと掴む可憐な指先は必死さを表すように力が入り過ぎて白くなっている。目を落としてその様を見つめた。
何故、青い天空の石は俺の中のカルマをどこまでも試すのか。
ただ黙って、宿命なのだと何もかもを諦めて、求めてくれるこの手を取らずにいられると思うのか?
俺の手から貴石箱が落ちた。





「シーツを取り込んでおいてよかったです」
「シーツ?」
「今日洗ったんです」

初冬の弱い陽射しは早くも落ちかけて、足元の地面は急激に冷え、絡め合ったなまえの指先が冷たくなった。俺の手全体で包み込もうとするが、逃れてまた絡めるようにして歩くなまえの朗らかな声は、離れていたことが嘘のように、まるでずっと傍にあったかのように心地よく響く。他愛のない話を思いつくままに語り続けるのを、夢のように聞いていた。
少し早いと思ったけれど今日はよく乾いたから、と言いかけてふと黙る。不安げに俺を一度仰ぎ見てから目線を下げた。今考えているのは間違いなく総司の事なのだろう。
なまえはもう帰るつもりはないのだろうか。こうして二人で当てもなく歩きながら2時間は経っていた。なまえでさえも歩いたことのない道を選び、住宅街の生活道路、小さな児童公園や初めて見る遊歩道を取り留めもなく、どちらも足を止めることを恐れるように肩を寄せ、二人でただ歩いていた。
黙り込んだなまえの顔を屈んで覗けば、どこかが痛むかのように瞳が僅かに細められている。
なまえの方が俺よりも総司の気持ちがよく解るだけに辛い筈だ。今日明日と休暇を取っているが、いずれにせよ明日の夜には必ず部屋に戻らねばならぬのだ。
今は全ての憂いを忘れなまえと共に時を過ごしたい。しかし目を逸らすことの許されぬ現実がある。どちらとも決めかねて俺は迷う。

「……総司は何処へ行った? いつ帰る」
「行き先聞いてなくて……普段は出かけないし帰りも解らない」
「話をしなければ。このままと言うわけにはいかぬ」
「でも、もう少しだけ……駄目ですか? さっき言った事、嘘です。はじめさんがいなくても大丈夫なんて嘘なの、私ほんとは……、」

駄目だなどと言えるわけがない。なまえの望みはそのまま俺の望みでもあるのだ。
肯定を示すように微笑めば、なまえがやっと俺の一番好きな笑顔を見せた。





「別に構わねえぜ、俺は彼女んとこ行ってるからよ。この部屋好きに使ってくれ」
「いつもすまない、左之」
「もう少し遅ければ出ちまってたからな、お前ら運がいいぜ?」

目を細めて俺達を交互に見ると、安堵したかのように左之が目元を綻ばせた。
行き場に迷った挙句彼の住居を訪ねていた。快く迎え入れてくれた左之は、出かける直前だったようで、外出の出で立ちである。
何もかもを含んだように「よかったな」と言われ、なまえも頬を染める。
冷蔵庫の中自由に使えよと言い残し、訪れた早々に左之は慌ただしげに部屋を出ていった。
改めて見回せばよく片付いているとも言い難いが、それでも一晩の宿をなんの詮索もなしに貸してくれる親切が有難かった。
夕食を取っていなかったので言葉に甘えて冷蔵庫の中身を拝借しようと見れば、時折訪ねてくるらしい恋人の買い置きか、左之自身が自炊をしているのか意外に充実している。
ソファに座らせていたなまえに何を作ってやろうかと振り返れば、彼女は今しがたここへ着いたばかりだと言うのに既に目を閉じていた。やけに静かだと思っていたが、頬に触れても目を開く気配のない彼女は余程疲れていたのだろう。半日近くも歩き回ったのだから当然だ。元より人間と俺達とでは体力が違う。
ふっと笑い混じりの吐息を吐いて、彼女の軽い身体を抱き上げ隣室のベッドへと運んだ。
髪を撫でながら寝顔を見つめる。無理をさせたと反省する気持ちと同時に、歩きながら繋いだ手を離さずに必死で握っていたことが思い出され、いじらしさに胸が張り裂けそうになった。
俺は所詮逃げていただけだったのだと、離れることは強さでも優しさでもなく、ましてや愛情などではないと、焦がれた寝顔を見つめたまま思い知る。
頬に触れれば閉じた瞼を縁どる長い睫がふるりと震え、たまらずに薄っすらと開いた唇を指先でなぞれば感じる吐息は温かく、微かな声が呟いた。

「……はじめさん?」
「ああ、」

ゆっくりと瞼が開き現れた琥珀の瞳がふいに潤み、盛り上がった涙の玉が目尻を伝って零れた。幾つも零れる涙に胸を掴まれる。

「また俺がなまえを泣かせている」
「違うの。起きてはじめさんがいなかったらって考えたら悲しくなって。でもよかった。夢じゃなかった」
「…………」

なまえの背に手を回し折れるほど抱き締めて、腹からせり上がりそうな嗚咽を堪える。何故、手放そうと思えたのだろう。これほどに愛しい存在を他の男の腕に委ねようなどと。
俺はこれまで己の進む道を直視し信念を持って生きてきたつもりだった。しかしなまえと出会って彼女を愛し、そして間違いを犯し初めて知る事もあるのだと、なまえを抱き締めたまま考える。
失って後悔というものを知った。時を戻したいと埒もない考えを持ち、己の弱さも知った。弱さを知らずに本当の強さを手に入れることなど出来ぬのではないだろうか。
心を常に惑乱するなまえこそが、迷いの果てに光へと導く貴石のような存在であり、やはり俺の生きていく意味なのだと間違いなく信じられる。

「離れはしない、もう決して」
「なら……、約束を刻んでください」
「…………っ」
「私を、抱いてください」
「だが……それは」
「何も言わないで頷いて。はじめさん」

小さな声で訴えるなまえの真摯な瞳が、躊躇う心と掻き乱すカルマから俺を解き放っていく。





深夜0時を過ぎた頃、薄く微睡んでいた意識が物音に目覚める。隣のなまえの寝顔を確かめてから寝室を出れば左之が戻っていた。間の悪いことに彼女の部屋に突然友人がやってきて泊まることが出来なくなったという事だ。

「起こしちまったか? わりいな。最中だったらどうしようかと思ったぜ」
「あんたと一緒にするな」
「やってねえのか?」

ストレートな物言いに、思わず顔に熱が集まる。正直だなと言ってククッと笑う左之を睨みつけるが、説得力がなかった。左之の親切に礼を述べ明日には出ていくことを告げると急に真面目な表情を浮かべ、キッチンからグラスを二つ持ってきて一つを俺の前のテーブルに置いた。
ソファに腰かけ、立ったままの俺にもう一つのソファを示し、グラスと一緒に出してきたテキーラの瓶から中身を少量ずつ注ぐ。

「ショットグラスはねえんだ。まあ座れよ」

左之は自分の前のグラスを呷ると、身体の力を抜いたようにソファの背に預けて、物問いたげに俺を見上げた。なまえをもう離さないと決めはしたが、俺の面に上った複雑な感情を、見逃がしてないと言わんばかりに見据える。左之の呑み方はそう見えた。立ったままで一息にグラスを空け、俺は言われるままにソファに座る。

「まさか、総司に悪いと思ってんのか?」
「一度は総司に託すと、俺は言った」

「おいおい、返すとでも言うつもりか? なまえは物じゃねえんだぜ? お前らの好き勝手にあっちだこっちだってわけにいくかよ」
「…………、」
「大体だ、考えてもみろよ。いくら惚れててもな、てめえ以外の男を想ってる女といて、総司が本当に幸せだと思うか? お前ならどうだ」

俺には全く二の句が次げない。しかし左之の言葉は天啓のように俺の中へと染み渡っていく。

「お前はそもそも愛し過ぎるだの傷つけるだの杓子定規に考え過ぎだ。それで血迷っちまったんだろ? 愛なんてもんはな、分量とかじゃねえんだよ。愛してるなら愛してる、それだけだ」
「もう逃げたくはない」
「それでいいんだ。お前少しは自信持てよ。そうすりゃ信じることなんか馬鹿みてえに簡単だぜ? もう一杯呑むか?」

左之は返事を待たずに二つのグラスにテキーラを注ぐ。
いつものように屈託なく笑う左之と呑む酒は俺の心の澱を融解させ、長年にわたって凝り固まった四角四面な考えを、笑い飛ばされる事さえも心地よく思えた。
この感覚はなまえを愛する前までの俺ならば、恐らく到底理解できなかったことだろう。風間の言葉の意味も、今解ったような気がした。
全てが変わっていくのだと、目の前は開けていくのだと感じる。俺はもっと強くあらねばならぬ。彼女を守るのは剣よりも、二度と迷わぬ強い心だ。

自信を持てよ。そうすりゃ信じることなんか、馬鹿みてえに簡単だ。

あの日の己に言ってやりたいと、俺は苦笑しながらテキーラを呷った。





「お帰りなまえちゃん。遅いから心配したよ」

朝早くになまえちゃんは一君と一緒に帰ってきた。あの雪の日とは違う。今日は自分の足でちゃんと立っている。ちらっと一君を見て僕に眼を戻した。

「心配することなんて、全然なかったってわけ」
「沖田さん、あの……」
「君は最後まで僕を沖田さんて呼ぶんだ?」

二人が同時に息を飲むのが解った。本当に君達は気が合ってるんだね。何故だろう、笑いが込み上げてきた。
全然可笑しくなんかないのに、まるであのしつこい咳みたいに、腹から胸を伝って喉元に込み上げる笑いが抑えられない。僕は笑いながら一君に向かって吐き棄てた。

「消えなよ」
「総司、」
「さっさとその子つれて僕の前から消えちゃってよ」

そう言ってドアをバタンと閉じてやった。
音を立てないままドアに背を預けて立っていても、二人の立ち去る足音が聞こえては来ない。そうか、ここは元々僕の部屋じゃない。なまえちゃんの部屋だったね。もう一度ドアを開ければ二人はそのまま佇んでいた。馬鹿みたい。僕は上着も羽織らずに手ぶらで彼らの脇を通り抜けた。コホコホと乾いた咳が漏れる。小さな足音が僕の背後で2〜3歩を踏み出す。

「ごめん間違えた。消えるのは僕の方だったね」
「沖田さん、薬を」
「薬はもういらない。僕には行くところがある」
「それなら私も行きます」

やめてよ。この期に及んで同情的な態度はかえって腹が立つ。踏み出したその足はまさか、本当は僕の方が好きだとでも言うつもり? 偽善の演技でもするつもりなの? 苛々する。
君をどうしようもなく好きな自分に苛々してしまうんだ。

「どこまで馬鹿な子なのさ。一君はどうするの?」
「はじめさんはわかってる。沖田さんは私がいなければ薬を飲まないって」
「自惚れないでくれる」

君を愛している。一君を真っ直ぐに愛する君だから、僕は君を好きになった。

「沖田さん」
「そんなはずないでしょ? 君なんかの為に飲めば治る薬を飲まないでみすみす死ぬなんて、そんなのはったりに決まってるじゃない。信じたの?」

だからもう、僕から自由になっていいんだよ。

「あんたの病は治るのか」
「治るよ。これから僕は松本ドクターのところで療養する。だから後は勝手にやれば」
「沖田さん……」
「着いて来ないでよ。それ以上来たら、斬るよ?」
「…………、」
「そろそろ飽きてたんだ。このくだらないパーティーには」

最初から解ってた。二人の間に僕の入る余地がないなんて。綻びが見えても求め合う二人は、すぐに隙間を埋めてしまうんだ。
僕の病気は薬を飲めば治る。僕から見れば一君の方が本当に死んでしまいかねなかった。雪の日の一君の消えそうな程薄い微笑みは、切なくて悲しくて、それを見て僕は思い出したことがある。
昨日近藤さんに何もかもを打ち明けた。僕のしていることも、僕の想いも。近藤さんは僕を否定したり責めたりはしなかった。ただ「総司、お前は独りなんかじゃない」とだけ言った。
はじめ君の生い立ちを近藤さんに聞いて、僕の記憶にはいろいろ間違いがあったと知る。
何かも持ってると思ってた彼が血の滲む努力をしてたなんて、知らなかったな。だって彼は出会った時、既にエリートだったんだから。
彼の幼児期が幸せなものだったなんてことは、嫉妬した僕自信のマインドコントロールだったかもしれない。いつか一君に勝つんだと、ずっと思っていた。
小さい頃から剣の才能があるって近藤さんに誉められて、あんまり努力をしなかった僕に対し、彼は努力であそこまでになった。素質は元々あったんだろうけど、生真面目で禁欲的で前向きな一君の、その強さが妬ましくて疎ましくて、そして羨ましかったんだ。
幼い頃から両親と離れて養成所で育ったことだってそうだ。生まれつき捨てられて最初から親なんかいなかった僕よりも、置いていかれたはじめ君の方がもしかしたら辛かったかもしれない。僕の傍にはいつだって近藤さんがいたし、近藤さんは僕を手元に置いて愛情をかけて育ててくれたんだから。
それでも一君は僕の前で一度も泣いたりはしなかった。僕がへこたれそうな時、一君はいつも黙ってじっと待っていてくれた。総司って僕の名だけ呼んで、後はじっと黙ってただあの薄い微笑みを浮かべてた。

「パーティーは終わりだ。せいぜい幸せになりなよ、モンスター」


This story is to be continued.

prevnext
RETURNCONTENTS


I am in love with an angel every day!



MATERIAL: blancbox / web*citron


AZURE