青よりも深く碧く | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


49 永劫回帰  


明け方まで斎藤は名前の傍で過ごした。名前は時々相槌を打ったり小さく質問したりしながら斎藤の話を聞いた。額の手拭いを時折水に浸して冷やしながら、こうして彼女の枕元で過ごす事がこれまで幾度あっただろうかと思う。
名前の寝顔も愛くるしいのだが、やはりこうして自分を見つめる瞳を見られるのが嬉しいと感じる。

「早くよくなれ」
「……いつも、ご面倒をかけてすみません、」
「いや、それは構わないのだが……お前がよくならないと……」
「ならないと?」
「……その」
「なんですか?」
「いや、なんでもない」
「なんですか? 教えてください」

急に目のふちを赤らめた斎藤に名前が不思議そうな顔をする。

「…………」
「はじめさん?」
「…………」

名前が斎藤の深碧を大きな琥珀色の瞳でじっと見つめ先を促す。

「はじめさん」
「……お前を、その、確かめられないだろう?」

小さな声を口の中だけで呟いた斎藤の言葉の意味に思い当たり、ただでさえ熱のある名前の顔が燃えるように熱くなった。

「はっ、はじめさん……っ」

一頻り二人で赤くなって黙り込むが、お互いの染まった頬を見合ってふっと笑う。

「……早く、よくなります」
「ああ……」

斎藤は名前の手を取り、監視の密命を受けた時からの事をゆっくりと話して聞かせた。
伊東の関心を買う為に張り付いた日々、いずれ間者として密偵の任に着く為に心ならずも名前と距離を置いた事、そして島原に潜入した時の事、泣かせた事。
御陵衛士に移った時の身を引き裂かれるように辛かった心境をも語り聞かせる。いつでも名前の事が気にかかって仕方なかったのだと。

「やはりお荷物になっていたんですね……」
「そのような事はないと前に言っただろう。お前がいなければ俺は此処にいなかったかも知れぬ。お前の元に帰る事を日々支えにした。卑下するような事は言ってくれるな」
「はい……」

昨日の島原でのことに触れれば名前は照れたように俯いた。

「愚かですね、私。信じると言いながら少し心が痛んでしまって……」
「いや、上手く説明出来ぬ俺が悪かった。お前に疑われても仕方あるまい」
「でも、少し。少しだけですよ? はじめさんを疑うなんて。もうこの先は絶対に疑いませんから」
「……そうか。だが、少しくらいならば」
「え?」
「…………」
「はじめさん?」
「いつも俺ばかりが、その……嫉妬を」

斎藤の顔がまた染まる。つい笑みを漏らすと少しだけ怒ったような、困ったような決まりの悪そうな顔を見せて斎藤は名前の頬に触れた。

「……笑うな」
「だって私ははじめさんだけですよ?」
「ああ。俺も名前だけだ」

熱はまだあったが名前は満ち足りた表情で斎藤の話に耳を傾けている。彼女の顔をまた曇らせるのではと危惧しながら少し言い淀んで、帰隊の前に暫くある人物の警護につく話をした。すると予想に反して彼女は素直に頷く。

「待っています。はじめさんを待つ事には慣れましたから」

斎藤が目を見開き名前の瞳を見つめる。強くなったとかそういう事ではなく、自分が以前言った言葉をまたも返された事に驚いたのだ。次の瞬間彼の頬がふと緩む。

「身が離れる事は辛いが、どのような事があっても心は離れぬと誓ってくれるか」
「誓います、幾度でも。あなたから心は決して離れないと」

微笑み名前の髪を撫で、つと顔を近づけて唇に触れた。

「だっ、駄目です。移ってしまう」
「構わぬ」

名前には抗う事など出来なかった。彼女も斎藤に触れたいと心から求めていた。斎藤が髪に手を差し入れると深く唇を重ね合わせてきて、名前も彼の背に腕を回す。心を重ね、互いの想いを注ぎ合うような口づけに二人共に時を忘れた。
やがて障子戸の外が薄青く染まり始め、早い朝を知らせる。隊士が起き出す前に此処を出なければならず、暫く屯所には近づけぬ斎藤は少し顔を離し名前の瞳を見つめた。

「お前と共に過ごす時間は、何故こうも早く過ぎるのだろうな」
「はい……」
「まだお前に話し足りぬ事があるが、行かねばならぬ」

そう言いながらも再び顔を寄せる斎藤を名前は躊躇わずに受け入れる。同じくらい離れたくない気持ちなのだ。名残惜しくて堪らない。

「くれぐれも、ご無理はしないでくださいね」
「ああ、お前も。だが今度はすぐにまた会える」
  


旧幕府より調べを受けた近藤は坂本竜馬と中岡慎太郎襲撃への関与を全面否定した。北辰一刀流の達人である龍馬を殺害出来得る人物となると、相当の使い手であるだろうとの予測から斎藤一を疑う声もあった。それは御陵衛士の生き残りの証言である。
しかし意外なところから新選組の疑いが晴れた。重傷を負った中岡は襲撃の夜から二、三日程息があったが本人の口から新選組を否定するような言が漏れるに及び俄かに放免されたのだ。
疑いは新選組に限らず京都見廻組、または当時有力な佐幕論者であった紀州藩公用人三浦休太郎が大垣藩士と共謀して行った犯行ではないか、と様々な憶測が飛び交った。三浦は以前坂本竜馬との間に因縁じみた事件も起こしている。そこで紀州藩は会津藩を通じ新選組に三浦警護を依頼してきた。
その話を聞いた土方は斎藤を御陵衛士から引き上げた後、帰隊までの時間稼ぎにちょうどいいと考えたのである。三浦休太郎の護衛には斎藤一、梅戸勝之進、大石鍬次郎ら七名がつく事になり、直ちに油小路の旅宿天満屋に入った。
慶応三年十二月七日。
海援隊、陸援隊士ら総勢十六名が客を装い天満屋を訪れる。斎藤らを警護につけた三浦は二階にて酒宴を行っていたところだった。
土佐藩の海援隊に所属していた陸奥陽之助という男が、紀州の三浦休太郎こそが坂本龍馬を暗殺犯と考え、報復の為に三浦を襲う計画を企てていたのだ。
乗り込んですぐに、警護していた新選組と激しい戦闘になる。十六名対七名。新選組はいずれも使い手ばかりではあるが、若干心許ない人数であった。
斎藤が己の背を襲ってきた刃に気づいてひやりとしたところを、梅戸勝之進が横から素早く閃かせた刀で相手を斬り伏せ斎藤を守る。

「すまん、」
「これしき、なんの」

短く言葉を交わしながら斬り合いは続く。
このような所で死ぬわけにはいかぬ。
海援隊残党の一人中井庄五郎が三浦は誰かと問えば、愚かにも三浦本人がうっかりと答え、すぐ様中井の振るう刀で顎を斬られた。斎藤は「何故、おめおめと答える」と舌打ちをしたい気になったが、顔から血を流す三浦を捕縛しようと色めく仲間の行動に中井も一瞬気を散らす。その慢心を見逃さず斎藤の抜き打ちの一撃が襲った。
中井はこの夜の襲撃者側で唯一の死者となる。倒れ伏す中井に海援隊は動揺を見せた。この隙に護衛側が三浦休太郎を屋根伝いに外へと逃がす。

「三浦を討ち取った!」

乱闘の中、誰が誰やらわからない状況でその声が上がると、敵は一目散に退却していったが、それは大石鍬次郎の一声だった。
海援隊は中井を損失した上三浦への報復は結局失敗に終わった。これが後の世に言う天満屋騒動である。
事態の収拾をつけると斎藤は、一先ずその夜を天満屋で明かした。これでやっと名前の元へ帰れるのだと安堵の息が漏れる。
床に入らず座ったままで座敷の一つにまどろんだ斎藤は、久し振りに夢を見た。どこもかしこもが白一色の天井と床、四方は壁。この夢をこれまでにもう幾度見ただろう。だが夢はかつてないほどに鮮明だった。眼前に広がる白は、確かにどこかの部屋なのだと知れた。だがそのような部屋に見覚えはなかった。

これは何処だ。

俯瞰で見つめる斎藤は床の上に置かれたあるものに気づく。それがなんなのかはよく解らぬが、その物体もやはり白く、細長く、腰ほどの高さに見える。
この夢は名前と自分を結ぶ何かなのだろうか、と考える。

――はじめさん。

やがて優しく穏やかに聞こえてくる声。
より鮮やかに響く声は。
もはや疑いようもない、この声は、確かに。

――はじめさん。

名前なのだな。彼の唇が微かに動く。音にはならず、だが弧を描く唇は確かに名前の名を告げた。



数日の後かなり遅い時間だったが、斎藤は正面から不動堂村の屯所に入った。彼にとっては初めての表玄関だった。式台に腰掛け草鞋を脱ぐ後ろ姿に、かつての部下がそっと近寄る。

「斎藤組長、長い間のお勤めご苦労様でした」

ゆっくりと振り返ると見知った顔が照れ臭そうに笑っていた。

「お前は……、」
「松木と言います」
「ああ。お前の事はよく覚えている」

斎藤はほんの少しだけ頬の筋肉を緩めた。
松木は以前名前が死番を代わった隊士だった。あの時の事は忘れようにも忘れられぬ。名前が怪我をした時、斎藤の頭の中には実はこの男の切腹が過っていた。
士道不覚悟。
しかし実際はそれどころではなくあれから時だけが過ぎた。この男はこうして生きている。そして名前も生きている。

それで良いのかも知れぬ。

斎藤は以前と少しだけ考え方の変わった自分にどこか満足していた。名前が、彼女の存在が、自分をして変えさせたのだろうかと思った。
真っ直ぐに局長の部屋へ向かい帰参の挨拶を述べる。
土方も共に待ち構えていた。懐かしさと喜びと、大きな力を取り戻し深い安堵を滲ませたような二人が、各々に労いの言葉をかけた。

「斎藤君、よく戻ってくれた。待っていたよ」
「無事で何よりだ。斎藤、よくやった」
「恐れ入ります」

そして斎藤の少し柔らかくはあるものの、やはり読み取りにくい無表情に二人は苦笑を浮かべるのだった。
早々に辞して待ちわびる名前の部屋へと赴く。今夜こそ名前に全てを話そう、斎藤はそう考えていた。
互いの生そのものを未来永劫重ねる為に。


prev 50 | 61 next
表紙 目次



MATERIAL: 精神庭園 / piano piano / web*citron

AZURE