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02 入隊の条件  


時は少し遡る。桜の下で名前を拾った翌朝のこと。朝餉の前に、女が目を覚ましたことを副長に密かに報告した斎藤は、自分の膳を自室に運び込み彼女に食事を与えた。今はまだ彼女の存在を公にしたくないと思った為である。
その日非番だった斎藤は昼番の連中が巡察に出るのを待った。やっと屯所内が鎮まった頃、副長がやって来る。
それから四半時。
いつも以上に深い皺を眉間に刻んで、土方は目の前の女を見据えていた。
斬ったり斬られたりと命を張って生きている新選組は獣の集団である。そんな場所で局長に次ぐ大層な役職で呼ばれていても、実際誰よりも働き面倒事を一手に引き受けることになるのが土方だった。その為に彼は隊の全てに精通しいつも睨みをきかせている。

鬼副長なんて陰口叩かれてもな、誰かが鬼をやらなきゃこんな大所帯の統制をどうやって取れってんだ。
近藤さんと新選組を盛り立てる為に、俺は何だってやってきた。大抵の事じゃあ動じねえつもりだ。

だが、しかし目の前のこの状況は……。
考えたこともないような椿事である。突然現れて戻る場所も行く先も無いという名前の処遇に流石の土方も頭を抱えた。

「あー、お前は何だ、苗字名前つったか? 名前以外思い出せないってな……そりゃ、困った事だな」

斎藤の斜め後ろ辺りで俯いている名前は、名を名乗ったきり視線を落としたままだ。

「それで、身体の具合は何ともないのか」
「はい。大丈夫です……」

小さな声で答える名前は襦袢の上に斎藤に借りたらしい着物を羽織った姿である。肌を晒していなくとも目のやり場に困る。土方は女に慣れていないというわけではないが、昼日中のこの状況下ではどこへ目を当ててよいかわからないのだ。
この上なく不審な現れ方をした女だが、土方の勘では間諜の類ではなさそうに見えた。

伊達に副長なんかやってるわけじゃねえ。多少は人を見る目ってもんがある。

「おい、斎藤。どう思う」

先程から黙ったままの斎藤が土方の視線を受けて静かに口を開いた。

「俺にはこの女が密偵の為に此処へ入り込んだようには見えません」
「まあ確かに色仕掛けしてくるようなタマにも見えねえな」

名前は表情を固くしたまま畳の縁を見つめている。
清楚なその面差しは擦れた感じが全くなく、細い顎の線が品の良さを際立たせていた。
むしろ元居た場所ではそれなりの身分だったんじゃねえのか、と土方は思った。

「で、お前さんは一体これからどうするつもりだ?」
「…………」

答えはなく少し目を泳がせていたが、ついと上げた瞳は縋るような心もとない色を纏っていた。
不意に斎藤が言葉を挟む。

「副長」
「なんだ」
「巷間は不貞浪士が増え続けている現状です。この娘を放り出すのは、些か気が咎めます」

なんだ、この男が珍しいこと言うじゃねぇかと土方はフッと笑った。

「そうだな。昨日の今日でもある事だしな。……おい、お前」
「はい」
「後ひと月もしたら松本先生の健康診断がある。お前も診てもらえ。そん時何か思い出してて身体に異常がなきゃ帰れ。ここに居る間は適当に洗濯や掃除みてえな事手伝ってくれりゃいい。うちで預かってる雪村ってのがいるんだが、そいつと……」
「あの……」
「ん?」

ずっと自分からは口を開かなかった名前が訴えるような目をして言葉を押し出す。何を言い出すのかと土方の眉間に再び皺が寄った。

「此処は新選組、ですよね?」
「ああ、その通りだが」
「隊士の募集はありませんか?」
「あ?」
「私、刀なら使えると思います」

女の言葉に驚いて思わず斎藤の方に目をやれば、彼も目を見開いて苗字を見ている。
何を舐めた口をきくと土方は女を睨み付けた。

「お前……、俺達を馬鹿にしてやがるのか?」
「違います! ……あの、私、家事が多分、出来ないと思うんです。ですからまだ、剣技の方が……なんとかお役に」

思いの外想い詰めた真っ直ぐな視線を返されて、激昂しかけた土方はうっかりと態度を軟化させた。

「そりゃ、お前……だからってな、隊務は遊びじゃねえんだ。簡単に言ってくれるな。刀はな、一日二日稽古したからって振れるようなもんじゃねえんだよ」
「それなら見るだけでいいです。どうか見てください」
「……はぁ、」

土方が溜め息をつきながら再び斎藤を見た。するといつもの感情の読めない顔に戻った斎藤の口から、思いも寄らない応えが返った。

「では俺が相手をしよう」
「何言いやがる、本気か斎藤」
「副長、見るだけなら特に問題ないのではないでしょうか」
「…………」

こいつが他人を気にかけるなんてのは滅多にないことだ。おまけに何やら斎藤主導で話が進んでねえか。
斎藤の奴、一体どうしちまったんだ?
他の幹部達は出払っている。
取り敢えず仕方がねえ、竹刀を振るところだけなら見てやるよ、と土方は幾分投げやりな気分で道場へ赴いた。
稽古着に着替えた名前が道場の入り口で一礼して入ってくると、中央で待つ斎藤の前まで歩み寄る。
斎藤に向かって再び礼をし帯刀した状態で腰を落とし、蹲踞の姿勢を取ろうとした。そんな彼女にすかさず斎藤の声がかかる。

「何をしている」
「は?」
「俺達がやっているのは礼儀作法ではない。実際に人を斬れねば意味がない。早くこい」
「はっ!」

名前が素早く中断に構えた。
斎藤は身体を右斜めに向け竹刀を右脇に取る脇構えで待つ。床を蹴って打ち込むが、斎藤は右足を更に引いただけでいとも簡単に彼女を躱す。そのまま剣先を見せもせずに再び名前を待った。
直ぐに態勢を立て直し、上段から気合の一打を打ち込むが払われてよろめく。打ち込んではあっさりとあしらわれ息を上げながら、それでも名前は何度も向かっていった。
斎藤は剣先を下に向けたまま、顔色も変えずに静かな眼差しで名前を見ていた。

本気か。何だってこいつは女だてらにこんなに食いさがるんだ。

土方は土方で粘る名前を半ば呆れ半ば驚き、腕を組んで黙って見ていたが、半時も経つ頃。

「斎藤。もうそのくらいでいい」
「はい」

白い襟巻に乱れ一つなく涼しげな顔で斎藤が名前を見下ろしている。息を乱した名前は床に手をついて大きく肩を上下させていた。

「歯が……立たないなんて……」
「おい、お前………まさか、斎藤相手にもう少し出来るなんて思っていやがったのか。こいつは剣豪揃いの新選組で五指に入る男だぞ」
「真剣を使う時は打つだけでは駄目だ、刃を引いて斬る。斬らねば斬られる。それを解っているのか」
「はい」
「立て。明日また稽古をつけてやる。お前はなかなか筋が悪くないようだ」

やり取りをしばらく呆れ顔で見ていたが、この斎藤をその気にさせやがったとは、こいつに見どころがあるってことか。既に道場の外へ半身を出している土方が、顔を向こうへ向けたまま面倒臭そうに言った。

「もう勝手にしろ。斎藤、お前に全部任せた」
「はい」
「名前、隊士として入隊するなら明日から男になれ」
「は?」
「男の形をして男として隊務につけってことだ。隊士を女扱いはしねぇ。周りに女だと悟られるんじゃねえぞ」

巨大組織となった新選組は以前にも増して規律が求められる。大幹部の粛清をも辞さず遵守してきた隊規である。女を隊士として入隊させる事は、局中の乱れに繋がる恐れがある。
幹部以外には決して性別を明かさない事。名前を男として扱う事。
これが、副長との間で取り交わされた盟約だった。
そしてそれは、名前の身を守る事にも繋がる。

「雪村にも当分は伏せておけ」
「御意」


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