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01 禁門の変  


元治元年。前年八月の政変で京を追われた長州藩は失地回復の為上洛の準備を進めていた。
この六月、新選組は古高俊太郎を捕らえ、自白により情報を得て池田屋を襲撃。潜伏していた長州や土佐等の尊王攘夷派志士を多数捕縛して謀略を未然に防いだ。
いよいよ追い詰められた長州藩は、藩主の冤罪を孝明天皇に直接訴えまた天皇の信任を得る京都守護職松平容保を排斥すべく挙兵した。

七月のその日、斎藤は副長の命にて状況確認のため蛤御門に出向いた。そこには千鶴も同行していた。
蒸し暑さの中、砲声が聞こえている。
次の司令が降りてこないまま待機が続き、ジリジリと苛つき始めた会津藩と薩摩藩の小競り合いが始まった。
薩摩藩兵が最初の矛先を新選組に向ける。

「浪人風情がのこのことこんな所まで来て、なんの役に立つか。会津の腰抜けは浪人の手を借りねば戦も出来んのだな」
「何だとっ!」

色めき立つ隊士達。
不快な熱気に苛々としていた彼らは愚弄されてカッと頭に血を上らせた。中の一人が刀を引き抜こうとする。

「俺達は浪人ではない。会津公より新選組と言う名を賜っている!」

どうしよう……味方なんだよね? それなのに喧嘩なんて……

千鶴は為すすべなくおろおろと斎藤を見た。
これまで黙っていた斎藤が、眉一つ動かさず静かに口を開く。

「落ち着け」
「ですが組長! 薩摩の奴らが、」

激高した隊士達が斎藤に詰め寄るが、尚も静かな声で皆を諌める。

「世迷言に耳を貸すな。己の務めを果たせ」

斎藤の言葉を受け不満げながら引き下がろうとする隊士達に薩摩藩兵は尚も言いがかりをつける。新選組と一緒くたに暴言を吐かれた会津藩兵らも怒りを顕わにし始めた。
あわや味方の斬り合いかと思われた時。
薩摩藩側から一人の人物が進み出て、こちらもまた静かな面持ちで止めに入った。
どのような立場なのか先程まで血気盛んだった薩摩藩士達が不満げながらもしぶしぶと黙る。燃えるような赤い髪を持つその男は、斎藤に向かい実に紳士的に振る舞った。

「こちらの浅はかな態度については謝罪しましょう」

ただならぬ雰囲気を纏う彼に警戒心を強めながら、表情は変えないままに斎藤が応えた。

「騒ぎを起こすつもりはない。あんた達とは目的を同じくしている筈だ。だが、侮辱を重ねるのならば我等新選組も会津藩も動かざるを得まい」

無用な摩擦は避けたい。しかし会津藩の面目を潰すことは許さぬと、斎藤の毅然とした言葉は抑揚少なく低い声で淡々と告げられる。その男の顔にごく控えめな笑みが上る。

「謝罪を受け入れてくれた事を感謝します」

一礼した男に従い薩摩藩兵達もようやく口を閉じた。

斎藤は背を向けた男をいつまでもじっと見ていた。
彼を見上げながら千鶴は思う。斎藤さんはとても静かで感情を表に出さないように見えるのに、心の中には誰よりも強い思いと志がある。高圧的ではないけれど決して引かない矜持がある。強くて優しい人……だから斎藤さんという人を信じられる。
思えば。
池田屋で千鶴が伝令に走った時もそうだった。
働きをその場で殊更に誉めたりはしないけれど、頑張れば必ず認めてくれるのだ。今回の同行許可に口添えをしてくれた事で解る。
他人に興味が薄いわけではない。むしろよく見ていてくれる。本当は誰よりも温かい人。

いつか斎藤さんの心に触れる事が出来たら……

幾度も朝廷側から出された退去命令を受け入れず乗り込んできた長州の急進派と、その入京を阻止しようとする会津、桑名藩とが衝突し戦闘となった。禁裏の複数の門で交戦が繰り返されたが、特に激戦となったのが蛤御門である。
一時は御所内に迫る勢いを見せた長州藩だったが、薩摩の幕府側への加勢により敗退した。これが後の世に言う禁門の変である。
このあと新選組は天王山に掃討攻撃をかけ七月下旬まで残党狩りを行った。これら一連の戦いを経た彼らは徐々に佐幕攘夷派としての立場を明らかにしていく。
新選組は破竹の勢いで成長を続けていた。

そしてその年のうちに伊東甲子太郎という新たな参謀が加入する。
壬生浪と言われていた頃はいつ殺されるのかとビクビクしながら日々を過ごしていた千鶴だが、組織として安定し始めた隊内で生活を共にするうちに、幹部達と大分打ち解けていた。翌年の山南総長の脱走、切腹という悲惨な事件にも深く心を痛めた。
大幹部を失いながらも感傷に浸る間などない程、新選組は大組織へと変貌していく。会津藩主容保公の預かりとなった頃、たった二十五名程だった隊士の数が二百名を超えた。
手狭になった屯所を西本願寺へ移転する事が決まる。
元治二年三月の事であった。



それからひと月。元治から改元された慶応元年の四月。雪村千鶴が新選組屯所に身を寄せてから、そろそろ一年半になろうとしていた。
この頃斎藤率いる三番組に新たな隊士が加入した。
満開の桜がちょうど見頃を迎えた頃だった。
屯所の移転をして少し経った頃で、平隊士に無闇に近づかないよう千鶴は土方から固く言いつけられていたのでその隊士も遠くからちらりと見かける事しかなく、それまでは格別興味を持つ事もなかった。

桜も散り終わり初夏を思わせるような温かな日、洗濯物を取り込もうと縁から降りた千鶴は、庭の隅の方で一人竹刀を振る姿に目を止めた。
小柄だが均整の取れた体躯。
高く結い上げた黒髪を左右に揺らしながら、黙々と素振りを繰り返す。
そのしなやかな動きに暫し見とれてしまった。
予てから幹部隊士らは皆様子が整っていると思っていたが、初めてきちんと見たその隊士の横顔は、女性のように美しく繊細だったのだ。

あの方、新しく入った……確か、苗字さんて言ったっけ。

視線に気づいたのか、動きを止めるとその隊士は千鶴の方へと顔を向けた。

「あ……、すみません、お邪魔してしまって」

慌てて頭を下げる千鶴に遠くから薄く微笑んで首を振ってみせる。その仕草が優しげでどきりとした。
もう一度頭を下げて洗濯物を大急ぎで竿から外し抱えると小走りに縁に戻る。
何故胸がドキドキするんだろう?
あ、あの方、どこか斎藤さんに雰囲気が似ているからなのかも……
干し上がったものを畳みながらそんな事を考えていると、今心に浮かべたばかりの斎藤本人が、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。

「あ、斎藤さん、お疲れ様です」
「苗字を見なかったか」
「苗字さんでしたら、庭でお見かけしました」
「そうか」

階を降り苗字に近づいていく斎藤の背を見つめ千鶴はまた一人頬を染めた。



「精が出るな」
「斎藤組長」
「今日は非番だろう」
「少しでも鍛えたいんです。私は非力ですから」

斎藤は薄っすらと汗を浮かべた苗字に、我知らず微笑みかけた。

「では、道場に少し付き合ってくれるか」
「はい」

苗字は素直について来た。
他に誰もいない道場で稽古着姿の苗字と向き合い、互いに木刀を正眼に構える。真剣な眼差しで斎藤を真っ直ぐに見つめてくる。背は千鶴より少し高い程度だが、細身の上伸びた背筋の為かすらりと見える。
力は確かに強くないが動きに無駄がなく、天性の勘なのか剣さばきに迷いがない。
巡察先で不貞浪士と遭遇した時は案じる斎藤の心配を余所に、互角に切り結んで見せ内心舌を巻いたことがあった。
何よりも、生真面目なのである。己の欠点を常に自覚し精進しようとする姿勢に、生真面目にかけては決して引けをとらない斎藤は好感を持った。
それは鬼の副長も認めるところだった。

だが、苗字を新選組に加入させるに当たっては、副長との間に密かな盟約があった。


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